第3章:シュバルツバルト

 鬱蒼と生い茂る深淵。常闇の如し木々は人々を寄せ付けない。

 広大であるにも関わらず、何人たりとも立ち入れぬ。

 つまりは未踏の領域。

「……威圧感が、ある」

『いやー、無機物のオイラには分からんですな、ガハハ』

 ゼンはシュバルツバルトの威容に気圧されていた。覚悟はある。決意もある。脅威が眼に見えているわけでもない。それなのに本能がこの場を忌避する。

 そしてそれは――

「大丈夫? 二人とも」

 神族であるライラは心配そうに人族の二人を見つめていた。

「「…………」」

 アリエル、シャーロットは混じり気のない人間である。そしてこの森は人の因子にこそ最大の効果を発揮していた。ロディニアには多数の種族、生物がいる。その中で何故か人だけが明らかに強い力で避けられていた。

「そんなに、か?」

 対してゼンは魔族混じり。圧は感じるが、ここに来て一歩も踏み込めない彼女たちほどの圧は感じていなかった。

「仕方あるまい。わしも人混じり故、ライラほどの余裕はない。純粋な人族であればわしらの想像以上に忌避感を覚えるはずじゃて」

 トリスメギストスであっても同じ感覚。防ぐ術はないのだろう。

 少なくとも彼の手札にそれはないようである。

「さて、来るぞ」

 森の中から影が伸びてくる。

 彼らの眼前まで伸びてきて、其処で影が停止した。トリスとライラを除く三人は警戒の姿勢を取った。強烈な圧とは対照的に、何も感じない影。

 だからこそ、怖いと思った。

「お久しぶりです、トリスメギストス様、エル・ライラ様」

 どろり、影の中から現れたのは影のような黒い装束の男。笑みは浮かべているものの、其処には喜怒哀楽が抜け落ちている。

「御三方はお初にお目にかかります。スカー・ジ・シュバルツバルトと申します。この森の管理者である御方を守護する役目を与えられております」

 以後お見知りおきを、と一礼をするがやはり男からは微塵も温度を感じない。

「中央に至れば人除けの効果は適用されませんので、今しばらく我慢していただきたい。ほんの僅かな時間ですが、それでも純粋な人族には厳しいでしょう」

「何故、人族だけなんだい?」

 シャーロットの問いにスカーと名乗った男が答える。

「人族に特別効果がある、というだけです。魔族にも神族にもそれぞれの種族に必要な効果はございます。人族に強く働く、というのはそれが必要だからです」

「必要?」

 引っ掛かる物言いにアリエルが食いつく。

「知識に対する欲の差です。基本的にどの種族にとっても未踏であるべき、それが世界の手に余る内は。世界にとって必要と成る時までは」

 初めて男が見せた、何らかの感情。すぐさま霧散したが――

「では、皆さん、影の中へ。我らが主のもとへ向かいましょう」

「本来であれば試練を越えねば入れぬ領域じゃ。運が良かったのう」

「これに関しては運ではありませんよ。だから彼女、なのでしょう?」

「それと彼、じゃ」

「……始まりであり、終わりである。そしてこの先もまた――」

「確定とは限らぬよ。今にとってはまだ、未知よ。あくまで今この時まではかつてが繋がっただけのこと。スカーよ、頼むぞ」

「承知いたしました。少しひんやりと致しますが、ご容赦を」

 影が、全員の足元に伸び――

「どぼん」

 やはり感情のない顔で、されど、どこかほっとした貌を覗かせ、そう思った瞬間、全員が影の中に落ちた。シュバルツバルトの入り口にはスカーのみが残る。

「まだ、始まりの物語に至っただけ。それでも、私は――」

 この森に生まれ、この森に死ぬ。守護者の一族の宿命。それを誇りとし、その生き方に迷いはなく、自らたちが間違えることもない。

 それでも、だからこそ、特異点に辿り着いたことに彼は胸をなでおろす。

 繋げるために生きてきた。繋げるために繋げてきた。

 それだけが彼らの意味。この地の、彼らの、祈りなのだから。


     〇


 影の中、落ちてきた彼らは気づけば別の影の上にいた。

『…………』

 それはとある生き物の影。

「……な、んだ、この、怪物は」

『怪物か。我から見れば貴様ら混じり物の方がよほど化け物であろう』

 ゼンたちは見上げ、絶句する。

 巨大な黒き獣であった。小山ほどの体躯に、剣の如し体毛が全身を覆う。

 明らかに強い。だが、この場所同様何一つ、気配を感じなかった。

「原初の魔獣じゃよ。その中で最も古きひと柱よな」

『トリス坊、主が至る。襟を正すが良い』

「分かっておりますとも」

 信じ難い光景を前にして、彼らは茫然とするしかなかった。

 一つの存在、その接近に気付かぬほど。

「やあ、トリス、今日は何用かな?」

「お久しぶりでございます。シン・シュバルツバルト様」

「の、レプリカだよ。彼は大獄の先で戦死したからね」

「存じておりますとも」

 トリスと親しげに話す人物を見て、ライラは頭を垂れて震えていた。畏怖、なのだろう。恐怖とは別種の本能的な何かが彼女にそうさせていた。

 他の三人は後方でぽかんとしている。

「先日は君のせいで大変な目にあったよ。まさか彼を目覚めさせるとはね。実体なくとも最高のソフトエンジニアだ。中じゃ僕のオリジナルでさえ分が悪い」

「必要であったと確信しております」

「まあいいさ。彼の処遇は親類である君が決めるべきだし、アポロ君が残した理由も気にはなる。殺さなかったのは弟への情か、それとも意味があるとでも言うのか? 残念ながら僕には想像もつかない。まあ、メインからの接続以外は主機に至る道はない。器がない以上、世界に影響を与えることも出来ないだろう」

「あの御方ならば何とかしかねないですが」

「それを君が言うかよ。全く、年を取っても君は変わらずに子供のまま、だ。で、最初の問いに戻ろう。何用でこの地に来たんだい?」

「御助力を賜りたく。お願いに参りました」

「あはは、レウ君はともかく僕に力はないよ。あくまで管理者、守護者を設けねばならぬ程度には無力だ。レウ君とてこの地ではもう――」

「鍵です。箱舟内の庭をお借りしたい」

「……また、古い話を。悪いが断るよ。人族を僕らの文明に触れさせるのは禁忌中の禁忌だ。誰に頼まれたか知らないが、行き過ぎた願いだよ、トリス」

「長き旅路の果て、未だ遥か途上なれど、ようやく約束の時、始まりの物語に辿り着きました。シュバルツバルト様、これは貴方のオリジナルが、わしに託された最初で最後に願いにございます。ひと時、彼らに助力を」

 トリスメギストスが身を翻す。そして三人へ、シュバルツバルトと呼ばれた少年にご覧あれ、と視線を誘導する。

 そして、シュバルツバルトは大きく目を見開いた。

 指し示したトリスが驚嘆するほど、ライラが目を丸くするほど、小山が如し原初の魔獣が百年ぶりに身じろぎするほど、それは珍しい光景であったのだ。

 突如、一筋の涙を流す、シュバルツバルトという光景が。

「だ、大丈夫? 何かこのお爺さんに虐められた?」

「「ぶふぉ!?」」

 無知の知、アリエルが取った気安い行動にトリスとライラは噴き出す。

「い、いえ、嗚呼、そうですね、少し、驚いただけです。初めましてアリエル・オー・ミロワール。そして彼が、葛城 善、ですか」

「あら、どうして私たちの名前を知っているの?」

「シュバルツバルトの管理者である僕は大体のことを把握しているものです。最近は色々とシステム修復に精を出していたので、閲覧し切れていませんでしたが」

「ふぅん、凄い子なんだ」

『バッ、おまえ、バッ、シンだぞおい、頼むから全力で頭下げろよ!?』

「バッって何よ、目玉」

「あはは、そして、君が、そうか。聞いていた話とは少し印象が、あまり、うーん、冴えない容姿だね。でも、眼は良い。とても良い色だ」

「ど、どうも」

「レウ君の可愛がりは辛いだろ? あまのじゃくな奴だから好きな人ほどって感じだね。その辺の味がわかるようになると可愛らしい男なんだけどね、彼は」

「かの王のおかげで俺は力を得ました。感謝しています」

「もっと砕けた感じで良いのに。そうか、君のために、か。まったく、僕のオリジナルも困ったものだね。こんな大事なこと、あらかじめ伝えてくれないと。少し、考えさせてほしい。必要か否か、演算ではわからないのが辛いところだ」

「あっはっは、いやはや、良いモノが見れました。貴方様の泣き顔など、古今この大地で見た者はおりますまい。眼福ですな」

「トリス、話がある」

 先ほどまでアリエルやゼンに向けていた視線とは真逆の、怜悧なる眼。

 トリスは「ひえ」と息を呑む。

「少々お待ちください」

 引きずるように連れていかれたトリスを見守る三人。震えるライラは深呼吸を重ねていた。どうやら呼吸を止めていたようである。

「完全に私が眼中にない感じだったのだけど、何だろうね?」

「ふっ、あの子には私の方が魅力的に映ったんじゃない?」

「ハァン? 話しやすそうに見えただけさ。庶民オーラってやつだね」

「私、貴族、家柄、凄い!」

「私はスーパースタァさ。あの子も私のオーラに気後れしてしまったのだろう。かわいそうに。あとでサインでもあげようかな?」

「迷惑過ぎるからやめときなさい」

「なにおう!?」

「ああン!?」

『なあ相棒、何でこいつらいつもこうなんだよ!? シンのおひざ元だぞ、シュバルツバルトの深奥だぞ!? ビビらなきゃおかしいだろ!?』

「そうはいってもあの子、良い子そうだぞ」

『レプリカだろうが万年以上生きてるわ阿呆! 暢気か!? のんびり屋さんか!? 頼むからあれだ、ビビらなきゃいけない相手はビビってくれ!』

「むう、しかし、レウニールのように強そうでもないし」

『やろうと思えばめちゃくちゃ強いわ! 封じてるだけだっての!』

「そうか、凄いんだな」

『全然響かねえよこいつ! つーかこんな場所でも喧嘩してんじゃねえ!』

 顔をつねり合う自称スーパースタァと自称貴族の令嬢。

 どちらも今はただのおてんばにしか見えていないが。


     〇


『驚いた。あの御方が涙を見せるなど、大おばあ様でも見たことがなかっただろうに。それほどに揺れるものなのか、あの御方にとっては』

『思い出ですから。いつかこの地がそうなるように』

『そうだな。私たちが思い出に消えた先で、繋がることを祈ろう』

『ええ、いつか、全てが報われることを祈りましょう』

 木々よりも巨大な魔獣の肩に乗るスカー。仲睦まじい様子で遠くの奇跡を彼らは見守っていた。オリジナルから託された約束された邂逅。

 さあ、これより物語は加速する。

 ここより加速するのは偽善と称し世界の英雄になる男の物語。


     〇


「僕の鍵は貸そう。だが、道を開くにはもう一つの鍵、シン・レウニールかシン・イヴリース、あとはシン・プロメテウス、いずれかの鍵が要る」

 憔悴しきったトリスを引き連れてシュバルツバルトは三十分ほどで戻ってきた。手には仰々しい装飾の鍵が一つ。この時代のモノとは思えない機械的なフォルムであり、どうにもこの世界にそぐわないアイテムであった。

「イヴリースは論外、プロメテウスも体を失っている。まあ、失っていなくても彼は君たちに力を貸さなかっただろうけど」

「……必然、レウニール様の力を借りることになるじゃろうな」

「その鍵がどれだけ貴重なモノかわからないが、彼と取引するなら相応の宝は必要だぞ。俺はすでに命を取引材料に使っているから――」

「まあ、その点は大丈夫だよ。ちゃんと用意しているみたいだから」

「え?」

 シュバルツバルトの言葉にゼンは首を傾げるも、よくわかっていない三人とわかっていてもしゃべる気力に欠けるトリスとなれば語る者はいなかった。

『え、と、シン・シュバルツバルト様からは、その、タダで鍵を頂けたので?』

 ギゾーのおそるおそるの言葉にシュバルツバルトの言葉が固まる。

「……いやの、協議の結果じゃが、アリエルにはここで残って管理者殿の手伝いをして貰うことになったのじゃ。すまんのう」

「別に構わないけど、手伝いって何をすれば良いの?」

 存外あっさりと受け入れるアリエル。

「大したことはありませんよ。守護者たちにやらせるわけにはいかない資料整理とか、それぐらいです。ただ人手が必要でして」

「まあ、それぐらいなら。なんで私なのか、は問わないでおくわ。これで貸し借りなし、良いわね、ゼン。この私が骨を折ってあげるんだから、十分でしょ」

「あ、ああ。ありがとう、アリエル」

「その鍵が何の役に立つのかは知らないけど、ま、あの爺さんのことだし何かあるんでしょ。強くなりなさいよ、あの子の分も」

「善処する」

 まだ、彼らには道筋は見えない。それでもトリスメギストスが八方塞がりの状況で指し示した道、意味が見えない内はぬか喜びするわけにもいかないが。

 それでも彼女は迷わず手を貸してくれた。

 シュバルツバルトに連れられて奥に向かっていく彼女に、ゼンは大きな感謝を浮かべていた。貸し借りに関して思い浮かぶ出来事はなかったが――

「わ、私が残るのかと思い肝を冷やしました」

 ライラは心底ほっとしたのか肩を撫で下ろす。

「前に来たと言っていなかったかい?」

「シン・シュバルツバルト様が表に出てくることなんてないし、何なら話したこともないから。ほんと、生きた心地がしなかったわ」

「ふぅん、ま、私は何と言うか意図的に避けられていたけど、特に怖いとは感じなかったね。この森の方がよほど威圧感があったほどだよ」

「無知ゆえ、常識が欠如してるのよ」

 鍵を入手したトリスが皆に向き直る。

「これは箱舟に至る鍵じゃ。いにしえの創造主たちがこの世界に渡ってきた船じゃな。その庭に用があるんじゃよ。先ほども少し触れたが」

「その庭には何があるんだ?」

 ゼンの問いにトリスは微笑む。

「魔狼の女王、『大喰らい』に問うたことはあるかの、強くなる方法を」

「まあ、駄目元で聞いたことはある。食って寝る、と言った後、散歩をせがまれたから聞き流していたが。それが何か?」

「しかり、食って寝る。真理であろう。かの魔狼もまた、最初から強大な力を持っておるわけではなかった。失せることなき飢餓感、充足を求め喰らいつくした結果、彼女は王となり、王の中でも指折りの強さを身に着けた」

「……同族喰い、ですか。迷信かと思っていましたが」

「迷信ではないが、それで解決と成るほど安易でもない。かの女王が喰らった量はそれこそ生態系を変えるほどであり、其処にかけた時間も膨大極まる。それだけの時間と労力を割いて強くしたところで、イヴリースが待ってくれるわけもなかろう」

「それと箱舟の庭に何の関係が?」

「それはもう一つの鍵を手に入れてから説明する。おそらく交渉は問題なかろう。むしろ、至る道よりも、もう一つの方が難題じゃよ」

「もう一つ?」

「時間の圧縮、じゃよ」

「……?」

 ゼンとシャーロットがまたしても首を傾げる中、ライラだけは複雑な表情となっていた。嬉しいような、不安げな、様々な感情が入り組んでいる。

「スカーよ。我らは戻ろう」

「泉を見ていかれないので?」

「これでも急ぎではあるのじゃよ。時は金なり、きゃつらが本格的に再動するのも時間の問題。若者を急かす気はないがの」

 自らの影から現れたスカーにトリスがささやく。

「なるほど、貴方様にしては遊びのない交渉だと思っておりました。では、こちらも遊びなく移動させて頂きます」

「うむ、頼む」

 どろりと影が彼らを飲み込む。

「「「あ?」」」

 トリス以外、移動することを知らず突如、落ちた。

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