第5話 ナガイオワカレ

 ひとしきり泣きに泣いた歯抜けの坊主の肩を抱き、メイルゥはその辺に倒壊している本棚の廃材で焚き火をおこした。

 もちろん魔法などではなく、ランプの火を移してである。


 赤々と燃える炎を見るとひとの心は安らぐものだ。

 あれほど激高したあとなのに、まるでひなたに寝転がる野良猫のよう。

 目も鼻も腫らした歯抜けの坊主は、いまではメイルゥにべったり身体を預けていた。


「オイラたちは親を知らないんだ。気づいたときには親方に買われてて、ずっと鉱山にいた。たまに大人になってから買われてくるひとに街の話を聞いて、オイラ、わくわくしてた……」


「そうかい」


 メイルゥが愛用の杖で薪を突くと、空気の流れが変わって炎がいっそう強くなる。

 舞い上がる火の粉と黒煙が、煤けた天井へと昇っていった。


「あいつと一緒に……おっきくなったら街に出て、腹いっぱいパン食べようなって……」


「そうかい」


「オイラたちの人生これからってときに……身体なんか壊しやがって……くそっ、くそっ!」


「――死ぬんじゃないよ」


 歯抜けの坊主はハッとした顔でメイルゥを見上げた。

 深い哀悼をたたえた目をしていた。

 加齢でよどんだ瞳のなかで、真っ赤な炎が揺れている。


「あの子の分まで生きるんだろ?」


「……うん……うんっ!」


「よし! 肚は決まった。行くか!」


「え? 行くってどこにさ?」


「あんたここの地理には詳しいね」


「う、うん」


「こっから一番近い精霊堂に案内しな」


「精霊堂?」


 メイルゥはチラと横目で「あの子」を見た。

 さきほど虫を払い、簡易的ではあるが身を清め、新しいブランケットで遺体を包み直してやったばかりだ。生きてるうちに会えなかったのは残念だが、情もわくというもの。


「いつまでもあの子をあのままにしておけないだろう。きちんと弔ってやろうさ」


「え、でもオイラ金が――」


「金、金うるさいヤツだね。そんなに気になるならあとで働いて返しな。こき使ってやる」


「ばあちゃん……」


「そんな暑苦しい目でひとのことを見るんじゃないよっ」


 メイルゥは頬を染めながらそう言うと、懐から例の精霊石を取り出した。

 りんご大のサイズ、少々手に余るくらい。


「どこかにこいつを叩き割れるような場所は――っと、あった」


 メイルゥはギィギィと鳴る木製の床を踏み抜かないようにして歩いた。

 それは比較的、近くにあった。

 本棚の迷宮に戻らずともたどり着いたのは、もともと本の貸出業務をしていたと思われるカウンターである。大理石の天板をしたテーブルの向こう側に、頑丈そうな石壁があった。


「坊主。つぎにあたしがボケたときは今度こそちゃんとホテルに連れてっておくれ。それから大きめの精霊石をひとつ、どこかからくすねておいで」


 続けて首からさげたペンダントトップを見せつけると、


「いいかい、こんな小さなヤツじゃないよ。最低でもいま持ってるヤツくらいのさ。そうじゃないと効き目が薄いからね」


「効き目ってなんの?」


「いいね。ちゃんと介護おし。それがあんたの仕事だよ。頼んだ、から、ねっと!」


 そう言付けてからメイルゥは手にした精霊石の塊を石壁へと叩きつけた。

 見た目に反し、意外にも脆い音をさせて崩れ去る精霊石の塊は、その断面からさらなる緑色の光を放ち始める。

 その光に包まれたメイルゥの身体は、次第に劇的な変化を起こしていった。


「ば、ばあちゃん……?」


 歯抜けの坊主にとっては驚愕の光景だったであろう。

 目の前の老婆はみるみるうちに妙齢の女性へと変化していくのである。

 しわだらけだった手の甲に張りが生まれ、背丈も伸び、くるぶしまで覆っていたローブのすそから細い足首がのぞいた。


 カサカサだった亜麻色の髪が艶やかになり、その顔は、歯抜けの坊主がいままで見てきた大人の女性のなかでも群を抜いて美しいと感じている。

 年齢でいえば二十代後半。

 歯抜けの坊主にとっては母親のような世代であった。


「ば、ばあちゃ――ねえちゃん?」


「ばあさんで構いやしないよ。年食ったまんまじゃその子を抱いていけないからね。さ、とっとと案内おし」


「う、うんっ」


 メイルゥは「あの子」の遺体を抱え上げ、歯抜けの坊主には愛用の杖と旅行鞄を持たせて道案内をさせた。


 彼女らがいま向かっているのは精霊堂。

 その名の如く、精霊を祀っている宗教施設である。


 火のサラマンダー。

 風のシルフィード。

 水のウンディーネ。

 大地のグノーム。


 おもにこれらの四大精霊が信仰の対象となることが多いが、国家や民族の違いによっても信仰する精霊は細分化されている。

 また、ときとしてその精霊観の違いは、大きな摩擦を呼ぶ原因ともなっている――。


「なんなんですか! こんな時間に! まだ夜中ですよ!」


 激しくドアのノックする音に叩き起こされ、精霊堂から出てきた道士はえらい剣幕である。


 夕刻に出会ったふたりだったが、あれこれとしている間にすでに夜は更けていた。

 お堂のまえにあるベンチへと「あの子」の遺体が包まれたブランケットを丁寧に置くと、メイルゥはキッと鋭い視線を道士へ送り、不遜な態度で威圧し始める。


「この国の道士が、魔道士であるあたしに説教しようってのかい? 王様に言い付けてクビにしてやろうか!」


「ひっ! め、メイルゥさまっ」


 声の主を確認して、道士はあからさまに肝をつぶしたようだった。

 道士とは、精霊の教えをもって人々を導く聖職である。道徳を教え、ときには罪人に罰を与える権限すら国家から委託されている。ちなみに魔法使いである必要はない。


 一方、魔道士の「魔」とは、森羅万象のあらゆる不可思議を司るという意味であり、位のうえでは市井の道士など比べ物にならない。

 ましてやメイルゥはこの国の英雄であり、場合によっては国王の次席に座する存在である。


 そんな人物が夜中に自分の堂を訪ねてきたのだ。

 これが驚かずにいられようか。 


「わかりゃあいいんだ、わかりゃあ。そこどきな。ちょいとかま借りるよ」


「ちょちょちょ、なんですか、なにするんですか、閣下!」


「なにって決まってんだろ。ちょっとご遺体焼かせてもらうだけだよ」


「だーめですよ、街中の精霊堂でこんな時間に火葬なんかしちゃ! うちはただでさえ火の色が強くて新興住宅地の流入民にはウケ悪いんですからっ。ご近所迷惑も考えてください!」


「迷惑もクソもあるか。あたしがいいって言ってんだから黙って焼かせなっ」


「駄目です。精霊の教えに耳を傾けねばならない最高権威の方がそんなことを言うものではありません。もっと謹んでください」


「精霊だってこういう場合は『いいよ』って言うもん!」


「いけません! そんなんだから王宮から追い出されたんでしょ。反省なさい」


「うぅぅぅぅぅ……反論できない……」


 偉大なる魔道士メイルゥはこの国の英雄であることは間違いない。

 そして誰よりも民に愛された国王の臣下である。

 彼女は誰とでも分け隔てなく接することを好み、布告してまで民に無礼講を許していた。

 それが彼女の200年の歩み。

 この国の民たちと育んだ信頼関係である。


 ゆえに同盟締結の条件が魔道士メイルゥの引退であることは周知の事実であるが、王宮から暇を出されたことに関しては「閣下がテキトー過ぎたんじゃね?」ともっぱらの噂になっている。


「分かってくれましたね。ではまた明日の朝おいでください」


「そ、そこをなんとか……」


「駄目です」


 道士が閉じかけようとするドアをメイルゥは必死に止めようとした。

 だが――。


「もういいよ、ばあちゃん」


 ベンチに腰掛け「あの子」の遺体にそっと手を添えていた歯抜けの坊主がそう呟いた。


「やっぱりオイラたちみたいな子が、ちゃんとした弔いなんか期待しちゃいけなかったんだ」


「坊主……」


「いいよ。いまから森に埋めにいく。それなら文句ないだろ……」


 そう言って「あの子」をくるんだブランケットを抱き上げようとしている。

 メイルゥは唇を噛み締めた。


「ちょっとあんた、こっちへ来な」


 道士の手首を掴んで、メイルゥが彼をお堂の外へと引きずり出す。「なんですかっ」と抵抗するものの、メイルゥほどの美女に誘われて嫌な気持ちのする男がいるだろうか。

 ふたりは子供たちに背を向けて、声を殺して語り出す。

 メイルゥが手にしているのは、この街について両替したばかりの札束だった。


「あんたの立場も分かるけどさぁ……これでなんとかしてよ……」


 金額を確認した道士が生唾を飲んで、それを懐にしまった。


「――今回だけですよ?」


 なかに通されたふたりと一体は、お堂のすみに設置された大型の焼き窯のまえに立った。

 香油と共に薪が焚かれ、小粒の精霊石がそこにくべられる。

 やがて黒煙と精霊石特有の青白い煙が立ち昇り、混ざって透き通るような灰色の煙となり夜の天蓋をいぶしていった。


「さあ。最後のお別れだよ」


「うん……」


 ご遺体が焼き窯へと運ばれる。

 赤々とした炎が「あの子」を優しく包み込んでいく。

 次第に焦げていくブランケットの焼け跡を見て、歯抜けの坊主はお別れのときを知った。


「バイバイ……また……会おうな……」


 分厚い鋼鉄製の焼き窯のふたが閉じられると、そこには火を噴くトカゲのレリーフがある。

 それは火を使う古い道具には必ず用いられるサラマンダーの意匠だ。

 生活と密接な関係にある、火を上手に扱うためのまじないであった――。


 ご遺体が綺麗に焼けるまでにはまだかなり時間が掛かる。「あの子」の世話は道士に託してふたりは出会った噴水広場へと足を運んだ。

 ふたり並んでベンチに座り、遠くエントツから立ち昇る灰色の煙を見送っていた。


「ばあちゃん。ひとの魂は死んだらどこに行くんだ?」


 ひと仕事終え、魔力を使い果たしたメイルゥは、いつしか老婆の姿に戻っていた。

 杖に身体を預けて半分眠ったような口調で「そうさね」と答える。


「そうさね……あの子の魂だったら、そこにあるさ……」


「え?」


「あんたの心のなかだよ……これからもずっと一緒さ……」


「ばあちゃん……」


 そしてメイルゥはスッと立ち上がり、二歩、三歩と震える足でまえに出るとその場で急にしゃがみ込んだ。

 歯抜けの坊主は何事かと思い、彼女を振る舞いを凝視するが、すぐさま止めなければいけないことを悟った。


「ば、ばあちゃん! そんなとこでおしっこしちゃダメ! そうだ! 精霊石! 精霊石ィ!」


 ふと爽やかな風が彼女らのまえを通り抜けていった。

 まるで「あの子」が長いお別れを告げに来たようだった。

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