第2章:王権簒奪

 炎と拳が、拮抗していた。

「ベリアルッ!」

「シャイタァーンッ!」

 その衝撃だけでアルクスが砕け散った。死ぬ、と思った瞬間、ベリアルの軍勢が彼らの前に立つ。悠々と、その衝撃を五体で受けて笑う怪物ども。

『あれで大将は部下思いなんだ。そうだろ、アバドン、スラッシュ』

『『う、うす!』』

 精鋭の中に混じる若輩の姿。

『リベンジの機会を奪うのはかわいそうだってな。ま、一欠けらくらいはそんな理由だ。あとは知らん。こんな短期間で大将が起きるなんて前代未聞だからな。ハッハ、世界がひっくり返るぜ。にしても、シャイターンも部下引き連れてこいってんだ。俺らの喧嘩相手がいないじゃねえか。なあ、人交じりのオーク君』

 問いかけられて反応に困るゼンに視線を向け、かっかと笑うベレト。

「どうなっているんだ? ってか、なんて言ってるんだ、ゼン」

「何もかもわからん。ただ、敵じゃ、ない。今は」

「あの炎を、拳一つで吹き飛ばすのか。ハハ、規模が、違い過ぎる」

 巨大な炎が天へと昇っていく。爆ぜたそれが空を真紅に染め上げた。

 そんな威容を生み出しながら、ポケットに手を突っ込みあくびをし、空中で仁王立つベリアル。対するシャイターンはそれを鼻で笑った。

「まだそんなものを着ているのか?」

「父が好んで着ていた服装だからな。そちらの親と違ってこっちのシンは洒落ているのさ。しかし、かつての大戦の折に人に依頼したものだが、ふふ、物持ちが良い。もう一度作ってもらうのも悪くないな、大切な一張羅ゆえ」

「相変わらず俺を怒らせるのが上手いな、ベリアル」

「遊び相手が違うと思うが?」

「あんな欠片風情、いつでも殺せる」

「また侮る。お前はいつもそれだ。いや、俺たち、か」

 合図もなく、双方の拳が空中で激突した。またしても魔界が揺れる。

「霊長がおごらずして何の長か!」

「まだ長だと思っているのがズレていると言っている」

 シャイターン、ベリアルの拳が幾度も交わる。目にも止まらぬ拳の応酬。魔族らしくなく、とても魔族らしい攻防が繰り広げられていた。

 じり、シン・イヴリースが僅かに動き出そうとした瞬間――

「「動くな」」

 炎が焼き、次元が砕け体を引き千切る。

「ガハッ!?」

 一瞥するだけで殺せる。これが六大魔王最強格であるふた柱。

 もはや次元が違う。

 あまりにも強過ぎる存在。

 一瞥一つで破壊され、自慢の再生力すらままならぬ様子にシュウは引っ掛かりを覚えていた。

『しかしあれだな、分かり切っているのに何でこっちに来たかね? シン・イヴリースの気配なんて魔族なら大概感じ取れる。降り立った時点でこうなるのは目に見えていたはずだ』

『俺たちもわからない。もう、ロキの奪還どころじゃない気がするんだが』

「ゼン、その魔族は何て言っている!?」

 シュウのきつい口調にゼンは驚いてしまう。こうなってしまえばシン・イヴリースですらどうしようもない。

 ゆえに気が抜けてしまっていたのだ。あれが死ぬならそれで――

「こうなるのは分かり切っているのに何で来たんだろ? って」

「何故分かり切っているんだ?」

「いや、魔族なら大体感知できるらしいぞ、居場所。俺にはそんな機能ないが」

「つまり、この状況は必然……まずいぞ」

 自分の知るあの男の過去、あれほど丁寧に、綿密に、すべてを企て逃げ切った男が、ドジを踏むわけがない。

 ならばこの状況、狙い通りと考えるしかなかった。

「今すぐ戦闘をやめてくれ! このままじゃそいつの狙い通りになる!」

 シュウの発言にゼンたちよりも魔族側がどよめく。

 王クラスともなると人界の言語も常に拾えるようにはなっているらしい。

 一部は首をかしげているが。

『おいおい、ニンゲン、大将たち相手にそれは、いくらなんでもよ』

 ベレトはあきれた様子であったが、シュウの表情を見て少し顔色を変じる。

「テリオンの成り損ない風情が、誰に指図をしている」

 シャイターンは発言内容ではなく、発言したこと自体に対して罰を下そうと攻撃に移る。

 しかし、その炎はベレトに妨げられた。

「……『獄炎』の。貴様ほどの者が何故守る?」

『まああれよ、話くらいは聞いてやってもいいんじゃないかって思ってな』

「俺もそう思うぞ」

「と言いながら殴りかかってくる貴様は何なのだ? 相変わらず読めんな、ベリアル」

「父譲りだ。が、懸念はある。何故今、というのは全員の共通認識だ。まず、シン・イヴリースを殺すのが先決だと思っている」

「だから何故そう言いながら私に攻撃している?」

「この場でお前が一番強いからだ、シャイターン」

「頭の悪さだけは幾星霜経とうと変わらぬな」

「褒めるな」

「……やはり、貴様から死ね!」

 結局のところ、彼らは異次元の存在。ベレトはため息をつく。

「まあ、残念ながら大将は止まらん。ゆえにシャイターンもそのままだ。大将はなぁ、頭は良いんだがどうにも馬鹿でな。寝起きは悪いし戦い始めたら止まらんのだ」

「……貴方は、その、意思疎通ができるんですね」

「ガッハッハ、俺も同じ穴の狢だが、少しばかりは賢しくできているのさ」

 状況は変わらない。変えようがない。

 絶対的な力が支配する現状、シュウたちの言葉など届くはずもない。

「あの男は未来視に近い能力を持っています。そうでなければ俺たちの先回りができるはずがない。あの男が現れてすぐ、俺たちはここに現れたんですよね? 皆さんの言い分から察するに」

「……そんな能力をシン・イヴリースが持っているなど聞いたことないぞ。それこそシンなる者たち全員そんな能力なぞ持っていない」

「だが、それ以外ありえない。そしてそうあった場合、この状況自体が奴の望む方向なはずです」

「考えすぎじゃないか?」

「あの男に関しては考え過ぎて損はないですよ。あの二人、貴方なら止められますか?」

「……あー、出来なくはない」

「では――」

「ただ、その必要はねえな。切羽詰まったのが来た」

「え?」

 ベレトがそう言った瞬間、シャイターンとベリアルの間に雷光が走った。

 六大魔王バァル・ゼブルがこの場に現れた。

 双方の腕が宙を舞う。

「ほう、強くなった」

「不敬だな、ベルの息子」

 だが、次の瞬間には両者とも当たり前のように腕が再生していたのはさすが六大魔王、であろう。

「シン・イヴリースは過去二回、未来を見通したとしか思えない方法で世界のカウンターを下している。一人は世界そのものを塗り潰す最強の能力者、もう一人は我らに比肩しかねない身体能力を持った男だ。どちらもその時点ではイヴリースより強く、知恵者でもあった。それでも負けたのだ」

「たかが人族の小競り合い。仮にも六大魔王を冠す貴様が安い言葉を吐くな」

「そして、三度目が今日だ。彼らを送り込んだ私が断言しよう。彼らの帰還日時は決まっていない。場当たり的なものだ。それを読み切った力を、我らはどう解釈するべきだ?」

「……貴様、人族に手を貸したと言ったか?」

「貸した。そのための戦争だ」

「あまり、私を、オレを、怒らせるな。怒りで、全部焼き尽くしてしまう、ぞ」

「私は彼らが恐ろしい。侮っていた者の成長速度が、あまりにも早いそれが、怖いのだ。イヴリース様を打破してどれだけの時が経った? その間に人族は凄まじい発展を遂げている。我らは、何一つ変わっていないのに、だ」

「変わる必要があるか?」

「俺もバァルに賛同しよう。俺も彼らが怖いよ」

「な、ならば手を止めてくれないか、ベリアル」

「それは出来ない」

 バァルに賛同したベリアルはやはり手を止める様子はなかった。

「何を恐れる必要がある!? 神族無き今、我らこそ至高の種ぞ!」

「それをシンなる者たちが言ったか?」

「……言わずとも自明のことだ」

「私はそう思わない。むしろ、何故君たちがそれほど驕り高ぶっているのか、理解できないよ。創られた順番を考えればそれこそ自明だ」

 バチリ、刹那、バァルの姿が消える。

 次の刹那にはシン・イヴリースの背後を取っていた。

「我らは旧型、最新型であり最終型である人族を警戒して何が悪い!」

 躊躇なく突き立てられた雷の刃。シン・イヴリースは吐血し、微笑む。

「何を笑う? 私でも十分過ぎるほど貴様とは力の差があるはずだ」

「もちろんだ、『雷帝』。君の方が遥かに、強い」

「ならば何故――」

「時間切れ、だ。君たちは本当に、分かりやすくて大好きだなァ」

 この場の全員に、突如、身体が引っ張られるような感覚が走る。

 その中心部には黒い球体が――

「これで、揃った」

「……まさか」

 広がり、消える。そこにひと柱の王が現れた。

「嗚呼!」

 怒り以外示さなかったルキフグスが一瞬で蕩け落ちる。

「馬鹿と阿呆では収拾つかんだろうに、さっさとやるべきことをやれ」

 超重の王、ルシファーである。

「欠片を持つ者よ、ここで貴様を討ち果たす」

 掌を向け、ルキフグスとは全く異なる力を秘める球体を発生させる。

「光届かぬ闇に、沈め」

 一切の遊び無く、その力は――

「ここ、だァ! サードアイ起動。接続。裏コード、シン・イヴリース権限により『王権』を簒奪する!」

 放たれることなく虚空に消えた。

「何だ、これは」

「……ぬかった」

 シャイターンとベリアルは同時に墜ちる。宙で姿勢を維持できなくなるほどの虚脱感。

「始まりの炎、次元操作」

 ルキフグスとバァルも力が抜けたのか、膝を屈していた。

「偽造虚無、天候支配」

 そして、最高の魔族と謳われた男もまた、膝をついていた。

「重力制御」

 信じ難い表情で、一人の人間を彼らは見つめていた。

「ふむ、良くも悪くも予定通り、か。出来ればレヴィアタンの量子流体論も欲しかったのだが」

『おいこら、テメエ、何しやがった?』

 ベレトの炎がシン・イヴリースに迫る。

 一流の王クラスであっても圧倒する火力、それを――

「おや、今の私では始まりの炎、メギドの大炎を用いてもここどまりか」

 シャイターンが使っていた『炎』でわずかに、せき止める。

 火力は依然、六大魔王クラスの方が強い。それでも力の差を埋めたのだ。

 その隙に、シン・イヴリースは次元を砕き、繋げる。

 ベレトの背後、ゼンたちの、ロキがいる場所に――

『テメエ、大将の!』

「遊びはない」

 メギドの大炎という例外を除けば、攻防無視の力、ルキフグスの偽造虚無がベレトを穴だらけにする。

『なん、だ、と?』

 格上であるはずの王クラスが、倒れ伏す。

「……ベ、レト?」

 腹心が瞬く間に敗れ去り、ベリアルは無理やり自らの体を起こした。

 シャイターン、ルシファー、他を隔絶するスペックのふた柱も動き出した。

 虚仮にされたままでは終われないとばかりに――

「では、さようなら。我が愛しき子供たちよ」

 シン・イヴリースはすでに先手を打っていた。

 両手を合わせた間に、黒き球体が生まれ出でる。

 彼が力を入れると、一気に膨張し、

「「「させん!!!」」」

 消える。

 三柱の拳は空しく虚空を穿ち、その衝撃は天を衝いた。

 されど、そこには何もない。

 シン・イヴリースも、ロキも、他の人間たちも。

「……全て、掌の上、か」

 バァルは起き上がり、自らの機能を確かめていた。

 奪われた力は自らの能力、その一部である。

 つまりは全員、己の欠片を奪われていたのだ。シン・イヴリースの欠片を持つ者によって。今の時点では弱い力だが、いずれ育てば究極が誕生しかねない。

「殺して、やる! よくもオレを、虚仮にしやがったなァ!」

 怒りの炎が立ち上るも、ルシファーが手をかざしそれを重力にて抑え込んだ。

「無駄だ。人界と奴の領域、そこでは力関係が逆転する。俺たちは利用されたのだ。奴の、養分としてな」

 弱っているとはいえ、シャイターンを地に伏せさせる力。

 たったひと柱で十分だった。多くともふた柱。オリジナルのシン・イヴリース、その影におびえた自分たちは過剰に迎え撃ってしまった。

 結果としてはマイペースで他に与しないレヴィアタンのみが、新たなる魔王に利用されなかったことになる。

 その皮肉が彼らの胸を焼いた。

「未来視、力の回収、どれも我らが知らぬことだった」

「第三の眼を起動していた。おそらくはシュバルツバルトに接続して知恵を得たのだろう。そして、それをさらに発展派生させたのだ。義母たちすら知らぬカタチへと」

「……超えたとぬかすか、人族風情が」

「少なくともあの男、我々に対して警戒すれど、恐れてはいなかったよ。ただの一度すら」

 バァルの言葉に彼らは沈黙するしかなかった。

 結果は、すべての過程を塗り潰すのだから。


     〇


 禍々しい城の郊外に彼らは投げ出されていた。

 目的の大半を果たした怪物は静かに微笑んでいた。最初から最後まで、彼だけが笑い続けている。

 あの王たちですら、止めることができなかったのだ。

 いったい誰がこの怪物を止めることができるというのか。

「ふむ、思ったよりも馴染むが、まだまだ弱い。じっくり育てるとしよう」

 誰も止められない。

「さあ、答え合わせは終わりだ。最後にロキ君を回収して、幕を下ろそうか」

 かつてイヴリースが持ち得なかった力、別のシンの力すら回収した新たなる王。

 もはや彼の行き着く先すら見えない。

 ここまで導いた男の底が知れない。

「終わりだね」

 シャーロットは端的に状況を呟く。

「さすがに、笑えねえなァ」

 ロキすらも想定していなかった状況、底知れぬ悪意と力が眼前に横たわっていた。

 絶望、なお肥大する。

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