第2章:奇跡との邂逅
天空に浮かぶ王城の下部を地下と呼んでいいのかゼンには判断がつかないが、誰も立ち寄らぬであろう暗がりの中、螺旋階段を下り彼らはそこに至った。
「……これは」
圧巻の光景が下層部に広がっていた。
巨大なる結晶体。幾重にも重なる複数の水晶体が放つ巨大な圧。誰が見ても魔族であれば理解できる。これは魔王バァル・ゼブルのアルスマグナである。
「これが我が城を浮かしている動力源にもなっている。紅き空の毒素を吸着し、別の成分に変換する機構なんてのもついているが、重要なのはその中心部――」
確かにバァルのアルスマグナはベリアルよりも巨大で荘厳さに満ちていた。おそらくは用途が違うのとそれに注力しているか否かの違いであろうが、アルスマグナ自体はバァルの方が強さを感じた。そんな威容、六大魔王のアルスマグナを前に下級の魔族であるゼンがひるまぬはずもない。
だが、ゼンの眼にはアルスマグナは映っていなかった。
「そう、君が見ているあれがエクセリオン。魔界、人界、天界、三界の総力を結集して生み出した究極殺しの奇跡。その、欠片さ」
たった一欠けらの虹の結晶。
そこから感じる気配にゼンは気圧されていた。一体どれほどの妄執が、執着が、懊悩がそこに込められているのだろうか。
「ああやって保管しておかねばたちまち崩れ落ち、露と消える儚い、夢だ。どうだい? 君はあれを見て何を感じた?」
バァルは興味深そうにゼンを見つめる。
「……俺には、創れない」
「何故?」
「構造がわからない。素材すら見えてこない。多くの武器を見てきた。それなりに使い慣れてきたからわかる。これは、違い過ぎる」
「……そうだね。残念ながら現代では再現不可能だ。三界の素材を併せ、魔族の力を、神々の英知を、そして人の執念を練り上げ、生み出した唯一無二」
『すでに天界への道は閉ざされているからな。物理的に再現不能なのさ』
「いや、想像さえ出来れば、俺なら、俺とお前なら創れるはずだ。だけど、俺にはできない。まるで、想像がつかない。違うんだ、何かが、違う」
『……相棒』
「それに、重過ぎる」
「君の力ではあの欠片すら再現不可能だろう。例え想像し得たとしても。どちらにせよ、あの時代の想いはあの時代を生きた者にしかわからない。魔族ですらついていけなったあくなき力への渇望。究極をひたすら目指し理性を、倫理を、全てを超越したまさしく怪物、シン・イヴリースを打破するために全てが手を取り合った」
昔を懐かしむようにバァルは語る。
「我が父もまた参戦し、エクセリオン完成の時間稼ぎのため命を散らした。私もまた満身創痍だった。たった一つの存在に全種族、全戦力を投じてなお歯が立たず、シン・イヴリースは単独で全てを打ち砕き、世界を己が理想に染め上げんとした。阻んだのは最も弱き種、人族の二人。今でも覚えているよ、明瞭に」
六大魔王、この魔界において絶対的な力を持つ怪物が畏敬の念を浮かべていた。たった二人の人間、全種族が跳ね返された壁に立ち向かう塵芥。
「人族最強の剣士、レイだったかな? 彼の命を賭した一撃で最強の存在に傷を与えた。すぐに再生するであろう傷跡だ。その一筋をつけるために彼は文字通り、死んだ。眼は蒼く、刃は赤く、私には二色の翼が視えたよ」
『とんでもねえ話だぜ、相棒。魔王や神々と人の差は、それこそ天地だ。それをたった一撃とはいえ引っ繰り返した。想像を絶する天才だったんだろうな』
「ああ、俺には想像もつかない話だ」
「その傷に、本来、最強の神族が振るうはずだったエクセリオンを、その者が戦死したため代わりに握った人族が最強に突き立てた。全身から超高圧の、凄まじい熱量と化したオドを噴き出し、王クラスですら焼け爛れ致死に至るほどの熱量を浴びてなお、その者はより深く、より前へと足を進めた。彼自身相当の使い手ではあったが、それでも人族程度のオドではまともに守ることすら出来ない。それでも、進んだ」
衣服などすぐに蒸発したのだろう。皮膚などそれこそ薄皮ほどの役にも立たない。すぐさま血肉は煮え立ち、骨も溶け出すほどの熱量。
それが王と、否、最強と対峙するということ。
「叫びながら、進んでいた。自然とね、私たちも彼に力を注いだ。彼が最後の希望だと誰もが理解していたから。あの一瞬が、刹那が、唯一の勝機だったと。刃が究極を貫いた。私も、第一世代の連中も、神々すら満身創痍で、誰もが諦めかけた中、人が成したんだ。己が分を超え、与えられた種族の差を覆し、勝った」
信じ難い奇跡だったのだろう。
今とは違う、欠片ではない本当のシン・イヴリースに勝つということは。
「未だにあの日を、あの瞬間を超える昂揚を私は知らない。そんな中、もう一度あの怪物、欠片とはいえ全種族の敵が還ってきた。無論、欠片程度、魔界であれば我らの内ひと柱でどうにでもなるだろう。だが、魔界と人界の狭間、我ら魔族が制限を受ける場所に在ってはやはり無敵だ。奇跡なくば、倒すことは難しいだろう」
「……俺では無理だ。だが、オーケンフィールドなら、シュウたちなら」
「その彼は君に期待していたがね。少なくとも彼は自分ではないと思っているようだったよ。ふふ、いや、そうだな、君の眼を見て少し思い出した。ちょっと似ているんだ。奇跡を成した英雄の眼に。彼もまた最後の一線、それを踏み越えるまでは君と同じ凡なる眼をしていた。意外とそれが答えなのかもしれないね」
『相棒には荷が勝ちすぎらぁな』
「一助にはなろうと思う。だが、それを成すべき者は別にいる。純然たる正義を成すのは正義の味方であるべきだ。汚れていない、本物の」
ゼンの述懐を聞き、バァルは苦笑した。
彼に成せるとは思えない。だが、それはあの英雄も同じだったのだ。魔族ならば誰もが一笑に付していただろう。人族がシン・イヴリースを打破するなど、打破してなお信じない者もいたのだ。ありえないと切り捨てた者がいたのだ。
実際に同じ状況を前にして、やはり難しいと思う。彼には無理だと思う。
「その眼を持つ君には見せるべきだと思い見せた。それだけだ。それほど過度に期待はしていないし、人族が滅ぼうともさほど気にならないのが魔族の本音だ」
「貴方なら、この眼があれば、エクセリオンを再現できるのでは?」
「無理だよ。魔力は足りても、私には足りないものが多すぎる。そうでなくとも私は、なんとなくだがね、この奇跡は一度きりだと思うんだ。同じ奇跡は二度と起きない。でも、違う奇跡なら起きるかもしれない。私は、それが視たくて君たちを招いたのかもしれないね。矮小なる君たちの健闘を祈るよ」
『他人行儀だねえ』
「他種族だからね。そして、重ねるが今の魔界にとって欠片であるイヴリースは脅威ではないのだ。ゆえに魔族が手を貸すことは稀だと考えておくといい」
「……わかっている」
「今の、だがね」
一瞬、バァルのまとう雰囲気がぴりつくのをゼンは感じた。
彼もまた何かを予期しているのだろう。それを今、彼が語るとも思えないが。
「明日から難儀な旅になる。そろそろ客間で休んでくるといい。嗚呼、客間なんて使うのはいったいいつぶりだろうか。普段使わない機能を使う時、何故こんなにも心が躍るのだろうね? 人族ならこの気持ち、わかるかい?」
「……いや、よくわからない」
『相棒に難しい問いは遠慮してやってくれ。馬鹿なんだ、こいつ』
「あっはっは。実に面白い主従関係だ。今日は楽しかったよ。私なりに得るものは多かった。明日以降、個人としては少し、楽しませてもらおう」
バァルの姿が消え、ゼンはただ一人アルスマグナの前で立ち尽くす。
「凄いな、これは」
『ああ、素晴らしいもんだ。だからよ、たぶん、同じもんは目指さなくていいんだと思うぜ。そうしたらきっと、今よりも遠くなる気がする』
「たまには良いこと言うな、ギゾー」
『いつもだろ、相棒』
ゼンもまた一欠けらの奇跡が保存された場所を後にする。
明日からはきっと忙しくなるから。
一旦、この奇跡を頭の隅に置いておく。いつか使う日が来るかもしれない。
その日まで忘れえぬように。
〇
「ルキフグス様!」
「何? 今、忙しい」
「そのようには見えませんが」
居室でくつろぐルキフグスは限りなく人に近いカタチをしていた。黒髪黒目、パッと見て彼女を魔族だと思う者はいないだろう。
何しろ彼女の眼は、赤くないのだ。
魔族であれば朱色の眼であるはず。現に部下である巨躯の怪物の眼は赤い。ベリアルも、バァルも、形は違えど皆、紅い眼であった。
シュウたちも変装のためライブラに一時的に瞳が朱になる魔術を施されていた。プルートニオンで魔族と認識されていたのもそのためである。
だから彼女の眼は魔族としてあり得ない。
それこそ人に化けているでもない限り――
「バァルの小僧が」
「……どうでもいい報告だったら殺すわよ、アスモデウス」
「我が領域の直上に位置取りました」
「……何故?」
「わかりません。しかしどうにも雲行きが怪しく――」
ルキフグスの問いに答えている最中、彼女らの領域自体が激震する。
「この光と音は」
「バァルのいかずち! あのガキ、うちに戦争仕掛けてきやがった!」
アスモデウスと呼ばれた魔族は窓の外に飛び、すぐさま魔獣と化す。彼は第一世代、ベレトらとしのぎを削った武闘派として名高い王クラスである。
ルキフグスの腹心。戦力としてはルキフグス陣営最強。
「……あの、変態がァ!」
ルキフグスの領域が燃えていた。暗雲渦巻く天から降り注ぐ極太のいかずちが領域全土に降り注いでいるのだ。あまり戦闘を好まない王が突如、理由もなく仕掛けてきた。無論、魔族は戦闘種族、この程度で動じる者はそう多くないが。
「失敬。君は厄介なので、先手を打たせてもらったよ」
バチリ、静電気のような音と共に――
「バァ――」
バァル・ゼブルが現れた。
「射貫け、フルゴラの槍」
アスモデウスの巨大な肉体を赤きいかずちが貫く。
「……どういうつもり?」
「久しぶりに戦争でもどうかと思ってね、ルキフグスお嬢様」
お茶でも如何、そう語りかけるような気やすさでバァルは自らと並ぶ王、六大魔王ルキフグスに声をかけた。恭しく、どこかバカにしたような口調。
「……そう、じゃあ、死んで」
当然、ルキフグスは激怒する。
彼女の髪が逆立ち、黒い球体が無数に顕現する。
「そう怒るなよ、たかが戦争だろ?」
「死ね」
雷帝と虚無の女王が衝突する。
六大魔王同士の激突、久方ぶりの大戦が始まった。
〇
すべては最初の一撃、戦争を仕掛けた段階でバァルの目的は達成されていた。
戦争は目くらまし。狙いは、彼女の目を盗んで彼ら人族を大獄へと届けること。シュウとの話し合いの対価にバァルは最大限応えたのだ。
まあ、彼らにとって戦争など息をすることとあまり変わらないが。
自らの雷をまとわせ、他の無差別の一撃と同様に大獄めがけて一筋の雷が走る。まさに瞬く間、雷速で彼らは大獄へ向かう、というよりも墜とされた。
「え、いや、心の準備が――」
「まっ――」
「先に報告だけで――」
「あ――」
『――っという間に』
刹那、心の準備どころか色んな段取りをすっ飛ばしてバァルの合図とともに彼らは大獄へと踏み込んだ。巨大な黒き円状の深淵。
ほとんどの者が脱出不能とされる世界で最も堅牢なる牢獄へ。
彼らは墜ちた。
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