第2章:一件落着
「お久しぶりです、父上殿」
レウニールの前に現れたのは痩躯の男。強そうには見えない。今にも消え入りそうな雰囲気である。だが、その中身は今も大地で暴れている怪物そのもの。
「ぐがが、我に何の用か、怠惰なるベリアルよ」
ベリアルは意識だけこうしてレウニールの前に具象化させていたのだ。
「貴方のお気に入りについて」
「お気に入り、フェネクスのことか? 最後の不死鳥、収集王が愛でるは――」
「そのフェネクスを動かすほど気に入っている現イヴリース殿の作品、ヒト交じりの魔族という歪な存在。彼の何が、真に怠惰なる諦観の王、我が父レウニールを動かしたのか、気にならぬ方がおかしいでしょう?」
「……ただの気まぐれ、理由などない」
「さて、どうでしょうか? 気まぐれで動くほど、貴方の絶望は浅くないと思って――」
ベリアルの身体、その中央が砕ける。身体の崩壊ではなく、世界の崩壊に巻き込まれたかのような不思議な光景。世界が砕けた余波で、ベリアルもまた砕ける。
「次元破壊……戯言でしょうに。ますますもって興味深い」
「我に関わるな」
「関わらせておいて酷いお方だ」
「アルス・マグナに触れろとも、寝ている貴様を起こせとも言っておらん」
「でも、止めなかった」
「…………」
ベリアルの崩壊が止まらない。実体がないはずであるのに、明確にダメージを負っているのだ。六大魔王すら傷つける怪物。もはやそれを怪物と一言で片づけて良いのかも分からなくなってしまう。
「神が、神族が、この地を去って幾星霜。世界に残りしシンなるモノは残りふた柱。欠片とはいえイヴリース殿は諦めぬでしょう。究極の一、絶望を払うための至高の存在を目指して、何があっても歩みを止めることはない」
「ただの復讐である。それすら忘れたあれは、もはや何物でもない」
「ええ。正直、俺も終わった神話には興味がないのです。貴方は、知ったのではないですか? シンなるモノたちが生み出した最後の作品にして、最も劣悪な性能であったヒト族という存在。その意味を、彼らの真意を、あの少年を通して」
「ぐがが、貴様ほどの力を持ちながら、ヒトを恐れるか」
「恐れますとも。究極の一、欠片とはいえ最も強き存在を取り込み、飲み込んだ。起きて驚きましたよ、復活しているにもかかわらず、あの暗い熱情、世界を焦がすほどの妄執がほとんど感じられない。否、それすら飲み込み御するヒトの底知れない力」
「…………」
「爪も牙も翼も持たず、魔力炉も脆弱極まるか弱き存在が、魔界へ侵攻する術を得た。短期間で凄まじい成長を遂げている。我らの思いも寄らぬ発展。寝て、起きるたびに、驚かされる。魔族にも影響を受け、変質する者が後を絶たない」
ベリアルは部下には決して見せぬ顔をする。怖れが、其処に浮かんでいた。
「我らは滅びますか?」
「どのようなモノにも終わりは来る。我も、お前たちも、ヒトも」
「……そうですね。嗚呼、こんなにも父上殿と話したのは初めてのことだ。貴方もまた変質された、あの小さき者によって」
「我は不変也」
「万物一切滅ぶるのであれば、不変もまたありえないでしょうに。我らもまた岐路に立っているのかもしれませんね。変わるか、滅ぶか、シン・レウニールですら例外ではない」
「その名を口にするな愚かなるベリアルよ」
「おっと、そろそろ限界ですか。まったく、バァルのいかずちであれば数年暴れまわる自信があったのですが、こうも『中身』を破壊されたのでは耐えかねる」
「……時代の分水嶺、寝過ごすでないぞ」
「本当に、ふふ、貴方は変わられました、父上、殿」
そのまま砕け散ったベリアル。
「くだらぬ」
レウニールは万里も先で崩壊を開始したベリアルの本体を眺めていた。
それは束の間の眠りと成ろう。
○
「……馬鹿な、崩壊が早過ぎる」
バァル・ゼブルはあまりにも早い幕引きに驚愕の色を浮かべていた。
彼の居城は万里を越えて伸びてきた熱線にさらされ、いくつもの傷を刻まれていた。六大魔王同士の戦い。本来であれば短くて数年、長引けば数十年、数百年と時間のスケールが違う。僅か半日足らず、熟睡したベリアルでももう少し暴れるだろう。
「何らかの介入があったと見るべきか。私にも視えぬのであれば可能性は二つに一つ」
どちらの手によるものか、バァル・ゼブルには想像もできない。
片方は未だ監視の眼を張り巡らせており、目立った動きはない。もう片方はそもそも介入するはずがない。ゆえに疑問を浮かべるしかなかった。
まさかレウニールが動いたなど、バァル・ゼブルに限らず魔族の考えにはない。あの王が自ら手を下すなどあり得ない。それならばイヴリースが何らかの方法で監視の眼を潜り抜けてことを成したと思う方が可能性があると魔族ならば誰もがそう判断する。
「いったい何が?」
○
「おいおい、大将。どうなってんだ?」
炎の檻を消し、ベレトはあまりにも早々と寝付かんとする己が主を見た。
バァル・ゼブルの軍勢は燃え墜ちる主の息子を受け止める。さしもの後継者も第一世代、かつてベリアルとしのぎを削ったベレトを相手には不足であった。
ざわつく現場。誰もかれもが疑問符を浮かべている。
「イヴリース、か?」
ベレトはありえないと考えつつも、それでも他に可能性はないと判断する。彼にとってもレウニールの介入など思考の端にすらなかった。
万年動かなかった山が動く、その大きさは計り知れないものがあるだろう。
○
隆起する大地に足を取られ、噴火に巻き込まれ死んだ、と思った瞬間、希望が心底嫌そうな顔でゼンの頭をわしづかみにしこの場を飛び去った。
「……痛いんだが」
「黙れファッキンクソオーク。慈悲深いマスターの願いじゃなかったら私がテメエをこのまま木に刺してからっからに干からびるまで干し倒してやるつもりだったのによォ」
『とんでもねえ暴言だが今は安堵が勝るぜ、なあ相棒』
「ありがとうフェネクス」
「……今度人界の食いもん持ってこい。クソ甘ェやつな」
『魔狼も不死鳥もお菓子に弱い、と』
「あァン!?」
『ひぃ!?』
みるみると遠ざかっていくベリアルの姿。凄まじい破壊痕を見て、改めて六大魔王とはとんでもない怪物だと理解する。触らぬ神に祟りなしとはゼンたちの世界の言葉である。
「……ミィは無事に逃げられたかな」
あの破壊の中にあって、無事に抜けられたか。ゼンは心配そうな顔をする。
『まあ、生命力高そうだし何とかなるだろ』
あくまで運。それほどの破壊。楽観的なギゾーでさえ言葉を濁さざるを得ない。
「危なかったにゃ」
「そうだ、ニャ!?」
素っ頓狂な声を上げるゼン。視線の先にはこっそりフェネクスにしがみついていたニャ族ミィの姿があった。フェネクス曰く、ゼンたちを回収する少し前に遭遇。背中にしがみつかれたが最後、振り落とそうとしてもしぶとくしがみつかれ、あのフェネクスが諦めるという珍事が発生してしまったらしい。
「にゃはははは!」
『半端ねえなこいつ』
「ああ、大したもんだ」
感嘆の声を上げるゼン。気をよくしたのかミィの笑い声が大きくなり、フェネクスのいら立ちが募り、振り落とそうとするもそこはがっちり離れない。むしろ頭だけを掴まれているゼンの方が甚大な被害を被っていた。
「ハァ、ハァ、降りたら殺す。で、ガープの眼は手に入れたのかよ?」
「……むう」
『どっかに転がってると思うんだよな。たぶん連中あれに興味ないから、その辺に転がったままだろうし、ベリアルの軍勢も恒例のお引越しをするだろうから、隙を見て回収に行けばいいだろ。なぁに、大船に乗った気でいてくれ』
「……それ、マスターの前で言えるか? クソ目玉」
『言えないっす』
言い訳も不発。本格的に雲行きが怪しくなってきたところで――
「これあげるにゃ」
ぽいっとミィが何かを投げ渡す。ゼンはそれを掴んで、目を丸くした。
「「『ガープの眼!?』」」
「気づいたら持ってたにゃ」
本人も何故自分がそれを持っているのかよくわかっていなかった。たぶん目の前にキラキラしたものがあったから無意識に掠め取ったのだろう、と後にニャ族の習性を学んだ際に納得した。今はまだ誰もかれもが何故で埋め尽くされているが。
『……最初の衝突の時か? そう言えばずーっと持ってなかったけど、どっかに捨て置いたとか勝手に解釈してたぜ。……相棒?』
「ずっとアバドンが持ってるものかと」
『お前が見てた手は何本だこのスカタン』
「……貰ってもいいのか?」
「いいにゃ。助けてもらったお礼だにゃ」
「……助かる」
ゼンはガープの眼を懐にしまい込んだ。これでまた命を長らえることが出来た。今度こそ駄目だと思っていたが、何とかこうしてゴールまで辿り着いた。
「何でアルス・マグナを狙った? つーかテメエも全力で止めろやクソオーク」
フェネクスの不機嫌な声。ニャ族のミィはしばし考え込む。ゼンは「すまん」と頭を下げた。頭を動かしたことで爪が食い込み鈍痛が走る。
「ミィは十匹兄妹なんだにゃ。成獣の儀で狩りを成功させなきゃいけなくて、お兄ちゃんがどうせなら一番キラキラしたものを取りに行こうって言いだしたんだにゃ」
「ニャ族の儀式は他者から奪ってくるってやつだろ? 何でもいいって聞いたが」
「何でもいいにゃ」
「何でもいいのにアルス・マグナを狙ったのか?」
「にゃ!」
「心底馬鹿だろテメエら。で、兄妹はどうなったよ?」
「全員死んだにゃ。一番目のお兄ちゃんは海で津波に飲まれて、二番目のお姉ちゃんは雷に打たれて、三番目は重力でぺちゃんこ、四番目は穴だらけ、五番目は――」
「……壮絶だな」
『何つーか、自業自得なんだが、何とも哀れな死にざまだぜ』
「にゃははははは」
壮絶な家族の死を笑いながら語るミィ。これも後に聞いたことだが、ニャ族は馬鹿なので大概成獣の儀式で大物を狙い頓死するらしい。そもそも全員生き残っても、一度に十匹以上産む彼らの食い扶持など存在しない。
全員漏れなく馬鹿なので、長すらも考えていないが彼らは自然と間引きをしていたのだ。最弱ゆえに厳選した個体を生かす。今回に関して言えば運はミィが一番強かったことになるだろう。とはいえまだミィの成獣の儀は終わっていないが。
「同じ魔族として恥ずかしい」
フェネクスはげんなりとした表情を浮かべていた。
「儀式に必要なものは何でもいいのか?」
「何でもいいにゃ」
「ガープの眼をやるわけにはいかんが、今度人界の食べ物を持ってこよう。フェンやフェネクスにも喜ばれている。悪いものじゃない」
「くれるにゃ?」
「ああ」
「にゃにゃにゃ!?」
「……?」
顔を真っ赤にしたミィは俯き黙りこくる。ゼンは首をひねるもフェネクスは真顔で沈黙、ギゾーすら『あちゃー』と心の中で漏らすだけ。
これも後に判明することであるが、ニャ族の雌を娶る際、雄は自身の所有物を雌に譲渡するという決まりがある。いわばモノをあげるという行為自体が告白、というよりもプロポーズに類することであるのだ。
このやらかし、のちに大いなる災いを招くことになるのだが、今のゼンは何も知らず、他の連中も疲れているのかこれ以上面倒ごとに関わりたくないと口をつぐんでいた。ゆえに何も知らぬままゼンはお土産を渡すことになる。
ゼンは知らぬ間に結婚秒読みと言う段階に辿り着いていた。
「ところでアルス・マグナって何なんだ?」
「……マジで知らねえのか?」
「知らん」
『マジで知らねえんだ。奇妙なことによ。『転生ガチャ』で生まれ変わる際、それなりの知識は与えられてるはずなんだ。だが、アルス・マグナに関してはすっぽり抜け落ちている。不思議なことにな』
「与えてねえってことは知る必要がないと思ったのか――」
『――知られたくねえことがあるのか、どちらかだわな』
ゼンの質問から派生した懸念。あくまで推測、それでも引っかかる点ではあった。末端が主のアルス・マグナの所在を知る必要はない。だが、其処に触れる意味を知らなければ今回のゼンと同じようにとてつもない火種となることもあるだろう。
「アルス・マグナは領地を持つ魔族が自領を活性化させるために、自身の魔力を結晶化させ、土地に根付かせたものだ。あれがあるからクソな環境の魔界でも草木が生えるし、弱い魔族も生存することが出来る。暇があったら誰も管理していない、誰のアルス・マグナの影響下にもない土地に行ってみろ、地獄だぜ」
「……それをミィたちは盗もうとしたのか?」
「……にゃ」
元気のない声。ゼンは事の大きさを知って反省しているのだと思う。ゼン以外はそれが反省ではないことを知っていた。そもそもニャ族に反省という言葉はない。魔界の常識である。
『六大魔王クラスのアルス・マグナともなれば、何千里も影響を受ける。力の結晶であり、土地の命、失われたら九割の魔族が死滅するだろうぜ。まあその前に引っ越すだろうけどな。それで戦争が起きるって寸法よ』
「……やばいな」
『ああ、クソやべえ』
あまりの大事に語彙が喪失したゼン。
「あえて伏せてんのか、伏せなきゃならねえのか。まあ、んなもんテメエらが考えろ。魔界に降りてこない限り、私らには何の関係もねえ事柄だ」
「……その通りだ」
「あとテメエはもう少し魔族のことを知っとけ。腐ってもレウニール様の陣営なんだ、恥かかすな。土産より先に勉強してこいカス」
「あ、ああ。すまん」
『ん? んん?』
「飛ばすぞクソカス共」
「……頭が、もげ――」
炎と化したフェネクスが地平線の彼方まで飛翔する。
此度の珍事、大事になる前にクローズしたが、それでも長き歴史を生きる魔族にとって、小さくとも変化の兆しを感じ取った者は少なくない。
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