第1章:獣、吼える

「敵は我がティラナ王国の都市、町、村落を、根こそぎ滅ぼす気だ。此処まで逃げ果せたティレクの民に文句を言うつもりはない。だが、だが、このままでは――」

 ティラナの王はうな垂れる。本音を言えば今すぐに出て行って欲しい。ティレクが壊滅し、それで敵が満足してくれていたなら、ティラナと言う国自体は此処まで傷つかずに済んだ。ティレクで英雄が、ニールが、死んでくれていたのなら。

「ティラナ王国は滅びる。そりゃそうさ。滅ぼす気なんだもの」

「魔女め。何を笑っておる!」

「陛下、何を甘っちょろいことをおっしゃっている。ロディニア王国連盟に加盟した時から、戦う覚悟は出来ていたはず。傷つく覚悟も、です。これはそもそも貴方方、この世界の人族が起こした戦いでしょう? それがなぜ今になって泣き言を言っているのですか?」

「く、元はと言えば貴様の造物主、ロキが人族を煽って――」

「乗った国の中にティラナもあったでしょうに。今の状況、文句が言える国は最後まで反対の姿勢を貫いたロディナのみ。因果応報です、陛下。民にとっては、納得し難い因果でしょうが。それとも公表しますか、誰のせいでこうなったのか、を」

「……そ、それは」

 王侯貴族のみが知る因果。それを晒せば魔王の軍勢を待たずに人は滅ぶだろう。責任追及と擦り付け合いによって。人々はこの地獄の原因を許せるほど寛大に出来ていない。

「時間の無駄だ」

 ゼンは一人退出しようとする。

「対策を立てなければいけない。ゼン、君も――」

「俺に出来るのは身体を張ることだけだ。戦場で時間を稼いでくる」

『ま、そうなるわな。つーわけでひとっ走り行ってくるわ』

「走るのは俺だがな」

『固いこと言うなよ、相棒』

 病み上がりでもなお、ゼンは戦場に赴こうとする。誰も彼も心が折れかけていると言うのに、クズとして、素材として召喚されて怪物にされた男だけが、当たり前のように立ち上がり、当然の如く戦場に向かわんとしているのだ。

「……あんたは王が怖くないの?」

 アリエルが問う。彼女もまたこの逃避行を経て、折れかけた一人だから。

「怖い。だが、それ以上に怖いモノを知っている」

「あれよりも怖いモノって何なの?」

 ゼンは一拍置いて考え込む、そして苦笑いを浮かべながら口を開く。

「人の眼に映った俺、だ」

 意味不明と誰もがぽかんとする中、ゼンはそのまま退出してその足で戦地に向かう。

 奪う時の己の貌。アストレアの瞳に映った己が、未だに忘れられない。

 罪悪感から逃げるために男は戦う。


     ○


 一つの街を滅ぼす。

 言葉にしてしまえば容易い。一行も必要なく、歴史書に載ることもない。たかが千人ぽっち。いったい誰が顧みるというのか。だが、手を下したものは覚えている。自らの手に付いた血。べっとりとこびりついて離れない、臭い。

「よお、遅かったな」

「……イチジョーか」

 忘れられない呪い。

「見ろよこの積み重なった死体の山。その上に座る俺は、悪魔に見えるか?」

 それがなくとも自分たちのような弱き者は忘れない。ずっと残っている。この世界に召喚される前、チンピラをこじらせ、行きつくところまで行って、とうとう人を刺した、あの感触が。目に焼き付いている。その時の顔が、倒れ行く人の姿が。

「……悪魔はそれを問わない」

「ああ、ちげえねえ」

 藁にもすがる思いで、蜘蛛の糸を掴んだ。その結果が、蜘蛛になるという笑えないオチ。一人すら、同類のクズの死すら直視できなかった男が、殺しに殺したり、躯の山。数えるのが億劫になるほどの躯の数。それでも数えられる。そういう呪い。

「タバコがな、味、しねえんだ。どんなに悪い時でも、これさえあればどうにかなった。この世界にも似たようなもんあって、さすがに味は違うけど、それでも、救いだった。今はもう、味が、しねえ。どんな味だったかも忘れちまった」

「そうか」

 目の前の男も同じ。同じクズの匂いがした。

 きっと、だからあの時声をかけたのだろう。それなのに、こんなにも自分たちは異なった。正義と悪、対極の立場になった。

「ならば、終わらせてやる」

 逃げた男は、逃げた先からさらに逃げ、逃げて逃げて逃げて、気づけば前を走っている。遥か彼方を、地獄から逃げるために地獄へ突っ込んでいくという矛盾。

「はは、クズに同情されるようになったら、俺も終わりだな」

「そうだな」

 もはやそれは逃避ではなく、前進である。自分がこうなれる道はあったのか、ここ数日幾度も己に問うた。その度に、男は首を振る。こう成れない、と。

「国栖 一条(くず いちじょう)、俺の名だ。お前は?」

「葛城 善」

「はは、クズの倍付。つくづく、同類か。なのに、どうしてこうも違うのかね」

「同じだ。俺もお前も。逃げた先が違っただけ」

「全然ちげえよ。俺は逃げることすらやめた。得意だったはずなのにな、逃げ方、忘れちまった。もういいだろ。さっさとやろうぜ。王は来ねえ、山向こうにいるからな」

 もう終わりにしよう。ずっと前から限界だった。偽悪、取り繕ってきた仮面が、もう保てない。罪悪感を抱く資格もないのに、ずっと脳裏から離れないのだ。

『……貴方に、人の心は、ないのですか?』

『……ねえよ』

 殺した親娘。あの嘘が、ずっとこびりついている。

 もう、無理だ。


     ○


『相棒、あいつ、つえーぞ。完全に、理性を手放しやがった』

 眼前に現れるは蜘蛛の魔獣。漆黒の八足、四方八方を睨む八つの目。その眼は血のように紅く、そこに理性は欠片もない。ただ、生物として備わっている殺戮衝動、破壊衝動に身をゆだねた、怪物が其処にいた。

「魔獣化の行きつく先は先祖返りだからな。力と理性のトレードオフ。倒すか倒されるまで、止まらない。悪いなギゾー。こいつは、俺が止める」

『無茶すんのか。王との決戦を前に。まあ、止めねえよ、俺は。あいつが相棒に終わりを求めたように、相棒もあいつに何か感じてるんだろ? 好きにやれ、お前の人生だぜ?』

「ありがとう、相棒」

『よせよ、マジなのは照れる』

 葛城 善もまた魔獣と化す。目の前の怪物に比べれば矮小な存在。種族差が其処に広がっていた。どうしようもないほどの差。だからこそ工夫するという発想が生まれた。出会いも、運が良かった。オーケンフィールド、ライブラ、彼らとの出会いで道が生まれた。

 自分一人では到達し得なかった現在地点。運が良かった、男はその差でしかないと思う。

「全部、出す」

『あいよ。対魔人用決戦兵装、フルアーマー相棒、だぜ』

 テリオンの七つ牙が対魔王用であるならば、この異様こそ魔人クラスに対する最大戦力。

「『魔獣の鎧(クティノス・アルマ)』」

 漆黒の重装甲。全身を黒き鋼が守り、紅き眼以外すべてが覆われている。野獣然としたフォルムであり、重々しい雰囲気に反して躍動感のある形状。全体的に鋭利であり、実際に全身の至る所に刃が仕込まれた、攻防一体の鎧。

 人が魔獣に対抗するため、魔獣と成る道を模索した成れの果て。全身に牙を搭載し、硬い装甲と獣の機動力を両立させたが、使用者に多大な負荷をかけるため隠匿された魔鎧。

「『真紅の剣(エリュトロン)』」

 紅き剣。扱うは闇に堕ちたドゥエグの名工が鍛えし魔剣。抜群の切れ味を誇るが、使用者の血を吸い、敵の血をも吸うため、魔剣として恐れられている。双方の意味で騎士殺し、最終的には敵も味方も殺す、悪意によって生まれた存在である。

 それを二対、クティノス・アルマとエリュトロン二振り、それがテリオンの七つ牙を除く最大戦力。最大火力こそアステールに譲るが、一騎打ちならばこの状態が一番強い。

 前述の通り、対価はあるが――

『何事にも対価はある。分不相応な力を求めたんだ。おかげで雁字搦め、あっちもこっちも縛りが多くてやんなっちまう。でもよ、そのおかげで、阿呆ほど修羅場は潜った。こっちでの偽善行為、俺の対価による魔界でのおつかい。何度も死にかけた。きっと、明日も明後日もボロボロだ。まともじゃねえよ』

 二匹の獣が咆哮する。互いの武威を示すかのように。片や力のために理性を捨てた。片や力のために痛みを抱えた。もはやそこに正気はない。

『もう、互いに理性は残ってねえだろうけどな、だからこそ、あえて、言うぜ』

 同時に、動き出した。もう、行きつくところまで行かねば、止まらない。

『相棒は、葛城 善は、強いぜ』

 獣、吼える。

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