第2章:ベリアルの領域Ⅰ

「魔王ベリアルの居城からガープの眼を盗んで来い」

「……承知した」

 レウニールのお願いを拒否することは出来ない。全身を巨大で強力な魔獣で継ぎ接ぎしたグリフォン。その力は計り知れないが、ゼンがお願いを拒否できないのは盟約のためである。偽造神眼を得る際に引き換えた『命』の返済が終わらないのだ。

(やべえYO! 六大魔王の巣穴に突っ込むなんて自殺行為だYO!)

(何故、心の中だけで発言する? いつもみたいに好きに発言すればいい)

(相棒……六大魔王もやべえけど、目の前の奴もやべえんだYO……むしろ――)

 レウニールの眼、無数にあるそれが一斉にゼンへ、その左目である偽造神眼に向けられた。心の中で(ひえッ!?)と押し黙るギゾー。

「何、ベリアル本人は百年前に寝たばかりよ。刺激を与えねばあの小僧、五百年は寝たきりであろう。起こさずに忍び込み掠め取って来るだけで良い。容易かろう?」

 異様なる怪物は顔をぐにゃりと歪めた。おそらく、意地悪気に笑ったのだろう。

「ガープの眼とはどういうものだ?」

「我に問うか、それもよかろう。百年前、六大魔王に成り代わろうと戦を仕掛けた宝石王ガープ。強い魔王であった。届き得る才覚と野心。だが、あれの眠りを妨げたのは悪手であったな。ベリアルの逆鱗よ、本人の自覚とは別のところであれは怒り狂うのだ」

「眼の説明が聞きたいんだが」

『おまっ、マジで怖いもの知らずかよ!? 黙って聞けよ、な!』

「ぐがが、つまりは、百年前にベリアルが蹂躙したガープの死骸から眼を抜くが此度の使いよ。全身があらゆる宝石で構成された無機生命体、その中で最も美しき緋色の宝玉。一目でわかる。多少なりとも美しさを愛でる感覚があれば、な」

 最後の方で顔をしかめたのか、先ほどとは別方向に顔が歪んでいた。

「緋色の眼を持ってくればいいんだな」

「左様。どうせあの連中は価値も知らずに、出来合いの宝物庫に死骸ごと突っ込んでおる。宝物庫、と言うよりもただの倉庫。価値のあるものは多いが、基本的にあ奴らにそれらを愛でる感覚は無い。ゆえに、捕捉されねば容易き使いであろう」

「委細承知した。準備次第向かう」

「……急いておるな」

「俺は前の大戦に参加できなかった。次は、そう成らぬように返済を急ぐだけだ」

 アンサールを討って手に入れたアドバンテージはすでに失われた。その場に自分がいたからと言って趨勢が覆せたと思うほど傲慢ではないが、いなかったという事実が許せないのだ。仲間が死力を尽くして戦っている中、自分は自分の命のために『おつかい』に勤しんでいたのだから。仕方ないとはいえやるせない。

「ぐががが、目先で物事を計るのは凡夫の悪癖よ。あれが大戦? あんなものに意味は無い。ただの戯れであろう。つまり、それによって始めた壁の建造など無為の極み。さて、イヴリースの狙いは何ぞや? 分かっていてその流れに乗るのと、知らず流されるでは同じ道筋でも立ち方が変わってくる。貴様はどう立つ? のお、人の子よ」

「……凡夫にすら成れぬから、俺は今此処に立っているんだ」

 ゼンは卑屈に吐き捨てる。自分は考えない。それは別の者の役目である。自分に出来るのは目先の、指示されたことをこなすだけ。それすら満足に出来ていないのに、どうしてその先など考えられようか。

「ぐがが、卑屈也」

 ゼンは無言で罵倒を背に、やるべきことのために動き出した。


     ○


 山を掘り抜いたかのような荒々しい要塞。アリの巣が如くうねうねとした構造に、人の手による綺麗な建造物を見慣れたゼンにとって何とも野性的だな、と言うのが第一印象。忍び込むのは多少難儀したが、入ってしまえば大したことはない。

『すげえ雑だな、色々と』

「ベリアルのテリトリーに入るまでは厄介だったが、内側に対する警戒の薄さは逆に怖いな。無警戒が過ぎるだろ」

『つまり自信があるってこったろ。誰が来ようと負けないって』

「末端までが?」

『それが魔界きっての武闘派、ベリアルの軍勢ってやつだぜ、相棒』

「なるほど、な」

 宝物庫自体もほぼ無警戒。ガープの死骸もすぐに見つかった。ダイア、ルビー、サファイヤ、ありとあらゆる宝石で構成された目に悪いギラギラのボディ。そして頭部と思しき個所には緋色の一つ目、明らかに他とは違う輝きに満ちた逸品が鎮座する。

『ひゅー、今回は楽勝だな』

「そのようだ」

 確かに楽勝であった。

「なあなあ、交尾しようぜー。ここ誰もいないから穴場なんだよー」

「んもー、エッチ!」

 ここまでは――

「……んあ?」

 宝石を抱えたゼン。隠れようにもここまでばったりと出くわしてしまえばそうもいかない。楽勝だと考えて、油断した結果がこの状況。

「えっと、ガープの眼だろそれ? そんなもん食えねえぞー」

「あ、ああ」

「まあイイや。俺、そこでかわい子ちゃんと交尾すっから」

「邪魔したな。すぐに出ていくよ」

 同僚だと思われたのか、警戒されることも無く抜け出せそうな――

「いや、おかしいだろ? 普通戦うジャン? お前が先に此処にいたよな? お前のテリトリーなわけジャン? ってことは、殺し合うしかねえだろ? 俺たちなら」

 どろり、男の姿が崩れる。

「お前、誰だ?」

「ぐっ、スライムか!?」

 咄嗟にガープの眼を投げて距離を取るも、その眼は男の身体を素通りして地面に落ちた。するすると音もなく、それでいて素早く距離を詰めてくる限りなく液体に近い固体。魔界における希少種、物理無効のわからん殺し。

「エッチはー?」

「喧嘩第一!」

「んもー、男ってこれだから!」

 女性もまた形を崩し、どこかへ消えていった。

 残ったのは、二匹の魔物。

「結構動けるな、オーク種にしては」

「速いッ!?」

 通常のスライム種は基本的にそれほど俊敏ではない。獲物を捕食する際は待ち構えて取り付き、呼吸を奪いつつ自らの体内で消化して殺すのが常套手段。対策が無ければそもそも勝負にもならない種族。苦手とする魔族は少なくない。

 だが、このスライムは速いのだ。

「はい、捕まえたァ!」

「なっ!?」

 そして巧い。気づかぬ内に身体の一部を切り離して、其処にゼンを誘導したところを捕食する。計算されつくした立ち回り、相当の場数を踏んでいることが見て取れた。

「ほいじゃ頂きまーす」

『相棒!』

「……ああ!」

 どぷり、素早い動きでゼンは飲み込まれてしまう。対策が無ければ勝負が成立しない相手。喧嘩がしたい男としても自身の特性はあまり好きにはなれなかった。本当は正面からバチバチに殴り合いたいのだ。ただ、手抜きをしてそうなるのは違う。

 それは魔族としての美学に反する。だから――

「ごぼごぼぼぼ(エンチャントソード)」

『あちちのちってな!』

 男は笑った。体内で爆ぜる炎が身を焼く痛みに。

「いっでええ!」

 即座にゼンから離れ距離を取る男。ゼンの手に握られているのは炎を纏う剣。どうやって取り出したのか、どこにあったのか、それは男にとってはどうでも良いこと。大事なのはこれでスライムの強みが潰されてしまった、わからん殺しが出来ないという一点のみ。

『希少種だからって魔界にゃそれなりの数がいるんだ。対策くらいしてるに決まってんだろバーカ。大した武器じゃねえが、炎はスライム最大の弱点だ。結構効くだろ?』

「いやあ、良いねぇ。これで、喧嘩になるってもんだ」

『ほえ?』

 何故かテンションが跳ね上がる敵にギゾーは目を丸くする。彼に目は無いが。

「その工夫、イヴリースのヒト交じり、か。一回やってみたかったんだよなァ」

「……炎相手にスライムでは――」

「俺の名はスラッシュ。種族最強、ゆくゆくは魔王の座を目指すもんだ」

 スラッシュと名乗るスライム種の男は笑いながら、拳にオドを集中させ、自身の形態を変化させる。青味がかった色合いが、赤く、硬質化して――

「ふんがァ!」

『相棒、あの野郎、馬鹿だが強いぜ。一部だが、スライムの弱点を克服してやがる。まあ、特性も犠牲にしてるのはなんだかなあって感じだが』

「最初からわかっている。スペックは魔人クラスでも中位だが、技巧も加味すれば、上位だ。侮って良い相手ではない」

「いっくぜー!」

 スラッシュの突貫。先ほどのような音の無い動きとは異なるが、速度は完全にこちらの方が上。爆発的な加速は流体の特性を残しつつ、その弾性を活かすことで生まれたのだろう。スピードはゼンよりも遥か上。

「しっ!」

 だが、対応できない速さではない。ゼンはエンチャントソードでその拳を迎え撃った。

「ハッ!」

『さっき言ったじゃん! 克服してるって!』

 ギゾーの言葉と共にエンチャントソードがへし折れる。弱点を突くための装備であり、耐久性などの剣としてのスペックは難がある兵装。だからこそ容易く出せる利点もあるが。今回に関しては完全にそれが裏目と出た。

「一応確かめたん、だ!」

「お、やっぱいい動きだ!」

 スラッシュの拳の追撃をかわしながら何とかかわすゼン。

「結構場数踏んでるなァ。オーク種でこんだけ動けるってのは中々いないぜ」

「スライム種でこれだけ動ける相手も初めて見る」

「そりゃあどうもォ!」

 スラッシュの猛攻。ゼンはそれをかわし続ける。

「そろそろ限界だろ!?」

 均衡の揺らぎ、それを見逃す手合いではない。

「そこだァ!」

 姿勢の崩れたゼンに向かって伸びるスラッシュ最強の一撃。

 紅き拳がゼンを捉えんと――

「ごぶっ」

 拳はゼンの鼻先でぴたりと止まった。

「テメエ、どこに、こんな、隠し玉を」

 スラッシュの腹を貫くエンチャントソード。相手の攻撃が到達する直前で再発現し、カウンターの要領で敵を穿つ。炎を克服したのは拳のみ。それ以外は、スライム種であることから逃れることは出来ないでいた。

 種族の特性、相手によっては無敵であるがゆえの脆さ。

「悪いな」

「戦いに良いも悪いもあるかよ!」

 絶体絶命でも最後まで闘争本能の赴くままに拳を振るうスラッシュ。その前に、ゼンは剣を横薙ぎに、スラッシュの胴を断ち切った。切断面から発火し、断末魔の声を上げるスラッシュ。敵ながら見事な末期であった。引く姿勢は一度として見せず、種族の欠点すら飲み込み戦い抜いた。

『往こうぜ相棒』

「ああ」

 ゼンはガープの眼を手に、宝物庫を出る。しんみりとした空気感、短くも激戦であった。武人との激闘に心地よくも寂寥感を覚え――

「あ、いたいた。何だ生きてんじゃん。次俺な」

「スラッシュ負けたん? やるねえ侵入者」

「おい順番守れや」

 宝物庫の前に出来ていた長蛇の列。どいつもこいつも武闘派です、という顔つきであり種族も上から数えた方が分かりやすい連中ばかり。

『マジかYO』

「マジかよ」

 さすがのゼンも白旗を振る以外選択肢が思いつかなかった。

「んもー彼氏が負けるなんて超最悪ー」

 ゼンの背後で燃えているスラッシュに水をぶっかけるスラッシュの彼女。「お、生きてたラッキー」と燃えカスのスラッシュが蘇った。

「おーし、俺とやるかー」

『めっちゃ強そうなの来たな』

「見れば、分かる」

 この中では小柄だが、明らかに飛び抜けた実力。殺気を向けられているわけでもないのに肌を突き刺す危険度。オドの厚みが違う。空気感が、重さが、違う。

「あーあ、アバドンか。ご愁傷様。生き残ったら俺ともっかいやろうぜー」

 ボロボロのスラッシュがどんまいとばかりに声をかけてきた。大きなお世話である。

「最大戦力で行く」

『だな』

「『魔獣の鎧(クティノス・アルマ)』」

 漆黒の鎧を身にまとい――

「『真紅の剣(エリュトロン)』」

 真紅の剣を二対、その手に握る。

「おっ、何だこいつ、イヴリース製か? 面白いじゃねえか」

「俺の時、出し惜しみしてやがったな畜生!」

 テリオンの七つ牙を除けば最大戦力である黒と赤の兵装。全戦力を投入し、障害を排除、活路を見出す。ゼンの咆哮がベリアルの軍勢に響いた。

 アバドンがにやりと笑う。

「良いね、戦いって感じだ」

「押し通るッ!」

 両者、衝突する。


     ○


『で、捕まったわけよ』

「……ちょっと強過ぎたな、あれ」

 牢屋にぶち込まれたゼン。「結構面白かったぜ。回復したらまたやろうな」「次は俺だっての」「俺にもリベンジさせろ。次手抜いたら殺すぞオイ!」などと好き放題言われてこのザマである。

『まあ気に入られてなきゃ殺されてたし結果オーライだろ、たぶん』

「そう思うことにする」

『ったく、ま、他の連中も馬鹿みたいに強かったし七つ牙を温存したのは英断だったと思うぜ。全員まとめて仕留められなきゃジリ貧だしな』

「ああ、気持ちの良い連中で助かった」

『唯のバトルジャンキーだろ、全員漏れなく』

 ゼンは周囲の様子を窺う。牢屋番は例によって不在。抜け出す想定をしていないのか、抜けだしたら抜け出したで戦えるからラッキーとでも思っているのか分からないが、警戒は依然として薄いままである。

 ただし、牢の造りは厄介であった。魔力を通さない石で出来ており、力づくでの突破は不可能に近い。手枷も同じ素材で出来ているのか、魔力が通る気配すらない。

 当然と言えば当然だが魔族を監禁するための用途。力での突破は難しい。

『でも、俺っちがいるわけよ』

「ああ」

 しかし、魔術を封じられたわけではない。使えるのであれば――

『鍵穴に合わせて鍵を作るだけの簡単なお仕事よっと』

「便利だ」

『神造兵装よ俺ちゃん。当然でしょ』

「ジョークグッズだけどな」

『ひぃん、相棒がいじめるー』

 あっさりと手枷を外し、立ち上がるゼン。牢も同じように解錠し突破。応用力ならば魔族の中でもトップクラスであろう。大半がギゾーのおかげであるが。

『さて、どうしたもんかね。さすがにガープ周辺は警戒、しねえかあいつらは』

「しないな、たぶん」

 バレないように侵入してガープの眼を入手する。やるべきことは明白である。

「にゃ!? どうやって脱獄したにゃ? ミィも出してにゃあ!」

「向かいの牢屋にも別の魔族がいたのか」

 ゼンの世界では猫娘と呼ばれた妖怪を思い浮かべるような造形。猫と人を混ぜたような外見であり、見た目の雌雄は雌に見受けられた。魔族の場合当てにならない面はあるが。

『お、カワイ子ちゃんだぜ。こりゃあ恩を売っとくべきだ、好きだったろ、ラブコメ。ワンチャンあるぜお――』

 ゼンは左目を瞑りギゾーを黙らせた。

「だーしてだしてだーして、だーしてだしてだーして」

「煩い」

「このままだと殺されちゃうにゃあ!」

「それは、可哀そうだな」

 ゼンは軽々に判断してしまう。彼は現在偽善者と言う名のお人好し街道をばく進中であり、特に考えも無く手が届く範囲であれば伸ばしてしまう生き方と成っていた。

 今回は――それが裏目と成る。

「にゃははははは!」

「……何故かついてくるぞあれ」

『来たな、ラブコメの波動が』

「静かにしろ」

「わかったにゃ!」

『りょ!』

 しかし五分もしない内に――

「にゃはははは!」

『ウェーイ!』

「煩いッ!」

 敵地真っただ中、獅子身中の虫を抱えたゼンの未来は如何に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る