第23話 阿鼻叫喚
和馬の顔に、異様な変化が現れた。
濃い紫色の複雑怪奇な紋様と異界の文字が、額から顎、頬にまで浮かび上がる。
それだけではなかった。
和馬の拳から垂れ落ちた血が、まるで意思を持つかのように床を這い、禍々しい幾何学模様を構成していく。
「なっ……何だ? い、一体、な、何が起きている?」
藤堂の声が、驚きと恐怖で震えていた。
稀代の魔術師と称される彼にも、理解不能な事態が目の前で勃発しているのだ。
今にも葉月を毒牙にかけようとしていた男たちも、思わず動きを止めた。
熱を孕んだ重苦しい空気が、周囲を支配している。
「結城……お前、まさか……おい、『長老』! 何が起きた!?」
葉月のすがるような声に召喚された『長老』は、眼前の光景に絶句した。
「我が主よ、これは『門』でございまする……しかし、このような巨大な門を目の当たりにするのは、私めも初めてのこと……これは……まさに……」
「門だと!? そんな……」
和馬の足元に、自らの血で描かれたのは――人間界と魔界を結ぶ『門』だった。
しかもそれは、尋常なサイズではない。
和馬を中心とし、急速に拡大していく。
男たちが悲鳴をあげ、転がるようにして『門』から逃げ出す。
門から、眩い閃光が周囲に放たれた。
床から、幾重にも重なった金切り声が聞こえてくる。
ほどなくして、数え切れないほどの魑魅が濁流に押し流されるように門から溢れ出てきた。
そしてそのまま、和馬を囲むようにして、まるで何かの宴でも始まったかのように飛び跳ね、踊り回る。
建物全体がガタガタと揺れていた。
壁がきしみ、窓ガラスが割れる。
テーブルの上の実験器具が倒れ、液体とガラスが周囲に散乱した。
先程までの蒸し暑さがいつの間にか消え、底冷えするような寒気が漂う。
硫黄の臭いが、以前よりも遥かに増していた。
「やめろ、結城! このまま暴走したら、お前の身体がっ!」
葉月の懸命の叫びも、今の和馬には届いていない。
己が一体何に対して激していたのかさえ忘れ、ただ荒れ狂う怒りの塊と化していたのだ。
「ああ、私の研究室が……お、お前ら、戻れ! 私を守れ! 結城、何をする気だ、やめろ!」
動転した藤堂が、情けない声を漏らす。
呆然と立ち尽くしていた男たちが、魑魅たちに足を取られながら、怯えるようにして藤堂の周りに集まった。
藤堂の術によって生み出されていた青白い光も、すっかり消えている。
「結城!」
葉月が和馬に駆け寄ろうとしたが、足元から流れる強い風に押し流され、床に倒れてしまった。
だが、すぐさま身を起こすと、決死の表情で這うようにして前に進む。
「こ、これは……」
少しずつ這い進む葉月の聴覚が、床の下――魔界から伝わる声を捉えた。
無数の獣の如き彷徨に加え、地の底から響き渡ってくるような恐ろしげな声が聞こえてくる。
葉月は思わず生唾を飲み込んだ。
出現しただけで、この建物全てを破壊してしまうような巨大な魔族。
それが、和馬の開いてしまった門を通じて人間界に到来しようとしている。
恐らくその魔族にもこちら側に来る意思など無いだろう。
ただ、あまりにも巨大な門の力が、当人の意向とは無関係に呼び出してしまっているのだ。
「結城、ダメだ! 結城!」
何度も吹き飛ばされそうになりながらも、葉月は和馬の元へ辿りついた。
怒りに任せ、門の中心部に立つ和馬の姿は恐ろしげで――悲しかった。
「おい、結城! しっかりしろ! 私の声を聴け!」
巌のような巨躯にすがりつき、繰り返し呼びかける。
和馬は反応を示さない。
強風に煽られ、葉月は彼の胸に抱きついた。
「頼む、結城……もう、止めて……」
瞳から溢れ出た涙が頬を伝い、和馬の胸を濡らした。
(続く)
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