第2章:最悪の男

 扉の奥には豪華客船が如し光景が広がっていた。

 地下に伸びゆく塔のような構造で、中心部が吹き抜けとなっている。全部で十層ほどの階層が存在し、構造物の巨大さの割に階層は多くない。全体としてゆとりのある造りとなっているように見受けられた。

 吹き抜けの天井部には人工の明かりと蒼空が映し出されている。今でこそ経年劣化かところどころ欠けや褪せが見受けられるが、本来であれば本物の空と遜色ない景色であっただろう。だからこそ彼らはこの綺麗な光景を不気味に感じていた。

 外に出ればすぐに見れるはずの景色をわざわざ此処に作る意味を――

「みずき、ロキの匂いは?」

「もっと下の方っすね」

『おいおい、相棒、あれ、ベーターってやつだろ!?』

「エレベーターのことか?」

『そう、それ! 相棒の記憶覗き見しててめっちゃ乗りたかったんだよね』

「まあ、構わんが」

 相棒の頼みとあらば、とゼンはエレベーターと思しき装置のボタンに触れる。

 だが――

「あれ?」

『どしたどした?』

「あー、こりゃあどっかで断線してるかそもそも通電してねえな」

「エスカレーターもダメそうだね」

『動く足場もか?』

「そりゃあそうっすよ。同じようなもんっす」

『ちっくしょぉぉぉぉおお!』

「……何が出るかも分からないんだから静かにしたまえよ」

「すまん」

「君が謝る必要はないだろうに」

『相棒と俺は一心同体なの! 畜生、エレベーターでジャンプしたかったしエスカレーターとかで逆走させたかったのに』

「……全部、ゼンがやることになるわけだ。これは、便利だが難物だね。心中お察しするよ。いつか取れるといいね、その目玉」

『なんつーこと言いやがるんだこのクソアマ! あっちいけしっし!』

「悪い奴ではないんだ。悪い奴では」

 ゼンとギゾー、シャーロットの小気味な会話が繰り広げられている横で――

「通電してないってわけじゃなさそうなんだがなぁ」

「明かりも出力を絞ってるっぽいっす。下の商店や娯楽施設っぽいのも稼働してないところを見ると最低限のライフラインだけ通電させてるんじゃないすかね?」

「あー、なるほどなぁ。確かにそんな感じだ」

 ここにきて妙に冴え始めるみずき。

「なんかイキイキしてるな」

「いやー、そうっすかね? 自分じゃいつも通りのつもりっすけど」

 仄暗い環境が彼女の思考を活発化させている、のかもしれない。

「インターフェースは私たちの世界準拠っぽいっすね」

「俺らの世界も同じ感じだぜ? 人の形に合わせると違う世界でも似たような結果になるんだろうさ。俺は、此処が俺たちの世界でもなければお前たちの世界でもないと思うがな。たくさんある内の世界、その一つって感じかな?」

「おお、平行世界説っすか」

「たった一つだけしか世界がないってよりロマンがあるだろ?」

「っすね!」

「まあ、まずはロキだ。頼むぜ索敵担当!」

「うっす!」

 みずきを上手く操縦し、扱う様はさすが大人、と普段のゼンならば素直に思うところだが、先ほどシャーロットが吐露していた部分で確かに引っ掛かりを覚えた。

『誘導、しようとしている風にも見えるわな』

(何のために?)

『さあね、おいらにはわからんよ』

 しかし、引っ掛かりを覚えたところでシュウの考えなどゼンには思いつきもしないだろう。本人がそう思っているのだからどうしようもない。

「このフロアっすね。防音なのか音は全然拾えないっす」

「謎の敵もいないよ、安心したまえ」

「じゃあ、警戒すべきは自称魔王のロキ、だな。全員警戒を怠るなよ。本当に魔術を奪われているかもわからないんだ。常に考えるべきは、最悪だ」

「わかっているとも」

「合点承知っす!」

 張り詰めた空気感の中、一行はみずきの案内で前進する。

 薄明りの下、娯楽施設の名残であろう場所を通り抜け――

「……映画館、か」

「何語っすか?」

「これはドイツ語、だね。スイスで一番使われている言語だ。フランス語、イタリア語、あとは自国のロマンシュ語、四つの言語からなる国だからね。併記されているケースが多いけど、ここは地域柄ドイツ語が多いみたいだ」

「な、なるほどっす」

 シャーロットの説明を聞いてとりあえず頷いておくみずき。

 頭は冴えているがそもそも学がないのでこの手の知識は弱かった。

「奥にいるっす」

「……よし、腹ァ決めろォ」

「ああ」

「いつでもいいよ」

 シュウが先頭に躍り出て、第一劇場と記載された扉に手をかけた。

「シーハーシーハー!」

「なん、で」

「ぎ、ぎゃあ!?」

「……おいおい」

「…………」

『うっひょー! おいおいパツキンのチャンネーが(自主規制)だぜ!』

 扉を開けるとそこには衝撃の光景が――

「ぎゃはは! くだらねー!」

 映画館の席、そこのど真ん中に陣取る男が爆笑していた。

 前の席に足を乗せ、謎のバー状食品の食べかすをまき散らしながら、一人しゃべり続けるアンチマナーの化身。

 しかも見ている映画はポルノ映画である。

 シャーロットは伏し目がちに赤面し、みすきも顔を真っ赤にして両手で視界を覆う。

「あーあ、二人は死んだなァ」

 男は背もたれに沿って首を曲げ、後背の一行へと目を向けた。

「おっ。もう二人はそこそこ使える、ねェ」

 男が視線を向けた時にはすでに、劇場の備品としては少し大きめの石像が起動し、攻撃を仕掛けていたのだ。

 それに反応したのは本当の意味で警戒していた二人だけ。

「救出に来たのに随分な挨拶じゃないか」

「…………」

 流れるような動作で石像を破壊したシュウと、即座に真紅の剣≪エリュトロン≫を創造し石像を両断したゼン。

 この二名だけに男は視線を向ける。

「偽造神眼を使う人交じりの魔族にそこらの騎士なんぞよりよほど綺麗にオドを使う英雄様、か」

「魔術は使えないんじゃなかったのか?」

「使えないとも。俺自身はな。そこらに転がっている石化した魔族自らに魔術を使わせることはできる。意思無きお人形だ。石だけにな。ぎゃはは」

『ユーモアのセンスはなさそうだな』

「魔族はいいや。上手いことシュバルツバルトの隙を突いたあの男の作品としては興味深いし、偽造神眼という発想も悪くない。が、素体がカス過ぎる」

 男はさらに興味を削り、シュウだけに焦点を絞った。

 その反応にシュウは苦笑する。

「その魔族は王クラスを打破したんだがな。それもどちらかと言えば、強い方、だ」

 シュウの言葉に男は目を剥く。しばし考えこみ――

「テリオンの七つ牙、か」

「さすが自称魔王、ロキの慧眼は恐れ入る」

 最悪の魔術師と謳われる怪物ロキは今一度ゼンを覗き込む。

「身を削りながら、か。健気だねえ。そこそこ面白いから視界に入っていていいぞ。ほかの二人は論外、だ。いっそ清々しいほどの無能だなァ」

 今度は別の意味で赤面するシャーロットとみずき。

「まあでも、俺的に一番面白いのはお前だ。丁寧で繊細なオドのコントロール。この俺が見ても完璧に近い。おそらく、それなりの魔術も修めているな。英雄召喚でって話なら、長くとも十年も満たない期間で、そのレベルは異常だ」

「お褒め頂き光栄だ。昔から物覚えは良い方でな。でも、これくらいなら魔族側にもいるぜ。この前マッチアップした野郎がそれだった」

「……実に興味深いな。使っていない器官をこじ開けられて、初歩の初歩すらない状態だろ?」

「要は力の使い方さ。格闘技やってる奴ならすぐこなれるし、達人なら俺なんかよりずっと巧く使うだろうぜ。俺は一歩手前だからな、何事も」

「なるほど。いいね、悪くない。カタチは変われど、か。ああ、そういう生き物であるべきだな」

 ロキは気色の悪い動きで立ち上がる。

「ロキだ。姓はない。必要と感じたこともない。で、この俺様に何の用だ?」

「それは――」

「何故魔界に攻め込んだ?」

 シュウの言葉をさえぎってゼンが言葉を発する。

「ゼン!」

「お前がそんなことをしなければ死なない命があった。俺も、彼らも、ここにはいなかったはずだ」

 珍しく我を通すゼン。シュウの制止も意に介さない。

「ほーん、で?」

 ロキの軽薄な反応にゼンは歯噛みする。

「魔族も、人族も、大勢死んでいるんだぞ!」

「……いや、悪い、全然わからないわ。そいつらが死んだら俺に何か不都合あんの?」

 きょとんと首をかしげるロキに全員が絶句する。

「毒に毒をぶつける、か。ほんと、言い得て妙だなこれは」

「あと魔界に攻め込んだ理由は単純に暇だったから、だな。新しい魔術を試したかったってのもあるが、別に人界でも良かったし、やっぱ、暇が一番の理由だ。納得した?」

 あまりにもひどい理由である。いっそ清々しいほどのクズ。ライブラらが毛嫌いしているのも仕方がない。これを受け入れる方が難しい。

 これがロキなのだ。

「それにさ、ほんとのところ、お前さんもその他大勢なんてどうでもいいと思ってるだろ?」

『やめろ』

「お前のせいでこんな化け物になっちまった、か、お前のせいでこんな世界に連れてこられた、か、いい世界らしいからな、そっちは。それならわかるよ。謝る気はさらさらねえけどな。ぎゃはは」

『やめろ――』

「それとも、お前のせいでぼくちゃん殺人者になってしまったでしゅ、ってか?」

『――相棒!』

 怒りに駆られたゼンはギゾーの制止も聞かずに炎を生み出さんとする。

 ゼンが生み出せる最強の、魔を断つ剣を。

「気持ちはわかるが、やめろ」

 ゼンの暴走をシュウが腕を極めて押し倒し、無理やり止める。

「おお、いい技だな。応用が利きそうだ」

「あまりこいつをからかってくれるな。言葉遊びなら俺が付き合ってやる」

「くく、『大人』だねェ」

「……ッ、記憶でも覗いてんのかテメエは」

「まっさかぁ。ただ努めてそう在ろうとするやつって、大概本性は逆だったりするからなァ」

「……悪魔より悪魔的だよ」

「ぎゃはは、魔術師には誉め言葉だぜェ」

 ロキは歪んだ笑みを浮かべながらシュウだけに視線を注ぐ。

「で?」

「シン・イヴリース打倒に協力してほしい」

「嫌だ、って言ったら?」

「こうやって大獄に閉じ込められた原因だろ? 恨みの一つ――」

「あえて捕まったんだよ。イヴリースの欠片を持つ男と遭遇してな、あ、こりゃやばいって安全なところに逃げ込んだわけ」

「自分から? そんな話誰も」

「魔族に捕まったのは本当。どうせ、死なねえし、殺せねえのはあっちもわかってるから、大獄に放り込む。獣はわかりやすくていいぜ、好きだなぁ、魔族。馬鹿でさ」

 心底魔族を馬鹿にした表情で衝撃の事実を語るロキ。

「ただ、あいつはヤバいなァ。六大魔王なんて可愛いもんだ。奴らは会話が通じる。あれには通じない。永劫噛み合わない。逆に俺が聞きたいぜ、なんであそこまで性根が歪み切れるんだ?」

 ロキをしてヤバいと言わしめる相手は今のシン・イヴリースなのだろう。

 噛み合わないところで言えばロキも相当だが。

「どんな男なんだ、欠片を持つ奴は?」

 ロキは一瞬考えこみ、己の見解を紡ぐ。

「普通の男だ。力が強いわけでもないし、体がデカいわけでもない。潜在的なオドはそれなりだったろうが、あくまでそれなり、だ。振り切れてるのは精神、心、いくら何でもあれはねえわ。俺でも引く」

 抽象的な話である。これを聞いて魔王の概要を思い浮かべられる者はいないだろう。

 直接会ったことのあるもの以外は――

「見ればわかる。あれとやりあうなら俺はずっとここに引きこもってるね、割に合わん」

 それきり押し黙るロキ。ゼンも複雑な表情で地に伏していた。彼もまた知っているから。

 あの男を。

「それでも勝たなきゃいけない。そのための知恵がいる。知恵だけでも貸してほしい」

 シュウは食い下がるも、ロキはすでに終わった話とポルノ映画に目を向けていた。

「……仕方ない」

 シュウはロキの近くに歩み寄る。ロキは心底興味が失せたのか見向きもしないが。

「――――――」

 何事かを、シュウは耳元でささやいた。

 誰にも聞こえない、ロキにだけ聞こえる声量で。

「……フラミネスか?」

 ゾクりとする声色。シュウを除く全員の背筋が凍る。

「さてね、秘密は守る方だ。ちなみに俺を殺しても無駄だ。俺の中に埋め込まれた術式が情報を飛ばす。それで、動く」

 シュウもまたロキに負けず劣らず冷たい顔をしていた。

「確かに何か仕込まれてるな。さすがに効果までは見えねえが」

「はったりはない。俺たちも後がないんだ。何でもやるぞ、俺は、な」

 哀しそうに微笑むシュウを見て、とうとうロキは――

「ちっ、あのフラミネスのガキ、いつか薪にして殺してやる」

 折れた。

「ちなみに脱出方法は貴方頼りだ、大魔術師ロキ様」

「ぎゃは、テメエ、良い死に方しねえし、させねえぞ」

「百も承知さ」

 交渉、成立。

 他の三人は複雑な表情をしているし、呑み込めていないが。

「シーハーシーハー」

「ちなみにこれ面白い?」

「ブスがキメ顔で馬鹿面さらしてんのが滑稽で最高。腰を上下する度にブス度が増すのも味がある」

「さすが魔王、視点が違うな」

「早く場所移すか消して欲しいっす!」

 シリアスな場面も含め、すべての背景がポルノ映画であったことをここに念押しておく。

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