梟郵便局 -あなたの想い、お届けします-
言詠 紅華
梟郵便局 -あなたの想い、お届けします-
「お手紙ですぜ、お嬢さん」
自然に囲まれた、小さな町。
そこには、少し不思議なポストがあった。
〝
そう書かれていること以外、何の変哲もない丸型ポスト。
木々に囲まれた神社の入り口、鳥居の前にあって、実際に使われているわけではない。
そして不思議なことに。
そのポストは、
本当に必要としている人だけに、
見えるものなんだとか。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
私には、想いを寄せる人がいる。
──正確には、想いを寄せる人が、いた。
彼はある時を境に、私の前から姿を消した。
だから今、彼がどこで何をしているのか、全く知らない。
けれど、いつまで経っても、彼と過ごした日々の事を忘れられなくて。
彼の顔も、声も、全てを忘れられなくて。
だから私は、今まで彼氏というものを作ったことがなかった。
作れなかった。
そんな私も、高校三年生になった頃。
空が茜色に染まり始める頃の、学校からの帰り道。
少し寄り道をして、久しぶりに家の近くにある神社を訪れた。
小さな山の上にある神社。
入り口には苔の生えた石造りの鳥居があり、その向こうには神社へと続く階段が三十段ほど続いている。
鳥居をくぐり、木々に見守られるようにして、石段を上へ上へと上っていく。
最後の一段を上り終えれば、左右に
その先には、賽銭箱を手前に添えた
参拝者が少ないこの神社は社殿も古びており、灯籠や参道にもところどころに苔が生えている。
そして、木の葉の揺れる音だけが響く静かなその空間は、ある種の不気味さがあった。
「昔はここで、毎日のように遊んでいたのに……」
彼と初めて出会ったのはこの神社だった。
小学生の頃、たまたま遊びに来たこの場所に、彼は居た。
黒くて長い髪を後ろで
その妖艶な姿に、一瞬で見惚れたのを今でも鮮明に覚えている。
「……今更来ても、会えないよね」
懐かしい境内を見回したあと、くるりと背を向けて、上ってきた階段を下へ下へと下りてゆく。
そして再び鳥居の下をくぐり、階段を振り返る。
振り返ってみたら、いつの間に来たのか、彼が階段に立っていた──なんてことは、あるはずもなく。
鳥居の向こうには、来たときと同じ、神社へ続く階段があるだけだった。
鳥居を見上げれば、背景の空は茜色に染まりつつある。
「また来るね」
一言だけ挨拶をして、帰路につこうとしたとき。
鳥居の脚の前に、赤い丸型ポストがある事に気付く。
「……あれ……?」
──こんなもの、ここにあったっけ。
何度も来ているこの神社。
しかし、そのポストの存在に気付いたのは今が初めてだった。
鳥居が朱色だったならば、見逃していたということがあってもおかしくない。
けれど。
鳥居は石造りで、
周囲に赤いものがあるわけでもない。
何よりも頻繁に訪れている場所ならば、見逃すほうがおかしい。
そんなことを考えながら、ポストにゆっくりと近付く。
この町は小さな町だ。
都市部では見かけなくなった丸型ポストだが、この町にはまだいくつか点在している。
そのため、丸型ポストがあること自体は、別に珍しいものではなかった。
「梟郵便……?」
ポストの前で立ち止まってすぐ、投函口の下に書かれている白文字に目が留まった。
さらにその下には、小さな文字で、
〝長らく会えていない人へ、あなたの想い、お届けします〟
そう書いてあった。
今の私の現状を見抜いているかのような言葉に、一瞬どきりとする。
しかし、この町には梟郵便局なんていうものはない。
見た感じ、所々錆びていたり剥げたりしており、恐らくこのポストは使われていないものなのだと、そう思った。
「……」
暫くじっと見つめたあと、踵を返して帰路につく。
そのポストの存在が気になりながらも、私は振り返ることなく、その場をあとにした。
◇
突然姿を現した、赤い丸型ポスト。
それを気にせずにはいられず、見つけて以来、私は毎日のように神社を訪れるようになっていた。
もちろん、彼に会えるかもしれない、ということが第一の目的だ。
とは言え、何の予兆もなく現れたポストである。
もしかしたら、見間違えかもしれない──
そんな疑いを抱いていたものの、来る日も来る日も、ポストは変わらず鳥居の前で静かに佇んでいた。
そして数日が経った、ある日のこと。
午前中の澄んだ青空の下で、私は再び、あのポストと対面していた。
初日と違うのは、手紙を出しに来たということ。
自分の現状を見抜いたこのポストに、想いを預けてみようと思ったのだ。
彼の居場所が分からない今、私にできることと言えば、これくらいしかなかった。
この不思議なポストなら。
もしかしたら、奇跡が起こるかもしれない。
そんな根拠のない、神頼みとも言える状況だったが、何もしないよりは自分の気持ちが楽だった。
とは言え、ここは神社だ。
神社の前にあるポストなのだ。
それに想いを預けても、何らおかしくないはずである。
けれど。
手紙をその投函口に入れるのには、なかなか勇気が必要だった。
「……こんな感じで、いいのかな」
手元にある白い封筒を見つめながら、暫くの間逡巡する。
手紙を書こうと決意した昨晩、自室で便箋と向き合った。
しかし、いざ書こうとすると、何をどう文章にすればいいのか分からず。
悩みに悩んだ結果、私が書いたのは。
─ ─あなたとまた、話がしたいです。─ ─
ただそれだけだった。
伝えたいこと、聞きたいことは沢山あった。
けれど今、一番望んでいることは。
「……あなたに、会いたい」
だからこそ、今の想いを、素直に、簡潔にしたためた。
大丈夫。
何も間違っていない。
「この手紙を、彼に届けてください」
そう願ったあと、意を決してポストへ投函する。
「……よし」
あとは、返事を待つだけだ。
返事と言っても、寧ろ来ないほうが当たり前かもしれない。
でも、私は信じる。
このポストを信じると決めて、手紙を書いたのだ。
いつか必ず、来る。
「お返事、待ってます」
そう声をかけて、帰路につく。
半信半疑だった気持ちはいつの間にか、わくわくとした浮ついた気持ちに変化していた。
そして──手紙をポストに投函して、一週間が経った頃。
入浴を終え、自室で受験勉強をしているときだった。
カーテンが閉まっている窓から、軽く叩くような音が聞こえた。
ここは二階で、本来ならば人が来れるような場所ではない。
だとしたら、一体何の音──……
「安心してくれ、手紙を届けに来ただけだ」
窓の向こう側から、男性の声でそんな言葉が聞こえてくる。
手紙、という言葉を聞いた瞬間、今までの警戒心など嘘のように消え去さった。
慌てて立ち上がり、カーテンを引けば。
「……え」
ベランダに、背中に翼の生えた青年がいた。
茶色い郵便帽を深く被り、裾の長いコートのような制服を着た、琥珀色の瞳を持った青年。
月灯りのある藍色の夜空を背に佇むその姿には、何とも言えない不思議な魅力があった。
彼の姿に見惚れていると、彼は僅かに眉根を下げ、開けてくれとでも言うように再び窓を叩く。
その音で我に返り、慌てて窓を開けた。
「やっと開けてくれたか」
「……あなたは……」
問いかけには答えず、彼はごそごそと肩がけのショルダーバッグを漁る。
そして取り出したのは、ひとつの封筒。
それを差し出しながら、彼は口角を上げて言う。
「お手紙ですぜ、お嬢さん」
何の変哲もない、真っ白な封筒。
それを両手で、そっと受け取る。
「こ、この差出人って……」
「お前から手紙を出しといて何言ってるんだ」
「え、じゃあ本当に手紙、届いたの……!?」
「届くも何も、お前の手紙を届けたのは俺だ」
彼は自分の胸元を指差した。
そこには、梟のシンボルマークと、「梟郵便」の文字。
ポストに書かれていたものと同じ言葉。
──自分の想いが、届いたのだ。
「だからあいつからの返事も、俺が預かった」
「……嘘……」
本当に手紙が届き、そして返事まで来たのだ。
半ば信じられない状況ではあったものの、その状況に喜びを感じずにはいられず、自然と頬が緩む。
「中身も見ずに何ニヤけてるんだよ」
呆れ気味の彼が紡いだ、中身、という言葉で我に帰り、喜びを感じていたのも束の間、一転して緊張が走る。
そうだ、中身だ。
返事の内容を──確認しなければ。
恐る恐る、封筒を開け。
一枚の小さな便箋を、ゆっくりと取り出す。
そこに書かれていた文字は。
─ ─明日、いつもの場所で会おう。─ ─
「えっ? 彼……近くにいるの?」
便箋に書かれた文字を読み取ってすぐに、目の前の青年に問いかける。
まさか、彼がすぐに会えるほど、近くにいるとは思わなかったのだ。
しかし、真っ直ぐな瞳でこちらを見ていた彼は、僅かに目を逸らした。
そして言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「あいつはずっと、近くに……いや、あの神社にいたぞ」
「……え」
「見えてないだけなんだ」
「そ、それはどういう……」
「全ては明日、あいつが話してくれるさ」
青年はそう言うと、郵便帽を深く被り直しながら、どこか切なそうな微笑みを浮かべた。
「ではまた明日、神社で会おう。
──良い夢を、お嬢さん」
そんな言葉を残して、彼は上へと羽ばたいた。
すぐにベランダに出て上を見上げるも、既に彼の姿はなく。
月灯りに照らされた茶色い羽根が、ふわふわと舞っているだけだった。
◇
その翌日、約束の日。
会えるという嬉しさと、真実を知る不安の両方を抱えながら、神社へと続く石段を上っていた。
最後の一段を上り切り。
いつもの神社へと辿りつく。
「おはようさん。待ってたぜ」
「あ……昨日の」
参道の真ん中に、梟の青年がいた。
しかし。
彼の姿はどこにも見当たらない。
「……? 彼は……?」
「だから言っただろ。
梟の青年は、私に近づきながら、真面目な声音でそう言った。
そして青年は、自分の手を差し出しながら、真剣な眼差しで言う。
「お嬢さん、お手を。
そうすれば、あいつ……愛しの彼の姿が、見えるから」
嘘をついている訳ではないということは、青年の瞳から伝わった。
それを信じて、自分の右手を、青年の手にゆっくりと重ねた。
刹那、僅かにそよ風が吹き、周囲の木の葉をざわざわと揺らす。
そんな中、青年の背後、社殿の方に新たな人影を感じ。
そちらに視線を移してみれば。
「……久しぶり、だな」
彼が、いた。
黒くて長い髪を後ろで
微笑む表情も、低くて落ち着いた声も、何もかもが、大好きな彼のもので。
気付いたときには、彼に抱きついていた。
「会いたかった……!」
「ああ、私もだ」
そう言いながら、優しく包み込こんでくれる、大きな身体。
その温かさに、思わず涙が溢れそうになるも、聞きたいことを聞いてからにしようと、目を瞑って堪える。
「大きくなったな」
「私、もう高校生だよ? あなたが居ない間に、六年もの時が流れてるんだから」
「ふ……そうだったな。
ずっとお前を見てたから、言われなくても分かってるつもりだ」
ずっと見てた。
そんな言葉に妙な気恥ずかしさを感じたが、それ以上に幸せな気分でいっぱいだった。
しかし。
同時に思い出してしまう。
──見えてないだけなんだ。
青年が紡いだ、その言葉を。
身体を離し、改めて彼の顔を見上げる。
整った顔に妙な色気を感じて目を逸らしたくなるが、逸らすことなく目を見て、最も気になっていた疑問を投げかける。
「ねぇ、見えてないだけって……どういうこと?」
「ああ……そうだな。まずはその事から話そう」
彼は小さく微笑んで、少しの間を開けてから、ゆっくり言葉を紡いでいく。
「この世には、人間には見えない物の怪という存在がいる。
本来は見えないはずなんだが、不思議なことに、一部の子どもには見えるらしい」
彼は静かに、淡々と語る。
黒髪や着物が揺れるその様子は、妖艶さを醸し出しており。
「一部の子どもがなぜ見えるのか……それは分からないんだが。
お前は見える子だった、ということだ」
「……それって、つまり……」
「そうだ。私は人間ではない。
この神社で暮らす──物の怪だ」
再び風が吹き、周囲の木の葉がざわざわと揺れる。
人間じゃない。
物の怪という存在。
驚いたのは事実だが、振り返ってみれば、突然現れたポストや翼のある青年など、不思議なことが立て続けにあった以上、そこまでの驚きは感じられなかった。
寧ろ、素直に納得できた。
しかし。
嫌な胸騒ぎがした。
この胸騒ぎは……一体何なのか。
「失望したか?」
「そんなことないよ」
「そうか。物の怪と言っても、人間に取り憑いたりするような物の怪じゃないからな、そこは安心するといい」
「……そっか」
嫌な胸騒ぎがするせいか、普段なら気にならないような、些細な言葉まで気になってしまう。
それを誤魔化すように、小さく微笑む。
しかし、彼の顔からは微笑みが消え、一転して寂しそうな顔をした。
「本題はここからだ。
お前に伝えなければならないことがある」
胸騒ぎが一層強くなる。
伝えなければならないこと。
ああ、きっと。
嫌な胸騒ぎの原因は、これだ。
「今のお前に私が見えているのは、梟の力のお陰だ」
「……そうみたいだね」
「ああ。見えないものを、一時的に見えるようにしているだけなんだ」
「……うん」
「だからその内……お前はまた、私が見えなくなる」
徐々に小さくなっていく彼の声。
そんな彼の最後の言葉を聞いて、私は彼が言わんとしていることを理解した。
──理解してしまった。
ああ、嫌だ。
彼は、物の怪だった。
その事実が嫌なのではなくて。
そうではなくて。
彼は物の怪で。
人間には見えない存在で。
この先また……見えなくなる。
それはつまり。
そういうこと、なのだろう。
──ああ、嫌だ。
「だから……」
「自分を諦めて新たな恋をしろって、そう言いたいんでしょ?」
彼の言葉を遮って、そう吐き捨てた。
彼の顔なんか見れない。
見れるわけがなかった。
彼の口から聞きたくなんかない。
だから自分から言った。
俯いたまま、次々と溢れる言葉を、矢継ぎ早に紡いでいく。
「あなたは物の怪で、人間じゃない。
それなのに、人間の私はあなたを好きになった。
あなたに恋をしてしまった。
物の怪との恋は、実らない。
だから今日は、私を……!」
「在るべき道に戻すために、呼んだんだ」
私が言おうとしていた言葉を遮ったのは、後方で傍観していた梟の青年だった。
青年は私たちの近くまで来ると、辛そうに言う。
「お前の口からそんな言葉は聞きたくないんだよ、俺も、そしてこいつも。
そして俺たちも、お前にそんな言葉を言いたくないんだ」
「だが……お前に酷な現実を押し付けているのは事実だ。……すまない」
ああ、やっぱりそうなんだ。
自分から言ったことではあるけれど、どこかでそれを、否定してほしかった。
俯いたまま何も言わない私に、二人が困っているであろうことは分かったけれど。
今の私に、彼らを気遣う余裕などなかった。
暫くの静寂の後、どこか淋しげな声で、物の怪の彼が話し出す。
「この町には多くの物の怪がいる。
だが、それが物の怪だとは知らずに、関わってしまう者が多くいるんだ。
だから私たち物の怪には、その者に真実を打ち明け、在るべき道に戻す役割がある。
その手助けをしてくれているのが、梟だ」
「ああ、そうだ。
けどな、これだけは言わせてくれ。
例え見えなくなっても、俺たちはお前の近くにいて、見守るつもりだ。
これからもずっと、近くで、
そしてお前が本当に必要としたときには、あのポストが俺のところまで導いてくれる。
その時は今回みたいに、また手紙を書いてくれればいい」
「そうだな。こうして手紙は、ちゃんと届くのだからな」
最後の彼の言葉で、俯けていた顔を上げる。
そこには、私が投函した手紙を懐から取り出して、微笑んでいる彼がいた。
その隣では、梟の青年も穏やかな笑みを浮かべている。
近くにいる。
ずっと見守る。
気持ちを切り替えれたわけじゃない。
でも、今はその言葉だけで十分だった。
ありがとう、と言いたかったけれど、堪えていた涙が溢れだし。
留まることなく頬を伝って、とても言える状況ではなかった。
「なぁ……最後に、俺の言葉を信じる気はあるか?」
郵便帽の下から覗く琥珀色の瞳が、どこか寂しそうに揺れている。
彼らは、真実を打ち明けて尚、私のことを突き放さなかった。
それどころか、ずっと見守ると、そう言ってくれた。
ならば、今度は。
──私が、彼らを信じる番だ。
頬を伝っていた涙を拭い、真っ直ぐに青年を見た。
「信じるよ」
「……いい顔になったな」
青年は嬉しそうに口角を上げる。
「いいか、今から階段を下って真っ直ぐ鳥居を目指してみろ。
俺たちを振り返らずに、だ。
そして鳥居の下をくぐった時、あの丸ポストの存在を確認するといい。
その時、お前にポストが見えていなかったら、それはお前が、新しい恋をする心構えができている証だ」
「もし……ポストが見えていたら?」
その問いかけには、物の怪の彼が、小さく笑いながら答えた。
「その時は、またここに戻ってくればいい。
お前が納得の行くまで、心構えができるまで、お前の話を聞くと約束しよう」
「……分かった」
その言葉に、意外にも素直に頷けた。
そして、二人に背を向けると、参道の先、下へと続く石段を見据える。
大丈夫。
お別れじゃない。
彼らはずっと、近くに──
「さよならは、言わないから」
「それでいい。また会おう」
「ああ、またな」
「うん、また」
振り返らずに最後の挨拶をして、私はゆっくりと足を踏み出した。
参道を進んで、階段を下る。
完全に切り替えれたわけではないけれど。
不思議と気持ちは、前を向いていて。
身体がとても、軽くなったように感じた。
最後の一段を下り、鳥居の下をくぐったあと。
立ち止まって深呼吸をした。
そしてその存在を確認すべく、鳥居の方を振り返る。
そこにあるはずの赤い丸型ポストは、
もう、どこにも見当たらなかった。
梟郵便局 -あなたの想い、お届けします- 言詠 紅華 @_____kurenai
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