第1章:平穏崩壊

 ニールが敵拠点を完膚なきまでに粉砕して三日後、ティレクでは市長の計らいで祭りが開かれていた。魔王軍の脅威が去って、人々の顔に笑顔と覇気が戻る。明日への希望が少しずつであるが湧いてきた。

 それを後押しするための祭りである。

「ゼンさん、何処に行ったんだろう?」

 サラはゼンと見回りと称して祭り散策を企てるも、肝心のゼンが見つからず途方に暮れていた。アリエルは小脇に沢山の食べ物を装備しながら、魔術を用いた大道芸や見世物小屋などを興味深そうに一人散策する。実は彼女、市井のお祭りと言うものに参加したことがなかったのだ。誇り高き貴族は民衆の娯楽に迎合しない、というお家柄があったため。

 本人は、実を言うと興味津々であったのだ。

 子どもたちが目を輝かせている中、一人突き抜けた身長の少女もまた目を輝かせる。


     ○


「おや、こんなところにいましたか」

『おうおう、メガネ君じゃねえの。おつかれちゃーん』

「まったく、品の無い道具です。この世界の神々の品性を疑ってしまいます」

『安心しろ。碌なのいねえから。完全な生命を目指して創られた連中なんてのは、よ』

「意味深ですね」

 ティレクの外壁に座り込み、外を警戒していたゼンの隣にニールが現れた。

「何か見えましたか?」

「いや。お前も警戒しているのか?」

「当然でしょう。皆が浮かれているからこそ、指揮する側は冷静であらねばなりません」

 穏やかな景色である。雲一つない空は突き抜けるような青色を浮かべ、燦々と降り注ぐ陽光は人に活力を与えてくれる。絶好のお祭り日和、ゆえに――

「……奴の言っていたこと」

「お祭り、ですか」

『あんま関係ねえと思うけどな。このタイミングで人が祭りを開くなんてやっこさんらにわかるわけねえだろ? 別の意味で、何かの暗喩ってのが正しいと思うけどよ』

「私もそう思います。しかし――」

 ゼンもニールも、敵は外からやってくると思っていた。今までの魔族、魔王軍は皆そうしてきたし、そもそも結界や探知魔術が張り巡らされている都市の内部に忍び込まれるなど考えもしない。されたとしても数匹、何の問題も無いはずであった。

 凄まじい爆音が二人の背中で炸裂する。

「な、なにが!?」

「ッ!?」

『おいおい、あそこ、広場のど真ん中だぞ!』

 立ち上る土煙の高さに、ゼンとニールの警戒は振り切ってしまう。

「顕現、ワイバーン!」

 城壁の石が形を変え、ちょっとした大きなの飛竜と化す。

「乗ってください。貴方でもいないよりはマシでしょう!」

「ああ、わかった」

 嫌な予感が的中した。そしてそれは在らぬところから現れたのだ。自分たちの腹の中、知らぬ間に、入り込まれていた。それが爆発し、希望にひびが入る。


     ○


「ふーん、ふんふーん」

 男は平和を謳歌する人々を見て気持ち良く鼻歌を刻んでいた。

「ふふふーん、ふふん」

 誰も彼もが笑顔を浮かべている。活力がみなぎっている。こうして近くにいるだけで元気が湧いてくるのだ。男も自然と笑顔に成る。こんなに素晴らしい景色は無い。まさに平和、健やかなる非日常の風景。

「ふんふーん」

 お祭りというのは素晴らしい。

「ふーん」

 人はもっと素晴らしい。

 だから――

「ふん」

 愛そう。自らのやり方で。

 男は無造作に地面へと拳を突き立てる。そして、大爆発と共に地面が、十字に裂けた。


     ○


 サラは自らが置かれた状況を整理することが出来なかった。こっちの世界ではファン第一号である少女が、お手製のボールを作って手渡してくれたのだ。

『英雄さん。がんばってください』

『ありがとう! わざわざ作ってくれたんだ。嬉しいなあ』

『わたしも英雄さんみたいに、お星さまをびゅーんって投げられますか?』

『もちろんだよ! 私も昔、憧れの人がいて、その人を目指してここまで投げられるようになったから。私は小西 咲良。貴女のお名前は?』

『わたしはね――』

 今、彼女の目の前には何もない。手には不格好だけど手間をかけて、時間をかけて作ってくれたボールが一つ。何もない空間、足元には、小さな手が――

「う、そ?」

 先ほどまで誰もが笑顔であった。皆が祭りを楽しんでいた。

 それなのに今、ティレクは十字に裂かれ、人々は呆然と立ち尽くす。一瞬で失われた人々に思いを馳せる暇すらなく。ただ、ただ奪われた。

「あ、ああ、ああああああああ!?」

 サラは、この世界に来て初めて、明確な死を眼前に叩きつけられた。


     ○


「何故だ! ありえない。僕の探知魔術すらすり抜けるなんて」

 ライブラは爆心地に辿り着き、自らの、この世界の人々の想像を超えた悪意を目の当たりにする。そこには一人の男がまるでお手玉にでも興じるかのように大小、様々な年齢層の人間、その頭部を玩んでいた。

 だが、問題はそんなことではない。

「……貴様か。はは、よく、そんなことを思いついたもんだね」

 男はライブラを視認するとにんまりと歪んだ笑みを浮かべた。実際に顔が歪んでいる。何しろ、顔の下に別の顔があるのだから。

「やあやあ、初めまして機構仕掛けの魔女よ。先日は部下がお世話に成ったそうだね。イチジョー君も寒かったと言っていたよ。ただ、魔族は風邪をひかないし、体調を崩すことも無かった。ああ、とても幸運だったということだ。素晴らしいことだろう?」

「魔族に成ると悪意も増すのかな?」

「そんなことはないぞぉ。少なくとも俺は、昔から変わっていない。そんなに脆弱に生まれていないのだ。魂が重いから、な。ふむ、しかし、何故そんなに怒っている?」

「人の皮を被って探知魔術をすり抜けた悪魔相手に、怒るなと?」

「ああ、そのことか。俺はドレスコードに則っただけだ。人の領域に踏み込むなら、せめて格好くらいは人に寄せておこうと思案し、一張羅を着てきたのだが、お気に召さなかったかな? それとも、ずさんなセキュリティ担当として責任追及を恐れているのか? であれば俺が太鼓判を押してやろう。なに、何処の都市もこれだけで忍び込めた。君は悪くない。悪いのは、意識の低い社会そのものだ。平和ボケ、というやつだな、うん」

 憤怒の表情を浮かべた騎士たちが続々と爆心地に集まって来る。男は笑顔でそれらが揃うのを待っていた。忍び込んだ割に堂々とした立ち姿。囲まれることを何一つ脅威だと思っていない。大口を開けて頭を食し「新鮮な脳はうまし」などと周囲を煽る始末。

「テメエ、よくもこの世界の人々を。許さんぞ!」

 ニールの部下である男の一人が叫ぶ。抜き放つは能力をまとった剣。

「加速(アクセル)!」

 ぐん、一瞬で距離を詰め、男は怪物の足元まで高速移動。

「さらに、俺の剣は! 『加速』するッ!」

 二段階の能力発動。これで男は数多の魔族を屠ってきた。

「……やはり年寄りは旨くない。いかんなあ、舌が肥え過ぎた」

「な、に」

 超速の剣。魔族の男に接触した瞬間、凄まじい衝撃音と共に剣が折れた。男の手もあらぬ方向へ曲がっている。そして、対象である魔族の男は微動だにすらしていない。

「そんな、俺の加そきゅ!?」

 魔族の男が無造作に剣の英雄である男の頭部をもぎ取った。そして、食べる。

「悪くないが、召喚者は腹持ちが悪くていかん」

 もぐもぐと咀嚼し、げっぷを一つ。

「おっといかんな。紳士的によろしくない。え、と、ハンカチーフはどこにあったかな」

 ポケットからよれよれのハンカチを取り出し、血濡れた口元をふきふき、そうして男は信じられないモノを見る目で佇む戦士たちに眼を向けた。

「さて、俺の名はアンサール・アリ・シャッビーハ。アンサールと呼んでくれ。お察しの通り、王クラスというやつだ。君たちにとっては悪者、だな」

 とうとう現れた王クラス。あっさりと殺された剣の英雄はニールに次ぐ実力者であった。近接戦だけで言えばケースによってニールをしのぐことだってあったのだ。

 それが、あまりにもあっさりと殺された。

「ギース、貴方の死は無駄にしない。私が――」

「私が、どうするのかね?」

 誰の目にも止まらぬ速さで、アンサールはニールの部下である女性の隣に立っていた。優しく肩を抱き、何もせず、何も言わず、ただ接触しているだけで女性は失禁してしまう。あまりにも、違い過ぎた。肌を合わせたから、その圧に気づいてしまった。

「に、逃げ、逃げて、みんな!」

 絞り出した声は、それでも英雄としてあった。ギリギリだが彼女は英雄として――

「ふむ、甘美なり自己犠牲。まさに正義の味方、だな。では、良く見ておくと良い」

 アンサールは無理やり女性の首を捻って視線を背後に向けた。彼女が絶命する間際に見た光景は、アンサールの吐息で臓物を撒き散らす騎士たちの姿。殺戮の光景。それを最後に女性の眼から光が消える。そしてアンサールは当たり前のように女性の頭部をもぎ、ぱくりとそれを食べてしまった。

「牛と同じ。雌の方が旨い。知っていたかな、ニール・スミス君」

「知らん。そして、消えろッ!」

 大質量の石柱がアンサールの頭上から地面へと突き立つ。都市の外壁を削って生み出した石造りの柱。それに高圧を加え固めたモノを高速で地面に叩きつけたのだ。直径一メートル、長さは十メートルはあろうかという柱が、全て土中に埋まった。

 その破壊力たるや――

「これで死ぬとは思っていません!」

 普通ならこれで死ぬ。どんな生物でも何十トン、何百トン、何千トンにもなろうかという物質をぶつけられたなら致死。それでもニールは追撃の手を緩めない。

 飛竜から飛び降り地面に降り立つと両手を地面につけ、今までにない形相で力を込める。

「土中の圧を、舐めるなッ!」

 大地が波打つ。眼に見えないところで莫大な力が働いていた。

「ぐ、お、おおおおおおおおッ!」

 ニールの顔が歪んだ。

「どうなったんだ、ニール?」

 ライブラの問いにニールは蒼い顔をして答えた。

「力づくで土中を移動。私の拘束から逃れました」

 ありえない、そう言うニュアンスを含んだ言葉。必殺のつもりだったのだろう。相手を沈めた時点でニールは勝利を確信していた。彼は知っていたのだ。土砂の質量を、それが生み出す圧力を、其処に自らの力も加えた。どんな敵でも粉砕できるはずなのだ。

 それが理。物理なのだから。

「正門が砕けたぞ!」

 ティレクの正門、幾多の魔族を弾き返し、都市設立以来一度として破られていない門が、あっさりと原形も留めずに破壊された。もはや言葉も無い。

 これが王クラス。

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