第43話 五章 五月八日 日曜日

 混み合うバスセンター内。無意味に広く、絶え間なく人の往来があるこの場所でも、俺はアイツらを一目で見つける事が出来た。直ぐに判った。アイツらだ。嫌でも判る。ただでさえ目立つというのに、なにやら大声で言い合っているのだ。でも直ぐに近寄って声を掛けるのは、ちょっと……。


「へぇ、関心関心。なかなか似合ってるじゃないか、サクヤ。いつものボーイッシュなダメージジーンズにタンクトップはどうしたんだよ。まあ良いけど。今日は草色のカワイイ系で纏めてみました、って感じか? それ、今年の春のモードだよな? まるでどこぞのお嬢みたいじゃないか。でもお前、ワンピースにしてはそのスカートは短すぎやしないか?」


 息を呑むほど綺麗で、ある意味、恐怖さえ感じさせる黒髪の美人が連れの草色の服を着た女のコに毒を吐いている。


「そんな事ない! それにあたしはお嬢だから! 正真正銘のお嬢様なの! それにカナミ、君に言われたくないわよ。なによ、その派手な赤い上着。それに嫌味なくらいに身体の線が見えるような服着て何考えてるのよ! そんなもの着て来て恥ずかしくないわけ!?」


 栗色のポニーテイルを揺らし、赤服の美人にワガママを言っているお嬢様がいた。


「周囲の注目を集めるのって、気持ち良くないか?」

「ば、バッカじゃないの!?」

「お前も目立つのが好きなんだろ? 違うのかよ」

「そ、そうだけど……ば、バカ! ちが、違うわよ! 当たり前でしょ!?」


 ああ、バカだろアイツら。すれ違う人が皆、何事かと振り返っている……。


「だったら、どうして男共が皆振り返るんだ?」

「あたしが一緒にいるからに決まってるじゃないの! この清楚なお嬢様の雰囲気を誰も無視できていないの! 目立ちたくなくても、人目を引くの! あたしは罪な女なの!」

「お嬢様がミニなんて履くかよ。笑わせるな」

「うっさい!」


 目立ちすぎだ、あのバカども……。皆が振り返るのは、お前らが喧嘩しているせいなんだって!


「ごめん、遅くなった」


 二人の目が俺を捕らえた。俺は改めて二人を見、その姿に息を呑む。何故か胸が高鳴った。俺は目を擦る。……反則だ。反則過ぎる。どこの誰だよ、この目映いばかりの女どもは。いつものイメージと違うモノを着てくるな。目のやり場に困るだろ?


「私を待たせるとは良い度胸だな、委員長」

「充彦くん、おはよう」


 アイツは俺を睨み付け、朔耶は素直に微笑んでくれた。いつものアイツらの片鱗をやっと見つけてほっとしたもの、ドーナツ屋の店内とバスセンターを行き交う男共の視線に鋭く厳しいものを感じる。


「まあ、いいか。コイツは委員長だから、仕方ないと言えば仕方ない。うん。仕方ないよな。……でさ、特訓なんだけど、サクヤ。お前、右と左、どっちが良い?」

「はぁ?」


 アイツの問いに、朔耶はただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。



 俺達は商店街を抜け、最近出来たばかりのショッピングモールに突入する。


「なあ、委員長。パワーストーン、って信じるか? あの綺麗な石の輝きに、私はなんだか引き寄せられるんだよ。持ってるだけで心が澄んでいくんだと。凄いと思わないか?」


 無理矢理組まされた俺の左腕が引っ張られた。


「ちょっとカナミ、勝手なこと言わないで! アブナイ趣味に充彦くん誘わないでよね!? ね、ね、充彦くん。あたしシルバーのアクセが欲しいんだ。石ころなんてどうでも良いから、あのお店見に行こうよ!」


 確かにスピリチュアルな趣味に付き合うような深淵を俺は覗きたくない。でも朔耶。シルバーアクセなんてそんなもの、アイツが言っている石ころと大して変わらないだろ? ……とは口が裂けても言えなかった。同じく無理矢理に組まされ、がっちりと固定された右腕に凄い負荷が掛かる。


「おい、こっちだ」


 アイツの言い分は強引極まりないものだった。そう言いつつも、アイツの視線が明らかに朔耶の動きを細かに観察していることが俺にも見て取れる。


「こっちだってば!」


 対する朔耶はそのことに気づいていない。ただただ俺を引っ張るだけだ。


「い、痛いって。引っ張るなよ、お前ら!」


 ……なんの冗談だ。周囲の人間が皆見ている。恐ろしく目立っていた。小さい子が指差して笑っている。お母さん方の目が痛い。あ、避けられた。すれ違うカップルの……男の視線に含みが見える。隣の女が引いていた。道行く男共の視線が超怖い。怖すぎるよ。


 フードコーナー近くのフリースペースに据え付けられていたベンチにアイツが腰を下ろす。そのスラリとした長い足を組む姿がとんでもなく決まっていた。注目せざるを得ない。思わず俺は見とれてしまった。


「私はここで休んでいるからさ、ちょっと二人で廻って来いよ。委員長、判ってるな? サクヤを人目に晒してこい。……私に刺激されないと、いつもの図々しさが未だ発揮できていないようだからな。手本は見せてやっていたはずだ。お前にも出来るよな? サクヤ」

「……っ! どうしてあたしがそんな事しなくちゃいけないの!」


 アイツの赤い唇が仕込まれた毒を吐き、黙ってはいられないとばかりに釣られたあのコが噛みついている。


「黙れサクヤ。お前の本気はこの程度か? お前の望みの強さはこの程度かよ。あーあ、私もつまらない奴に肩入れしちまったな。とんだ時間の無駄だった。もう、帰るか?」

「冗談じゃないわよ、ここまでやらせておいて。やってやるわよ。やれば良いんでしょ、やれば!」

「だったらもっと大胆に周囲の興味を自分に惹き付けろ。媚び媚びに媚びてみやがれ。ステージはこんなモノじゃないぞ? 数百人……いや、私と同じステージなんだ。数千、数万の人間の聴衆の視線に晒されるかもな。それを思えばこの程度、どうってことはないだろ?」


 アイツの次元を超越した自信はこの際置いておくとする。アイツなりの考えで朔耶をここまで挑発しているのだろうが、少しやり過ぎではないのだろうか。俺はいったいいつとんでもない出来事が起こるのかと内心冷や冷やしていた。


「あったり前じゃない! カナミに言われなくったって! もうカナミなんか放って置いて、あっちに行こう? 充彦くん!」

「諸星、お前……」

「良いから行けよ。私はここでお茶してるからさ。それじゃ委員長、彼女と仲良くやってこいよな」


 アイツが手の平で追い払うような仕草をするので、仕方なく従うことにした。



 服や小物を見て回る。朔耶は自分の欲望に忠実だった。どうやら、朔耶はカワイイ系が好きらしい。かろうじてそのことだけは理解できただけでも収穫だ。朔耶が初めに目を付けていたアクセサリーの店にも連行され、ワンポイントの光るシルバーのネックレスを買わされた。早速身につけてはしゃぐ朔耶の姿は眩しすぎ、この上なく嬉しく思えた。ただ、一つ辛かったのは、財布へのダメージがかなり甚大だったことだ。


「充彦くん、ねぇ、充彦くんってば」


 腕にぶら下がる朔耶のことよりも、アイツがなにか企んでいるらしいことだけが俺の頭を支配していた。


「ね、ね、……なに考えてるのよ、充彦くん」


 あのバカ、絶対になにか企んでやがる。俺になんの相談もなく、こんな夢のような両手に花のデート……もとい、茨の棘の突き刺さるような地獄の晒し者道中なんぞに誘いやがって。全くもって、やってくれたと言えよう。


「充彦くん、そっか。そうだよね。充彦くんはあたしの事なんてどうでも良いんだよ。そうだよ。あたし、また勘違いしてたんだ。まただ……もう、ショックかも」


 あれ? ……朔耶? 朔耶が急に立ち止まる。その顔を見て失敗したと気づいた時にはもう遅い。俺はまた最低の行為を重ねていたらしかった。


「おい、どうしたんだよ、朔耶?」

「……イヤ。あたし、もういい」

「なんだよ、急にどうしたんだよ」


 途端に朔耶がぐずり出す。俺の腕をしっかりと固定して離さなかった腕を邪険に振り払い、今は弱々しい声で俺に訴えてくる。もの凄く気まずかった。


「あたし、帰る」

「え? 帰る、って……」

「充彦くんにはカナミがいるもん。カナミと仲良くしたら良いじゃない。あたしなんか、放って置いて」

「朔耶、お前。違う、そんなのじゃないって」


 朔耶が上目づかいに俺を見る。その鳶色の瞳が濡れていた。


「充彦くんはさ、あたしよりカナミの方が良いんでしょ? 仲、とっても良いよね? どんな美少女に詰め寄られたって、ちっとも心揺れずに遠距離続けてたんだものね。それも一年も。狡いよ。充彦くん。あたし、あたしこんなにも充彦くんが好きなのに、好きって言ってるのに、充彦くんはちっともあたしを見てくれないんだ。あたしがどんなに頑張っても、充彦くんはあたしを振り向いてくれないんだよ。もう、こんなのやだよ。辛いよ。嫌、だよ……充彦くんは、あたしの事、嫌い?」

「そんな事ない! 朔耶、俺はお前を……」

「……っ! あたし、が?」


 朔耶の頬に期待の紅に染まる。


「あー、黙れお前達。いくら仲が良いとは言っても、私の目の前で痴話喧嘩はよせ。いくら私の神経が図太いとはいえ、これはさすがに耐えられん。平静ではいられそうにない」


 俺は突如として耳に割り込んだその声に息を呑む。アイツの声は背後から聞こえた。朔耶の顔が固まる。振り向けば、アイツが呆れ顔で立っていた。



 朔耶がジュースを買いに行っている間、俺は耳を引っ張られつつ、アイツに説教されていた。


「委員長。バカかお前は。今日の目的を忘れたのか? サクヤに自信を持たせるのが目的だったろ? 自信をつけさせるどころか、逆に絶望させてどうするんだ、この大バカ者。もっとサクヤに気を遣ってやれよ。あのコ、精一杯背伸びして、あんな可愛い服を選んで着て来たんだぞ? きっと今日のために買った服だぞ、あれは。……それにお前達さ、お互い……好き合ってるんだろ? 何してるんだよお前」

「……っ! 諸星、ちが……っ!」


 凄い目で睨まれた。


「黙れよ。聞きたくない。私に遠慮なんかするな。もっとサクヤのこと、お前は想ってやって良いんだ。お前、私に遠慮してるよな? だって、お前はいつも苦しそうだから、さ。私、気づいてた。あの日お前達を見たとき、お前達がお互いをどう思っているのかなんて、もう私が入り込む余地なんか無いんだ、そんなこと、とっくの昔に知ってたよ……。だからさ、お前はお前の好きにしろよ。な? 私はほら、大丈夫だ」

「諸星、お前……」


 アイツの表情は変わらない。でも俺は、そんな台詞を吐くアイツの両の拳がギュッと握りしめられたのを見逃さなかった。


「そんな顔するなよ。私はお前が嫌だと言うまでは、お前の傍にいてやるよ。私がお前の嫌がることをするわけ無いだろ? 心配するなよ。かえって私の方が不安になるじゃないか、このバカ」


 だったら、そんな言葉と逆の態度とらないでくれよ。余計に心配になるじゃないか。


 ◇ ◇ ◇


 ここは地獄の一丁目。俺達がアイツに連れられて入ったのは香しい紅茶の芳香が漂う喫茶店だった。明るい雰囲気の店内。だが、俺達の他にお客さんは見当たらない。


「お前ら、通路から見える席に座れ。サクヤと私の顔が見えるように座ってろ」

「なんなのよ、カナミの奴、全部仕切っちゃって」


 イマイチ主導権を握れきれていない、朔耶が頬を膨らませている。


「良いじゃないか、朔耶のためを思ってやってるんだと思うよ?」

「それは……そうだけど。なんだか方向性が微妙、って言うか……」


 朔耶の頬がさらに丸くなる。俺はお嬢様の機嫌をとることにした。



 店に入るなり、アイツは名前も名乗らずにこう告げたのだ。


「特製ジャンボパフェ。予約していたやつな。頼むよ」


 運ばれてきたのは、見ただけでお腹いっぱいになりそうな巨大スイーツだった。テーブルの上のパウチされたメニューに載っている値段を見た俺はさらに怯む。アークグリルのステーキが二人前が食える値段だったのだ。ジャンボパフェと称する物体が俺の目の前に聳え立つ。値段も凄いがまさかのデカさ。まさか、これを食うのか……? 冗談だろ!?


 俺は自分の目が信じられなかった。向かいに座るアイツがスプーンを片手に死刑宣告を告げて来たのだ。


「はい、委員長。『あーん』」

「……脳みそ湧いているのか? 諸星」

「きゃはは! 充彦くん、沢山食べないとね! せっかくカナミが食べさせてくれているんだよ?」


 散々俺の口にアイスを突っ込んで楽しんだはずの朔耶が尚も拷問を要求する。スプーンを握るアイツの半眼がさらに細くなっていた。気のせいか、目の奥が赤く光って見える。


「委員長テメエ、良いから口を開けやがれ! 目玉に突っ込まれたいか!?」


 もの凄い剣幕だった。驚いた店員さんが身を乗り出してこちらから目を離せないでいる。初めのうちはやっかみと嫉妬の色が混じっていた店員さんの視線も、今では哀れみと同情を感じさせるものとなっているのが何とも言えない。アイツに睨まれた俺はと言うと、冗談抜きで漏らすかと思った。そして気がつけば無理矢理口にスプーンを入れられていて。……もう、無理だと言うのに……。


「つ、冷たい、味なんてしないよ」

「あぁ!? なんだとテメェ! うまい、よ、な!? 噛めよ! ほら、飲み込め!」


 無理だ。味なんてもう本気でわからない! でも、やっとの思いで冷たい何かを飲み込んだ俺が口にできたのは別の言葉だった。


「はい。とても美味しいです」

「よろしい。じゃ、サクヤ、今度はお前に食べさせて欲しいそうだ。くれてやれよ。全くコイツ、とんだ浮気者だよな。委員長の奴さ、さっきお前がジュースを買いに行っていた時なんて、私にお前の気を引くためにはどんなアタックをかければ良いのか、なんて真顔で聞いてくるんだぜ? もう、コロしてやろうかと思ったよ」


 朔耶が慌て、アイツが笑っている。今日一番の笑顔と言えた。この地獄の中で、アイツらのこの表情が見れただけでもマシかも知れない。


 ◇ ◇ ◇


 ベッドの上に転がってアイツにメールを打つ。


『諸星、今日はごめん』

『なんの話だ、委員長。お前こそ今日は無理させて悪かったな。でも、サクヤと仲良くなれただろ? 良かったじゃないか』


 またもそういうことを……。この嘘つき。


『諸星、俺はお前のことが好きだから。ずっと変わってないから』

『無理するなよ。サクヤはお前を待ってるよ。私なんて気にするな』


 畜生、アイツ、なんだってこんなこと言いやがる。


『そんなんじゃないって』


 更に打とうとして止めた。メールじゃとても追いつかない。アイツ、出てくれるかな……。待つこと三コール。まだ出ない。五、十、十五……。どういうことなんだよ。一体なにを考えているんだよ、諸星。それから何度もコールした。でもその日、結局アイツは電話に出なかった。アイツの手元で呼び出し音が鳴っているはずなのに。

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