第1章:一球入魂

 サラは空から舞い降りた希望と墜ちる魔王、それを成した人物を見てほほ笑んだ。やっぱり自分の憧れは間違っていなかった。あの背中こそ、自分が目指す先。格好いいと、心から思う。

 諦めなければ想いは届く。

 サラはぎゅっと、小さな少女からもらったボールを握り締めた。覚悟を胸に秘めて――


     ○


「ライブラ、無事だったか?」

「見ての通り、と言いたいところだけど。見た目だけ、中身はスクラップと思ってくれ」

「わかった。だが、援護はくれ。今の奴なら、多少は通じる」

「……だからグロム、か」

『当てられる速度を考慮した結果だけどな。他はたぶん、素面じゃ当たってくれねえだろ』

「承知した。存分に、暴れてこい!」

「ああ」

 ゼンは外壁から跳躍して、地に降り立つ。見据えるは魔王アンサール。弱れども相手は遥か格上。本来は挑戦することすら出来ぬ怪物の中の怪物。

『お? そっちか? 強気でドン、良いね、俺好みだ』

「ここで勝ち切る!」

「『クティノス・アルマ、エリュトロン』」

 異形の鎧と真紅の魔剣が顕現する。そして――鮮血にも似たオドを漏らし加速した。

「だ、駄目です! 王クラスにその速度じゃ」

 ニールが停止するように声をかけるも、ゼンは無視して突貫する。誰もがアンサールが粉砕し、ゼンは臓物をぶちまけ絶命すると、思った。

「……なめるな劣等ッ!」

 アンサールの拳が轟く。されどそれは、知覚の範囲内。ゼンはかわしながら、体を回転させ伸ばされた腕を勢いそのままに駆け上がった。攻防一体の鎧、触らば当然――

「ぐ、ぉ!」

 浅い傷であるが、毛を刈り取り、薄皮を削ぐ。そして真紅の魔剣、その一撃はこれまた浅いが、アンサールに血を、流させた。

「……傷、だと」

 先ほどまで絶望に打ちひしがれていた者たちは、信じがたい光景を見ていた。魔王アンサールと魔人ゼンの戦い。決して、知覚の外ではない。決して、間に立ち入れぬレベルではない。そこで、ようやく彼らは理解に至った。

「勝つぞッ!」

 ゼンの咆哮。誰に向けて言ったわけでもない。ただ、自分を鼓舞するための掛け声でしかなかったかもしれない。だが、それは間違いなく、この場全員に響いた。

「魔術展開! ありったけをぶち込めェ!」

 ティラナの王、その全力がアンサールにぶつかる。今までであれば小動もしなかった。そもそも当たってくれなかった。なのに今は、今までの速力から考えても、あまりに遅く、その巨体は、王の一撃でかすかに、揺れた。

「王に続けェ!」

 ティラナの魔術師、全員の、ありったけ。それは豪雨のごとくアンサールに撃ち込まれていく。一発一発、大したダメージではない。されど、無ではなかった。もう、ゼロではないのだ。ならば、そこに意味はある。

「カス、どもがァ」

 アンサールの咆哮。オドをまとったそれは都市を削る一撃。未だ魔王は健在、それを知らしめるための武威。さあ、慄け。破壊の前に膝を屈せ。

「させません!」

 阻むは、土の壁。外壁の手前に展開されたそれは、アンサールの一撃を阻み崩壊する。

 そして、その背後からやはり絶え間なく降り注ぐ、魔術の雨。

「ニール・スミスゥ!」

 激怒するアンサール。まとわりつくゼンを振り落とし、ニールに向かって突貫した。多少の損耗など度外視。まずは敵の要であるニールを落とす。もっと早くに殺せばよかったと、思う心を潰し、魔王は超スピードでニールの前へ――

「これが今の、貴様の最大戦速ならばァ!」

 ここでニールは、初めて死地に身体を投げ出した。便利で万能、ゆえに必要としなかった一つの特性。自分の土弄りは、身体に近い方が多少効果を増す。

「貫け!」

 土の槍。必殺と呼ぶには派手さはない。先ほどまでであれば鼻で笑いながら粉砕されていただろう。だが、今は違う。あの雷に撃たれた、今の魔王であれば――

「が、ぐはァ」

 相手の速度すら利用したカウンターの槍。アンサールの腹を貫く。

「こざ、かしい!」

 アンサールは突き立ったそれを破壊し、再度ニールへと拳を向けた。アストライアー第十位、ニール・スミスは、此処で防御でも、回避でもなく、拳に合わせた攻撃を選択。決死の覚悟、ここでやらねば何が英雄か。

「アンサァール!」

「しゃらくさいわァ!」

 再度展開した槍ごと、ニールは吹き飛ばされ、外壁に叩きつけられた。殺した手ごたえ、アンサールは微笑む。確かにダメージを負った。だから、どうしたと言うのだ。

「俺様には超回復がある。多少の傷、さして問題ではない!」

 すでに治癒を終えつつある腹の傷。拳の怪我も、すぐに治る。

「勝てんよ、貴様らでは」

 敵の心を折った。今度こそ、奴らは絶望に目を曇らせて――

「……何故だ?」

 外壁に叩きつけられ、血を吐くニールは笑みを浮かべ、中指を立てる。

「くた、ばれ」

 その笑みの向こうで、土煙が晴れた時、アンサールは知る。

「影か!?」

 ライブラが接近戦を敢行した際、設置していたアンサールの影、そこへの『影穴』。勝つ気構えで臨んではいたが、勝てない場合も想定はしていた。そのための、ただ一度、不意を衝くためだけに、頭だけになっても演算処理を続け、残していた布石。

「『削ぎ墜ちろォ!』」

 鎧を解除し、剣を解除し、手にはテリオンの七つ牙が一つ、『グロム』。

「や、めろォ!」

 ゼンの一射。アンサールは、顔を大きく歪めながら全力で、恥も外聞も捨てて回避した。三度射られただけで、あれだけの無敵を誇った己が揺らいだ。四度受ければ、どうなるのか自分でも想像がつかない。超回復でさえ、明らかに治りが遅い異常。もう二度と――

「外してんじゃ、ないわよ!」

「あっ――」

 アリエル・オー・ミロワール。その能力は、水鏡。、つまり、反射である。

 ずどん、先ほどニールが刻み込んだ腹の傷、治りかけの其処に、グロムの雷が突き立った。またも、絶叫するアンサール。今までにない痛みが、異常が、体を痛めつける。

(だめだだめだだめだだめだだめだだめだまだめでだめねだ!?)

 混乱し、困惑し、そして――悪意の王はこの場での最善を取った。

 天への離脱。もとより、彼に誇りなどない。この選択に惑いなどなかった。

「逃げるなッ!」

「くっ!」

 ゼンの二の矢、それは大きく外れる。

『相棒!?』

「くそ、当たらなかったか!?」

『眼か。クソ、そりゃ、そうだよな。無事じゃ済まねえよ。わかってたことだ』

 されどこのタイミングは、致命。

 アンサールは飛ぶ。翼をはためかせ、大地から飛び立つ。すでにこの場に不死鳥はいない。弱っているとはいえ、空を舞える者がいなければ、其処こそが真の安全地帯。そして、体を癒し、再起を図る。癒えたなら、今度こそ真の絶望をこの地に――

「くっそォ!」

 魔術すら届かぬ高度。アンサールは笑う。これこそが王の力。こうでなければならない。凡夫の力など、届いては成らぬのだ。王に比肩することなど、あってはならない。

 あのような『記憶』、間違っている。

 王は笑う。その声が全天に響く。地を這う虫けらよ、貴様らには届くまい、と。

 誰もが再度絶望する。悔しげに、それを噛み締める。


     ○


 ただ一人を除いて――

「ごめんね。助けてあげられなくて。ごめんね、格好悪いところばかり、見せてしまって。もう一度だけ、私にチャンスをください。もう一度だけ、私を見ていてください」

 小西 咲良はゆっくりと息を吐いた。

「私の全部、この一球に」

 力を抜いた、いつものルーティン。違うのは右か左か、それだけの差。立ち上がった日から、こっそり練習していた。左でも投げられるように。自分は練習せずに投げられるほど天才じゃないから。だから、練習を重ねた。僅かな時間だけど、全てを賭して。

 この一球のために。この瞬間のために。

 彼女の能力名は『一球入魂』。彼女が名付けた、彼女だけの能力。

 ゆったりとした動作。自分の中にある重さを意識して、それをコントロールして、力むのは最後の、刹那だけでいい。全てが其処に結集する。指先の、先の先へと。

 ティラナに地上の星が生まれた。それほどの、輝き。

「私の真っ直ぐは、ホップ、する――」

 投げ終わった後、彼女は静かに息を吐いた。嗚呼、空が見える。気のせいかもしれないけれど、分厚い曇天の先に、きれいな青空が、其処を走る流星が、見えた。

 見てくれたかな。星と成った不出来な、だからこそ想いの詰まったボールに、願う。


 雲が消し飛んだ。あまりにも凄まじい一撃に、誰もが声を失う。

 小西 咲良の一撃が魔王を上空で捉え、胸を貫き、その両翼を根元から引きちぎった。魔王すら茫然と、事態が呑み込めていない。錐揉みして落ちる己が信じられない。

 青空にくっきりと浮かぶ、墜ち征く魔王の姿。

 小西 咲良の流星が天を衝く。

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