第3章:合流

「……底は見せて頂けないようで」

 ゼンの投げた手投げ斧を握り潰し、竜二は苦笑する。

 種族としてのスペックは己の方が上。その上で手加減されているように感じていたのだ。長年の勘、喧嘩に明け暮れ、喧嘩で死んだ男の感覚がそれを掴む。

「リスクがある」

「そりゃあ興味深い。ではあっしも、ちょいと限界、超えてみやしょうか!」

 竜二の竜化が加速する。

 魔獣化の深化、自らの力をより引き上げる手法。

 代償は――理性。

『おいおい、街中だぜ、このヤクザもんがよォ』

「戦うことダケガ、生キガイ、ナ、モンデ」

 大気が震える。魔人上位の深き魔獣化。

「……数秒、開ける」

『だな。こいつ、止めねえと街が滅ぶぜ』

 鋭角なるフォルム。より戦闘に特化した魔獣が顕現する。

 吹き荒れるは、強者の圧。


     ○


 強き者たちは息を呑む。

 特に百の壁を越えた先では――

「エルの。根性入れんと私たちも滅ぶぞ」

「ああ、わかっている。ドゥエグの」

 エルの民の戦士に肩車されたドゥエグの戦士、二人もまた顔をしかめる。

「あの、馬鹿」

「相手、強いですね。王クラスに近い、圧を感じます」

 アストライアーが潜り込ませた二人もまた膨張する圧に顔を歪めていた。

「……レイン」

「ふっ、ほら見ろウィルス。あんなにもへたくそな敵が、少し力を入れただけでこれだ。あれで王クラスに達していない。あんなのが何柱もいる」

「あれなら、勝てる。俺はレイだ」

「あれなら、な」

 絶望するは英雄の末裔。彼女は知っている。世界のルール、その穴を突いた軍勢がどれほど精強で、自分たちでは歯が立たないかを。

 第二の男と共に戦った父が証明した。

「もう、エクセリオンはないのだ。この世界に」

「……それは」

 自らが造る、そう言えない歯がゆさにウィルスは俯く。自分より腕が上だった父が鍛えし新たなるエクセリオン、それを当時この世界で最強だったレインの父が振るい、へし折られてしまった。イヴリースではなくニケという魔王に。

 自分ではあの時のひと振りすら造れない。

 その上など、到底――

「……ウィルス」

「なんだ?」

「もう一人も、だ」

「え?」

 それは彼らの感覚を塗り替えるほどの、濃密な気配。

「いや、違う。もう一人の方こそ化け物だ!」

 レインの眼は先んじて見抜いた。開帳した、新たなる英雄の底力を。


     ○


『……コイツァ』

『時間がない。すぐに終わらせる!』

 魔獣の鎧、その上に紅き紋様が浮かぶ。鎧を透過して映し出される限界を超えるための秘術。ライブラが施した無理やり強くするための機構。

 それは彼女の想定すら超えて――

『ゴブッ!?』

『オークパンチ』

 魔獣化を深め、強さを増したはずの竜二。その動体視力にすら映らぬ速度でゼンは接近し、回り込み、横っ腹に拳を叩き込んだ。

 一発、たった一発で剥がれ、抉られ、血が、噴き出す。

 攻撃を敢行した段階で、遅れて聞こえる音。遅れて生み出される踏み込みによる噴水にも似た光景。竜二ですら見えていない。

 なら、他の戦士では到底――

『オークキック』

 自慢の耐久を突き破る蹴り。鱗が、剥ぎ飛ばされていく。

 前蹴り一発で宙に舞う竜二。圧倒的な戦力差、ありえない戦闘力の伸びに、痛みより先に困惑が浮かんでしまう。同期である『隻眼』のギィがバトルオークにしては生存力が高く、優秀であるという噂程度は聞いている。

 そして、これまた風の噂だが裏切ってアストライアーに与し、さらなる強さを得たとは聞いていた。だが、これは明らかに異常なことである。

 種族の壁どころか位階の壁すらゆうに超えている。

「……宗さん、こりゃあ、めっけもんですぜ」

『オークハンマー』

『特徴は頑丈、それだけ!』

 ゼンはそれを躊躇いなく振り抜いた。音も無く水平に吹き飛ぶ竜二。これまた遅れて聞こえた音、音の壁を超えた衝撃波が都市を揺らがせる。

 そして――

「……ふぅ」

『いやー、相棒。やっぱ人里で使うもんじゃねえな、これ』

「……ああ」

 千の壁、その一部を吹き飛ばし、何事もなかったかのように竜二はその奥、百の壁に突き刺さっていた。誰もが呆然とその光景を見ていた。

 戦士たちにとっては容易く心をへし折られてしまう光景。

「ぬっ?」

『相棒、手が光ってんな』

「よく分からんが痛い」

『そっかぁ。どんくらいの痛みよ?』

「下痢」

『……微妙なラインだな』

「とりあえずオドを手に集中させたら痛みが消えた。ついでに刻印も消えた」

『マジ!? 順位は?』

「表示されないな。困った」

『畜生! ちやほやされたかったのにィ!』

 泉に降り立ったゼンは哀しげに手の甲を見つめていた。

『ま、でもさすがに目立ち過ぎたな、こりゃあ。真面目に順位上げましょって空気でもねえだろ。とりあえずあれだ、物陰に隠れようぜ』

「ああ。3847位だぞ」

『何の話よ?』

「俺の順位だ。一万五千分の、と考えたら結構頑張ったと思う、俺」

『そっかぁ、そうだよな、相棒、平均より上に行くことなんて前世じゃほとんどなかったもんな。よくがんばったでしょう、だ、相棒』

「ありがとう、ギゾー。さて、じゃあ隠れると――」

 どぷん、自らの影に飲み込まれ、ゼンの姿が突如消える。

 残されたのは荒れ狂う泉と、戦闘によって生み出されたしぶきで水浸しになっている観衆、である。呆然と、圧巻の光景を人は目の当たりにしてしまった。


     ○


「何故、刻印が発動せぬ!?」

 怒れるはこの都市の王、欲望の肉塊である男、アニセト。

「何ァ故ッ!」

 自らが支配する都市において例外はあってはならない。例外を感知しアニセト直々に隠された効果を発動すれば、あの刻印は人を殺す術式に変化する。

 支配のための保険であったが、それが効力を発揮しなかった。

「アニセト様、どうかお気を――」

「口答えするなァ!」

 アニセトは女官の刻印を発動し、彼女を絶命させる。

「ひぃ!?」

 他の女官らがうろたえる中、アニセトは正しく効力を発揮した術式に目を向けていた。大魔術師と謳われた己の術理、手抜かりはない。

 人族も含め、この地上にいる種族は一通り試している。だが、魔族はケース自体が少なく、そもそも一括りに魔族と言っても様々であるため、効果が表れなかった可能性もある。もしくは相手が強過ぎたことによる力不足、か。

「探せ。そして立ち退かせよ。我が楽園から追放するのだ!」

 アニセトの怒り、鎮めるために皆が動き出す。


     ○


「目立ち過ぎだよ、君」

「ライブラか。久しぶりだな」

 簡易ゲート『影穴』によってゼンを引っ張ってきたのは『機構魔女』ライブラであった。長く行動を共にしていなかった、のはゼンにとって誤差の話。

 ゼンの感覚としては十年ぶりなのだ。

「刻印は?」

「消えた。痛むからオドを集中させたんだが、それが悪かったらしい」

「……ぶはっ、さっき引っ張っていた時も思ったが、君はとても重くなったね。かつてのスカスカとは大違いだ。この近距離でも相当消費させられた」

「すまん」

「良いことさ。とても」

「あと、あらためて感謝する。俺が強くなれたのはお前たちのおかげだ」

「ふふ、照れるねぇ。僕も君が強くなって嬉しいよ。子が巣立つ気分と言うのはこんな感じなのかね? いや、ちょっと違うか」

「ああ。お前は俺の母ではない」

『だっはっは。なんかこの噛み合わねえ会話も久しぶりだなぁ』

「本当にね。君の声を聴くと頭が痛くなるよ」

『そりゃあすげえ機能だ。アップデートしてもらったのか、ロキによ』

「まあね、ついでに引っこ抜いて機能を停止してあげよう」

『相棒、大事な相棒が殺されそうだぜ。ここはビシッと守ってくれ』

「この戦いが終わった後は好きにしていい」

『相棒!?』

「そうしよう。まあ、冗談はさておいて、とりあえず合流するとしようか。色々と積もる話はあるだろうし、僕も聞きたいことがあるのでね」

「わかった」

『どこに行くんだ?』

「僕の工房さ。この都市内、大魔術師アニセトの目が及ばぬ領域を構築するのに手間取ってね。腐っても大魔術師、さすがの執念だ」

 ライブラは遠くにそびえる宮殿に視線を向ける。

「かつては立派な人物だったんだ。でもね、あれが現れて強き者ほど、心が折れてしまった。強いと、距離が分かってしまうから。だからこそ、第一の男は僕の姉妹機以外、味方すら設けずに戦った。そして負けた。勝つために強き者を率いたのが第二の男、その敗北は今もなおこの世界に影を落としている」

「何の話だ?」

「英雄に成れなかった、成りそこないたちの話、さ」

 首を傾げるゼンにライブラは苦笑する。底辺から這い上がってきた彼には分からない気持ちかもしれない。世界のトップに立ち、皆を引っ張ってきた天才たちの上に、突如届きようもない天井が現れ、凡人以下にさせられてしまうことなど。

 何も出来ず、弱きと同じように奪われるしかない、元強者。

 それはある意味で――


     ○


「久しぶり、ってわけでもないか」

「いや、俺は久しぶりだ。ライブラと同じくらい」

「……本当に年取ったの?」

「十年ほど」

「変わりないじゃん」

「まあ、オークだからな」

「何それウケる」

 笑い合うのは戦友、アリエルである。彼らの間にいたもう一人と共に魔王アンサールと戦った仲、色褪せぬ空に輝いた流星が二人の絆であった。

「で、こっちがトモエ・クキ、前会ったでしょ」

「あ、あの、ひ、ひさしぶり、ですッ!」

「おー、偉い偉い、気絶しなかったじゃん」

「ま、毎日イメトレしてたので」

 荒い呼吸の女性を見てゼンは首を傾げる。会ったことあったかな、と考えこみギゾーが脳内で『ほら、前食堂で会った子だよ』とささやき戦術にて――

「久しぶり、だ。ん、ともえ、くき? あれ?」

 事なきを得る。加えて新たなる情報、名前を入手したことにより、

『んあ、ちょ、マジか。だって、全然、いや、面影は』

 ゼン博士であるギゾーすらうろたえることが判明した。

「九鬼、か? 小学校で同じだった」

「く、葛城君!」

「何よ、覚えてんじゃん」

「いや、その、正直、同じクラスだったのはたぶん、小一と小三だけ、か。今の九鬼とはその、全然違う感じの子だったから。背がひょろっと高くて、髪の毛も今みたいに短めじゃなくて、長かった記憶がある、ような」

「うん、私、昔のあだ名『背ぇ高ゾンビ』だったから」

「笑顔で言うことじゃなくない?」

「良いんです。葛城君に覚えてもらっていた、それだけで十分です」

「そうか。九鬼が。俺は知らなかったが、立派な人物だったんだな」

「そんなことないです。ただ、薙刀が上手いだけなので。葛城君の方が凄いです。小学校一年生の時、おもらしした子をおぶって保健室に行ったり、嘔吐した子の口を拭ってくれたり、二年の頃はお友達に九九を教えていたり、先生から当たられて大きな声で発言していたり、三年生の頃はプールの授業で――」

 立て板に水。全員が呆然としてしまうほど怒涛の勢いで大したことじゃない逸話を捲し立てる九鬼。ゼンほどの朴念仁をもってしても恥ずかしいのか俯いている。まるで英雄的行為のように並びたてられるそれは全部、大したことじゃない。

「ってか、何で四年生以降もこんなに細かく覚えてんのよ」

「わ、わからん。別クラスだったはずなんだが」

 しかも、中学三年に至るまで全ての学年、むしろ学年が上がるほど逸話の数は増え、その分内容はとんでもなく薄まっていく。蟻の列を避けて歩いた、などはどうでも良過ぎる話であり、むしろ何で見ていたの、という話なのだが。

 ちなみに中学以上からは日付すら暗記していた。

 普通に怖い、とゼンは震える。

「ま、まあ、そのくらいで。君のゼンへの熱意は十分に伝わったから」

「そ、そんな、熱意なんて。違います!」

 照れ隠しなのか薙刀を振るい、ライブラの前髪を断ち切る九鬼。「もう、困ります」というのはライブラの方であろう。肝が冷えた、というのはライブラの弁。

 肝はなんてないけどね、というのもライブラの弁。

「薙刀か。学校では見なかったな」

「ずっと道場に通っていたので。高校からです、部活動は」

「そうか。高校か」

「あ、その、ごめんなさい」

「ん? ああ、俺の高校時代も知っているのか。と言っても一年にも満たない短い期間だが。大丈夫だ、今となってはそんなに思い煩っていない」

「でも――」

「俺の方がよっぽど悪いことをした。咎める資格なんてとうに失っている」

 哀しげに微笑むゼンを見て、九鬼は顔を歪めた。

「薙刀か、それでこの世界に来たってことは上手いんだな、凄く」

「い、いえ、大したことはないです」

『ちなみに負けたことある?』

「高校からは一度もないです」

「……一度、も?」

「はい。でも薙刀は勝負が全てではないので、まだまだ、です」

 大したこと大有りであった。

「日本の高校生で一番、か。凄いな」

「そんな、葛城君に褒めてもらえるほどのことじゃないです。本当に、大したことじゃないですから。メジャースポーツと違って裾野は狭いですし、大体の人は高校から、下手をすると大学からですし、社会人になったら練習時間も限られてしまいますから。プロがあるわけでもないので、全然大したことないです。勝つのは」

 ゾッとするほどの自信。アリエルはため息をつく。彼女の感覚はきっと自分がバレエをしていた時と同じなのだろう。他者との比較に意味はない。何故なら他者との開きが大き過ぎるから。自己研鑽するしかないのだ。それが天才の領域。

 他者には勝って当たり前、戦うのは自分自身。

 ちなみに彼女はインカレのみならず皇后杯も取っている。つまり、社会人も含めた薙刀競技で日本一に輝いていたのだ。

 無敗の女王、最強の薙刀選手であった。

「葛城君の方が凄いですよ」

「いや、それはないだろ」

 ゼンは恐れ多いと否定するも九鬼は譲らない。「あほくさ」と鼻を鳴らすアリエルは何処かつまらなそうで、それを横目にライブラは「ははん」と微笑む。

 工房内で渦巻く色々が『機構魔女』の好奇心をくすぐりつつあった。

「だが、そうか、大学生か。そうすると成人式とかも出たのか?」

「うん。私はあまり友達がいなかったので、つまらなかったですが」

「そうかぁ。そうなるなぁ。歳も取るわけだ。なら、中学三年の時に九鬼と同じクラスだったと思うんだが、翼、和泉翼は元気にしてたか?」

 ここまで満面の笑みだった九鬼の貌が凍る。

「……とても元気でしたよ。彼氏も、出来てたみたいで」

「そうか、良かった。幸せならいいんだ」

 九鬼は笑みを浮かべ、ゼンたちに向ける。

「お疲れでしょうからお茶を淹れてきますね。今後のことも話し合わないといけないと思いますので、喉が渇くはずですから」

「ああ、ありがとう、九鬼」

 身を翻し、全員から視線が外れたところで、その作り笑いは限界を迎える。

 憤怒、憎悪が剥き出しの、貌。

 お茶を淹れながら歯を食いしばる。ずっと前から、遠くで眺めていた宝物をかすめ取った罪人、その名を彼が口にしたから。彼は彼女を天才だと思っているかもしれないが、本当の天才からすると彼女は田舎の公立中学校という小さな箱庭で学業が優秀だっただけの凡人。彼とは釣り合わないし、認められなかった。そのくせ付き合っていると明言せず、玩ぶような振舞い、それもまた許せなかったこと。

 せめて何か、証になるモノが手に入ったら、自信を得たら話したい、あわよくば一緒にいたい、そう願っていた、天才の自分がそう思っていたのに。

「和泉、翼ァ」

 気づけば、かすめ取られ、まだかすかに残っている。

 それが許せなかった。

「でも、お前は此処には来れない、デス。弱くも強くもないから」

 天才で良かった。九鬼巴は笑みを取り戻す。ここは彼女では絶対に届かない領域。下手に優秀であるからこそ、彼女のような人種は絶対に召喚されない。

 どちらでもないから。だから、九鬼は哂う。

「まずは、強くならなくちゃ。頑張れ、私」

 不純極まる動機。強くなった彼と言う計算外を埋めるために強くなる。そうして今度こそ隣に立つのだ。もう二度と掻っ攫われてなるものか。

 あんな惨めな想い、二度と。

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