第8話 精霊たちの物語

 病院での診察を終えたふたりは、その足で街を散策した。

 エプロンドレスに着替えたサラは、看護婦さんの言いつけにより注射のあとを綿わたでしっかりと押さえながら歩いている。

 力加減が分からないので、指の先から血の気が引いてちょっと白くなるほどに。


 今日のふたりのコーディネートは、茶系でそろえた親子ルックである。

 医者へ通うのに相応しい落ち着いた雰囲気の装いだった。

 まあ年齢的には孫とその祖母なのだが。


「パンの値段がまた上がったのかい?」


 ホテルの朝食も大層うまかったが、どうせなら焼き立てのパンが食べたいと思い、メイルゥは街中で一番の行列を作っているパン屋に寄ってみた。


 するとそこの店主が魔道士メイルゥのファンだったらしく、目ざとく彼女を見つけて工房のなかへと招き入れる。

 しかし列に並んでいるひとの順番を飛ばすわけにはいかないと、メイルゥは一度断ったが彼女ほどの救国の恩人を列に並ばせたとあってはかえって店の評判に傷が付くと言われてしまっては無下にも出来なかった。

 しぶしぶ招きには応じるものの、事情を知らない流入民たちの視線がことのほか痛かった。

 サラは近所で昼寝をしていた子猫とじゃれている。


 さきほどの言葉は、店内に並んでいるパンの値札を見ての開口一番だった。


「へい。小麦粉や塩が配給制から自由売買になったまでは良かったんですがね、そうなると今度は金持ちどもが買い占めやして、貧乏人にはなかなか回ってこないんでさ」


「そうなのかい」


「かといって二等粉を使って味を落としても、贔屓ひいきにしてくださるお客さんたちに申し訳ねえですし、仕方なく金持ちどもの問屋から一等粉を仕入れてまさぁ」


「大変だね、あんたらも」


「いやなに、これもメイルゥさまがいくさを回避してくださったからじゃねえですか。もしほかの国なら、いまごろ悠長にパンなんざコネちゃいられねえ」


 パン屋の店主は赤ら顔をくしゃくしゃにして言った。

 後ろでは焼き窯からゴゥゴゥと勢いのいい音がして炎が燃えている。もちろんトカゲの紋章が入ったレンガ造りの窯だ。


 メイルゥは照れくさそうに視線をそらし、もう一度店内を見回した。

 すると見慣れない機械が会計カウンターの隣に置いてある。


 それは数字の書かれた歯車がいくつも組み合わさっており、操作用のレバーと、蒸気を流すための配管とバルブで構成された金属の塊だった。


 不思議そうに眺めていると、その様子を汲み取った店主が「ああそれですかい」と彼女の声ならぬ質問に答えてくれる。


「計算機とか言いやしてね。売上金の管理をきちんとするためっておカミから買わされやした。うちはもともとボイラーがあるんで安くつきましたがね、店によっちゃ借金までして設備投資をしたって話ですぜ」


「徴税のためかい」


「ハッキリとはそう仰られませんでしたが、まあそういうことでしょうな」


「元老院のガキどもめ、あこぎなことを……」


 ふと両替所での行員との会話を思い出した。

 もはやどんぶり勘定の通用する社会ではないと。


「まあそんな暗い話ばかりじゃありやせんや。利子も安いですし、商売やってりゃ無担保で融資が受けられますからね」


「あらそうかい。これから金貸しでもやろうってのに、一番の敵がお上とはね」


「こいつはいい、メイルゥさまらしいや!」


 ガッハッハ。

 店主は毛深いたくましい腕を組んで豪快に笑った。


 メイルゥは店主のおすすめをいくつかとラズベリーのジャム、そして朝食用のバゲットを紙袋に包んでもらって支払いを済ませた。


「また来るよ。なんかあったら声掛けておくれ」


 店主はコック帽を脱いで深々と頭を下げた。

 

 パン屋を出たメイルゥは、子猫と遊んでいたサラにパンの入った紙袋を持たせると地図を広げた。小脇に愛用の杖を挟んで、ペンダントトップを地図にかざす。


「どうやらこのあたりはルツの濃度も安定しているね。買い物に来るにはいいようだ」


 一匹見つければ一万匹はいるというかの大地の精霊グノーム。

 その力を借りれば、地下に埋蔵されている精霊石の場所が特定出来るのだ。

 グノームは変質を好み、手先も器用であると伝えられることから、多くの職人によって崇められている。


「ねえ、ばあちゃん」


「あん?」


「オイラも魔法使えるようになるかな」


「無理だね」


「ちょ! 否定するの早くない?」


「無理なもんは無理さ。変に期待持たせるほうが意地悪いけずじゃないか」


 歩きながらそう口にするメイルゥは、むくれるサラに一瞥もくれない。

 目線はつねに地図とペンダントトップに向けられている。しかしそれでも混雑した街中で、ひとにぶつかることはなかった。


「どうして無理なのさ!」


 ふん、とため息をついて、メイルゥはその場に足を止めた。

 彼女はサラから紙袋を取り上げると、銅貨を与え「コーヒーを買ってきな」と、露天販売のカフェを指差す。そして自身は、近所にあったベンチへと腰を下ろし、かすれてきた目元をよく揉みしだいた。


「言っとくけど魔法ってのは、おまいさんが思ってるほど便利なものじゃない。それに魔法使いには生まれ持った特殊な才がいる」


 ついさっき買ったばかりの焼き立てのパンを、サラに買ってきてもらったコーヒーで流し込み舌鼓を打つ。行列は伊達ではなかったと、メイルゥは毛深い店主の顔を思い出した。


 一方、サラも砂糖がたっぷりと掛かった菓子パンに夢中である。

 自分がした魔法使いへの質問すら、すでに忘れかけていた。


「特殊な才って?」


「ルツへの感応さ」


 メイルゥは首から提げたペンダントトップをサラの目の高さへとやり、反対側の手をペンダントにかざした。

 すると精霊石で出来たそれは鈍く光り、日中ということを考えてもハッキリと輝き出した。


「この世の中で魔法使いのみが精霊石から発するルツを感じることが出来る。それが出来なければ魔法は使えない」


「……精霊石ってなんなの?」


 菓子パンをかじる手を止めて、サラが精霊石のペンダントトップを凝視する。

 するとメイルゥはくすりと笑って。


「精霊たちの死骸だよ」


「え……」


「大昔の話さね。まだこの世が混沌と呼ばれていた時代さ。混沌から生まれたサラマンダー、シルフ、ウンディーネ、ノームの四大精霊はお互いを殺すために戦っていた」


「殺す……」


「やがて戦いのなかで彼らは『世界』が生まれていることを知った。傷ついた彼らは停戦協定を結び、ボロボロになった肉体をノームに託してそれぞれの支配する領域へと旅立ったのさ」


「その身体が……精霊石……」


 サラはメイルゥの瞳を見つめて息を呑んだ。しかし――。


「迷信さ。本当のところ何も分かっちゃいないよ。最近の科学者どもが考えた『エネルギー』とかいうのと一緒さ。重さや高さに力がある。大方、ルツもそのひとつだろうよ」


「えええええええっ。じゃあ特殊な才の話はどうなったのさ」


「どうもしやしないよ。脚の速いヤツ、泳ぎの達者なヤツ、歌のうまいヤツ、頭のいいヤツ。そういうのとおんなじさ。難しく考えるんじゃないよ」


「て、テキトー……」


「ちょいと、あたしが言ってんじゃないんだよ。世の中でそう決まってるってのさ」


「ふーん。じゃあ、オイラ一生魔法は使えないのか」


「残念だったね。でもいまさら自分が魔法使いだって分かっても、もう遅いさ。ルツの濃度がこれだけ乱れていたんじゃ才があっても魔法なんざ使えないよ」


「――でも、ばあちゃん、昨日使ってたじゃん」


 なにもないはずの旅行鞄のなかから、あれこれとものを取り出したことを言っているのだ。

 だがメイルゥはそれでも涼しい顔をしていた。


「……手品だよ」


「嘘だね!」


「うるさいな。ボイラー用の精霊石がしこたま置いてあったから、ルツが濃かったんだろ」


「じゃあやっぱりアレは魔法なの?」


「おっと、路面列車が着たようだね。急がないと置いてくよ」


 なかば強引に会話を終了させたメイルゥは、パンとサラをその場に残して歩き出した。

 手にしたコーヒーカップを露店へと返却し「ごちそうさま」と一声掛けた。


「あ! 待って! 待ってってば!」


 パンの入った紙袋を抱えてサラは駆け出した。

 先ゆく大きな老婆の背中は、いまとても遠くに感じる。

 はぐらかされたのか、はたまたすべて真実なのか。

 メイルゥには未だ底知れぬ何かがあるが、それをうまく言葉に出来ないサラであった。


 路面列車は時刻表に従い、街中に設けられた「島」と呼ばれる停留所を巡回してくる。

 客車は木製で出来た開放感のある作りだ。

 どこから乗っても、どこで降りても一回の乗車賃は定額である。なので乗り換えの必要がなければ一度の支払いで街の端から端まで行くことも出来るのだ。

 もちろん路線の関係上、そんな特異な列車はあまり多くないのだが。


 ちなみに老人と子供は無料タダなので、当然ふたりは車掌のまえを素通りした。


 列車は歩くより少し速いくらいのスピードで街中を巡回する。

 なので「島」じゃないところからでも飛び乗る客がいるくらいだ。

 かくいうサラも、きちんと「島」から客車に乗り込むのは、今回がはじめての経験だった。


 座席はすでに埋まっていた。

 するとひとりの若者がメイルゥに席を譲ろうとしてくれたので、ありがたく好意を受けようとしたが、一緒の「島」から乗ってきた、ひとりの妊婦を見つけ、青年とメイルゥはお互い顔を見合わせて笑い、彼女に席を譲った――。


「臨月かい?」


 メイルゥは妊婦のまえに立ち、彼女に話しかけた。

 立ち乗り用のポールに身体を預け、妊婦の大きなお腹を慈愛たっぷりに見つめている。

 サラは先頭車両の機関車が気になるようで、ほかの子共たちの輪に入っていった。


「はい。婦人科の検診が終わったので、これから実家に戻るところです」


「そうかい。元気な子が生まれるよ。がんばりな」


「メイルゥさま。お腹を触っていただけませんか。健やかに育つように」


「よしきた。任せな!」


 メイルゥは妊婦のお腹に手をやると、瞳を閉じた。

 何やら念を送っているようにもまわりには感じられたが、その真実が明かされることはない。

 魔法とはそういうものだと、メイルゥは誰にというわけでもなく語って聞かせた。

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