第3話 暮れなずむ街の

 とある両替所での出来事である。


「は? 小袋いっぱいの金貨がこの紙切れの束と同じだって?」


 メイルゥの素っ頓狂な声があたりに響き渡る。

 驚いた行員が周囲をしきりに気にしながら、彼女をなだめるのだった。


「閣下、いえメイルゥさま。もう少しお声を……」


「いや、だって驚くだろう、普通」


 メイルゥは手にした札束を扇のように広げると、行員の顔に向けて風をあおいだ。


「隣国との同盟締結を機に、我が国でも紙幣を流通させることに決まりました。末端の小売業でも一通貨単位までのきっちりとした精算が義務付けられます。これまでみたいな、どんぶり勘定は通用しなくなったんですよ」


「紙幣ねぇ……」


「銅貨はそのままお持ちください。いままで通りの金額で決済できますので」


「詐欺にでもあった気分だよ」


「皆さま、最初はそうおっしゃいます」


 メイルゥは油分の切れた指先をぺろりと舐めると、手にした札束を弾きはじめた。

 一枚、二枚、三枚と。


「で、手数料は?」


「いただけません。メイルゥさまへのご奉仕は国民の義務です」


「じゃあこれでカミさんに新しい口紅でも買っておあげ」


 そう言ってメイルゥは、行員の胸ポケットに紙幣を数枚ねじ込んだ。

 彼は禿頭を真っ赤にして恐縮しきっていたが、一度手放した金は引っ込められないと彼女に突き返される。


「それで――これからどうされるおつもりですか?」


 落ち着きを取り戻した行員が彼女に問うた。


「そうさね。しばらくはホテル暮らしだが、そこそこの物件見つけて金貸しでもやるよ」


 メイルゥはそのまま行員に背を向けて、あたりを見渡した。「それにしても」と。


「それにしても、ずいぶん外国人と浮浪児ガキが増えたね」


 駅前。

 人通りの激しい広い道路に、三両編成の路面列車が走っている。

 青白い煙を吹き上げて、きわめて鈍速に。

 客車には人種も様々な乗客たちがひしめき合っている。ほんの数年前までは考えられなかった光景だと、メイルゥは思った。


 路上には衣服もままならない子供たちの姿がある。

 空腹に耐えかねゴミを漁るもの、大人の目を盗んで悪事を働くもの、もはや動く気力もなくただその場に横たわるもの。

 メイルゥはそんな彼らの姿から目をそらすことが出来なかった。


「王朝崩落後の紛争でまだ各国の情勢が不安定ですからね。いまだ国境線すら定まらないような戦場ばかりですよ。戦災孤児も増え、平和な我が国への流入は避けられません」


「そうかい」


「そんなお寂しそうなお顔はやめてください。王朝から続く混迷の時代に、あなたが200年居てくれたからこそ、我が国は唯一戦争を知らずにすんだのです、魔道士メイルゥ」


「……これから先の200年はどうなるだろうね」


「我々国民にお任せください。あなたから託されたこの国の平和は、きっと守ってみせます」


 その真剣な眼差しは、場当たり的なリップ・サービスでも、夢想家のロマンチシズムとも違っていた。この国に生まれた誇りと、自分が生まれるまえからこの国を守ってきたメイルゥへの畏敬の念がそうさせるのである。

 ふと隣の窓口を見ると、同じ眼差しをした別の行員が彼女を見ている。

 その窓口に並ぶ、両替所の客も。

 大人も子供も。


 メイルゥはくすぐったそうに微笑みをたたえ、瞳を閉じた。


「任せたよ」


 そう行員に告げると、その場をあとにする。

 旅行鞄を片手に、曲がった腰を杖で支えて――。


 エドガーの山小屋を発ったあと、数時間を経てメイルゥは街へと戻ってきた。

 あたりはまだ明るいが、すぐに日も落ちてくるだろう。


 今日の彼女の召し物といえばいかにも魔女然とした真っ黒なローブである。

 足首まで覆う長いすそと、大きなフードが特徴的だ。

 普段は肩に掛かるほどの亜麻色の髪を後ろでぞんざいに束ね、次第に夕日で染まっていく街並みを視力の弱まった瞳で眺めている。


 駅前の旅行者案内施設にある両替所を出たあと、彼女の足はおもむろに夕日の沈んでいく方角へと向いた。

 暗くなるうちにホテルへのチェックインを済ませねばならないのだが、その足取りは重い。

 杖を突き、ずるずると引きずるように歩く。

 時折、路面列車のボイラーへと給水される水路(線路と平行して溝が掘られている)にけつまずき、靴をびしゃびしゃに濡らしながら。


 やがて疲れたのだろうか、噴水広場にあるベンチに倒れ込むようにして座り込むと、惚けた顔で左から右、今度は右から左をゆっくりと見た。


 あたりではヴァイオリン弾きが一曲やっている。

 夕暮れ前のひととき、憩いにきた恋人たちや子供らからの拍手喝采が飛ぶ。


「さて。困ったね……ここはどこだい……」


 ポツリと呟いてメイルゥは杖をグッと握りしめた。

 閉じかけた両の瞳からは、明らかな狼狽が見て取れる。

 不安なのだ。

 彼女にはいまここはどこかはおろか、自分が誰かすら思い出せないでいる――そんなときだ。


「おばあちゃん」


 不意に掛けられた言葉にメイルゥは顔を上げた。

 目の前にいたのは、小汚い格好をしたひとりの子供だ。

 カッコつけて頭の後ろで腕を組み、前歯の抜けたままの満面の笑みで。


 メイルゥはしばらく子供を見つめていた。

 どう反応していいものやら分からなかったのだ。

 すると今度は子供のほうから、もう一度「おばあちゃん」と呼んだ。


「迷子なのかい? オイラが道案内してやろうか」


「道案内? おまえさんがかい」


「うん! オイラこの街で一番の物知りだぜ! どこ行きたいんだ?」


「それがねえ……分からなくなっちまったんだ」


「あははっ。変なのー!」


「ああ、変だねぇ」


 微笑みを取り戻したメイルゥがそう言うと、子供は彼女の旅行鞄を引ったくるようにして小脇に抱え、もう片方で彼女の手を掴んだ。


「行こう!」


「行こうったってどこに?」


「歩いてればそのうち思い出すよ!」


「そういうもんかい?」


「うん!」


 そう言ってふたりは手をつないで歩き始めた。

 ヴァイオリン弾きがつぎの曲を演奏する。

 メイルゥは彼の楽器ケースのなかに銅貨を投げ込んでやった。

 それを見た子供は彼女の顔を見て、


「何か思い出せた?」


「そうだね――ホテル――。そうさ。ホテルへ行く途中だった。でも、どこだったかね」


 すると子供はパッと明るい顔をして、彼女のまえへと躍り出る。


「きっとあそこだよ! ここらでホテルと言ったらあそこさ!」


 と、噴水広場から少し歩いたところにある坂のうえを指さした。

 たしかにそこには、軒を連ねるほかの家々とは比べようもなく立派な建物があった。

 赤レンガで装飾された外壁にアーチ状の小窓が並んでいる。いずれもこの地方ではあまり見ない建築様式で、メイルゥも感心したようにただ「ほぅ」と一息つく。


「さ、暗くなるから急いで!」


「こらこら、慌てるでないよ」


「いいから早く~」


「困った子だね」


 子供はメイルゥの腕をグイグイと引いて、坂のしたまで彼女を案内した。

 メイルゥは杖を突きつつ、必死になってついてゆく。

 だが不思議とその顔は明るい。


「さあおばあちゃん。登ろう」


 坂のしたまできたメイルゥは頭上にある大きなホテルを見上げると、まるで反り立つ壁のように立ちふさがる急斜面に絶句した。


「これを登んのかい……?」


「そうだよ」


 あっけらかんと言う子供を見下ろし、ただでさえ塞がりそうに垂れたまぶたを眇め、メイルゥは憮然とした顔をする。


「路面列車を待ったほうが良くないかい」


 斜面には線路が走っている。

 それを杖で指し示したメイルゥの声には、明らかな不平が混じっていた。

 すると子供は、意外そうな顔をして、


「本当になにも知らないんだね、おばあちゃん。この時間に列車は坂登らないよ?」


「どうしてさ」


「そんなことオイラに聞かれても知らないよ。そう決まってるのさ」


「そんなこと言って……この坂をあたしが?」


 再び坂を見上げたメイルゥが声もなくおののくと、子供が彼女のお尻を押して「さあ、オイラも手伝ってやるから、早く~」と急かすのだった。


「分かった、分かった」


 メイルゥは仕方なくといった風で、足と杖を動かしはじめた。

 一歩、また一歩と。

 キツい坂道を上っていく。

 膝は痛み、足の裏にはもう感覚もない。

 杖を両手でしっかりと持ち、老化で軽くなったとはいえ自分では支えきれない体重を預ける。

 汗で化粧は流れはじめ、髪もボサボサ。

 そこに偉大な魔道士の姿はない。


 やがて半死半生の心持ちで、やっとのこと坂を登り切ると爽快な風が彼女の顔を通り抜けていった。まるで頑張った彼女へ、風の精霊がご褒美をくれたように。

 ひと心地ついた彼女は、ゆっくりと振り返る。

 見下ろした景観の素晴らしいこと。

 そこにはこの街のすべてが広がっていた。


 ドーム状の屋根をした中央駅と、それを起点して張り巡らされる線路と道路。

 家々の屋根がまるでタイル敷きの宮廷の床みたいだとメイルゥは思った。

 懐かしさと新鮮さが胸に込み上げる。

 ここが新しい自分の家になる、と。


 そしてもうひとつ気づいたことがある。


「――あの坊主は?」


 さっきまで彼女のお尻を押していた、あの子供が旅行鞄ごと居なくなっていたのだ。

 さらにとき同じくして、もう坂を登らないと言っていた路面列車が自慢の青白い煙を吹き上げてグングンと傾斜をよじ登ってくる。


 そのことに気づいたとき、あたりはもう暗くなりかけていた。

 メイルゥはただ呆然としてそこに立ち尽くし、路面列車が坂を登りきるのを眺めていた。

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