第3章:鍛冶師、立つ

『どーすんのよ、これ』

 ギゾーがこぼした言葉はこの場全員の総意であった。

 まず、サイズが桁違い。この大都市エーリス・オリュンピアの中でも、ひと際大きな塔よりさらに巨大な体積と質量。足がなく、這いずるように動くたびに地響きが起きる。アストライアーの英雄、魔人クラス上位、内蔵するオドの規模感はそれこそ蟻と恐竜ほどの差がある。単純な内蔵量なら加納やニケよりも上。

 アニセトの意思が僅かにでも残っていたなら、それこそ勝負にもならなかっただろう。まさに超越者、神も魔王も超える存在である。

「ま、何とかするしかないでしょ」

 あっけらかんとアリエルは言うが、その言葉に自信があるわけではなかった。それでも退くという選択肢はない。意思を失ったことで厄介さは軽減されたが、その分この怪物は明確なる人類の敵となってしまった。

「……アニセト様。申し訳、ございませぬ」

 力を奪われたことで神族としての権能をほぼ喪失したゼイオンがこぼす。こんなはずではなかったのだ。間違いなく、彼も己も正義のために立ち上がった。

 ただ、この世界の人の手で終わらせたかっただけ。

 その結果が、これである。

「私はよく知らんが、君はあの怪物の部下だったのかい?」

 アリエルと同様にアニセトを真っ直ぐに睨むシャーロット。

「ああ。素晴らしい力だろう? 本来なら、コントロール出来ていたはずなのだ。だが。最後の最後で、シン・イヴリースによって傷口が開かれてしまった。この世界に生きる者なら大なり小なり、持っている感情だがな」

 ゼイオンは乾いた笑みを浮かべていた。

 英雄たちには感謝している。この都市で享楽に耽る者でさえ、感謝ぐらいは持ち合わせている。だが、同時に後ろめたい気持ちも内在するのだ。

 無力、戦場に生きる者ほどその差は絶望的で、諦めるしかなかった。刃すら通らぬ怪物を前に、いったい何が出来るというのだ。ここにいる者たちのほとんどは、一度は立ち上がり、その差に絶望した者たちである。

 英雄と魔王の戦いを隅で眺めるだけ、そんな戦場から逃げた者たちの集合体。ゼイオンもまたその一人であった。騎士として優れ、自信をみなぎらせ臨んだ戦場で、彼は何も出来ぬまま第二の男とニケの死闘を見つめるしか出来なかった。

 近づく気も起きない怪物同士、抗う気も起きない。今まで積み上げてきた全てが瓦解していく。もう、勝手にしてくれと、笑いしか出てこないのだ。

 感謝はある。何度でも言う、それはある。

 だからこそ、こうして捻じれてしまった。ふざけるな、勝手にやってろ、敵も味方も異世界の存在、この戦いのどこに自分たちがいるというのだ。

 そう思うのは悪いことだろうか。

「くく、我らから見れば貴殿らも、今のアニセト様も大して変わらぬよ」

 絶望するゼイオンの額に弓を突き付けるハーフエルのルー。

「この惨状を引き起こした貴様らがそれを言うのか!」

 怒れるルーの視線の先には半身を焼かれ、シャーロットの凍結によって生き永らえているだけの、すでに手遅れとなった友がいた。

「ならば、貴殿は振り払えるか? 空から垂れてきた希望を、天啓だったのだ。人の手で、自らの手で、世界を救うことが出来る。カタチなど何でもよかった。とにかく、あの無様な、居てもいなくても変わらない、絶望が払えるはずだった!」

 ゼイオンの言葉に、振り絞ったそれに、ルーは顔を歪める、弦を引き絞る手を僅かに緩めてしまう。ウィルスも、レインも、こちら側の人間たちは何も言わない。言えない。だってわかってしまうのだ。彼の気持ちが、痛いほど。

「……ギゾー、俺も、彼らと変わらないんだ」

『ああ、知ってるよ、相棒。誰だってそうさ。直接的な苦しみだけが地獄じゃねえ。この虚構の都市で揺蕩うように生きるのもまた、地獄さ。逃げ出したくなる現実があってよ、そこに救いの手が伸びてくりゃ、誰だって掴むぜ』

 かつて魔王が垂らした蜘蛛の糸を掴み、怪物へと転生させられた男たちもまた、満身創痍ながらゼイオンを責める気配を見せなかった。

「騎士の旦那、あれに弱点なんぞはねえんですかい?」

 虚無によって腹に風穴を空けられた竜二が問う。宗次郎はオタオタと穴をふさごうと手をかざしたり、石を詰めようとしたりしていた。馬鹿である。

「ない。あれは対イヴリース用の決戦兵器だ。しかもまだ未完成、本来であれば皆の協力を経て全ての人族の力を結集し、さらに強くなるはずだった。今はまだ起動段階、あれで最も弱い状態ということになる」

「……そりゃあ過剰でしょうぜ」

「過剰? くく、過剰なものか。オドを喰らう機構、そのオリジナルは今のシン・イヴリース、カノウ キョウジの能力を参考に造っている。奴は絶望をオドに変換し喰らうのだ。あれと似たことは出来るし、やっている。その上、我らが取引にて与えた術理で転生ガチャなる術式を築いた。それによって呼ばれ、生まれ変わった貴殿らは、兵力であると同時に、保管庫だ。もしもの時、力を引き出すためのな」

「……まさか、そんな、こと」

 竜二は否定の言葉を紡ごうとするも、今までの怪物、その立ち回りから否定しきれないことに思い至り、顔を歪ませる。それが痛みによるものだと思った宗次郎は一層慌てるが、今の竜二にそれを構う余裕はなかった。

「過剰なくらいでなければ届かん。だからこそ、危ない橋を渡る必要があった。意識が残るギリギリ、決戦になれば当然、手放していただろう。カノウは貴殿ら転生者、アルスマグナ、そして自身の三つに力を分けている。何故そうしているのか、その答えもまた、今のアニセト様を見ていればわかるだろう」

 絶望的な発言が続いた中、アリエルとシャーロット、ライブラは同時にゼイオンを、彼の零した言葉に反応した。アニセトと同じ、つまり――

「シン・イヴリースもまた、貯蔵してある魔力全てを戻すと意思を失う、のか」

「それなら、まだ、やりようはあるわね」

「まあ、そこまで追い詰めるのが難儀なのだけどね」

 無限に強くなるわけではない。意思の続く限り、そう考えれば加納は容易くそれらを引き出すことをしないだろう。レウニールと邂逅しただけで表に現れたオリジナルの意識。決して盤石ではないのだ、今の魔王は。

「ぐっ、おい、ゆっくり話している場合じゃ、ないぞ」

 瓦礫の奥から現れたのは仮面を被っていた男、今はニケに吹き飛ばされた衝撃で吹き飛んだのか、砕けたのか、何も被っていなかったが。

「アニセトが動き出した。進路は近郊の町、意思がない以上、オドを喰らう機能の行使に手心が加えられるとは思えない。今しかないぞ、あれを止める機会は」

 歯噛みする男は翡翠の髪をかき上げ、怪物を睨みつける。

「滅びるわけがない。ないんだ。滅ぼさせなど、するものかよ!」

 今まで飄々としていた男であったが、細い眼の下に宿る熱情は――

「くく、無駄だ。絶望を払うために絶望以上を造ったんだ。止められるはずが、無い。誰にも、魔王にすら、世界を救うつもりが、滅ぼすことになろうとは、くはは、滑稽極まるな、我らは。何のために、生きてきたのだろうなァ」

「絶望するなら勝手にしろ! 私たちは繋げねばならな――」

 苛立ちをぶつけようとする翡翠の髪の男、それを遮るようにゼンはゼイオンの前に立った。崩れ落ちた彼と同じよう、膝をつき、同じ地平を見る。

「……俺は馬鹿だ。口ではうまく言えん。だが、お前の気持ちはわかる。俺も弱かった。弱いからすがった。その結果、俺はこうして怪物となってこの世界にいる。少しは強くなったつもりだったが、まだまだ足りぬと今日知った」

「…………」

「もし、変えられたら、この絶望を覆せたら、力を貸してくれ。世界は広くて、英雄は少ない。俺みたいな偽物でも戦わなきゃ、救えない」

 それだけ言ってゼンは立ち上がる。

 何か策があるわけではない。今から考える、絞り出す。

「偽善を成す、やるぞ、ギゾー」

『あいよ、んで、ノープランでどうする? しかもよ、あれは魔族じゃないぜ。七つ牙は通じない。持ち札で最大火力はアステールだ』

「考え中だ」

『堂々と言うねえ』

 ゼンは歩み出す。

 それを見てアリエルとシャーロットは微笑み、先んじて駆け出した。格好つけさせるものかよ、と意地の張り合いである。

「まったく、あれが美を認識するとは思えないがね。戦力外だよ、君」

「ハァ? 私の本領は反射だっての。でっかいの返してやる!」

「ならば、私は時でも緩めるとしようか。あのサイズにどこまでやれるか、くく、面白いね。舞台の上、カメラの先での、高揚を思い出す!」

「なら、やるわよ。あいつが捻り出すまで。時間を稼ぐ!」

「主演も出来るが助演も得意。それがスーパースタァさ」

「「だから考えなしに突っ込むな、馬鹿野郎!」」

 二人の言葉でゼンは二の足を踏む。とりあえず当たってみようとノープラン戦術を取ろうとしていたことが完全にバレていた。

 二人の英雄が都市の外に飛び出し、アニセトと接敵する。

 地鳴りが、大きくなり、夜空が焼ける。攻防の度に世界が揺れる。

 壁の先で如何なる戦いが繰り広げられているのだろうか。

 英雄対超越者、常軌を逸した戦いが世界を揺らす。

「……おい、ヴァルカン。何をしている?」

「カナヤゴ!?」

 意識を失っていたはずのカナヤゴが目を覚ましていた。氷漬けとなった半身は痛々しい火傷に蝕まれ、壊死寸前。氷が解ければすぐに壊死してしまうだろう。

「おい、話すな。ドゥエグの!」

「ぶはは、なんぞ、泣いているのかエルの。ぶっさいくだなぁ。貴様には世話になった。矢じりの件、守れぬを許せ。どうにも時間がない。まさか私が焼け死ぬとは、ぶはは、世の中わからんものだ。話を、させてくれ、頼む」

 カナヤゴの貌を見て、ルーは静かにその場を離れた。

 近づいてきたゼンに開口一番――

「バカ者が。貴様の名は伊達か? 飾りか? 何故七つ牙に固執する? 何故、既存のモノに縛られる? 模倣は我らにとって大事な学びであるが、全てではない。学び、積み上げた先の己を出すのが鍛冶の妙味よ。無いなら生み出せ、それが鍛冶師であろうが。ぶはは、今更こんなこと言わせるな、ヴァルカン」

 模倣の先、ゼンの中で何か、視界が拓けた気がした。

 心の中に在った、何かが蠢く。

「貴様は鍛冶師だ。私と同じ、本物だ。楽しかったぞ、短い間であったが、オークカタナ、ぶはは、見事であった。もっと、創りたかった、な。共に」

 カナヤゴは焼けていない手を、ゼンに伸ばす。

 それをゼンは抱いた。

「我が熱、預ける。見せてみよ、貴様はこのヴィシャケイオスのカナヤゴが認めた鍛冶師である。自信を持て。そして、また、我が度肝を抜いてくれ」

 ほんのりと伝わる、熱。紅き腕の熱を受け取り、ゼンは立ち上がる。

「見ていろ。度肝、抜いてやる」

 カナヤゴに見せるは背中。ここから先、語るは行動のみ。

「うむ」

 満足げに微笑むカナヤゴはゆっくりと目を瞑った。

「力を貸してくれ、皆。切り札は、俺が創る」

 大気がひりつく。ゼンの眼に、何かが宿る。ギゾーはほくそ笑むことが出来るのであれば、皆に見せつけてやりたい気分であった。

 嗚呼、ようやく相棒が正しい己の道を見出した、と。

 俺の相棒、すげえだろ、と。

「……葛城君、あの時みたい」

 深い集中、九鬼巴は天才を集中の深度で定義づけている。あの時見た彼は気のせいではなかった。彼もまた、本物になり得る存在だったのだ。

 今の彼は足る存在。それに比べて己の矮小さたるや――

「で、何をすれば良いんで?」

 ここは乗る場面。竜二は再生し切らぬままなれど、立ち上がる。

 何か起こせる、この男と一緒ならば。そう思った者たちが立ち上がった。

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