第30話 四章 二月八日 火曜日
寒い。身体もそうだが、心はまだ寒い。そして、学校へ向かう俺達三人の足取りは重く、その顔色は皆、暗かった。
「まさか充彦があんなタラシだとは思わなかった」
「わたしも。お兄ちゃんが最低のクズだなんて信じたくない」
「……」
織姫も悠人も、全くちっとも容赦なんてなかった。酷い言われようだが、客観的な事実であることに違いはなく、反論のしようもない。全ては俺のせいだとの自覚はあった。
「おい充彦、どうするんだよ。どうしてくれるんだ!?」
「そうだよ、お兄ちゃん。どうするの!?」
「……」
どうするの、と言われても……どうしよう。
「おい充彦!」
「お兄ちゃん!?」
どうしたら良いんだよ。でも、どうしようもなくても、自分自身でなんとかするしか方法はない。やるしかないんだ。
「俺に、任せてくれないか? 全部上手くいくように、やってみる」
これまでもそうやってきた。これからも、そうするしかないんだ。
「なにをどうやって!?」
「どう見ても無理無理!?」
「いいから、任せてくれ」
きっと、なんとかなる。いや、俺が俺自身の手でなんとかするに決まっていた。
「どっちを取るんだよ?」
「告白するんだ!?」
「告白なんかするかよ! それに決まってるだろ!? ずっと言ってるよな!? 俺はアイツに一途なんだ、って」
方法なんかわからない。でも、なんとかしてみせる。
「はぁ。もう好きにしろよ。でも、オレだけはお前の味方でいてやるよ」
「お兄ちゃん!? また嘘ばっかり。やってらんない。悠人くん、行こ。なに言っても無駄無駄。お兄ちゃんなんて月の出ていない晩に包丁で刺されて、一回死ねば良いんだよ」
辛辣な言葉。でも、だからどうしろと……。俺にはわからない。わからな過ぎる。
「何とでも言えよ」
「お兄ちゃん? そんな事言うんだ。じゃあ、わたし言っちゃうよ? 昨日の夜、朔耶っちから電話が掛かってきたんだよ。昨日の夕方、ずっとお兄ちゃんの様子が変だった、きっとお兄ちゃんに言い過ぎたのを怒っているに違いない、って」
「怒ってないよ。どうして怒れるんだよ。怒る理由なんて、無い……」
「じゃあ、お兄ちゃんは朔耶っちにはっきり言わなきゃダメだよね!?」
「ことある事にクドイほど言ってるんだって!」
「だったら昨日デートしちゃダメでしょ! その上、キスするなんて最低を通り越して何考えてるの!?」
「お、お前……充彦……すまん、さすがのオレでも弁護できねぇ」
「織姫、お前も朔耶の言い分を聞いていたよな!? デートじゃないだろ? お前も一緒に遊んだじゃないか! それにあのコは全部判った上でやってるんだ! 俺が一体、あの場で何をした? 朔耶の奴に強引に迫られた上、無理矢理あのコに引きずられて行っただけだろ!?」
「正気なの、お兄ちゃん!? どの口が言ってるの! お兄ちゃんが全部言わせたんでしょ? 朔耶っちの逃げ場を全部塞いだのもお兄ちゃんだよ? 全然見込みなんかないのに、希望を持たせるような事ばかり言ったわけ? もう最低。クズ過ぎて話にならないんだから!」
……その通りと言えた。織姫、言われなくったってそのくらいわかってる。
「そんな事ない!」
でも、そんなこと。正面から認められるわけがないだろ!?
「……じゃあ、カナミちゃんと別れてよ。綺麗さっぱり。アメリカに帰れ、って言ってよね。二度とカナミちゃんと会わない、って約束して。わたしの目の前で」
やはり、それか。選ぶしかない。それしかないよな……。ぐうの音も出ないとはこの事だ。情けないにも程がある。織姫にここまで言わせたのだ。覚悟を決めよう。俺は決心するしかないんだ。
選ばなければいけない。誰もが傷つかないなんてあり得ない。お互いの傷が浅い内になんとかしないと。少なくともアイツが学園に姿を見せる前に選ぶんだ。……え? どうして俺、アイツに酷いことを言う前提で考えているんだよ。そんな、バカな。あり得ないだろ?
朔耶は論外だ。いつもどこでもワガママ放題のお嬢様そのものであるあのコに、話が通じるとは思えない。でも、アイツなら? きっとしっかり話せばきっとわかってくれる。いつも俺のことを考えて、見守ってくれていたアイツなら。子供の事なんてこれっぽっちも考えていない俺の母親などとは比べようもない。アイツなら大丈夫だ。話をきっと聞いてくれる。
言わなくちゃいけない。アイツに言わなくちゃ。謝らなくっちゃだめだ。けじめはつけないと。隣の織姫や悠人の言葉なんてほとんど耳に入らなかった。
足が重い。いつもの校門。いつもの下駄箱。いつものクラスメイト達。二人と別れて教室へ。そして――。意外にも、今俺の目の前に、不機嫌そうな顔がある。そう、アイツは自分の席に座っていた。
「おはよう、諸星」
「ああ。おはようだ、委員長」
昨日の電話の件もあった。朝、メールしたが返ってこなかった。俺はアイツの姿を見て心底ほっとしたよ。しかも、俺より早く登校しているなんて。でも丁度良い。早いほうが良いのだ。言ってしまおう。嫌なことは先に済ませなきゃ。恐らく、アイツは早退する。そして二度と登校してこないはずだ。確信がある。でも言わなきゃいけない。泣かれようが、喚かれようが、殴られたとしても……言うんだ。言わなくちゃいけない。
――い、いや、待て早まるな。ここは学校だぞ? 落ち着け、とりあえず呼び出す約束だ。うん、そうしよう。――そうとも。アイツにこんな事を言うのは、少しでも遅い方が良い。それに、今下した決断が間違ってる可能性だってあるんだ。今日一日、考えよう。そうしよう。
「なぁ、諸星。話があるんだ。大事な、そう、大事な話が」
「なんだよ委員長。……?」
つい、声が上擦ってしまった。ただならぬ雰囲気を察したのか、アイツの目が不信に泳ぐ。
「諸星、実は――」
「おはよう。諸星さん。それに充彦くん」
え? 俺の背後から声がした。
「ああ。ぁ? ……お前……」
「朔、耶?」
朔耶だった。その表情はアイツと違い、実に穏やかだ。
「なに? あたしの顔に何かついてる?」
「何、言ってるんだ?」
先に反応したのはアイツだった。予想外のものを見たかのような、そんな顔。
「昨日は変なこと言っちゃってごめんね? 君のことは充彦くんから色々聞いてるよ。君、ギターがとても上手いんだって?」
「え? ああ、まぁな」
「あっさり自分のこと上手だって言っちゃうんだ」
「私のギターの師匠はその道でメシ食ってるプロなんだ。その師匠に『お前は百年に一度の天才だ』、と褒められた。それなのに、自分のことを下手クソだ、なんてとても言えない」
「そ、それ本当!?」
「嘘をついてどうするんだよ。……委員長じゃあるまいし」
え?
「ぷ、あは、ぎゃはは! それもそっか。そうだよね。うん、うん。良くわかるよ、その気持ち。充彦くんってば、すっごい嘘つきなんだもん。笑っちゃうよ」
ええ!?
「ああ。私も危うく騙されるところだった。全く。この男は最低だ」
「うんうん。ホントに最低だよ」
二人、申し合わせたように笑う姿に、俺は何も言えなかった。俺を責めているのは違いないが、そんな事はどうでも良い。なんなんだ、この異様な……いや、ありえない光景は。
「お前こそ、母さんが褒めてたぞ。筋が良いって言ってた。あの人が他人を褒めるなんて、お世辞でもないことだ。喜んで良いと思うぞ」
俺は耳を疑った。アイツが他人を、それも朔耶を褒めた!? 冗談だろ?
「え? 君のお母さん――?」
「ん? ああ、母さんはプロなんだ。プロのアーティストだよ。私がそこのバカに頼まれて動画を見せたんだ。時々送られてくる動画を楽しみにしていたぐらいだ。お前、間違いなく母さんのお気に入りだぞ?」
「も、もしかしてそれって。諸星さんのお母さんって、諸星さんの、師匠って……」
「諸星由美子。本名がそのまま芸名だよ。そうだけど、それがどうかしたのか? お前、聞いていなかったのかよ」
朔耶が両目を見開いて、アイツをじっと見つめていた。その瞬きしなくなった両目から、はらはらと滴が止めどなく零れ落ちてゆく。
「お、おい。どうしたんだよいきなり……う、うわぁっ! 何するんだよお前、苦しい、止めろって! こらぁ!」
朔耶がアイツに飛びつき、両手を首に回して抱きついていた。
「ありがとう! ありがとう、諸星さん! 彼女にあたしのワガママを押しつけていてくれたんだ……! 無理言ってごめんね。無茶してくれてありがとう、本当にありがとう……」
アイツが以前と何も変わってないと感じていた俺は、コイツの何を見ていたのだろう。コイツの何を知っていたというのか。コイツは間違いなく変わっていた。高みに届きつつある。だってこんな、人の心を優しく掴む、魔法のような言葉で奇跡を起こすことなんて出来る奴じゃなかった。
「おいおい、動画の礼なら委員長に言えよ。コイツが私に無理矢理あの人に動画を見せるように脅したんだ。私は何もしてない」
「そんな事ない。知りもしない赤の他人のあたしの願いなんだよ!? それを叶えてくれるなんて! どうせ充彦くんの事だから、君を怒らせたんでしょ? そんなの、君にとっては腹の立つ面倒事でしかなかったばずなのに……。もう、信じられないよ!」
「はぁ、言ってろよ」
アイツのブレザーは皺くちゃだ。涙でそこかしこが染みになりつつある。アイツはそれにも構わず、しがみつく朔耶の体を優しく受け止めていた。そう。以前の僕の知っていたコイツならこうはいかなかった。でも、今の俺が知ったコイツは、他人を拒絶したりしない。こんなにも優しいんだ。俺は、こんなにも眩しくなったコイツを捨てようとしていたなんて。なんと愚かだったのだろう。
「おい、委員長。こいつはお前の彼女なんだろ? どうにかしろよ」
「だから諸星、それは誤解なんだ。いい加減、信じろよ。頼むって。俺は朔耶と付き合ってなんかないんだから。……ほら、朔耶……」
俺は朔耶をコイツから引きはがそうと腕を取る。だが、朔耶は抱きしめたまま離そうとはしなかった。穏やかに微笑んでいるコイツも、無理に朔耶を押しのけようとはしない。それどころか、しがみつく朔耶のなすがままに身を任せているようでもある。
「うう、充彦くんに、あたしが自分の彼
女だっていつか言わせてやるんだから……!」
「絶対ねぇよ」
でも、この気持ちも本当なんだ。照れ隠しに言ってやる。朔耶のその姿に激しく胸を締め付けられた。隠せたかな、俺? 今、コイツの胸の中で頬を膨らませる朔耶にも、ちょっとだけときめいたかも知れなかったから。
「充彦くんの意地悪。覚えてなさいよ!?」
やっとアイツを解放し、目を赤く腫らした朔耶が冗談交じりに俺をなじってきた。
「え? お前ら……。そうなのか? あはは、なんだ、本当にそうだったのかよ。バカみたいだ。……でも、お前達。本当に仲良いんだな。面白い奴ら。笑えるよ」
アイツも声をあげて笑いだす。柔らかい優しげな笑顔だった。なんだよアイツ。決して俺の勘違いではない。やっぱり変わったんだ。
気づけば教室にいつもの喧噪が戻っていた。予鈴が鳴る。もうじき担任が来るはずだ。
その日、懸案の二人の間に諍いは全くなく、穏やかに時間が過ぎていった。いや、むしろ二人は旧来の友人のように話していた。コレには俺はもちろん、悠人も狐につままれたかのように、ただ流されるまま、状況を受け入れるのが精一杯だった。一体、昨日の終末戦争とは何だったのか。今朝の魔法としか思えない出来事は、アイツと朔耶に尖った棘を全て取り払ってくれたらしい。俺が何かをするまでもなく、とりあえず矛は収まっていた。
自販機の前に朔耶はいた。何を買おうか迷うあのコがいる。俺は自分のポケットから硬貨を取り出して入れた。
「朔耶、昨日のお詫び。ここは奢るよ」
「あ、充彦くん……うん、ありがと」
朔耶はレモンティーのボタンを押していた。
「ね、ねぇ充彦くん」
「ん?」
「うん……あのね、朝の話……あ、あの女……諸星……さん、って諸星、由美子、と……その……、本当に親子なの?」
疑っている顔ではない。何が言いたいんだ? 朔耶の奴。
「諸星叶望。アイツはあの諸星由美子の一人娘だよ」
「……そう、本当……、だったんだ」
「シンガーソングライター、諸星由美子の娘で。親の影響なのか教育なのか、ギターの腕は超一流。天才としか思えない奴だよ」
「……」
朔耶の方から聞いてきたのに。変な奴だな、ぼーっとして。俺の言葉は耳に入っているのだろうか。
「『夜空を君と』が大好きなんだろ? アイツもこの曲が大好きだし、俺も織姫も、悠人だって大好きだ。何か思いつかないか? ――お前の夢、案外簡単に実現出来そうな気がしないか? ま、よく考えろよ。落ち着いたら、返事を聞かせて欲しいんだ。良いよな?」
「待って! そ、それって、それってもしかして充彦くん……」
立ち去ろうとする俺は朔耶から呼び止められる。上着の袖を朔耶が掴んでいた。俺の言葉に朔耶は大きく目を見開いていて、今始めてスイッチが入ったとでも言わんばかりだった。
「アイツもバンドのメンバーを探したい、って言っているんだ。お前の野望の足がかりに丁度良いと思わないか?」
「それって……充彦くんがあたしと……あたしとのバンド、まだ続けてくれるって言うことだよね!?」
甘い香りが俺の鼻をくすぐる。ちょ、詰めるな近寄るな、近い近い! 近いだろ朔耶!
「なに言ってるんだ? 俺はお前のバンドのリーダーだぞ? 当然だろ? それに昨日も俺、お前にそう言ったじゃないか」
「そ、そっか。そうだよね。じゃ、じゃぁさ、充彦くんは、あたしのこと……す……ううん? ええと、嫌いにならないでいてくれるってことだよね!? そうだよね!? ……あ。……もう、遅すぎる、……かな?」
そして急に元気がなくなるワケがわからない奴。
「それこそ、なに言ってるんだ? 俺は朔耶のこと嫌いになった事なんて一度も無いから」
「……っ! 充彦くん……」
「気にするなよ」
朔耶が俺を上目遣いに見上げてきた。
「うん、……うん。じゃ、じゃあさ、あたしと、あの……もう一度お願いします! あたしにもう一度だけチャンスをちょうだい! よろしくね、充彦くん! でもあたし、緊張しちゃうよ! だって、本物のプロの娘だよ!? 諸星さんは直々にお母さん――あの諸星由美子からレッスンも受けてたんだよね? 私たちみたいなアマチュア以下の人間と、ホントに一緒にやってくれるのかな?」
「アイツが言ってただろ? 諸星由美子本人がお前の音を気に入っていた、って。アイツも当然お前に目を付けてるだろ。アイツたぶん、お前が誘ってくるの待ってるんじゃないかな?」
「え?」
そう。アイツはきっと、このコが言い出すのを待っているに違いない。あれはそんな口ぶりだった。それに早く言わないと、待ちきれなくなったアイツの方から痺れを切らすと思えた。
「お前があいつを誘うんだよ。出来るよな?」
「うん、出来る。出来るけど……あたし、ほら、ここぞと言うときビビリだし……」
朔耶が言わなければ意味がないと思う。ここは、俺が言ってもダメなんだ。俺が口添えして朔耶のバンドにアイツを入れても、絶対にアイツは誤解するに違いないから。変に遠慮するに決まっている。――アイツは天の邪鬼なんだ。
「大丈夫だよ。そりゃ、去年のステージでは上がっちゃってたけど、あれから凄く練習しただろ? それに、普段のお前は滅茶苦茶大胆なことばかりしてるし」
「でも……諸星さんを誘うだなんて、自信ないよ……」
「はぁ、学内で一騒いでいるくせに、今さらなんの冗談だが」
下を向いてなにやらぶつぶつと言っている朔耶がいる。もうメッキは剥がれているって。いまさら可愛コぶるか?
「充彦くん!」
突如、朔耶が放った大声に、俺は飲みかけの紅茶を吹き出した。
「な、なんだよ」
「……背中押して欲しいな? ほんの、ほんの少しだけ……ほんのちょっぴりでも、嘘の気持ちだけで構わないから……ダメ……かな……ううん? 忘れて、忘れて! あは、あははは、あたしったら何言ってるんだろ。彼女が居る人にこんな事頼むなんて、どうかしてるよね。おかしいよ!」
はぁ、仕方ない。仕方ないか。これもアイツのため。そして、このコのためでもある。
「朔耶……」
俺は自然と朔耶の右手を取っていた。ドラムの練習のたまものか、スティックたこの出来た硬い手。
「充彦、くん?」
「いつか、一緒のステージに上がりたいな。俺と朔耶と。織姫と悠人。……そしてアイツと。きっとアイツが何もかも導いてくれるよ。きっと上手くいく。なにもかも」
呆然とする朔耶に、俺は優しく語りかける。
「あの人……諸星さん、が?」
「ああ。小さい頃からの夢、なんだろ? アイツが門を開けてくれたんだ。招待を受けたも同然だろ? 断る理由なんて無いじゃないか。そうだろ?」
「……うん……」
「じゃあ、まずはあいつの期待に応えなきゃ。アイツを驚かせてやってくれ。きっとアイツも喜ぶからさ」
「……うん……うん……」
朔耶は何度も頷く。
「お前を、信じてるよ。頑張れるよな、朔耶」
「うん!」
笑顔で頷いてくれる。これで良い、そう思えた。
◇ ◇ ◇
音楽準備室の扉の奥からは流れるような優しいアコースティックの音が漏れ出てくる。とても穏やかで綺麗な曲だった。
「諸星。ここだと思った」
「どうして、お前には判ってしまうんだろうな」
「さぁ、な」
「誤魔化したつもりかよ。そんな嘘、誰が信じるかよ」
「言ってろよ」
顔も上げず。演奏も止めない。でも、穏やかな時間が流れていた。
「……私に言いたい事があるんじゃないのか? 気分が良いから、特別に聞いてやっても良いけどな」
いまからコイツに頼もうとしていること。それはコイツにとって既にわかりきった事なのかもしれない。そうでないとしても、この場で俺に迷う理由はなかった。
「そか。どうやって切り出そうか迷ってたんだ。助かる。じゃあ、遠慮無く言うぞ?」
「ああ」
「頼みがあるんだ」
「あ、やっぱりさっきの無しだ。言うな。お前の顔を見たら急に聞きたくなくなった」
「おいおい……」
コイツ、やっぱり俺の考えていることなんてお見通しに違いない。少なくともこの件に関してはそう言える。
「冗談だよ。だから、なんだよ」
「お前の力で、俺達のバンドの……いや、朔耶の力になって欲しいんだ」
「そっか」
「驚かないな? お前」
「そうだと思っていた。驚いて欲しかったか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「あのコに手を貸せって言うんだろ? お前」
予想通りだった。でも、あのコ?
「あの女、って言わないんだ? 滅茶苦茶気分悪くされると思ったのに」
「お前、相変わらず鈍いな。あれはポーズだ。教室で、クラスメイト共の目の前で『あのコ』なんて言い方出来るかよ。あんな態度取られて、この私が素直に引けるわけ無いだろ? 教室には私が覚えていただけでも見知った顔がゴロゴロいたぞ」
やっぱりだ。計算尽くなんだろう。以前とは違う。今のコイツは手の施しようもない、最悪のクズではなくなっていた。でも結局の所、コイツは俺の知るコイツなわけで。
「変な顔するな。どうせ、『意外だ』とでも思ってるんじゃないのか? 委員長。お前のせいだ。お前のせいなんだぞ? お前のせいで、私は色々と考えたんだからな。必要ならバカ親に下げたくない頭も下げて、バカ親のマネージャーにだってそうしたんだ。全部、何から何までお前がそうさせたんだ。お前のせいなんだからな。全くお前は本当にウザイ奴だよ」
そういうコイツの顔は綻んでいた。本人も自覚なんかしていないに違いない。
「伝説の番長も大変だな」
「伝説なんて自分で作るものじゃないってことだ。……判るよな、お前なら」
わかる。無理をしてるし、まだまだ沢山ボロも出てるよ、お前。はぁ。お前にはやっぱり俺が必要だよ。中途半端すぎるよ、お前は。
「言ってろよ。まぁ、それについては俺もフォローするから。それで……俺に協力してくれるか? いや、してくれ。……するよな?」
「委員長……決定事項なんだろ? 私が断る事なんて、これっぽっちも考えてないくせに。それにお前、時々残酷なことをさらっと言うよな」
コイツは迷っているようだった。だから、押してみることにする。
「だめ、なのか? どうしても?」
「ああ。出来そうにない。お前の頼みでも、こればかりはダメだ」
「どうしてだよ。あのコが……朔耶を許せないのか?」
コイツは切れ長の目を伏せる。どうしたんだ?
「違うよ。違う。そうじゃない。無理、なんだ。今の私には無理だよ。とてもそんな自信なんか無い。実力も無いんだ。この前も言ったけど、私さ。つい最近、母さんに捨てられたんだ。否定されたんだ。お前には才能がないって。努力なんかしても無駄だって。面と向かって言われたんだよ。ショックだった」
「諸星……」
「そうだよ。実のところ、今のお前に逢いに戻ってきたわけじゃないんだ。お前との想い出に慰めてもらいに来たんだよ。お前との想い出があまりにも優しくて忘れられなかったんだ。お前なら、私に優しくしてくれたお前なら。私をなんとかしてくれるって思ったんだよ。そうだよ。私はさ。お前との想い出に縋りに来たんだよ。笑えよ。弱いだろ? カッコ悪いだろ? 幻滅したよな。きっとそうだよな。だから、お前は今を大切にしてくれて良いんだよ。あのコの事を、新しい彼女の事を大切に思っていてくれて良いんだ。こんな過去の女、捨ててくれて良いんだよ」
そんな事を気にするなんて。誤解だし。勘違いも甚だしい。それに……可愛すぎるだろ。
「なに言ってるんだ、お前。言ってる事とやってる事が全然違うじゃないか。メールで泣きついてきたくせに。今だって、そんな今にも泣きそうな顔で言ってるし。それに、誤解もいい加減にしろ。俺は天河と付き合ってなんかいない」
「……だって、お前達二人は名前で呼び合う仲じゃないか」
「誤解だ。話せば長い事情があってだな……お前も見たし、本人からも聞いたはずだぞ!? もう! 今はそんな事どうでも良いんだよ! とにかく俺の気持ちは以前の、あの時のままだ。お前を向いたままなんだよ。お前は俺がギリギリのところで踏みとどまっていたとき、もう少しで折れそうになっていた時、まさにその時に戻ってきてくれたんだ。過去の女なんて言うなよ。お前の行動は意味があったんだよ。お前の直感は正しかったんだ」
コイツが伏せた目を僅かに上げた。俺の言葉に嘘はない。でも、本当のことを半分しか言ってない。ごめんな、諸星。お前をここで怒らせても……良いことなんか無いと思えたんだ。
「だから、お前の方こそ私のこと誤解してるだろ? そんなんじゃないって」
「良いんだよ。俺はそう思っておく。それとも、お前、俺の事……もう必要ないのか?」
「そんなわけ無いだろ? お前の事を忘れられるものか」
「俺の事、大事か?」
「当たり前だ」
コイツは断言した。俺は卑怯とわかっていて、コイツを追い詰める。だって、こう言えばコイツは俺の頼みを聞いてくれるから。
「じゃあ、俺の頼みを聞いてくれよ? 俺もお前のワガママ聞くからさ。仕方ないから、お前とお前の母さんとの仲直りの方法、一緒に考えてやるから」
コイツの演奏が止まった。コイツの視線が俺を正面から射貫く。思わず見とれる。その瞳は息を飲むほどに綺麗だった。
「お前、何気なく最低だな。その頼みって、結局、あのコの事なんだろ?」
「やっぱり朔耶のことで引っかかっているんじゃないか。なぁ諸星。最低なのは嫌いか?」
「嫌いだ。でも、最低なお前は嫌いじゃない」
……どうしろと……でも、俺は狡いんだ。コイツは俺の頼みを断らない。確信は揺るがないし、もう一押しだと思えた。
「じゃあ……」
「無理だ。自信が無い」
俺の甘えた言葉をコイツは蹴りつけた。でも、ポーズに決まっている。
「朔耶の望み、知ってるか?」
「メジャーになりたいんだろ? お前が教えてくれたんじゃないか。私は知りたくもなかったのに」
コイツの視線に力がこもる。う……嫌な予感が。凄く嫌な予感がする。
「なあ、それでもお前に頼みたい。そしてお前に提案したい。お前が俺のワガママを聞く事が、俺がお前のワガママを聞く事に繋がると思うんだ。お前が朔耶の……俺達のバンドを引っ張ってくれれば、メジャーになれる気がするんだ。そしてそうなれば、お前の母さんもお前を見直すんじゃないのかな?」
コイツの歯ぎしりが聞こえた。思わず冷や汗が流れたけれど、コイツの口から漏れたのは言葉にならない一言で。アイツのその危険な視線からも力が抜けていった。
「……え? 母さんが?」
「よく考えてみろよ。簡単な話だろ? それにお前、このまま終わって良いのかよ。俺は認めないぞ? 俺はお前とのステージ、まだ立っていないんだ。約束を守れよ? カッコ良いお前もまだ見せて貰ってない。約束を守れ。そしてお前の母さんを見返してやれよ」
俺の続く言葉の意味するところに思い当たったのだろう。コイツは苦笑いすると、身体から力を抜いた。
「……卑怯だな、うん。実に卑怯で姑息な手だ。私のいない間に誰に学んだんだよ、お前。狡いよ」
「知らなかったのかよ。俺はいつも全力で狡いんだよ。お前が教えてくれたんだぞ? 今さらだな。嫌いになったか?」
「……知ってた。やっぱり酷い男だよ。お前。いいよ。わかったよ。もう一度さ? お前に騙されてやるよ。……その代わり、途中で逃げだしたりしたなら、許さないからな? 地の果てまで追い詰めてコロしてやるから覚悟しろ。今度は死ぬまでお前の面倒を見てやる。忘れるなよ!?」
コイツの目に力が戻ってくる。さっきとは違う、はっきりとした意思を宿した強い目だ。やっぱりカッコ良いよ。お前。
「望むところだ、バカ女」
「バカは余計だ、この最低男。わかったら黙って私についてこい!」
「はいはい」
「ハイは一回で良いんだよ! せっかくだからギター弾いていけよ。付き合え」
コイツは近くに置いてあったギターを押しつけてくる。俺は苦笑する。初めから用意していたに違いなかった。思えば俺がここに来ることなんて、全然コイツの予想の範囲内だったのだろう。
「判ったよ、師匠」
俺達は自然と奏でた。久しぶりに聞くコイツの音は研ぎ澄まされていて、コイツの歌声は冴え渡っていた。透明に校舎の中に染み渡っていく。音楽室の常連である吹奏楽部の連中にそっと促され、準備室に追いやられた後でさえ、俺達は暗くなるまで一心不乱に弾き続けていた。あの曲に始まり、あの曲に終わる。
時々挟むのは諸星由美子の持ち歌と、俺が詠み、コイツが書き起こした新譜。だから、音楽室の扉の前で立ち止まり、何度も何度も躊躇い続け、結局中に入る勇気が持てなかった一人の女の子の存在に気づいてやれなかった。そのコがどんな顔をしていたのかなんて、判るはずもない。だから、彼女が残したつぶやきも当然聞こえない。
「充彦くん、酷いよ。でも、あたしは君のために頑張って見せるから。だから、いつかあたしを――」
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