第23話 三章 五月二十一日 金曜日
今日も俺達はレンタルスタジオにやってきている。
ここのところ、週に二、三回のペースだった。この店とは以前から顔なじみだったとはいえ、こうもこの場所に通うようになるなんて思ってもいなかった。母さんは家にお金をほとんど入れない上に、天井知らずの浪費家なんだ。だから、父さんの給料から出ている俺達の月々の小遣いではこのハイペースでの利用は正直無理だった。天河や悠人がレンタルの代金を出してくれなければ到底不可能だったといえる。
天河の奴、年間のほとんどを海外で過ごす親父さんに相当甘やかされているらしく、毎月のお小遣いが半端ではないらしい。まあ、俺達のバンドの練習環境としては有り難かったけど、何かお返しをしてやらないと。天河はコンビニ弁当をよく食べているようだから、きっと家庭料理には飢えているに違いない。そのうち家の夕飯に誘ってやったりすると、案外喜ぶのかも知れない。
悠人? アイツは良いんだ。アイツの家の寺は今現在も金ピカの大伽藍を今も増築中だ。気にすることはないだろう。そうだな、悠人に優しくしてやるように織姫に一言だけ含ませておこう。悠人への礼はこれで充分だ。
「録音ってどうやるの?」
練習開始早々、天河が妙なことを言い出した。録音か。本気で音を見たいのだろう。意外と感心な奴だ。機材を繋いでセッティングしてやることにする。
「ああ、録音した音を聞いて、悪いところを直していくんだな? ちょっと待ってろ」
ところがだ。俺がせっかく用意してやったというのに、天河はまた妙なことを言い出すじゃないか。
「あれ? カメラはどこ?」
「カメラ? 音だけで良いだろ? 音のバランスもちょうど良いと思うけど?」
「画面はどこで見るの?」
「え? ああ、動画を見たかったのか。ちょっと待ってろ」
引っ張ってきたカメラをパソコンに繋いで、画像をモニターに出してやった。ちょうどカメラの前にいた天河のアホ面が大写しになっている。
「おお! 出た出た! 良く撮れてるよ! あたしだよ! あたしが映ってる!」
「それはそうだろ。お前にカメラの焦点を合わせたからな」
「おお! あたしってカメラ写りも最高! すっごい可愛いし神がかってるよ。まさに国民的美少女、って感じだよね!」
「はいはい。言ってろよ」
バカが映らないカメラって誰か作ってないのかな。はしゃぐ天河を余所に、俺はそんな事を考える。プログラムの設定が上手くいかない。色々と弄っている間に天河は織姫と悠人を巻き込んでカメラの前で怪しいポーズをとり始めていた。ああ、バカって増殖すると言う都市伝説は本当だったのだな、と、俺はつくづく感心した。
俺達の演奏を一通り録画し、天河の要望を満足したかと一息ついていると、天河は次に予定しているらしい馬鹿げた内容を口にしていた。
「ねえ、これ、どうやってこのサイトにアップするの?」
「はい!?」
真顔で聞かれて焦った。 サイトにアップ? 動画を公開するのか!?
「ね、ね! どうするの?」
天河が体ごと迫ってくる。顔が近い、近いって、天河!
「ネットに上げてどうするんだよ?! ちょっと待て、早まるな」
「ダメだよ。だってみんな見られないでしょ?」
「見せるな!」
冗談じゃない。どうして全世界にこんな恥ずかしい映像を公開しなくちゃいけないんだ。
「見て貰うの! 沢山の有名人、……特にあたしの憧れの諸星由美子!」
「はぁ!?」
今、俺の重大な記憶に引っかかる有名人の名前を耳にしたような?
「ええと、ここに自分の名前書いて……住所と電話番号? えー!? こんなに一杯書くの? 面倒だな……」
天河は怪しい手つきでスマホにダウンロードさせた撮りたての動画を投稿サイトに載せようと悪戦苦闘しているようだった。
「書くな! 止めろ! って、動画を投稿するのにどうしてそんな情報要求されているんだよ。おかしいだろ? 何のページなんだよそれ! とにかく止めろ、知らない人からイタズラ電話を貰いたいのか、お前は!」
「どうしてそんなことになるの? 意味判らない」
本当に判らないらしい。ネットは危険なんだよ。特にお前みたいなバカは使っちゃいけないんだぞ? 知っているか? 天河。
「どこまでお花畑の脳味噌してるんだよ! 判らないのはお前の頭の中だから。ええと、お前は一体何がしたいんだよ。というか、今時こんな化石のようなマイナーサイトに載せても誰も見ないだろ?」
「あたしは諸星由美子みたいな超有名人に曲を聴いて貰いたいだけだよ!」
「どうして?」
本当のことを言えば、何故、よりによって諸星由美子なんだよ! と俺は聞きたかった。自身が知るはずもないアイツに無意識で喧嘩を売っているのだろうか。
「有名人に認めて貰うの。認めて貰って、あたし、メジャーにデビューするの!」
「……本気だったのかよ……」
「ひーどーいー!」
両の拳を握りしめて振り回す天河の目が本気だった。今もバカな仕草を繰り返している天河だが、その目が笑っていないのだ。俺は天河の本気を感じた。それならば尚のこと、このコに任せておくわけにはいかない。俺は俺自身の平和のためにも、今ここで頑張る決心を固めるしかなかった。
「色々な意味で酷いのはお前だし、難易度が高すぎるのもお前だ。天河。お前が言いたいことは良くわかった。判ったから、お前は何もするな。いいか、何もするなよ? ええと、諸星由美子に今の演奏を聴いて貰えば良いんだな? 俺がなんとかする。俺がやっておくから、お前はもう何もしないで俺に任せろ。頼むからお前はネットに近づくな。お前みたいなバカはネット禁止だ。怖いおじさんやおばさんに酷い目に遭わされたくなければ俺の言いつけを守りやがれ。良いよな!?」
「酷っ!? バカバカ言わないでよ。あたしバカじゃないもん。でも……わかった。悔しいけど任せる。なるべくたくさんの有名人にだからね? 頼んだからね、委員長君?」
「任せろよ。……くっ、泣くぞ」
全く骨が折れる奴。天河の同意をやっと取り付けた。でも、思ったよりも素直だったような気がする。天河がそれだけ本気だと言うことなのだろう。
「え?」
「でもさ、どうしてそこで諸星由美子の名前が出てくるんだよ?」
「あたしがファンだから。お父さんがね、彼女の曲を良く聞いていたから、いつの間にかあたしも好きになっちゃってた」
「そうかよ」
どこかで聞いた話だった。改めて妙な親近感を覚えないでもない。
「うん。でも、どうしたの?」
「なんでもない。なんでもないんだ。気にするな」
俺の耳元で囁かれた天河の声が、やけに優しく染み渡る。頼むからそんな目で俺を見るな。俺は天河の顔から視線を逸らすと、俺は胸に生まれた意外な気持ちを自分の勘違いだと必死になって否定し続けた。
こうなると思った。絶対にアイツの機嫌を損ねると確信できたのに。俺はバカだ。
『委員長、今の私の気持ちがわかるか?』
『ごめん。お前しかいないんだ。お前しか頼れない。俺の一生に一度のお願いだ。この動画を見せるだけで良いんだ』
『私をバカにしているんだよな?』
『そんなこと欠片も思ってないって』
『委員長。前から疑問に思ってた。お前さ、私がお前の言うことなら何でも聞くと勘違いしていないか?』
『俺はお前を信じている』
即レスされていたのに、返事が止まった。背筋が寒くなる。ガラケーを握る拳が肘の付け根から震えだした。またも俺はやってしまったのか? 最早何度目になるか判らないアイツの逆鱗に触れてしまったのだろう。ああ、俺は本当にバカだ。
どれほどの時間が過ぎたのか。壁に掛けている時計の音が、やけにクリアに聞こえる。アイツから返信が来たのはその時だった。
『最悪だ。お前、やっぱり最低だ。下衆すぎて吐きそうだ。目眩がする』
『頼むよ、諸星』
もう俺は引き返せない。今更、この件は諦める、なんて言えるかよ。ここまで来たら何を言われてもアイツを拝み倒すだけだ。
『見上げた度胸だよ、お前。それなりの覚悟は出来ているんだろうな。いいよ。やってやる。ただし一度だけだからな。次はないから。いいか、お前の頼みだからバカ親に頭を下げるんだからな。忘れるなよ?』
『ありがとう』
『ウザイ。ところで、この女はお前の何なんだよ。下手な返事を送ってきやがったら、こっちも考えるからな!』
『友達』
返事がない。またも返信がバッタリと途絶えた。……今度こそ、俺は終わってしまったのだろうか? 俺は息を呑む。俺の後頭部がキリキリと痛み出したその時、返信が来たことを知った。
『ただの友達にここまで入れ込むのかよ、お前は。いつかコロしてやるからな。忘れるなよ、委員長』
酷い言葉の羅列に俺は安心する。文面とは逆の、とても優しい言葉に思えた。
バンドを組んでからというもの、俺達は四人でバカをやりまくった。それこそ、とんでもない事をやり続けた。甲子園大会予選の応援にバッテリーとスピーカー持ち込んだ時は物凄く怒られた。天河の田舎にお邪魔したとき、近所の浜辺に発電機と機材を持ち込み、夜な夜なリサイタルを繰り返した時にも近くの漁師さんに説教された。悠人の寺の盆踊りでエレキを披露した時は檀家さんから顰蹙を買ったような気がする。……ホント、ハチャメチャだった。
……その全てをアイツに時には写真や動画を添付してメールで教えてやっていたのだが、その度に『死ね』だの『知ったことか』だの、酷い言葉が返ってきた事を覚えている。
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