第7話 再会は待合室で

 ことさら清潔感を強調した白い壁と、過剰なまでの消毒液の匂い。

 メイルゥは昨日の宣言通りに、サラを病院へと連れてきていた。


 待合室には老若男女や人種を問わず、診療を求めるひとでごった返している。

 これもまたメイルゥにとっては、新鮮な光景のひとつであった。


 医学――。

 王朝崩落の恩恵により千年のときを越え、ようやく花開いた分野と言っても過言ではない。

 魔道士先導の社会では、健康はルツの賜物であると教えられる。

 ゆえに大病を患ったとしても怪しげな薬草を処方され、祈祷やまじないによって病魔を退けるのが「正式」な治療法であった。


 それは王朝の直接的な実効支配を受けていなかったメイルゥの国とておなじである。

 弱小国であるがゆえに文明とは無縁の社会が形成されていたのだ。


 メイルゥは待合室のベンチに腰を下ろし、優雅に本を読んでいた。

 もちろん読みかけの『竜退治』である。

 読み進めれば進めるほど文句の数は増えていくが、サラと出会ったこと、その友人を弔ったこと、一緒に暮らすための家を探していること。それらの近況と共に、ついさっき速達便にて感想を送りつけてやった。

 エドガーの辟易とした顔が目に浮かぶようだとメイルゥはほくそ笑む。


「ばあちゃん!」


 ふとメイルゥを呼びつける声がする。当然、声の主はサラだ。


「ぶっ! いいざまだね、サラ」


 多くの患者がそうであるように、サラもまた布切れ一枚をひもでくくったような白い患者服にそでを通していた。

 しかも彼女の場合は体格がそもそも年相応の児童として足りてないので、だらしなく見える。

 今朝方まで人生初のオシャレを楽しんでいただけに、その落差は激しい。


「ばあちゃん、もう帰ろうよ。なんか変なおっちゃんが身体中触りまくるんだよ。白い服着たねえちゃんたちもジロジロ見るしさぁ」


 サラはメイルゥの隣へと飛び込むみたいにして座った。

 ベンチがミリっという嫌な音を立てたが、ふたりは気にしない。


「変なおっちゃんじゃなくて医者。白い服着たねえちゃんは看護婦さんだよ」


「なんでもいいよ。ね、帰ろ?」


「バカお言いでないよ。本番はこれからさ。虫下しの薬を飲んで、予防接種の注射して」


「え! 注射ってあの針刺すヤツだろっ? やだよ、オイラ! 怖いよ!」


「こないだまでもっと怖い生活してたヤツがなに言ってんだい」


「それとこれとはまた話しが別だよぉ」


 しばらく必死に食い下がっていたサラだったが、ついに呼び出し窓口からお声が掛かる。


「サラさーん。メイルゥさんのところのサラさーん。お注射のご用意できましたよー」


「ほら、呼んでるよ」


「うぅぅ……」


 半泣きで強制連行されていく様は、まるで出荷前の家畜のようだった。

 しかし言えば周りからウケると分かっていても、それを無神経に言ってしまえるほどメイルゥは愚かではない。せいぜいあとでエドガーあたりに語って聞かせるくらいである。


 ちなみにメイルゥの国ではまだしっかりと戸籍が定まっていない者も多く、ファミリーネームすら持たない家庭もけっこうある。

 たとえばどこそこ村の誰それ、みたいなやり取りで問題なく通じたし、続柄もみな十代くらい前までは平気でそらんじていたので、あえて可視化する必要がなかったのだ。


 しかし文明が花開き、社会が近代化していくなかで、そうした田舎の流儀は淘汰されてゆく。

 税金の算出や徴兵、または労働力の確保のためにこれからは正確性がなにより重視される。

 人々と王室との繋がりが真心ではなく、利便性を求めたただの数字になっていくことに、メイルゥは一抹の寂寥感を覚えるのであった。


 そんな気持ちが重くなるようなことを忘れるために背伸びをし、かぶりを振る。そしてまた盟友の著作に視線を落とそうとしたときだった。


「閣下?」


 聞き覚えのある心地のよい声が彼女を呼んだ。

 ちょっとした胸のときめきを覚え振り向くと、そこにはあの蒸気機関車に乗っていた青年車掌の姿があった。メイルゥにものさしをくれた彼である。


 ご多分にもれず彼もまた、すかすかの患者服を身にまとっていたが、気になったのは腕に点滴が通されていたことであった。

 点滴の容器が吊るされた車輪付きのスタンドを、まるで杖のようにして歩いてくる。

 心なしかまえに会ったときよりも生気を欠いたような印象を受けた。


「おや、あんたかい。そう言えば休暇取って病院へ行くとか言ってたね」


「覚えておいでだったのですか。光栄です」


 青年車掌は心から嬉しそうに笑みをたたえた。


「まあ立ち話もなんだから――ここにお掛けなよ」


 ぽんぽんと自分の隣を叩いたメイルゥは、年甲斐もなく少し頬を染めていた。


「こんなばあさんの隣で良ければね」


 と、自虐の悪態を挟まずにはいられないくらいには、舞い上がっている。

 すると青年車掌は「とんでもない」と点滴スタンドを引きずって彼女の隣へ腰を下ろす。

 やっぱりミシっと音がしたが、彼はそれを気にして一度ベンチの具合を確かめた。

 性格の違いというのは面白いと、メイルゥは思った。


「自分たちの世代が子供の頃には閣下はすでにそのお姿でした。お若いお姿も美しくていらっしゃいますが、自分はその……いまのお姿のほうが好きです」


「告白と受け取っていいのかしら?」


「お慕い申しております――救国の英雄として」


「そんなこったろうと思ったよ!」


 あはは。と、ふたりは笑顔を交わした。

 自然体のときが流れていく。


「具合はどうなんだい? 咳は止まったのかい」


 メイルゥの何気ない質問に、青年車掌の顔から笑みが消えた。

 だがそれも一瞬のこと。

 彼女が点滴の容器へと視線を移した刹那の時間に、またいつもの柔和な彼に戻っていた。


「ちょっと検査入院が長引いてしまって――早く現場復帰したいんですけどね。そのためにもほら、こうやって点滴を」


 彼はおどけるようにして自分の腕から伸びるゴム管をメイルゥに見せた。

 天然ゴムに精霊石の粉末を混ぜて加工すると弾力と柔軟性が増すことが発見された。それを医療に応用したのが、このゴム管である。

 これもまた魔導王朝千年の呪いを経て、人類が手にした叡智なのだ。


 しかしメイルゥはそんなことよりも、彼のげっそりとした表情のほうが心配だった。


「お袋さんには知らせてあるのかい?」


「……いえ、まだ」


「そうかい」


 重苦しい沈黙がその場を支配する。

 メイルゥは、ふと手元にある『竜退治』から彼にもらったものさしを引き抜いた。

 それを見た彼は「持っててくれたんですね」と笑みをこぼした。


「もちろんさ。ねえ、おまいさん。良かったら名前を教えておくれでないかい」


「え……」


「惚れた男の名前くらい知っておきたいじゃないのさ」


 青年車掌は照れくさそうに頭をかくと「フレッド」とつぶやいた。


「フレッド・ミナスです」


「ミナス? ミナス村の出かい?」


「はい! よくご存知ですね」


「あそこには大きな桑の木があるね」


「村長の家の庭です……本当にお詳しいですね」


 青年車掌フレッドは目をまんまるにして驚いた。

 メイルゥはものさしを唇にあて、くすすと笑うと「こちとら長生きが取り柄でね」と言った。


「そうかい。あの村の子かい。いまじゃ立派な車掌さんだ。がんばったんだね」


 ポンとメイルゥは彼の背中に手を回した。

 するといままで気丈に振る舞っていたフレッドが、こともあろうに涙ぐんだのである。

 大の男がまわりの目も気にせず、ただ涙のあふれるままに。


「お、おれっ……おれっ」


「なんだい」


「ま、まだ、死にたくっ――」


 メイルゥの脳裏に「あの子」の死に顔が思い浮かんだ。

 やせ細った額にくぼんだ眼窩。大半を虫に食われた目玉に、かさかさの唇。

 もはやひとの形を留めてなかった身体と白骨化しはじめていた四肢。


 フレッドも色々なことを医者に聞かされたのだろう。

 これまでこらえてきた覚悟が、望郷の念に触れて一気に決壊したのである。


 メイルゥは彼をただ感情のままに泣かせてやることにした。

 震える肩をしっかりと抱きしめ、枯れ枝のような節ばった指で彼のすべてを受け止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る