第1章:ゼンの過去

 子供たちを引き連れてフェンの散歩に出かけたゼン。

 少女とライブラ、アリエル、サラの四人だけがこうして屋敷の中でくつろいでいた。

「お部屋は開いているところを使ってください」

「いえいえ、お構いなく」

「そうはいきません。ゼン様のお仲間であれば、私たちにとって大事なお客様ですから」

「そ、そうなんですね。あはは」

 乾いた笑いをこぼすサラ。目の前の少女はどう見ても美少女と言って差し支えない器量よし、であった。アリエルならば容姿で渡り合えるも、自分では勝てないとサラは落ち込む。そんな機微を知る由もない少女は笑顔のまま首を傾げていた。

「そう言えばこうしてゆっくり君と語らうのは初めてかな」

「そうですね。あれから慌ただしくて、休む間もなく色々ありましたから」

 ライブラと少女は笑みを浮かべていた。互いに思い出し笑い、対象は同じであろう。

「あの、ゼンさんとはどういう関係なんですか?」

 サラの唐突な質問。少女はゆっくりと考える。ゆっくり、じっくり、時折うんうん唸りながら、熟考を重ねる。質問したサラがもういいですよ、と止めたくなるほどの時間。

「……たぶん、どこまでいっても、あの人にとって私はあの子たちと同じ、自分が助けた内の一人、なのだと思います。助けてくれた人と、助けられた人、ですかね」

 少女は複雑な笑みを浮かべていた。本当はそうではなく、もっと別の関係を、そういう想いが透けて見え、さらに際立って見えるのはサラの気のせいであろうか。

「元々私は此処のロディナ・ルゴス出身でしたが、神職の修行のため、様々な地方に巡礼しておりました。ある時、町が魔族に襲われ、小さな町でしたので、ろくに抵抗も出来ず皆さん、お亡くなりに成りました。私もあわや、というタイミングで……ふふ、子連れの戦士様が助けてくれたのです。ゼン様とアストレアでした」

 思い出すのは地獄絵図。炎と殺戮に呑まれた地獄で、彼女は数人の子供たちを背に魔術で応戦していた。それも次第に消耗し、もはやこれまでと言うタイミングで、少女と言うよりも幼女を背中に括りつけた男が現れたのだ。

 決して桁外れに強いわけではない。素人から見ても、何と言うか工夫して一対多をこなしている印象。ヒーローとしては頼りないが、必死に戦い続けていた。手持ちの鉈が欠ければ、敵の武器を奪い取り、槍だろうが斧だろうが何でも使って勝利をもぎ取る様は、とても泥臭く、少女の眼にはとても格好良く映った。

「ゼン様は孤児に成ってしまった子供たちに来るか? と問いかけました。身寄りも無い子たちでしたし、何よりも彼らにとってもあの人はヒーローだったので、迷うことは無かったと思います。私も、その、修行中の身でしたが、少しでもあの人の、あの子たちの力に成れたらと、同行しました」

 少女はとても楽しかった記憶を掘り起こすように、笑みをこぼしながら語る。

「同じような境遇の町や子供は沢山いました。間に合わなかったことも何度もありました。あの人は私たちの前では絶対に弱音を吐かず、強く在ってくれました。絶望を目に焼き付けながら、立ち止まらずに手を差し伸べ続ける。その度に、少しずつ子供が増え、大所帯に成っていき、気づけば……首が回らなくなっていました」

「……良い話です。って、ええ!?」

「当たり前でしょ、サラ。あの馬鹿、本当に何も考えず助け続けたのよ? 食費は? 寝床は? 人ひとりじゃすぐに限界が来るでしょうに。ドのつく馬鹿ね」

 ムッとする少女。ケラケラと横で嗤うはライブラ。

「食料は狩りで確保してくれました。私も木の実とかキノコとか集めましたし、飢えさせることは無かったです。まあ、いずれはそうなっていたかもしれませんが」

「かも、じゃなくてそう成ってたの。で、オーケンフィールド様と会ったわけだ」

「僕も、ね。そうだね、初めての出会いも、当たり前のように人助けの最中だったよ。魔人クラスでも最下級のオーク種。魔獣相手でも強い種族なら普通に負ける。僕の見立てじゃ、うん、ゼンは勝てなかった。勝てる要素なんてなかった」

 それでもゼンは血を吐きながら見ず知らずの者たちのために戦った。ボロボロに成りながら、守るべき子供たちに見守られ、破綻寸前の状況であっても決して足を止めず、戦い続けた。刃折れ、拳が砕け、それでも最後は牙で砕いた。

 勝てないはずの相手に一矢報いてみせた。

「弱き者の足掻き、当時の僕はそれを見ても何も感じなかったけれど、オーケンフィールドは感動したらしい。人生最大の衝撃だったって言ってたものさ。結局、最強の英雄が魔獣をワンパンで沈めて終わり。其処からは英雄が東奔西走、彼女のコネも利用して、こうして子供たちは素敵な寝床と安定した生活を手に入れたとさ。めでたしめでたし」

「アストライアーを設立し、英雄たちを組織立って運用する。ロディニア全土からスポンサーを募って、運営費を工面し、その一部でこの屋敷のような施設を各地に……とてもすごいことです。英雄の中の英雄、オーケンフィールド様にしか出来ないでしょう」

「ゼンにはとても無理だね」

「はい。でも、私はそんな不器用なヒーローが好きなのです」

「……ふぉ!?」

「サラ、変な顔に成ってるわよ」

「……ひ、ヒーローとして、ですよ」

 真っ赤な顔に成る少女。だが、その朱色は次第に収まっていく。

 代わりに浮かぶ色は――

「ただ、あの人は自分をヒーローだなんて微塵も思っていません。偽善者、自分のは正義ではなく偽善だと、あの人は言い続けています」

 哀しい、憂いの表情であった。

「わ、私は正義だと思います! レバナでもあの人は勇敢に、自分の身を顧みず戦い、都市を一つ守りました。それは正義の行いです。其処に疑いの余地はありません!」

 サラはそれを否定する。彼は正義の人であると。あの時見た背中、圧倒された憧れの光景。あれが正義でなくて何だと言うのか。サラは憤慨する。

「私もそう思います。でも、皆がそう思うとは限らない」

 少女の眼に浮かぶ色合い。それを見てライブラはため息をつく。

「いずれゼン様自身の口から語られるはずです。あの人は、大人にそれを隠しませんから。自分の罪を。拭い難き血濡れた手を。ただ、子供たちには内密に願います。あの子たちにはまだ、ヒーローが必要なんです」

 罪、その言葉がサラたちの耳にこびりつく。およそ英雄には似つかわしくない言葉。

「あの人は、魔獣時代とても多くの人を殺しています。そして、最後に殺した人が、この施設にいるアストレア、彼女の両親です。そして、それをあの人は絶対に忘れない」

 彼を英雄と疑わないサラにとって最大級の衝撃であった。

「……それで偽善、ね」

「あの人の名誉のために言っておきます。魔獣と言うのは理性無き獣。上位種の命令は絶対、そして、前世の、ヒトであった頃の記憶は失われているそうです」

「その言い訳をあの男から聞かされたってわけ?」

「違います! あの人は一度も、言い訳しませんでした! 私は知っていただけです。私も、召喚士の卵ですから。異世界の事、彼らの事、知っていたんです。知らなければ、貴女と同じように軽蔑していたかもしれません。言葉足らずですから、ゼン様は」

 召喚士の卵と聞いて二人は見る目を変える。この世界における神職は多岐にわたるが、その中の一つに召喚士と言う職業があった。英雄召喚などの禁忌を犯さねば、本来は精霊と語らい、大地に問いかけ、人々を導く存在。だが、今のご時世では――

「そしてもう一つ重要なことがある。ゼンは自らが犯した罪を忘れない。忘れられないのさ。これは、シン・イヴリースの尖兵全てに共通する呪いだ」

「どういうこと?」

「理由は、推察するに二つある。一つは、枷だ。魔獣から魔人化すると前世の、ヒトであった頃の記憶が戻る。そうすると普通なら、こっちにつく魔人がいてもおかしくない。ゼンのように、ね。それが少ないのは、犯した罪を刻み込まれているからだ。お前は悪逆非道の行いをした、忘れるな、お前は悪なのだ、と」

 アリエルは眉間にしわを寄せる。サラは感情が追い付けていない。

「あのゼンでさえ、頭からっぽ男でさえ、今まで殺した全員を数えることも出来るそうだ。手口も含めて全部、覚えている。顔も、どんな表情をしていたかも、全部ね」

 ごくりとつばを飲み込むサラ。

「そう言う呪いなのさ。罪悪感を煽り人を縛る枷。悪趣味だろ? そして、もう一つだ。これは完全に僕の推測だが……たぶん、今のシン・イヴリースは彼らの苦悩を見て、楽しんでいるんじゃないかなって」

「飛躍し過ぎじゃない? いくら何でも、それは――」

「じゃあ何でそんな回りくどい方法を取る? それだけ強い呪いをかけるなら、もっと別の方法で従えればいい。服従させることだって出来るはずなんだ。そもそも記憶を戻す必要も無い。もし、そうだと仮定するなら色々辻褄が合うんだよ」

「あんまりですよ。そんなの、あんまりです」

「人の不幸を楽しむ根っからの悪。彼らの遊興のために、彼らは記憶を戻された。獣であれば見え辛い苦悩も、人の顔であれば映えるだろう? その苦悩を押し殺して、悪に染まるモノを見るのもまた一興。振り切ることが出来ないモノで、彼らは楽しんでいる」

「随分と詳しいわね、ライブラ」

「長く生きていると色んな者に会う。あくまで推測の範疇だが、こういう嫌な予測ってのは、大体当たる。嫌なことに、外さない自信しかないよ」

 あまりにも救いの無い予測。誰にとっても幸せは無い。被害者はもちろんのこと、加害者ですら罪を押し付けられて奈落に叩き込まれている。彼らは最初に逃げることを選択しただけ。どん底で垂れてきた糸に掴まっただけ。それだけなのに――

 楽しんでいるのは操り手たる男のみ。その名を、シン・イヴリースと呼ぶ。


     ○


『イチジョーさん。生き残りを連れてきました』

「あん? 何だって、クソ、こっちにいると魔獣の言語にチャンネルを合わせることが無くて聞き逃しちまう。あ、あー――」

 イチジョーと呼ばれた男はやってきた部下に眼を向ける。

『何て言った?』

『生き残りです。タケフジ様のところの』

『ああ、そうだったな。話を聞いておく。お前は下がって良いぞ』

『承知致しました』

 自分とは別種の蜘蛛。記憶無き兵隊を見てイチジョーは何を思うか。

 つらつらと語るオークの言葉。それを聞き流しながらイチジョーは煙草を吸う。こんな世界でも煙草はある。もしかしたら異世界人が似たモノを造りだしたのかもしれないが、過程になど彼は興味を持たない。頭の中ではいつだってあの映像が反芻されている。

『――何て言った?』

『え、と、だから、裏切り者のオーク種ですが、少し見覚えがありまして。おそらく、騎士殺しの、『隻眼』のギィではないかと』

『……ギィ、か。わかった、下がって良いぞ』

 久方ぶりの衝撃であった。

「生きていたんだな、坊主。ま、その方が不幸ってこともあるが……お前はどんな道のりを歩んできた? どういう思いで裏切った? 俺たちは王を知っているのに、何を思えば裏切ろうなんて考えられる? 何故、逆らおうなんて――」

 同期の少年。ほんの少し話しただけの関係。あの後は一度ニアミスしただけ。騎士殺しのオークが同期だと知り、腹を抱えて笑ったものである。魔獣クラスのオークが分不相応にも騎士を、しかも名の通った男の首を上げた。

 その大胆さとあの少年の記憶があまりにも重ならなくて、嗤ったのだ。

 嗚呼、お前も逃げられないんだな、と。

「まあ良いか、どうでも。どうせ何も変わらねえ」

 イチジョーは静かに紫煙を吐き出した。煙草は良い。嫌なことを忘れさせてくれる。ほんの一時であるが。それだけは昔も今も変わらない。

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