03話 日常と消える影
目が覚めるとそこはなんて事ない見慣れた天井。保健室のベットの上だった。いや、保健室の天井に見慣れてしまうとは。嘆かわしいことこの上ない。
ゆっくりと起き上がる。寝る前までは体がだるくて仕方なかったのにずいぶんとスッキリしたものだ。睡眠は偉大だ。ポケットに手を入れればそこには一回り小さいスマートフォン。
…疑っていた訳では無いが実際目にするとやはり驚く。あの夢が実際のものであることに。
**
あれから僕はクマともうしばらく話をして、そして向こうで眠りについた。どうもこっちと向こうの行き来には睡眠というファクタが必要らしい。ただ、こちらから向こうに行く際にはやはりプレートが必要なようだ。また、今回昼間でも入れたのは特別。次回からは正規の時間でこちらに来るように、とクマに口酸っぱく言われたものだ。実際、日が落ちる前に寝ても入れないらしいのでそんなことはするつもりもなんだけどね。
さて、と。ぐぐっと大きく伸びをして、ベッドから降りる。具合も良くなったことだし、授業にでも出るか。そう思ってベッドの周りに張られたカーテンを引く。
「ああ、やっと起きたのか。随分爆睡していたようだが、夜眠れない理由でもあるのか?」
と、ニヤニヤしながら白衣を着て、回転椅子をギコギコさせているナイスバディな女が話しかけてきた。
…はぁ。そうだった。こいつがいた。いや、教師に対してこいつ呼ばわりもどうかと思うが。
「そんなんじゃありませんよ。いや、例えそうでも先生には相談しませんよ。まったく。何を期待してるんだか。」
「そんなに冷たいこと言わなくても良いじゃないか。私が珍しく教師らしいことをしてるって言うのに。」
とか言って頬を膨らませた我が校の保健医に
「下心が丸出しなんだよ。」
と冷たく切り返し、尋ねる。
「ところで今何時だ?元気になったから授業に出てきたいんだけど。」
しかし、
「うわー。ひどーい。下心とか言っちゃうんだ?そーゆー冷たい態度ばっかだと、君のお楽しみ、細馬ちゃんに言っちゃうよ?」
はぁ。
「いや、質問に答えてくれませんかね?」
「えー?どーしよー?」
イライラしてきた。時計のないこの部屋で時間を知るにはこいつに聞くしかないことは分かってはいるのだが。
「はよしろや。」
「はいはい。もう放課後。これから教室に行っても何も無いぞ。」
…なんと。夏ってのは時間感覚がおかしくなるな。
「わかったよ。帰ることにする。」
「そんなすぐに帰らなくても。おねーさん悲しい。」
「おい。」
そろそろ本気で
「それに。」
急に声のトーンが落ちる。
「まだ体調、万全じゃないだろ。」
…どうしてこう勘が鋭いんだか。
「そんな顔をするな。曲がりなりにも私も教師で保健医だ。生徒の体調管理くらいはするさ。」
「そーかい。でも、今日は帰らせてもらうぞ。」
「ああ、かまわん。だが、また体調不良になるようならまたこい。寝かせるくらいはできるからな。」
「はいはい。」
適当に返し、保健室を出る。危ないな。これ以上保健室に入り浸るのはやめた方がいいかもしれない。索敵もあいつに任せておけばいいだろう。必要以上に警戒しすぎるのも良くない。
さて。鞄を取って、玄関を通る。校門にはいつも通り、あいつがいた。
「よう。」
まるで待ち合わせのように少し下を向いて校門に寄りかかる彼女に声をかける。
「すまんな。待たせたか?」
「いえ、そんなには。」
そう答えた細馬は満面の笑みで
「これからは連絡をくれると助かります。」
なんて言ってきた。怒らせてしまったらしい。こいつは機嫌が悪いほど笑顔になるのだ。目が笑っていない笑顔ほど怖いものは無い。
「悪かった。今度どこか連れてってやるよ。」
「美味しい食べ物の方が嬉しいですねー。できれば駅前のスイーツ巡りがしたかったり。」
「…奢ってやるから。」
「やったー」
…こいつは。
「ほら、行くぞ。」
「はーい。」
都合のいい奴だ。
途中でお礼替わりにジュースを奢る。
「これでチャラじゃないですからね?」
なんてクラスの半分の男子が恋に落ちる様な笑顔で言ってきたあたり詐欺師だろう。
帰り道をゆっくり辿りながら頃合をはかり、僕は話を始めた。自然に。
「今日、恐らく僕らの正体を知ってる奴に会った。」
ただ、その一言で彼女の顔から血色が引く。
「たぶん、敵ではないと思う。でも味方でもない。そしてお前のところにももうすぐ来る。」
「…どういう事、ですか?」
「やっぱり、知らなかったか。」
「…まさか、学校で」
「ああ。今日保健室で寝ていた時だ。訳の分からん不審者が1人、接触してきた。そして…」
そこで僕は今日の1連の出来後について話す。
何も言わずに聞いてきた細馬はやはり、信じられないような目で見てくる。
「回りくどいドッキリではないですよね?」
「なんでそんなことするんだよ。」
「いや、でも学校に来たって言うのが」
そう。そこだ。
「お前の索敵範囲で、お前に気づかれずに行動できるとはな。体質無効化みたいな体質者くらいしか思いつかんが、そういう感じもなかったんだろ?」
「ええ。今日は違和感と呼べるほどのものはまったく。無効化なら彼女みたいに無効化されていることを認知できるはずですが。」
「まあ、どんな体質があってもおかしくはないからな。」
そこはそう割り切るしかない。全部を知ってるわけじゃないんだ。
「それで私の所にも来るって言うのは私にもその街への招待が来る、と。」
「ああ。多分あの感じ、お前のことも知ってる。お前の判断で構わんができればお前にも招待を了承して欲しい。」
「分かりました。」
二つ返事で答える。
「いいのか?それで」
「ええ、構いません。」
相変わらず、自分の意志が弱いな。
「分かった。じゃあ、もし招待が来たら連絡が欲しい。それと、僕の方の索敵をしばらく辞めようかと思っている。」
「…何かあったんですか。」
「保健医に勘づかれた。と思う。」
「…!」
一瞬で彼女の顔が緊張へと変わる。
「まさか、私たちの体質の事を?」
「いや、まだそこまではいっていない、はずだ。ただ、さすがに不審がったみたいだな。これ以上の入り浸るのはやめた方が良さそうだ。」
「そうですね。索敵範囲的には問題ないでしょう。ただ、処理が」
「やはり、厳しいか。」
「学校全体を常時、となると勉強どころの話では無くなると思います。」
それはそうだよな。これまで二人でやってきたことを一人でやるわけだ。
「まあ、じゃあそれは後々考えよう。今までと同じ程度で、できる範囲でいい。」
「分かりました。ただそれだと今までの半分程度になりますが」
「構わないよ。それでいい。」
十分だ。もともと学校全域の完全索敵なんかできるとは思っていない。
「それと、あと二日三日は自分の周りをとくに警戒しておいて欲しい。招待役が来る時に使っている体質について、もう少し詳しく知っておきたい。」
「分かりました。」
「ありがとう。」
そのあとは特に会話もなく、帰り道を急いだ。ただ、別れる寸前に、まるで絞り出すみたいな声で細馬は聞いてきた。
「あの、そのゲームへの参加は、するですか?」
一瞬、なんの事だか分からなかったが、すぐにクマから提案されたあのゲームのことだと気づいた。
「うん。そのためにあの街、叶依区へ行くつもりだ。」
「それは、やはり彼女の…」
先を濁す彼女に誤解のないように気をつけながら話す。
「もちろん、それもある。でも僕は叶依区自体に興味がある。あのクマを信用できるとは思えないが、それでももしあのクマの言ってることが本当なら、他の特異体質者たちとも交流が出来るかもしれない。」
…そうすれば、相手側の情報も手に入る可能性がある。こんな風に怯えて過ごす日々も、終わりを告げるかもしれない。
「なるほど。それは、頑張らないといけませんね。」
恐らく話していない部分まで細馬は理解したようだった。まったく。恐ろしい限りである。
「ああ、じゃあ、よろしく頼むな。」
「はい。ルイも、ご武運を。」
なんて言ってくるあたり本当に恐ろしい。苦笑いで応じて、そのまま家に帰る。
ーそして夜。
枕元にプレートを置き、静かに目を閉じる。ただ、そんなに直ぐに眠れるはずもなく、ごろごろと寝返りを繰り返した。
それなりの時間が過ぎ、夢と現実の間を行き来していたような頃だった。
ふと、空気が変わった気がして目を開けてみれば、そこには、さっきまでの部屋の天井の面影は一切なく、喫茶店や食事店の立ち並ぶ不思議な街の入口だった。
す。ご。ろ。く。ゲーム @Kadoya_7143
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