第2章:美しい世界

 四人は茫然と立ち尽くしていた。

 文明の匂いをみずきが感知し、ようやく何か手掛かりが得られると思っていた。確かにこの光景は手掛かりになるだろう。

 ツタに、苔に飲み込まれたビルだったもの。それらが一様に不可解な形状なのはおそらく先の化け物が削ったのだろう。怖気が走るほど美しい断面があった。

 被害の痕すらも自然が飲み込みかけていたが。

「……専門家じゃないが、昨日今日じゃないと、思う」

「ああ、私もそう思うよ。十年でもこうはならない」

「部分的には完全に侵食されてるっす。完全にSFっすよ、これ。風の谷のほにゃららみたいな。い、いやー、オタク的にはエモいっすね、あはは」

『みずきちオタクなん?』

「ギゾー、そこは今気にするところじゃない」

 どういう意図であったとしても、この状況では人間が住んでいることはないだろう。放棄して逃げたか、この地で全滅したかまではわからないが、少なくともこの地にはいない。人が住んでいればこんな状態にはなりえないから。

「みずき、匂いは?」

「都市自体が持っている匂いだったっす。あんまりにもこの世界が透き通っていて、こんな状態でも、あれだけ遠くから感知できてしまったんす」

「……十キロ以上走ったからな。聞いてた能力の倍離れたところを感知できてしまったわけだ。この世界のおかげ、いや、せい、か」

 こうなってくると途端に美しい世界が恐ろしい光景に思えてくる。

「この都市にロキはいないのか?」

「いるように見えるかい?」

「草っぱらよりか可能性はある」

「意外としゃんとしてるね、君は」

「オークに生まれ変わるほどの衝撃じゃない」

「ふふ、それもそうだね。まあ、オークも悪くないだろう? この私を担ぐなんて貴重極まる体験ができたのだ。とても幸運だよ、君」

「……その返しは初めてだ」

『こいつもやべー女だな。アリエル嬢ちゃんといい、どうして英雄の女性陣はこうも癖が強いのかね? まあ、サラちゃんはそうでもなかったけど』

 あの普通さが恋しい、なんてこの状況下で思えるようになったこの男もまた少しずつ普通じゃなくなっているのかもしれない。たぶん、アンサールと戦い、ベリアルに殺されかけ、バァルと遭遇し、心が摩耗し過ぎたのだろう。

「ゼンの言う通りだな。一応、こいつがロキの匂いだ。かつてライブラが主人を呪い殺そうとむしった髪。結局一回殺せたらしいが死ななかったなんてわけのわからないことをつぶやいていたが、まあ、これが唯一の痕跡だな」

 シュウは小箱を取り出し、厳重に、幾重にも魔術的防壁が施されたそれを解いていく。この世界に来てから魔術をたしなんでいるシュウ以外では、アストライアー内でさえこれを開けられるものはいないだろう。

 無論、魔族でも不可能。力ずくで開放すればそれはそれで別の魔術が発動し、プチゲートが発生、中身がライブラの手元に戻る仕組みとなっている。

 魔界においてはシュウだけが開けられる箱。それをせっせと開放し、ひとまとめにした髪の毛を取り出してみずきに手渡した。

「お任せあれっす」

 くんくんとみずきが匂いを嗅ぐ。

 雑味のない世界において異質、ではない匂い。

「あれ?」

 みずきはこの世界を異世界だと認識していた。だから、この世界に当たり前に存在する匂いを認識から消していたのだ。そこら中に散らばっていた石くれの、岩の、匂い。この世界の石はそういう匂いなのだと思っていた。

「これ、石の匂いがするっす」

「石?」

「走っている途中でも見たっすよね? 少し変わった形状の岩とか」

「ああ、あったな。まあ、さっきの化け物に触れたかなんかで変わった形になっただけじゃないのか? 特に気にもならなかったが」

「この髪も同じ匂いがするんすよ。あと、ゼンさんからも似た匂いが。ゼンさんはなんか色々薬臭くて混ざりものっぽいんすけど。こっちは同じ混ざりものでも、すごく自然っす。この人、実はもう石にされてるんじゃ」

「……いや、待て。ロキは半人半魔のハーフだ。その石ってのは魔族の匂いじゃないのか? ほら、魔界でさんざん嗅いだだろ?」

「言われると似てる気が、でもあそこ鼻が利きづらいんすよ。粉塵で」

『おいおい選抜メンバーポンコツだったか?』

「あと血の匂いの方が強かったっす」

『あー、そっかぁ』

 ギゾーも納得の答え。血で体臭を塗り潰すほど年がら年中戦っている連中なのだ。魔族という種族は。比較的戦わないバァルですら血の匂いはつきまとう。

 末端ともなれば――

「でも、風化してるのか石は血の匂いがしないんす。だから、特有の匂いが強調されていてわかりやすいんすよ。これ、魔族の匂いっす」

「で、石は元魔族、か。おいおい、ここに来るまでも結構あったよな?」

「砕けた石くれも含めたらそれなりに、ね。百、二百じゃ利かないよ」

「俺は薬臭いのか」

『今はそこ気にする場合じゃないぜ、相棒』

 大獄に収監された魔族たちの末路。死んだから石になったのか、あの化け物にそうさせられたのか、別の理由があるのか、彼らにはわからない。

 だが、一つだけわかることがある。

「凄く穏やかに見えるが、この世界、やばいね」

「ああ、やばいな」

「やばい」

「やばいっす」

『お前らの語彙力がやべーよ』

 ギゾーがツッコミに回ってしまうほど、ポンコツと化した英雄三人とオーク一匹。まあ情報が錯綜して混乱するのも分かるがもう少しきちんとしてほしい、などとジョークグッズが思わされているのだから彼も変わったものである。

「あれ、でも、だったら、この街に、一か所変な場所があるっす。不自然に石が集められた場所があるんすよ。まるで何かを隠すみたいに。その奥から――」

 みずきが目を見開く。

「この髪と同じ匂いがするっす!」

「おいおい、俺たちの運超やばいな」

「ふっ、この私がついているのだ、当然やばいに決まっている」

「やばいな」

『俺はもうツッコまねえからな!』

「と、ギゾーで遊ぶのはこの辺にしといて、今回の件は、運とまでは言い切れないさ。ゲートみたいに多少変動はあるかもしれないが、大獄の入り口は一つ。俺たちと似た地点に放り出されたら、あそこの近郊、というにはちと遠いが、こういった廃墟に身を寄せている可能性は大きい。雨風がしのげるだけで原っぱよりマシだからな」

 遊ばれていた事実にジョークグッズとしての矜持を破壊され落ち込むギゾー、は横に捨て置き、彼らは一気に目的へと近づいたことに喜ぶ。

(にしても、嫌にスムーズだぜ。バァルにしろ、大獄内にしろ、ちょっと出来過ぎてる。まるで神様がロキをここから出したがっているかのような。この場合の神が俺たちの味方かどうかまでは判断できないが、警戒はしとかないとな)

 シュウは物思いにふけりながら、自分の心臓に手をやる。

 仕込みは出来ている。最悪のシナリオだけは回避する布石は、ある。

「とりあえず近づいてみるか。慎重にな」

「あの化け物がいるかもしれないっすもんね。匂いがしないってのは怖いっす」

「安心していい。今は私が索敵の手を広げている。温度がない存在、私にとってはそこらの石くれよりよほど目立つさ。少なくともこの街は大丈夫だ」

「うう、面目ないっす」

「役割分担さ。私にはロキを見つけられなかった。そうだろ?」

「ありがとうございますっす。元の世界に戻れたらDVD買うっすね」

「ブルーレイを買いたまえ」

「高いっす」

「んもう!」

 ぷんぷんむくれるシャーロットを見てげらげら笑うみずき。おそらく彼女たちは意識的か、無意識的にあえて弛緩しているのだ。

 締めるべきところで締めるために。抜くべきところで抜く。

 ゼンは英雄を多く見てきたが、シュウも含め立派な人物たちは多くの人物はそういう技を身に着けていたように思える。彼らは戦うべき時を知っている。常に張りつめていればパフォーマンスが低下することも知っている。

 知識として、経験として、彼らは勝つための多くを知っていた。

 こんなふざけた一面ですら、ある意味で勝つための準備なのだ。

「俺にはできないな」

『それが出来ないから相棒は相棒なんだと思うぜ。不器用でいこうや』

「ああ」

『ま、よく素で抜けてるからおふざけ度はそんなに変わらねえけどな』

「……え?」

 初耳だとばかりに驚くゼン。ギゾーは内心ため息をつく。

「じゃあ先導するっすね!」

 嗅覚担当みずきが先頭で謎の街に踏み込む一行。

 果たしてこの先に何が待つのだろうか――


     〇


「……レウニール。イヴリースを利用してまたあの男がシュバルツバルトにアクセスした。三度目だ。今度も彼が勝つよ。彼女を利用して」

 不自然を体現した巨躯、数多の眼が今、小さな泉から浮き上がる映像に向けられていた。かつて友であった男と同じ外見、シュバルツバルトのレプリカに。

「我の関知するところではない」

「関知しなければ滅ぶと言っている! 何のためにアポロンたちが犠牲になったと思っている!? このまま放っておくことが本当に最善か?」

「知らぬ」

「くっ、君は、本当に、いつまでひねくれているつもりだ!」

「絶望があった。皆は抗ったが、我は抗えなかった。折れたのだ。放っておくがいい。この程度で滅ぶるならば、今救ってもいずれ奴らが飲み込む」

「我らの力を利用されたとしても、か?」

「我らの力で産んだ命だ。不自然ではあるまい。我の姿よりよほど自然である」

「この文明レベルならシックスセンスを加味してもほぼ確実に、未来を定めることが出来る。僕らの発想にはなかった使い方だ」

「その一点は、多少期待が持てるな。どちらを生かすかなど我らが関与すべき事柄ではない。勝つべき方が勝つ。淘汰される先を我らが選んでしまえば、それこそ不自然だ。アポロンがそれを望むか? あれの勘定に我は入っておらぬさ」

「僕はそう思わない。僕ら全員、残された意味があるはずだ」

「どちらにせよそれは今ではない。少し静観せよ、果報は寝て待て。本物なら一眠りして様子を窺うところだ。なあ、我が友であった男よ」

「……手を出す気はない、と」

「皆無」

「残念だ」

 シュバルツバルトの映像が消え、レウニールは「ぐがが」と笑う。

「今頃は大獄か。くっく、手など出せぬさ、シュバルツバルト。記憶を制限されていなければお前も静観していたはずだ。お前と俺だけは、必ずな。いや、お前は邪魔したかもしれんな。何せお互い、母親を愛していた。まあ、そうであったら、さしもの俺も手を出していたかもしれん。必要な過程だからな」

 一瞬、レウニールの姿が人のモノへと変わっていた。

 ほんの僅かな、瞬くような時であったが。

「黄金の時だ。何故、我に手が出せよう?」

 レウニールにとって最古の記憶。宝物のような輝ける時。

 小さな頃の、夢。

「案ずるな、シュバルツバルト。人間はそれほど愚かではない。三度目だ。いい加減に学ぶ。学べねば滅ぶだけ。精々抗って見せよ、そして我に示せ。皆が命を懸けたに値するか、あの人が命を賭すに値した明日か、我が、見極める」

 レウニールは全ての目を瞑る。

 あの世界を見たい欲求を抑えつけ、静かに時を待つ。

 そうでもせねば抑えきれないのだ。

 ずっと遠い明日を、ずっと遠くの昨日を、見つめたいという欲求を。


     〇


 不自然に並べられた石を退けると、そこには一つの扉があった。

「押しても引いても開かないな」

「スライドさせてみるとか?」

『ボケはいらないぜ、相棒』

「……?」

『すまん、相棒本気だったわ』

 力ずくで開ける手もあるが、どんな手段であの化け物が感知してくるかわからない以上、あまり大きな物音は立てたくない。

「ふむ、ここはスーパースタァの威光で一つ」

 そんな中、おもむろにシャーロットが進み出ると――

『生体認証確認、最大権限者、マスターローストビーフ。ようこそ、ユーロ連合国スイス支部第十三シェルターへ。貴女を歓迎いたします』

 扉が、開いた。

「ロ、ローストビーフだと!? 何が悪い! あんなに美味しいものを馬鹿にする意味が、全然、これっぽっちも分からない!」

「馬鹿にされてねえし、落ち着け」

「そ、そうっすよ。なんでシャーロットさんで生体認証が開くんすか? だって、ここ、異世界っすよ? ユーロとか、スイスとか、どういう――」

「みずきも落ち着け。とりあえず奥に入って調べてみよう。結論を出すのは早すぎる。皆、いいな? 安易な結論に飛びつくな。答えが一つとは限らない。世界が一本だとも限らない。何よりも優先すべきはロキだ。やるべきことをやろう」

「で、でも」

「みんなが待っている。なっ」

 シュウがみずきの肩を優しく叩く。

「う、うす!」

 シュウが自然と先頭に立って扉の奥に踏み込む。みずきが恐る恐る後に続き――

「ゼン、何か妙だと思わないかい?」

「何がだ?」

「私は結構動揺している。みずきもだ。君たちとは違う世界なのだろうし、一概に同程度に驚けとも思わんが、少しばかり、彼は落ち着き過ぎている」

「……え、と」

『シュウが何か隠してんじゃねえかって話だろ?』

「シュウに限らないさ。上位層は我々が元いた二つの世界について、もう少し先に辿り着いているんじゃないかな? なぜ黙っているのかは、知らないがね」

「アストライアーに悪い奴はいない」

「知っているよ。だからこそ気になるんじゃないか。善意で隠された秘密って、悪意よりもよほど質が悪いと私は思うがね」

 シャーロットもまた扉の先に進む。が、思い立ったように振り返り、

「しかし、だ。君のその愚鈍さは、私のようなものにとっては大変心地よいものだね。案外、オーケンフィールドやシュウ、キッドにとって君はそういう存在なのかもしれない。清涼剤、なんてちょっとひどい言い草かな?」

「褒められているのか?」

「私が男性に少しばかりでも好意を向けるのは空前絶後だよ、君。当然褒めているとも。褒めちぎっていると言ってもいい。幸運を噛み締めたまえ」

 言いたいことを言い切ったあと、そのまま颯爽と奥へ進んでいくシャーロット。残されたゼンとギゾーは茫然と立ち尽くしていた。

「なあ、ギゾー」

『なんだい相棒?』

「シャーロットって少し、変わっているな」

『今更かよ!?』

 ゼン、本日の学び、変人を知る。

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