第4章:様々な夜
ゼンは一人、夜空を眺めていた。
アカギの眼、そこに嘘はないと思う。罪を犯し、償えぬと知りながらもそれでも手を伸ばしてしまう。許されたいという想いと許されぬという理解が同居する。そしてその罪の象徴こそがヒロという少年なのだろう。
自分にとってそれがアストレアであることと同じ。
「いつ、伝えるべきなのか、か」
『アカギのおっちゃんは早い方が良いって論調だったなぁ。ま、一理ある。黙っている時間が長ければ長いほど、相棒への信頼が強ければ強いほど、反転した時の痛みはデカくなるだろ。そこに関しちゃとうの昔に手遅れだと思うけどな』
「……それに彼女が耐えられるまで、と思っていたんだが」
『そんな日、来ないかもしれない。なら、早い方が良い、か』
「俺が死なない保証もないからな」
『ごもっとも。ま、それこそ今更だがな』
「それもそうだ」
罪から逃げるように死地をまい進した。今思えば半分以上逃避だったのだろう。身を削っていることで、言い訳をこさえていたのだ。
たまにしか帰らぬことで、会わぬことで、眼を背けていた。
「……おそらく、次は大規模な、最終決戦なんだろうな」
『そのつもりだろーぜ。情報ってのは鮮度だ。アカギのおっちゃんがもたらした情報、あの二人の嬢ちゃんからぶっこ抜いた情報、それが意味を持つのは奴らが対策を設ける前、だからな。食料の問題もある。仕掛けるだろーよ』
「なら、その前に、言っておくべきなんだろうな」
『……相棒がそうしたいなら、良いんじゃねえか?』
「そう、だな」
双方、勝負所で出し惜しみするほど愚かではない。オーケンフィールドも、加納恭爾も、どちらも総力を結集し、全てを賭して戦うことになるだろう。
そこで己が生き残る確信などない。
「それは、伝えねばならぬことでしょうか?」
ゼンだけしかいなかった場所にフランセットが現れる。かつてアストレアとの二人旅の途中で出会った少女、今は少し成長し女性として成熟しつつあるが。あいにくゼンにその機微を測る目はない。一応これでも魔族、オークである。
ちなみに美女の基準は原生オークの特徴、豚っ鼻がどれだけそり立つか、らしいのだがゼンが語ったことがないため、彼の好みは闇の中、である。
「私は、伝えるべきではないと思います」
「聞いていたのか」
「端々だけ、ですが。アストレアは真っ直ぐ、優しい子に成長しています。最近は魔術の勉強も始めて、人の役に立ちたい、ゼン様のようになりたい、と言っています。あの子だけじゃなく、子供たちは皆、貴方の影響を受けていい方向に進んでいます。それは悪いことですか? いけないことなのでしょうか?」
隣に座るフランセット。彼女は普段、あまり口出しなどしない。危険に向かう時も武運を祈るだけ、否定はしなかった。
「わからない。でも、嘘は歪める気がするんだ。俺が清く正しい、まっとうな正義の味方だという嘘で、何かが。それが何かは、わからないけれど」
「そんなことはありません! それに、ゼン様がそこからかけ離れているとも、思いません。たとえ始まりがそうであったとしても!」
必死な、何かを伝えようとするフランセットの顔を見て、ゼンは苦笑する。初めて会った時から真っ直ぐで、その眼が少し苦手だった。
彼女から見た『自分』が苦手だった。
「私は、ゼン様こそ私たちの英雄だと、思っています。あの日から、ずっと」
顔を赤らめ、告解する少女。
「……こんな血に染まった英雄がいるか?」
「罪を認め、善行を多く積んだ者が英雄でないなど、私は思いません。そこまで英雄が潔癖なものだとも、思いません。人は過ちを犯す、生き物ですから」
「……君は俺を過大評価し過ぎているな、昔から」
「そうは、思っていません!」
拗ねたような表情。茶化してほしい時に限ってギゾーは沈黙を貫く。たぶん、それが一番彼にとって面白いのだろう。困った、とゼンは思っていた。
ふと、ゼンは思い出す。いつか伝えねばと思っていたこと。
「修行、まだ続けているのか?」
「召喚士の、ですか?」
「ああ」
ゼンは話題を変える。これもまた大事な話。
「もちろんです。修行も最終段階に入りました」
胸を張って答えるフランセット。それを見てゼンは首を振った。
これもまた、現代人の感覚を持つゼンからすれば充分な歪みであったから。
「もう、焦らなくていい」
「え?」
「次で最終決戦だ。君は間に合わない。英雄たちが総力を結集する。俺も微力ながら命を賭す。戦いはきっと、終わる。だから、焦らなくていい」
「いえ、であればなおのこと、もっと急いで――」
「死ぬな、と言っている。そもそも英雄召喚自体、本来は禁忌のはずだ。命を賭した術式などバカげている。俺は、好きじゃない」
「でも、そうせねば、私たちは」
「ああ。だから、終わらせて来るんだ。アストライアーが」
戦う理由がもう一つあった。罪を償うこと、子供たちを守ること、そしてシン・イヴリースのせいで狂った世の中を元に戻すこと。
外側の人間によって内側が破綻するのは間違っているから。
「これ以上死ななくていい。今までの犠牲が生み出した希望を、オーケンフィールドなら、英雄たちなら掴んでくれるはずだ。俺も、頑張る」
大勢死んだ。表舞台で散った者、表舞台に立つことなく散った者、皆等しく積み重ねの螺旋の中にいる。それがきっと絶望を穿つはず。
「……だから、子供たちを頼む」
「……はい。この、身命を賭して」
「……それをするなと言っているんだが」
すすり泣くフランセットの頭を不器用に撫でるゼン。ギゾーが心の中で『出た、頭ポンポン!』と茶化してきたが、今はある意味ありがたい。
「では、私とも約束してください」
「……出来ることなら」
「死なずに、戻ってきてください。そして、もしアストレアに伝えられるのであれば、その後でお願いします」
「そ、それは」
「ダメです。私が約束したんですから、ゼン様もお願いします」
『こりゃあ相棒の負けだな』
「ギゾー様もこう言っています」
「……参った」
「この約束があれば、きっと、ゼン様は戻ってきますから。今までのように。心残りを全部清算して死地に赴くなんて狡いです」
「わかった。善処する」
「はい。約束です」
フランセットの笑顔を見て、ゼンは頬をぽりぽりとかいた。
○
その様子を一人、離れたところで窺う少女。
その眼は己の所有物に手を出されたと感じたことによる怒りからか、魔獣状態で発現する複眼、三百六十度を見渡す魔眼を見開いていた。
獲物を見る眼、それは猛々しく一人の女性に向けられていた。
ちなみにそこからさらに離れた場所で――
「火、頂戴」
「ほいよ」
気の強そうな女性とアカギがぷかぷか煙草を吸っていた。
「あの子、ああいうタイプだから気をつけなさいよ」
「女性は怖いねえ」
「男が怖いからああなんのよ」
「……そいつぁ失敬」
風下ゆえ、紫煙によって彼らが気取られる心配はない。
「蜂須賀君は男が嫌いなんだねえ」
気の強そうな女性、蜂須賀は「ハッ」と鼻を鳴らす。
「別に。男も女も基本的に他人は嫌い。群れるのはもっと嫌い」
「おいちゃんは群れないよぉ」
「群れることが出来ない、でしょ。ニートのおっさん」
「うへへ。面目ねえ」
蜂須賀は相方である白木の様子を見てため息をついた。
「なんか劇薬ない? このままだとあの子絶対暴走するんだけど」
「劇薬?」
「絶対勝てないクッソ美人に言い寄られてたら、あの手のタイプは退く」
「……ほほう。ちょいと相談してみようかね。にしてもどうしてあんなに面倒そうな子と一緒にチーム組んでるの? 君ならもう少し上のレベルでも」
「マユは絶対群れないから。違うか、群れることが出来ないから、かな」
「あー、なるへそ。じゃあおいちゃんと一緒だねえ」
「ぶっ殺すわよ。あとオヤジ臭いんだけど。ちょっと離れてくんない」
「……おいちゃんショック」
ぷはぁと同時に紫煙を吐く。
「ってか、この位置って私たちの監視でしょ?」
「んー、どうだろねえ」
「嵌めようとしてるのは肌で感じてる。そういうの敏感だから」
「んふふ、おいちゃんは鈍感だよぉ」
「私は、私たちは死なない。生き延びて見せる。誰を踏み台にしようとね。そうじゃなきゃフェアじゃないでしょ。踏み台にされたのに踏み台にしちゃいけないなんて道理、許されるはずないもの。こんな世界でくらい報われてみせる」
「そこに関しては本気で応援してるよ。だから、曲げちゃダメだぞ。利用されるより利用すべきだ。自分たちが生き延びるには何が最善か、考えるんだ」
「……また嵌めようとしてる?」
「まさか。それならおいちゃん、たぶん逆のこと言ってるよ」
「……そう。ま、とりあえず今はいいや。ってかくたびれたおっさんって狡いわよね。害意が見えないから」
「大人の魅力出ちゃってるねえ」
「ぶっ殺すわよ」
彼らは同じ境遇で、立場こそぐるぐると入れ替わりながらも、ここまで生き抜いてきた。アストライアーは、アカギは彼女たちを利用する気である。シンの軍勢は彼女たちを利用し続けてきた。その螺旋から抜けろ、と彼は言っているのだ。
歯車とて利用価値がなくなれば組織から抜けていい。
かつてそれだった者がそれとなく、伝える。
こうして色んな視線が交錯する夜が緩やかに過ぎていった。
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