第44話 五章 五月十八日 水曜日

 今日も今日で練習だった。絶え間ない練習の日々こそ実力を高める方法だから。


「サクヤ、ドラム走りすぎだ。諸星はついてこれるだろうが、客や織姫、悠人がついてこれない。ノッて来て熱くなる箇所が早くなるのは判るけれど、リズムはきっちりとキープしてくれると助かる。俺のベースを聴くと良い」

「はいはーい。ぎゃはは、ごめんごめん、充彦くん」


 朔耶の返事はあくまで軽い。見れば、アイツが苦笑している。


「委員長。随分と立派なリーダーぶりじゃないか」

「うるせ」

「褒めているんだよ、バカ。私は喉が渇いた。なにか買ってくる。お前らはなにかいるか?」


 そうなんだ。信じられないことだが、アイツは自分から使い走りを志願する。最近のアイツは実に気が利くと言えよう。


「俺はスポーツドリンク系」

「あたし甘いミルクティー」

「オレ、ブラックをお願い」

「わたし、つぶつぶ入りオレンジが飲みたい!」

「無いから」


 織姫が無理だと判ってボケていた。


「うう、もっとボケてよ、一言で切り捨てちゃダメだよカナミちゃん」

「はいはい。で、何?」

「じゃあね、コガさんが作ったコーラで良いよ?」

「無いから」

「……いつもいつもお約束に付き合ってくれてありがとう、カナミちゃん。やっぱり優しいね? わたし、ちょっと感動したかも」


 嘘であると断言できる。心臓に毛が生えている織姫だ。この程度のボケで心を動かされるはずがない。


「ねえ、充彦くん?」

「なんだよ」

「最近、カナミ優しいね」


 朔耶も俺と同じ感想を持っていたみたいだった。まぁ、当然かも。


「そうか? 喧嘩しなくなっただけだと思うぞ?」

「ううん? みんなに優しいよ? みんなのこと考えてるというか、気配りしてくれてるもの。落ち着いて物事考えてる感じだし」


 俺は教室でのアイツを思い起こしてみる……止めた。これっぽっちも該当しない。バンド練習中のアイツの姿は……うん、朔耶の言うとおりかも知れない。確かに優しい。色々と角が取れて丸くなっているのは間違いないだろう。


「ああ、そうか。アイツ最近、母親と連絡取り合っているみたいなんだ。だからかな。そうか、仲直り上手くいってるのかもな……」

「お母さんと仲が悪かったの?」

「ことある事に衝突していたっぽいからなアイツがこうしてバンド始めて音楽活動を再開したから、母親との話題も増えてるんじゃないか? 朔耶のおかげかもな?」

「え? あたし? そ、そんな事……ないよ、うん。あたしの力じゃ……」


 朔耶の頬が赤く染まり、途端に顔を伏せる。


「いや、お前は頑張ってるよ。なにせ、俺達の動画をアイツの母親に最初に見せようって言ったのはお前だし。それに、朔耶も最近ではアイツのことをずっと気にしてやっていたじゃないか。アイツが優しく思えるのは、朔耶、お前自身がみんなに優しくなってきているんだよ。俺はそう思うな」

「そ、そう?」

「ああ、お前は最高だよ」


 上目遣いに俺を見上げる朔耶の目が忙しなく動き出す。見れば、両の掌を合せて何度も擦っていた。なんだ? どうしたんだよ。


「買ってきたぞ? ほら!」


 アイツが戻ってきた。皆に配って廻っている。……ホント、朔耶の言うとおり、アイツ優しくなったよな……。ん? あれ?


「諸星、俺のは?」

「ん? ああ、忘れたみたいだ。悪ぃ。委員長、お前は自分で買って来いよ」


 実に軽くそう言ってのけるアイツの目は意味ありげに細められていた。こ、こいつ! ……ちっとも優しくなんて無い! ここは前言を撤回せねばなるまい。



「サクヤ。ちょっとコーラスやって見せろよ」

「え? ここはオリオリが良くない?」


 アイツが朔耶にコーラスを勧めていた。確かに、朔耶がボーカルでも何の問題も無い。アイツと織姫が上手すぎるだけで、朔耶の歌は決して下手ではないのだから。


「いや、お前が良い」

「そんな事言われたって……」

「俺も朔耶の声聴いてみたいな。やってみせてくれよ」


 嫌がっていた朔耶の顔が、急に輝いた。


「え? 充彦くん……でも、あたしが歌って良いのかな……?」

「大丈夫だって。俺は信じてるよ。朔耶のこと」

「充彦くん……」

「出来るよな? サクヤ」


 自信が無さそうだけど、大丈夫だ。俺も問題ないと思うし、何よりアイツが勧めている。


「え? カナミちゃん? う、うん。あたしやってみるよ」

「だってさ。悪いな、オリヒメ」


 アイツが織姫に断りを入れたようなのだが……。


「!! ……う、どうしたのかなカナミちゃん、まぁまぁ落ち着くのだカナミちゃん」

「私はいつだって冷静だ」


 織姫が息を詰まらせた。アイツ、織姫に何か? 一体どうしたというのだろう。



 朔耶はまだ渋っていた。なんだよ、さっきはやってみる、って自分で口にしていたじゃないか。大丈夫だって。


「でも、自信ないよ……」

「大丈夫、出来るよ、朔耶なら」

「うん……」


 俺が太鼓判を押すと、朔耶はやっと頷いてくれた。



 なんだか背後が騒がしい。織姫の最近では珍しい慌てた声がする。


「か、カナミちゃん? あああ、あのねあのね、ちょっと待て!? 落ち着こうね、カナミちゃん!? ……悠人くん! さ、もう始めようよ! ね? ねえってば!」

「あ? なんで? 織姫ちゃん、どーったの?」


 急に話を振られた悠人の困る声もする。


「早く! もう怒るよ、悠人くん!? 良いからわたしの言うこと聞け!」

「わ、わーったよ……」


 どうしたんだよ、と振り返る。


「……ぃっ!?」


 俺は吐き出そうとしていた息を呑み込む。俺の直ぐ後ろにいたアイツが物凄い目つきで俺を睨み付けていたからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る