第42話 五章 五月六日 金曜日

 その日、朝から織姫は真新しいスマホを手に手当たり次第に激写していた。その傍若無人を地でゆく姿はカメラ小僧――いや、鉄道を前にしたマニアも顔負けと言える。


「オリオリ、どうしたの? そのスマホ」

「えへへ、お母さんに買って貰ったんだ」

「そうなんだ。なんだか高級品っぽい」

「みんなをびしばし撮って、インスタ上げちゃうよ!? あーんな姿やこーんな恥ずかしい姿も撮っちゃうんだから!」


 いや、その表現おかしいから。それ既に過去形だろ? 表に出せない写真なんて、もうかなり撮ったよな?


「みんなが楽器持っているところも、早く撮りたいなぁ。レンタルスタジオ、みんな今日も行くよね?」

「えっと充彦くん、今日あたし遅れて来るけれど、みんなは先に行って始めてくれていて良いよ?」

「用事か?」

「……ちょっとファンと交流会。アイドルは忙しいんだよ」


 朔耶が俺に片目を瞑ってみせる。どうやら妙な用事があるらしい。



 レンタルスタジオに遅れて飛び込んできた騒々しい奴が、今日も今日で喚いていた。ただ、今日あのコがもたらしたビッグニュースは、確かに実のある内容だった。


「音楽祭のステージが確保できそうなの! 実行委員長に前々から頼んでいたのだけれど、なんとかねじ込んでもらえそう!」


 俺は朔耶からアイツに視線をずらす。俺の意味しているところが届いたのか、アイツは朔耶の方に向けていた顔を、俺に向けてくる。その整いすぎた顔にはなにやら含んでいそうな、何とも言えない笑みを浮かべていた。どうやら考えることは一緒なのかも知れない。実行委員長も可哀想に。アイツにどんな手で脅されたのだろうか。それとも、買収か? 俺がいくらアイツを睨んでも、アイツは意味深に薄く笑みを浮かべるだけだった。


「あー、お兄ちゃんとカナミちゃん、なに見詰めあってるの? 怪しいなあ」

「バ、バカ、そんなんじゃ!」

「……っ!」


 織姫のバカに現実に引き戻される俺。織姫がいやらしい目付きで見下ろしていた。朔耶は……両の拳を握りしめ。それがピクピク震えている。今にも噛みついて来そうだ。


「とにかく、あの肉まん君……じゃなかった、実行委員長があたし達のためにステージの枠を空けてくれるの!」


「音楽祭って、いつだっけ?」

「七月だよ。二ヶ月後!」


 おそらくアイツが朔耶の影で手を回したのだろう。だが、アイツの希望が通ったのは、俺が前もって由美子さんに話を通したのが大きかったに違いなかった。



「じゃあ、ステージネーム決めようよ」

「このケーキ、美味いな。私、甘いもの大好きだ」


 朔耶の発言を右から左に流しつつ、アイツがチーズケーキを一切れ突き刺した。


「ね! カナミちゃん。ほんと美味しいよね?」


 織姫が口の周りをベタベタと白くしながらケーキを頬張っている。


「ああ」

「えっへん。そうでしょう、美味しいでしょう至高の味でしょう、究極風味でしょう!」


 織姫は毎度ながら意味不明なことを口走りつつ、何故か胸を張る。気のせいか、最近成長著しいような。きっと甘い物の食べ過ぎで太ってきているに違いない。本人には言えない。こんな事。


「って、お兄ちゃん!? なによその目」


 睨まれた。心の声が聞こえたとは思いたくない出来事だった。双子って、テレパシーが通じるなんて言うけれど、そんな事は都市伝説に決まっているのに。


「舌先で溶けるしっとりとした感覚が素晴らしい。なかなか出会うことの出来ない品だな、これは」


 アイツが真面目に論評している。


「良かった。オリオリのお勧めの喫茶店に行ってみたんだ。チーズケーキが有名なんだって! このお店、持ち帰りもやっててね、今日はそれを持ってきたの。諸星さんにそう言って貰えて嬉しいような……って! あたしの話を聞けぇ!? なに人が買ってきて上げたケーキを勝手に開けて食べてたあげく、話も聞かずにまったりしてるのよ!?」


 相変わらず騒がしい朔耶を尻目に、アイツがしきりにチーズケーキの味に感心していた。織姫は、ちゃっかりとケーキを頬張るアイツの姿を激写している。


「私のことはカナミで構わない。ステージネームもそれにするから。だからさ、天河。お前は……サクヤ、だったよな? 今度から私はお前のことをそう呼ぶことにする。サクヤで構わないか? それとも他の呼び名にするか?」


 え!? 諸星……? ああ、アイツは朔耶を認めてくれたのか……? ケーキを黙々を食べていたのは、もしかしてアイツなりのただの照れ隠しだったのだろうか。


「! そ、そんなことない。それでいいから! もう、仕方ないわね。ありがとうって言っておくわ。も……カナミ!」


 口では酷いことばかり口走る朔耶だったけれど、感じ入ったものでもあったのだろう、ちょっぴり涙ぐんでいた。


「で、オリヒメ、ユウト、と」


 アイツが一人一人指差して、勝手に呼び名を付けてゆく。


「俺……」

 俺は? 俺のステージネームは?

「なんだよ委員長」

「俺! 俺は?」


 アイツが面倒そうにこちらを見た。そしてその口からは、予想通りの辛辣な言葉が吐き出される。


「なに言ってるんだ? 決まってるだろ? お前はこのバンドはリーダなんだ。だったら委員長以外に何があるって言うんだよ。バカなのか? その頭は飾りかよ」


 意味がわからない。こ、この女……。


「むご……でも、それ良いな、諸星。ま、似合ってるんじゃないか? というか、それしかないだろ充彦。な? 委員長?」

「あは、ぎゃはは! そうそう! 充彦くん、似合ってるから!」

「お兄ちゃん……。うぷぷ、かわいそす。よろしくね、委員長」


 誰の呼びかけが一番頭に来たかって、そんなの、他でもない織姫に決まっていた。



 チーズケーキを食べ終わったアイツが、真剣な目をして口にしたのは、この一言だった。


「サクヤ、度胸付けの特訓をするぞ。私のステージでドジやられちゃかなわないからな」

「あたしのステージよ! それにカナミ、君から言われなくったって! 当たり前じゃない! あんな失敗、もう二度としないんだから!」

「特訓は必要ないとでも?」

「やってやろうじゃないの。どんとこい! あんまりあたしを舐めんじゃないわよ!」

「じゃ、明後日の日曜日。駅前、バスセンターの中にあるドーナツ屋の前で十時に集合な。委員長、お前もつきあえよ」

「え? 俺? ああ、分かったよ」


 駅前で特訓? 何をする気だ?

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