第3章:トリスメギストス

 ロキは一人自室で紫煙を燻らせていた。

 自らが作成した特注のパイプタバコであり、ニコチンを摂取しながら大気中のマナを自らのオドと同じ性質に変換し、微量であるが摂取できる優れものである。

 ちなみにマナの性質が地域や物質により異なることを発見したのは、このパイプ作成の副産物である。

 場所によって味が違う、という観点から研究が始まっていた。

 余談中の余談である。

「十三号」

「はい」

 すでに姉は全て破壊、もしくは機能停止しており、結果としてロキの雑務を一身に引き受けるという楽しくない労苦を担わされたライブラ。

 そのオドオドした姿に魔女の面影はない。

「こいつの体に施した術式だが――」

 オドオドからビクビクへ変化するライブラの態度。

 こいつ、が指し示すモノなど一つしかないのだ。ある男を強化するため、ではなくシン・イヴリースの軍勢、末端であるがそれがどのようなものかを研究するために、彼はわざわざ子宮を模した水槽を用意し、其処で研究材料を培養していた。

 居並ぶはゼンを基にした人造人間、つまりはクローンである。

 その数、五十以上。その全てがすでに活動停止していた。

「な、何か問題がありましたか?」

「――よく出来てる。リスクを度外視すればこれが最善手だ。術式にこそ改善の余地はあるが、改善したところで劇的に出力が向上することもないだろ。色々弄ったが、あえて想定を超えないよう遊びは少なく設計されている以上、ここ止まりだ」

 ロキは他者の視線がない場合、いつものようなふざけた口調を取らない。ロキの作品である彼女たちは例外である。彼にとってはどれだけ賢く個性的であったとしても、モノの範疇でしかないから。

「そ、それは、どうも」

「全身くまなく弄繰り回して、ある程度分かったことはそこにまとめといた。好きに使え。もう『一匹』も並行して調べてるが、まだ断定できるほどの情報はない。適当に検体を集めろ。ゼンって奴とは違って面倒な手間のかからない、アストライアーにとって壊してもいい奴を、だ」

「報告と共に依頼しておきます」

 ロキは深く吸い、ゆっくりと吐き出す。

「人族が使う英雄召喚とイヴリースが使う召喚、そして転生ガチャ。もしかすると術式自体にそれほど大きな差異はないのかもしれないな」

「まさか、まるで違うものだと思いますが」

「英雄の能力をフィフスフィアとするなら、俺の想像より遥かに多彩だったってことになる。俺は俺だけが到達した時、これを不老不死の術理だと思っていた。理屈に先立って結果に辿り着いたと、思ってしまった」

 ロキは不愉快極まるといった風に顔を歪める。

「魔術の極み、連中を見ていると、何となくだがそいつを映す鏡のように思えてくる。言い換えれば個性、か。そして、魔族に組み替えられた連中も随分と個性的だって話じゃねえか。変異させられた、変質させられた、フィフスフィアを媒体に。って仮定に仮定を重ねても無意味だな。忘れろ、十三号」

「メモリーからも消去しておきますか?」

「忘れた風を装え。ライブラリーが忘れてどうする馬鹿が」

 忘れろと言ったからそうしますか、と問うただけなのに酷い言い草であった。

「ちなみに、魔族であってもフィフスフィア、つまり英雄の力を手に入れることは可能なのでしょうか? もしかするとそれで――」

「可能だろう。そして無理だ。少なくとも俺は魔術的アプローチでしか教えられんし、あの男の理解力では千年かかっても難しい。あのシュウって奴でも十年以上はかかる。何しろ使っている俺自身、業腹だが感覚でやっている部分もあるからな。知識と実践、そしてセンス。学問と嘯きながら、結局はこのザマだ」

 それはロキにとっての敗北宣言であった。

 魔術の深奥、未だ到達者は己一人。それとて最後の一押しは閃きでの到達であり、完全な言語化は出来ていない。過去、フラミネスなどに教えたこともあるが、誰一人として近づくことすら出来ていないのだ。

「ここからはセンスの話だ。聞き流せ」

 ロキの表情を見て、ライブラは一言も聞き逃すまいと傾聴の姿勢を取った。

 彼が理屈に外れたことを語るのは珍しい。彼が語りたがらないし、大概のことは彼なら理屈を組み上げてしまうから。だからこそ、センスや閃きを彼が語る際は、それこそ理屈以上に金言であるのだ。

 それは、語りたくないのに語るべきことであるはずだから――

「かつて俺は生物にとっての圧、雰囲気、とでも言うべきか、それは魔力、オドを源泉としたものだと思っていた。実際に、内蔵魔力が多い奴は強いし、影響力があるケースが多い。だがな、色々あって俺の見方は僅かに変わった」

 苦渋、としか言いようがない顔である。

「最初は、シン・イヴリースとの決戦だ。ストライダーとかいう小僧が、あれに剣を突き立てた時、俺は巨大な圧を感じた。神族や魔族、怪物どもが入り乱れる戦場で、最も弱き種族である人族を、だ。その時は功績や高揚による錯覚か、とも思ったが。次は、あの男、イヴリースの欠片を宿す怪物との出会いだな。会った瞬間、嫌な汗が噴き出てきた。目が合った瞬間、こいつは駄目だ、と思った」

 ロキは怖気を隠すかのように深く煙で肺を満たす。

「ふぅ、俺は奴のオリジナルを知っている。オリジナルに比べれば屁でもない強さだ。それでも俺は恐怖した。あのストライダーに感じたのと同じ、そして対極の何かを。圧、としか言いようがない。オリジナルよりも恐れた。オリジナルよりも弱いのに。そして最後は、あの二人との遭遇だな」

「二人、ですか?」

「シュウとゼン。奴らが背後に現れた瞬間、なんとなく俺は、この二人が四人の中で抜けている、と思った。実際、経験値の差で残りの二人よりもゼンとか言うオークの方が強かっただろうが、内蔵魔力で言えば最下位だ。疑う余地なく」

「その時点での強さでそう感じられたのでは?」

「残りの二人だって鍛えれば嫌でも伸びる素材だった。実際に片割れはこの短期間で飛躍的に伸びた。もう、サシでやり合えばオークじゃ逆立ちしても勝てん。そもそものスペックが違い過ぎる。それでも俺の感覚は、腹立たしいことに、未だに奴が上だと告げている。伸びしろを考えればありえない話だ。道理に合わん」

 ある意味で吉報である。

 だが、同時に凶報でもあった。

「魔力じゃない。もちろん人族の鼻くそ以下の身体能力でもない。何か別の、秤がある。それが何なのか、解らないのが腹立たしく、それが魔力、魔術でないのもまた業腹だ。存在するのかも解らない亡霊のような、何か。魂、だったら笑えるな。有るようで無い。無いようで有る。掴みどころが、ない」

 それはもう、ロキの専門外であり、彼の知識で判明しているのはゼンを魔術的に強化するのは難しい、ということだけであった。

 期待はある。そう感じさせる何かは持っている。少なくともロキが出会ったか弱き魔族から彼はそう感じた。だが、それが何なのかわからないのだ。

「まあ、奴の強化が必須ならトリスの爺さんが動くだろ。あれもまた掴みどころのない爺だが、必要な時に必要なことをする爺でもある」

「ゼンのために動いたとすれば、芽がある、と」

「ただし、必要じゃない時は気まぐれなクソ爺でしかない。暇つぶしに付き合わされて終わる可能性もある。と言うよりもほぼそうなる」

「……そ、それは」

「くっく、いい加減学べ。神の血が入ってるんだぞ、クズに決まってんだろ」

 あまりの言い草に絶句するライブラ。

 その横でロキはケタケタと笑っていた。他者の視線なくとも人の悪口を言う際はいつもの調子に戻る当たり、やはり根が腐っているのだ、ロキと言う男は。


     〇


「ハロー、わしトリスメギストス」

「ど、どうも」

 ゼンとトリスメギストスとの初顔合わせは、唐突に行われた。

 大星主導で行われている武術鍛錬の講義中、形だけ真似るな、流れを制御し点を掴め、などと意味不明な教えを受けて、あえなく撃沈し隅っこで体育座りをして見学していたゼンのもとに彼は現れたのだ。手製のギターを背負いながら。

 何故か紫電をまとっている。

『随分とファンキーなじいちゃんだな』

「ふっふ、わしもまだまだブイブイじゃよ。ナウでヤングな御年一万八千歳程度の若造じゃて。ちなみにメールはわしよりも三千――」

 トリスメギストスの頬を削り、光の矢が奔った。

 射手はエル・メール・インゴット。エルの民を率いる長である。

「トリス」

「てへ。危うく死にかけたわい。あそこでプリプリ怒っとる年増はさておき――」

 今度の矢はトリスがいた場所に突き立っていた。

 だが、トリスはすでにゼンの背後に移動していた。丁度、ゼンが盾と成る形である。エル・メールは静かに展開していた光の弓を解除し、見学に戻った。

「わしは探求好きでの。世界中のあらゆる面白ネタを収集しておる。で、じゃ、今度の探求テーマはあれじゃよ、ナウでヤングでプリチーな賢者がオークを鍛えたら最強になりました、じゃ。ええタイトルじゃろ?」

『何だろう、何かがムズムズするぜ』

「強くなれるのか?」

 ユーモアあふれる会話に、突如シリアスな表情で踏み込んでくるゼン。彼は追い詰められていたのだ。決意をした、覚悟もある。だが、何も思い浮かばぬ現状。皆が進んでいる中で自分だけが取り残されている無力感。

 そこに垂れた一本の糸。掴まぬわけには――

「これ!」

 めっ、とデコピンをされるゼン。したトリスはニコニコ微笑んでいた。

「利用するのは良し、じゃが、縋るのは違うじゃろ? 縋ってはならぬ、勝ち取るのじゃよ、何事ものう。わしは道楽、確約はせぬ。出来たとしても、せぬ。それを利用する気があるのであれば、わしと共に来るがよい」

 ゼンはかつての自分と同じ行動を取ろうとした己を恥じる。

 ただ掴むだけでは意味がない。それがただの言葉遊びであっても――

「うむ。よい眼である。覚悟一つで人は変わるとも。ただの朗らかな少年であった幼き友は勇者と成り、ただの朴訥な少年は彼を守る剣と成った。そして世界が変わったのじゃ。それこそが人の時代の始まり、可能性は覚悟から生まれる」

 戦って見せる。逃げるのではなく戦うために、ゼンは掴む。

 トリスはにっこりと笑みを深めた。

「メール」

 そして、瞬時にエル・メールの横に現れる。

「何ですか?」

「ライラを借りる。必要である」

「……貴方が要すると言うのであればお貸ししましょう。ただし、何があっても、例え貴方が死んでも必ず生かしなさい。彼女は最後の、王の血ゆえ」

「承知しておるとも。美しきエルの華よ」

「用途は?」

「……言ったら怒るから言いたくない」

 光の剣がトリスのいた場所を断つ。建物がズレ、落ちる。

 先ほどまで冷静沈着であったエル・メールが激怒していた。

「トリス!」

 鼻息も荒い。

「年寄りが若者の恋路を邪魔するでない!」

「相手は私よりも年上でしょうに! 王の血、絶対、絶えさせ、ない!」

「んもう、絶えぬ絶えぬ。ではの、ばははーい」

「へ?」

 エルの民、ライラを小脇に抱え、逃走するトリスメギストス。激昂したエル・メールを止めるために大星が四人ほど対処に当たったのは内緒の話。

『相棒、たぶんあの爺、やべー奴だぞ』

「ああ、そんな気はしていた」

 ゼンたち、唖然。


     〇


 トリスメギストス逃走。エルの民次期指導者候補を拉致。復興途中のロディナ中に指名手配された老人は、往来の真ん中でぽんと手を叩いて通信を開く。

「イエーイ、元気かの、キッド君」

『あんたの声聞いたら元気が失せたよ』

「ひどい言い草じゃ。爺は労わるべきじゃと思わんか?」

『人の価値で一番大きな比重を教えてあげようか? 若さだよ、クソ爺』

「かっか、否定はせぬよ。少し野暮用でな、席を外す」

『はいはい。別に構わないよ。どうせ今はワンダーランドにいるし、動くつもりもないから。講義はきちんと通信で聞いてるからご心配なく』

「君に関しては心配などしておらぬよ。どちらにせよ、奴らが動き出せば嫌でも戦力は分散せねばならぬ。遅いか早いかの違いじゃて」

『眼の代わりは承った。ちなみに所用は?』

「ナウでヤングな――」

『簡潔に』

「ゼン君強化作戦じゃ」

『オッケー、クソ爺史上最高の発想だと思うよ。褒めてあげる』

「……嬉しいような嬉しくないような、複雑じゃのう」

『ゼンを変えずに強くしろ。一歩、踏み出せる彼だから美しいんだ。強くなってもそこが変わればただの凡人。味消しさ』

「心得ておるつもりじゃよ」

 ならいい、とばかりに笑みを浮かべ『キッド』側から通話を切った。

「さて、旅は道連れ世は情け。まあ、連れていく人選は決まっておるんじゃがな。のお、我が友、そして我らが始祖、シュバルツバルトよ」

 トリスメギストスの額に浮かぶ第三の眼。

 その黒き深淵にいったい何が待っているのか。

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