第4章:道化の世界
「お前たちは私を舐め過ぎデス」
在った――
「とりあえずターゲット一人、確保」
ひらひら舞っていたシルクハットが、さも偶然のようにゼンの頭へ乗る。その瞬間、ゼンの姿がこの場から消えた。『ヒートヘイズ』、ネフィリムは目を見開く。手応え、足応えはあったのだ。確実に王クラスを仕留めた、その感覚が。
それなのに道化は身綺麗な格好で立っていた。
「一応、裏切った理由を聞いておきましょうか? 特に興味はないですが」
超再生、と呼ぶには早すぎる回復。あれだけの欠損が刹那の間に回復するなどありえない。理に反している。しかして、道化は地に落ちたシルクハットを拾い上げ、自らの頭の上にひょいと置く。ダメージなど感じさせぬ外見、足取り。
飄々とした道化のステップ。
「……別に、裏切るとか大層な話かよ。驚くほどあの男に人望ねーだろ」
「まあ、そうデスね。なので特に興味はないのです、はァい」
無駄な会話である。
「私は敬愛していますがね。他には闇の王もデス」
「知るかボケ」
ネフィリムの言う通り、シン・イヴリースに付き従っている軍勢の中で、王に対し忠誠心を持っている部下など片手に収まる程度であろう。基本的には力、恐怖による締め付けである。それも王クラスには効果が薄い。
「まあ、ノーマルとアブノーマル、噛み合わないのは道理、責めませんよ」
「……うぜえ野郎だな、テメエは。まあいい、私は――」
そんな彼らには首輪、王の意思次第で死に至る術式が刻まれているが、これもまた生存への欲求が薄い者たちにはさして効果はない。
ならば何故、彼らがシンの軍勢であるかといえば――
どうでもいいから。規律はあってないようなもので、唯一仕方なく従う王の号令も滅多にない。王自体が自分以外信頼していないから、滅多なことでは号令もかからない。メリットもデメリットもない。従う理由もないが、逆らう理由もない。
ただ、それだけ。
「首輪を解呪され、選択肢を突き付けられた。アストライアーとやらで戦って死ぬか、その場で検体としてバラされ死ぬか。愚問だったぜ」
ネフィリムは無造作に距離を詰める。玄人ではありえない、雑な動きである。だが、対プロ相手にも勝ってきたのが元の世界での彼女なのだ。長身、超人的な身体能力、女性特有の早熟、齢十を越えた時点で男の大人をも圧倒した。
齢十五にて敵対組織に単身乗り込み壊滅させた。
「あー、だから、興味ないデスゥ」
齢二十、彼女というモンスターを持て余した味方に裏切られ、没した。
そして今――
「チィ!」
その拳は轟音と共に空を切った。
「ちょこまかと!」
凄まじい重さをまとった拳。巨人族は魔族の中でもパワーに特化した種族である。大きさと重さを兼ね備えた拳は地を割り、雲を衝く。
だが、当たらない。
現れては消え、消えては現れ、まともに立ち会ってすらくれない。
これが道化の王クラウン。相手を小馬鹿にした戦い方である。
「ゼンを、どこにやったァ!?」
しかし、ここにはもう一人いる。先日の小競り合いにて王クラスを単独撃破した、今ノリに乗っている男、第七位『ヒートヘイズ』。炎を操る彼は突き抜けた加速力を誇り、その蹴り足の威力はアストライアー内でもトップクラス。
何よりも、世界最高のストライカーとして名を馳せた男、怪物ひしめく隙間のない空間で結果を残し続けてきた男なのだ。その姿、陽炎の如く捉え難く、彼の通った後は炎の道が刻まれる。それがマリオ・ロサリオという男の力。
ディフェンダーと一対一、生まれて一度も決定機で負けたことは――
「さあ?」
なかった。
「ッ!?」
空間に、まるで固定されたかのようなジャグリング用のクラブが炎の通り道を潰していた。どこから現れ、どこへと消える。
「知っていても言うわけないデスー」
炎を、『ヒートヘイズ』の足を止めたクラブは、足を止めた後役割を終えたかのように消える。次の瞬間には、存在しなかったはずの道化が代わりに出現し、まるで撫でるように、嬲るように、優しくクラブで『ヒートヘイズ』を殴打した。
「ぐ、がっ!?」
死を覚悟した『ヒートヘイズ』だったが、叩かれた箇所は腕。どこでも打ち込めたはずなのに、あえて腕を狙ってきた。しかも、腕ごと引き千切れたはずなのに、優しく肉を潰し骨を折る程度に抑えた一撃を見舞ってきたのだ。
「さあさあ、ショウの時間ですよー」
両手にボールを四つずつ、計八つのそれをクラウンは投げつける。四方八方、あらゆる方向へと散らばるボール。不自然に弾み、自然にボール同士が衝突し、予測不可能な軌道でボールが『ヒートヘイズ』とネフィリムを襲う。
「くだらねえなァ! ピエロォ!」
自身の耐久力、同じ王クラスである己ならこの程度の児戯、当たっても大したことが無いと突き進むネフィリム。この選択自体、決して誤ったものではない。
こうせねばジリ貧、それを彼女は経験則で掴んでいた。
「相変わらずおバカさんですねェ。所詮魔人上がり、ですかァ」
ゆえにこのケース、反省すべきはたった一つの真実。
「あ、ぐ、なんだ、これ」
「これは避けるゲームです。私がそう定義しましたので」
シンプルな力の差。ネフィリムとクラウンの出力差によって、こんなちゃちなボールが肉を抉り、骨を折る。重く、厳しい力の差が横たわる。
「さー、ボール、増えますよォ」
受けられない。そんなボールがさらに増える。クラウンの笑みも深まる。どこからともなく現れたボールは倍々ゲームで増えていく。
ネフィリムは拳で撃ち落としながら、『ヒートヘイズ』は全力でかわし続けるも明らかに限界を迎えつつあった。対するクラウンは勢い増すばかり。
先手の有利は消えた。いや、そもそもあったのかさえ分からない。
底が見えないのだ。道化の王の底が。能力が、わからない。
「んふ、弱いデスねェ」
道化は微笑む。ショウを演出するために。
○
其処はサーカスが無数に並ぶ謎の空間だった。空には満天の星空、煌々と焚かれたかがり火は色とりどりのテントを照らす。その奥より覗くは先ほど戦っていたツギハギだらけの魔獣たち。それらを操る者たちは行方不明となっていたアストライアーのメンバーや、英雄として召喚されながら群れるを良しとしなかった者たちもいる。幾人かはゼンも知る、相当の実力者であったはず。
『なるほどね。こりゃあ随分とハッピーな状況だな』
「閉じ込められた、か」
『奴の支配する空間だ。おそらくだが、現実に存在する空間じゃなく、あの道化が生み出した異空間、だと思うぜ。大気の組成は魔界に似ているが、魔界にこんな星空はありえねえ。ほんで月って選択肢もねえ。アルスマグナの影響下って感じはしねえし、じゃねえならただの炎が燃えるはずもねえからな』
「異空間。よくわからん」
『まあ、どっちゃにしろ、戦うしかねえわな』
テントより出でる、異形の怪物たち。それを操るは、操られすでに正常な意識を失った哀れなる操り人形。どれも終わらせてやるべきだろう。
それが彼らへの慈悲。
「試したいことがある」
『いいのか? 敵の腹の中だぜ?』
「別にいい。どうせまだ未完成だ。純粋な戦闘力なら七つ牙を使い分けた方が強い。ただ、長期戦には向かないからな、七つ牙は」
『ほーん、お試しは長期戦もいけるクチ、と?』
「そのつもりで、打ち鍛える」
『へっへ、ちょいと頼りになるようになってきたねえ』
押し寄せる異形、彼らを屠るための武器を想像する。自らを守りつつ、長く強く戦える姿を想像する。たった一人、この場で生き延びるための力を想像する。
単独で完結する姿を、究極のバランスを。
想像し、創造する。
『征くぜェ!』
「セブンス・エクセリオン!」
七色の刃『たち』が、顕現する。
○
道化の王クラウンの能力は異空間を想像する能力であった。創造ではなく、想像。そう、その世界はこの世界にあってこの世界にはない、彼の中でのみ展開されるモノである。これは魔族としての能力ではなく、厳密には加納恭爾と同様のフィフスフィアであった。彼は特別製、初めから自らの楽園を認識していた。
元の世界から、である。
魔族としての能力はシンプルなモノであり、魔族のスタンダード悪魔族として顕現した。高い基礎能力、充分な戦力であったが彼は正面からの戦いが嫌いだった。馬鹿正直に力比べをするなど愚の骨頂。
霊長たる人がすべきではない。それは獣の行いである、とまで思っている。だから、彼は自身の能力を磨いた。思い込みの強さ故か、それとも揺らがぬ信念か、彼は妄想を己にだけ具象化することに成功し、認識していた世界を自在に行き来できるようになる。能力名は『サーカス』、彼の夢が詰まった楽園の名である。
彼が『サーカス』内にいる場合、あちらでは存在しない。しかし、どこにでも存在し得る可能性を持つ。もちろん限界はあるが、彼は次元操作や超重力、偽造虚無以外でのワープを可能としていた。それは能力の応用でしかないが。
道化の王は『サーカス』内に十分な道具の貯蔵とペットの飼育、飼育員の飼育まで行える土壌を育んでいた。それゆえに彼はいくらでも、どこにでも道具を、ペットを出せる。足りなくなったらまた収集すればいい。
ただし、彼の能力にも欠陥がある。それは自身が出入りする空間には出口が生まれてしまう、というものであった。それを補うため、彼は楽園を分割して自らが普段使いする空間と、保管用の空間、今ゼンがいる場所に分けた。
それによって閉じ込めた相手に出入り口を与えないことは出来たが、同時にその中で何が起きているのか、己が身の内での出来事でありながらクラウンはそれを観測することは出来ないでいた。ゆえに今のゼンをクラウンは見ていない。
まあ、そもそも見る必要が無いと考えていた。
「こんなものデスか」
血まみれと化した『ヒートヘイズ』とネフィリム。何とか歯を食いしばって立っているが、それもまた限界が近いだろう。押せば倒れる。
だから、クラウンは押さない。
「……さっさと、殺しやがれ」
「あはん、それは出来ないんですよ。私、結構面倒くさがりでして。たった一人じゃほら、割に合わないでしょう? もう一人くらい捕まえておきたいんですよ」
そう、彼らは釣り餌になったのだ。大物を釣るための餌。
「初めから、そのつもり、かよ」
「はァい」
絶望に顔を歪める『ヒートヘイズ』。それを見て飄々と微笑むクラウン。ちなみに今の解答、完全に虚偽である。本来の釣り餌は金の森そのもの。そこを急襲して壊滅させ、それを救うために現れたモノを確保するつもりだった。
出来ればオーケンフィールド。それ以外なら第零世代とやらのアリエル、シャーロット。危険度の高い大星辺りが釣れたら儲けもの。それはクラウンの主である加納の願いであり、クラウン自身は優先順位以外何も知らない。知る必要もない。
いくら生存圏を絞ったとはいえ、シンの軍勢が情報を掴んでいないはずの金の森、それを急襲して事前に『ヒートヘイズ』、ネフィリムを配置しているとは思わなかった。それ以上にゼンの戦闘力、機転を舐めていた。
あの鎖での拘束、あそこに合わせた実力者の奇襲。
あれは相当まずかったのだ。道化の王が死を覚悟するほどに。
悪手があったとすればネフィリムが鎖を破壊したこと。あれを維持されたまま同様の攻勢に出られた場合、鎖を破壊する前に詰んでいた可能性はあった。
加納恭爾に倣って『サーカス』内にアルスマグナ、外部バッテリーを用意した上で、無駄な問答で回復に専念する時間を稼がねば、やはり詰みかけていた。
問答せずに押し込めば勝てていた可能性はあったのだ。
「私、結構強いデスので」
「ちく、しょう」
道化が見せている笑みは、嘘偽り。他の王クラスはしないだろうが、彼はする。ブラフ、仕掛け、何でもあり。常に飄々とし、労力を割いてでも余裕に見せる。
必死に再生している様子など見せない。ゼンを拘束してしばらくは外側だけを取り繕い、中身は見るも無残な状態だった。
『ヒートヘイズ』への攻撃は思ったよりも力が入らず、ネフィリム相手は全力で応戦した。あの時点で道化は必死だったのだ。
あの時点で、死に物狂いで、手足の一本二本、犠牲にしてでも喰らいつかれていたら、これもまた詰み、だったかもしれない。
まあ、今の時点でその可能性はないのだが。
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