第4話 精霊石に導かれ

 入り組んだ路地裏を住処とする浮浪児たち。

 なかでも歯抜けの坊主は、人通りの少ない街の危険地帯を根城にしていた。


 まんまとメイルゥを出し抜いたこの子供は、いまアジトへの帰路にある。

 しかし好奇心に勝てず、手にした獲物の品定めと相成った。


 あたりはもうすっかり暗くなっている。

 昇りかけた月を探して歯抜けの坊主がウロウロしていると、暗闇のなかに薄ぼんやりと輝く緑色の光を見つけた。

 松明の明かりにしては色がおかしいし、ランプやランタンの類にしては明かりが大き過ぎる。

 しばらく訝しんではいたが、結局、その場所へと近づいていった。


 ゴロツキ同士の諍いや、娼婦が客を引く声があたりに響き渡る。

 その合間を縫うようにして、子供は緑色の光へと誘われていった。

 やがて暗闇が明かりに照らされ目も慣れてくると、塀際に寝転んでいた野良猫の背中が見えるようになった。


「ようし。これくらいの明るさだったら見えるだろ。なにが出るかな~」


 くすねた旅行鞄をまえに歯抜けの坊主は、子供とは思えないほどいやらしい口ぶりで舌なめずりをする。

 両手を揉んで手汗を拭うと、そのまま旅行鞄の錠金具へ指を掛けた。すると――。


「いてっ!」


 暗闇から突如、なにかが飛んできて歯抜けの坊主の頭を殴りつけた。

 何事かと思いあたりを警戒するも、やはり周囲には暗闇以外はなにもない。


 気のせいかとも思ったが、頭の痛みだけは本物だ。

 もしや上から、と天を仰ぎ見るが、そこには緑色の光に照らされた小汚い木製の天井があるだけ。どうやらここは物置きかなにかだったらしい。


 気を取り直して、もう一度、旅行鞄を開けようと試みる。

 だがやっぱり、


「いてえ!」


 今度はもう少し強めに、そしてはっきり「殴られた」と感じた。敵意だ。

 その敵意の先にあるものの正体とは、暗闇のなかで緑色の光に浮かぶひとりの老婆の姿であった。その手のなかには、りんご大のくすんだ緑色をした石ころがある。

 暗闇で光っていたのは、彼女が手にした精霊石の塊だった。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!」


 総毛立って叫ぶ子供に対して、メイルゥの対応は極めて冷ややかだった。

 手にした杖を使ってさらにもう一発殴る。


「いてえっ!」


「当然さね。痛いように殴ってる」


「ま、魔法使いが杖でひと殴るのかよっ。ナッシュの本にはそんなの書いてなかったぞ!」


 腰を抜かした歯抜けの坊主の最後の強がりだった。


「なに言ってんだい。魔法使いの杖はひとをどつくためにある。覚えときな」


「痛っ! また殴った!」


「その歳で本まで読めるとは賢い坊主だ。でも相手が悪かったね。おまえ、両替所からあたしのことをつけていたね。なぜだい」


 復活したキビキビとした口調に、子供は明らかな動揺を見せる。

 このわずかな時間に、彼女に一体どういう変化があったのか、と。


「ばあちゃん――ボケてたんじゃなかったの?」


 頭を擦りながら力なく尋ねる子供。

 その情けない姿にメイルゥは、笑いが止まらなかった。


「はっはっは。こりゃいいや。キチンと仕事する相手は見定めてたってことだね。ますます頼り甲斐のある坊主だ」


「お、オイラをどうするんだよ! 殺すのか? 食べるのか? や、やってみろよ」


 震える声でやっと啖呵を絞り出した歯抜けの坊主を見て、メイルゥは「やれやれ」としわくちゃの顔をなお歪めた。


「エドガーにアホを感染うつされたね坊主。魔女は誰も食ったりしないよ。旅行鞄も欲しけりゃやるさ。でもね、そのなかにひとつだけ返して欲しいものがあるのさ」


「ひとつ……だけ?」


「そうさ」


 歯抜けの坊主はメイルゥに促されて旅行鞄へと手を掛ける。

 さっき外しそこなった錠金具を今度は「カチン」とハネ上げて、ゆっくりなかを確かめる。

 するとそこにあったのは、ただ一冊の本。

 幻想小説家エドガー・ナッシュが上梓した最新刊『竜退治』であった。


「その本のなかに板っきれが挟まってるだろう?」


「……うん」


「それだけ返しておくれ。あとは鞄ごとくれてやるよ」


 ものさしを手にした子供の顔は明らかに落胆していた。

 そしてそれを本のなかへと返し、旅行鞄ごとメイルゥに渡したのである。


「なんなのそれ」


「これかい? ものさしって言うらしい。いいひとからの頂きものでね」


 と、メイルゥは塞がりかけたまぶたでウィンクする。


「もの、さし」


「金目のものじゃなくて悪かったね」


「……違う」


「なにが違う」


「あんた魔女だろ? 両替所で全部聞いてたよ。だから持ってると思って……」


「なにをだい?」


「薬草……」


 ポツリとそうこぼした子供は、そのまま脱力したように膝を抱えた。


「どんな病気にでも効く魔法の薬草だよ。ナッシュの本に書いてあった」


「あんた、あれは作り話だよ。そんなもんあったら医者なんざいらないだろう」


「ま、魔法使いがそんなこと言わないでよ!」


「んなこと言ったってさぁ」


「もういいよ……」


 膝に顔を埋め、一言も喋らなくなった歯抜けの坊主。

 メイルゥはその隣に腰を下ろすと、額にそのしわくちゃの手のひらをあてがった。


「熱はないようだね」


「オイラじゃないよ。友達さ。もう何日も具合が悪いんだ」


「友達はいまどこにいる?」


「アジトで寝てる」


「ふーん。んじゃ行くか」


 精霊石を懐に忍ばせ、メイルゥは立ち上がった。

 ローブのすそについた砂埃を払うと、旅行鞄を片手に杖を担いで。

 シャンと伸びた背筋に年齢を感じさせない張りがある。

 その姿に歯抜けの坊主は呆気にとられた。


「行くってどこに……」


「おまえさんの友達んとこだよ。医者にみせれば薬草なんざ必要ないんだ」


「で、でも金が」


「ここまで来てほっておけるか。バカなこと言ってないで、早くおし」


「う、うん……うんっ!」


 ふたりはその場をあとにした。

 心なしか足取りの軽くなった子供を先行させ、メイルゥはその背中をゆっくりと追う。


 あらためて周囲を見渡すと建設途中で放棄された建物が目立つのに気づく。

 おそらくこのあたりは、他国からの流入者を受け入れるために進められていた新区画なのだろう。しかし実際に訪れた多くの外国人たちは難民同然の人々だった。

 その日食べるパンにも事欠く彼らがどうして新築の住まいなど持てよう。

 結果として新区画建設の計画は頓挫し、法の空白地帯となった。

 ゆえにゴロツキや娼婦、または浮浪児たちなどといった、日の下を嫌うものたちの格好の住処となったのだろう。

 メイルゥは深く考えるでもなく、経験上なんとなくそう思った。


 歯抜けの坊主はどんどん先へと進んでいく。

 しかし時折振り向くと、メイルゥに子供らしい笑顔を見せた。


「なあ、ばあちゃん。さっき光ってたのって精霊石だろ?」


「ほう。精霊石を見たことあんのかい」


「光ってるのは、はじめてだけどね。やっぱり魔女が持つと光るんだ!」


「ルツの光さ。ちょいと路面列車から拝借してきてね。そうそう路面列車といえば――」


 ゴツン、と。

 まえを歩く子供の頭に三度、愛用の杖を振り下ろす。


「痛い! 嘘ついてごめんってば、もうぶたないで!」


 頭を押さえた歯抜けの坊主が、慌てて杖の間合いから距離を取る。


「おや、このあたしに命令かい? 盗人猛々しいとはこのことだね」


「違うよ。大人にぶたれるの、もう嫌なんだ。オイラたち鉱山から逃げ出してきたから……」


「なんだって?」


「これから会わせる友達と一緒に脱走したんだ。あいつずっとひどい咳してて。でも鉱山の大人たちがぶつんだ。サボるんじゃない、怠けるんじゃない、って」


「咳……」


 ふと旅行鞄へと目を落とした。しかし老いた瞳の焦点が結ばれているのは、なかにしまわれている盟友エドガー・ナッシュの著作、その分厚いページに挟まれた一本のものさしである。

 メイルゥの脳裏にあの青年車掌の笑顔が浮かんだ。


 そうこうするうちにふたりはとある建物のまえに立った。

 新興住宅の建設予定地のなかにあっては、かなり古めかしい物件である。

 おおかた取り壊しが決まったものの、実際、解体されるまえに計画が中止になったもののひとつであろうとメイルゥは踏んだ。

 すでに崩壊したエントランスから建屋へと侵入すると、そこは本の森になっていた。


「図書館か……あの坊主、これをひとりで……」


 手近な本棚から適当に本を漁って、ひとりごちる。

 なかには活版印刷以前の手摺りの本や、彼女の持つ旅行鞄ほどの大きさをした立派な図鑑もあった。


「ばあちゃん、こっちだよ!」


 奥の方から歯抜けの坊主の声がする。そしてランプの明かりがポッと灯った。

 足場の悪さと老骨の鳥目、そしてなによりあちこちに倒れて入り組んだ本棚の迷宮がメイルゥの歩みを阻んでいる。

 なかなか目的地へたどり着けず、遠間から子供たちの会話の様子が聞こえてきた。


「おい、また食べてないじゃないか。食べなきゃ元気にならないぞ!」


 歯抜けの坊主が誰かに語り掛けている。


「なあ、起きろよ。お客さんだよ。誰だと思う? 魔女だよ、魔女! きっとおまえの病気もすぐに治してくれるさ。ナッシュの本に出てくる白魔道士みたいにさ」


 しかし相手の声は聞こえない。

 まるで歯抜けの坊主がただ一方的に話し掛けているみたいだ。


「いい加減にしろよ! 早く起きろよ。なあ……なあっ!」


 本棚の迷宮を抜けたどり着いたのは、食い散らかした生ゴミや排泄物で埋め尽くされている小さな一画だった。ただならぬ腐敗臭に、嗅覚の衰えたメイルゥと言えども苦悶する。

 しかしその先にある彼女が目の当たりしたものに比べれば、まだまだ些細な出来事に過ぎなかったと言わざるを得ない。


 親友の動かぬ口元に乾いたパンを押し付ける歯抜けの坊主。

 すでに事切れてから幾日が経過しているのか、あたりには羽虫が飛び回り、板張りの床が体液で湿り気を帯びている。

 見えているところでこれである。隠れているブランケットの下は一体どうなっていることか。


「おい、おいってば……」


「およし」


 メイルゥは慈しみに満ちた瞳で歯抜けの坊主の腕を止める。

 乾いたパンが床にコロンと転がった。


「もう死んでる。休ませておあげ」


「うそだ……」


 落っこちそうなぐらいに見開いた両の目をメイルゥに向ける。

 殺意とも、諦観とも、狼狽ともつかない。


「うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ!」


 歯抜けの坊主はメイルゥに飛び掛かる。何度も何度も彼女の胸元を叩いた。


「嘘って言え! 嘘って言え! 嘘って……うそって……」


 次第に弱くなる両手。

 ただ力なく、メイルゥの胸元を掴んだ。

 そしてありったけの声で叫ぶ。


 もう帰らない親友への想いを。

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