第9話 メイルゥの昔話

 その日は昨日買ってきたパン屋のバゲットを朝食に平らげると、のんびりする間もなくホテルまえの「島」から朝一番の路面列車へと飛び乗った。


 なんでもサラが言うには、商社に勤めているものたちの朝の大移動に巻き込まれないようにするためだという。彼らは自分の店を持たず、雇い主の問屋内で商売をし、その業績に応じた給金を受け取る形態を取っているそうだ。小規模ではあるが主従の関係が成り立っているとメイルゥは理解していた。


 ゆえに仕事をするためにわざわざ他人の店舗まで足を運び、また仕事を終えて帰宅する。

 おもに流入民たちによって発生する、その民族の大移動をして「朝の通勤ラッシュ」という外来語までが伝来し、彼らのような給金制の労働者は「サラリーマン」と名付けられた。


「今日び、塩(サラリー)なんぞ給料にもらってどうするつもりなんだろうね」


 とは、200年間、王宮に塩漬けされていた老魔道士の意見である。

 誤って伝わっている言語というのは、意外とあるものだ。


 幸いにも「朝の通勤ラッシュ」には巻き込まれずに済んだふたりがたどり着いたのは、滞在しているホテルから十キロ以上離れた繁華街だった。

 ここは事前にメイルゥがダウジングによって割り出した、ルツの濃い場所である。

 また路線網が密集し、頻繁に路面列車が運行していることからも、メイルゥにとっては好条件と言えた。

 それを証拠にこの場所に訪れてからというもの、彼女の見た目年齢は三十歳を上回ることはない。非常に安定して濃密なルツが大気中に維持されているようだ。


 それにしても――。


「ばあちゃん、早く~」


 遠く頭上からサラの声がする。

 見上げるメイルゥは、子供だけが持つ無尽蔵の体力に戦慄した。


「どうしてあの子が案内するのは、こう坂ばっかりなのかね……」


 若いとは言え所詮はアラサー(これも隣国からの外来語)である。

 息も絶えだえ。

 杖を突きつつ、汗で剥がれ落ちそうな化粧と戦っていた。


 今日はかなり歩くことが大いに予想されたので、なかば男装じみたパンツルックである。肩から大きめのフードが付いたケープを羽織り、動きやすさを重視した。


 サラにも工房で職人が着ているような、胸元まで生地の続いた厚手のズボンをはかせ、長い黒髪をまとめてハンチング帽のなかに押し込めてやった。

 まるで歯抜けの坊主が小奇麗になって帰ってきたかのようである。


 しかしながら同じ坂と言っても、ホテルのまえにあるような大通りではない。

 路面列車も走れず、大人の男がちょっと余裕を持ってすれ違える程度の道幅なのだ。

 幸いにして人通りが少ないのは、早朝であることと、そもそもこのあたりの性質が「朝」に不向きであったからである。


「飲み屋に娼館。繁華街ってよりは風俗街だね、こりゃ」


 いびつな石畳の坂をはさんで両側に建つのは、これまたいびつにうえへ、うえへと伸びた人口密集地帯特有の建物だった。

 基礎こそしっかりとした石造りの土台だが、そのうえには木枠の箱でも適当に積み重ねたかのような、意匠もチグハグな建造物が並んでいる。


 朱塗りの低い手すりのバルコニーから、半裸の女がこちらを見下ろしていた。

 とろりとした眼尻に、真っ赤な目。

 一晩中、寝かせてもらえなかったのだろう、ウトウトと手すりにもたれ掛かったところを、またぞろ部屋の奥から伸びてきた男の腕に引きずられ消えていった。


 ここには、そんな店がいくつも軒を連ねている。

 メイルゥは不敵に笑い、歩みを進めた。

 存外、こんな感じは嫌いではない。


「ばあちゃん。ここだよ、ここ」


「あん?」


 サラが指差すのは、坂を登りきったところ。

 まるでこの風俗街を見下ろすように建っている一件の館だった。


 坂の頂上で左右に枝分かれした通りに挟み込まれるようにして建ち、近代的なレンガ造りの意匠はどこかいま滞在しているホテルにも親しいものがあった。


 二階建てで、一体どこまでがひとつの物件なのかは判別がつかないが、通りに面して、かなり横に長く建屋は続いている。


 サラはメイルゥが坂を登ってくるのを、その建物のまえで待っていた。

 近づいて見ると窓ガラスは割られ、ドアも半壊して素通り状態。

 放置されてもうかなりの年数が経っているようである。


「ここかい。おまいさんの言う、出物ってのは」


「うん。最近見つけたんだ。あの図書館が壊されちゃったときのこと考えてつぎのアジトを探してたんだよ」


「さすがだね」


「入ろ、ばあちゃん」


 メイルゥはサラに手を引いてもらって、半壊したドアをまたいだ。

 なかはおびただしい数のゴミと腐敗臭が漂っていたが、不思議と「こんなもんだろう」という穏やかな気持ちで受け止められていた。

 おそらく「あの子」の死に様が脳裏に焼き付いていて、それを思えばまだ片付いているように思えたのだろう。

 齢200以上にして、まだまだ発見があるというのは幸福なことだと彼女は信じている。


「しかしこれまた立派な……もとはパブかい?」


 ホコリまみれのバーカウンターに陳列棚。

 フロアのそこかしこに酒樽が転がり、隅のほうにはテーブルセットが山積みになっている。


 また二階は吹き抜けとなっており、階段から続く廊下には、いくつかのドアがあった。

 外観から想像するに、素泊まり出来る簡易宿にでもなっているのだろうとメイルゥは踏んでいる。大方、使い方も想像に難くない。


昇降機エレベーターまであんのかい」


 フロアの片隅に大きく開いた間口がある。

 横に折り畳める格子のついた開閉扉と、二階の天井まで続いたワイヤー。

 こんな小型な蒸気式エレベーターは、まだメイルゥでさえ数えるほどしか見たことがない。


 彼女はバーカウンターへと腰を落ち着け屋内を一望し、ひとしきり感嘆をついて首を振った。


「こりゃ出物だ。金貸しどころか、ちょっとした宿屋が出せるよ」


 上機嫌のメイルゥだったが、それに対してサラは不満げだった。

 床に転がっている丸イスを蹴飛ばし、口を尖らせている。


「どうしたい。おまいさんが連れてきたんじゃないか」


「そりゃ、ばあちゃんが喜ぶかと思ってさ……」


「喜んでるよ」


「……なんで商売なんかやらなきゃいけないのさ。ばあちゃん、魔法使いだろ」


「なんだ。そんなことでへそを曲げてんのかい」


「そんなことって!」


 サラはメイルゥの隣へと走り込んできて、ドスンとバーカウンターのうえに乗った。

 バーテンダーが居たらなんと言うだろうかと思い、降りるように言おうとすると。


「だってばあちゃん、英雄なんだろ? なんでこんなみみっちいことしてんのさ!」


「みみっちいってこたぁないだろ」


「ナッシュの本に出てくる魔法使いは、ドラゴンと戦ったり、魔王を倒してたりしてたよ!」


「そのドラゴンとやらはどこにいんのさ」


「う……分かんない」


「それにね。あんな火の玉出したりホウキで空飛んだり、人間が出来るわけないだろ。みんな物書きの考えたデタラメさ。魔法はね、おまいさんが思ってるようなもんじゃないんだよ」


「じゃ、じゃあどういうのが魔法なんだよ!」


「……こればっかりは言えないねぇ。それにもう世の中に魔法なんざ必要ないじゃないか」


 サラはそれでも不満顔だった。

 納得がいかず、小声で「英雄なのに」と呟いた。


「魔法使いは英雄なんかになれないよ。みんな慕ってくれるけどね」


 メイルゥは遠い目をして窓の外を見た。

 果たしてその焦点は、未来に結ばれているのか、それとも――。


「あたしがこの国の魔道士になったのは、七代前の大公の時代さ。サムザ国王ニコラス三世。といってもその頃の陛下はまだ、いまのおまいさんくらいの年頃だったけどね」


「王様が、オイラとおなじ?」


「ああ。幼君でね。はじめて会ったとき、木に登って降りられなくなってたのさ。強がってね。誰も余を助けるでないって」


 メイルゥは思い出し笑いを噛み殺すようにして話している。

 だがその瞳には、うっすらと光るものがあった。

 サラはそれを見逃さない。

 どこか、胸がチクリとした。そんな気持ちが表情に出ている。


「助けてあげたの?」


「そうさ。それで陛下はなんて言ったと思う?」


 サラは無言で首を振った。


「大義である。そなたを余のきさきにしてやる、だってさ。その頃、あたしもうハタチだよ?」


「陛下かわいい」


「ほんと可愛かったよ。でもね。あたしは直感したよ。ああ、自分はこのひとと結婚するんだなって」


「うそぉ」


「ほんとさ。だから死ぬ気で守ったよ。この国も、この国の民も。あのひとも」


「じゃ、じゃあほんとに結婚したのっ」


 サラは前のめりで問いただす。

 その暑苦しい顔をメイルゥは鷲づかみにすると、向こうへ追いやった。


「んなわけないだろ。本人がその気でもまわりが許すかい。それにね。もともと身体が弱くてさ――戦場で受けた矢の傷がもとで死んじまったよ」


「……かわいそう」


「でも死に際に言われたことがあってね」


「なんて?」


「この国と民は、すべて余とそなたの子供である。最愛の子らを頼む――だって。かっこよすぎるでしょ、うちの陛下」


「ふああああ」


 サラは口元に手を当てて、すでに恋する乙女の目になっていた。

 メイルゥは語り終えると紙巻きを取り出し、一息に紫煙を呑んだ。

 ゆらゆらと立ち昇るたばこの煙が、いまの彼女の心模様をありありと映し出している。


「だからこの街で生きていくのさ。どんなことがあっても。あのひとの子供たちと一緒にね」


「ばあちゃん……」


「分かったろ。ドラゴンや魔王なんかと戦うまえに、あたしにゃやることあんだよ」


「……分かった。もう言わない。協力するよ。でもね……」


「なんだい。まだなんかあんのかい」


「この建物の持ち主がね――」


 サラが何かを説明しようとしたときであった。

 半壊したドアが建物の外側から何者かによって蹴飛ばされ、完全に崩壊する。

 けぶるガレキの向こう側からやってきたのは、ガラの悪い数人の男たちであった。


 サラは反射的にバーカウンターのなかへと隠れ、それを確認したメイルゥは愛用の杖を片手に男たちのまえへと歩みを進めた。


「なんかようかい」


「それはこっちのセリフだぜ、ねえさん。ここを誰の持ち物だと思ってんだ?」


「そいつを確かめようと内見してたんだけどね。気に入ったよ、ここ。いくらだい?」


「こいつは度胸のある、ねえさんだ。器量もいいし、目利きも確かだ。だが口の聞き方がなっちゃいねえな。ここはハンソン一家の縄張りだぜ!」


 メイルゥは男たちに囲まれ、そのまま建屋から出ていった。

 サラのことは心配だったが隠れているからまず大丈夫だろうと肚をくくる。


 坂を登りきったところ、ちょうど通りが建物を挟んで二分する場所で不穏な空気が漂った。

 メイルゥを中心にゴロツキ数名が取り囲み、手には銘々ナイフを持っている。


「怪我したくなかったら大人しく俺たちについてこい! 悪いようには――」


 ひときわガタイのいい、さっきから率先して叫んでいるひとりの男。

 そいつがオリジナリティの欠片もない脅し文句を言い終わるまえだった。


「ちょっと君たちぃ。朝っぱらからうるさいじゃないか。眠れやしない」


 それはメイルゥが坂を登ってくるのを見下ろしていた、あの女がいた朱塗りのバルコニーからだった。身を乗り出し、飄々とした調子でこちらに声を掛けてきた。

 ただの正義感のあるヤクザものなら、大して気にも止めなかったが、メイルゥはその人物にいたく興味を引かれた。


 なぜならば。


 その人物の頭部がどう見ても人間のそれではなく、犬の顔だったからである。

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