第3話 一章 二月二日 火曜日

 騒がしかった廊下が水を打ったように静まりかえる。堅い靴音が近づいく。沈黙の波がこの教室に訪れたとき、誰もが息を呑む。扉が音を立てて乱暴に開けられたかと思うと、アイツが無言で教室に入って来た。


 ……アイツ以外の、誰もが固まり、身動き一つしなくなる。誰も何も口にしない。教室に据えられた置き時計の音まで、僕ははっきりと耳にできた。異常な沈黙。空気が凍るとはこの事だ。

 僕の近くに派手に紅に染めた髪を翻してアイツがやってくる。アイツの席が僕の真後ろなのだから、僕の方へアイツが向かって来るのは当然の成り行きとはいえ、つい身構えてしまう。


 でもアイツの姿を見てしまった以上は仕方がない。本当に仕方ないよな。僕は嫌だったけれど、義務なんだから学級委員としてやるべき事を果たすべきだ。何より僕がそうすることは未春先生のご指名で、指示でもある。ここは先生の期待に応えるべきだ。

 先日出会った赤毛のコイツは、なんと僕と同じクラスに編入してきた。そしてコイツを職員室に案内したその日のうちに、コイツの目の前で未春先生に頼まれた。僕は未春先生の喜ぶ顔が見たい。これが上手くいけば今回も褒めてくれる。きっとそれは極上の笑みに違いないのだ。


 コイツはもうすぐ僕の隣を過ぎる。

 

 コイツが僕の目の前に差し掛かったとき、僕は常日頃クラスメイトに向けているいつもの言葉を口にする。クラスの皆も僕らを見ていた。

 勝負の時は近い……。教室の空気が軋む。

 気のせいか、花の香りが漂って来たような。


「おはよう」


 ……。


 あれ? 僕の声が教室に虚しく響く。

 コイツは何事もなかったように僕を通り過ぎて行った。コイツは僕に視線をくれることもない。

 僕の声を目の前で耳にしたに違いないコイツは、僕に答えないばかりか、その呼びかけなど無かったかのように何の関心も寄せてはいないようだ。まあ、予想の範囲内。この程度の反応はどうと言うことはない。


「おはよう! 諸星もろぼし!」


 声のトーンを上げて、もう一度呼びかける。コイツが視線だけをこちらに向けた。だが、それだけだ。コイツの白面は無表情。真一文字に結ばれた、コイツの赤い唇が開く気配は全くなかった。


「不良っぽいから遅刻魔と思っていたけれど、始業前に顔を見せてくれたんだな。その調子で遅刻無しだと助かる。ありがとう」

「……っ」


 お。反応有り。コイツの表情が一変したのだ。……険悪な方に。まずい予感はしたけれど、僕はそのまま言葉を続ける。


「お前の家って朝日町なんだろ? 結構遠いよな。朝が早いと想うけど、辛かったりするのかな?」

「……い」

「え?」

「ウザイ」


 そう吐き捨てたコイツが何事もなかったように自分の席に腰を下ろした。それを見た僕が作戦中断の溜息をつく頃、クラスの皆がゆっくりと動き出す。



 放課後。僕はアイツが長い長い睡眠学習から起きた事を確認すると、僕は作戦の新たな段階に移ることに決めた。コイツがこのクラスに現れた初日である昨日。実に予想通りの展開が待っていた。

 コイツは初日から、こともあろうに自己紹介の席で『私に関わるな』と宣言し、ただでさえ寒い冬の日に、クラスの雰囲気を氷点下までに突き落としたのだ。

 そうかと思えば、コイツはその一方で卒業が迫り情緒不安定になっている在来のヤンキー集団とも派手な騒動を起こし、早くも担任の未春先生や生活指導教師の世話になっていた。

 今朝方、校庭から『姉御、おはようございます!』と耳をつんざくような野太い大声が幾つも聞こえていたことから察するに、コイツは昨日一日で連中を完全な支配下に置いたらしいのだ。昨日、行われたであろう惨劇を想像したくもない話ではある。


 だがしかし。僕はその程度の出来事を知ったからといって引き下がるほど人間が出来ていない。僕はこれまで自分が一度決めたことは必ずやり遂げてきた。これまでがそうだったし、これからもそうだと確信できる。だからどんな障害が僕の前に立ちはだかろうと、決して僕の決心を止めることなど出来ないんだ。

 ――そう心に堅く誓い、僕は再びコイツと対峙した。


「なぁ、諸星。クラスの連中の誤解を解いてあげてくれないか? 初日から喧嘩なんてするから、皆、お前のことを怖がってしまってるんだ」

「は?」


 意外だったのだろう。机に顔を伏せていたコイツは呆けた顔を僕に見せた。


「お願いだ。卒業までの短い間だけど、お前もこのクラスの仲間になって欲しいんだ」

「……なんだよお前は。ウザイんだよ。何様だよ」


 コイツが上半身を起こす。

 眉間に皺を寄せて僕に言い放ったその台詞は帰り際の騒々しい教室を瞬く間に凍り付かせ、まるで地獄の釜の底を思わせる凍てつく寒さと静けさに叩き込む。


「僕は渡月充彦わたつき・みつひこ、このクラスの学級委員だよ」

「……っ!?」


 物凄い目で睨まれた。気を抜くと意識が飛びそうだ。でも、僕はコイツのことを未春先生に頼まれたんだ。

 ここで引いてどうする。引いちゃダメなんだよ。僕は引けないんだって!


「なぁ、頼むよ諸星」


 コイツは目を丸くしていた。僕はしつこいんだ。自分でも良くわかってる。でも、ここで譲るわけにはいかない。それに、怖いのだって我慢しているんだ!

 だけど、そんな僕の思いはコイツには届かなかない。コイツは両手を机に叩き付けながら立ち上がり、


「~~~っ! ざっけんな!」


 目の前で大きな舌打ちが聞こえ、赤髪が舞った。


「……っ! ……ダメ、か? 諸星、頼むよ」

「あぁ!?」


 またも睨まれた。

 もう、生きた心地がしない。気のせいでも何でも無い。

 赤髪の奥で、コイツの瞳が深紅に染まる。

 僕の胸に激しい痛みが走った。僕は自分の心臓が吹き飛んだのではないかと本気で疑ったのだ。だけど例えそうだとしてもこんなところで引くわけにはいかない。僕は未春先生の期待に応えるんだ! 僕はなけなしの勇気を振り絞って頭を下げた。


「諸星、頼む!」


 だけど、次の瞬間。僕の耳に聞こえてきたのは机と椅子が将棋倒しに倒れる轟音と、教室にいた女子生徒らが上げた複数の悲鳴。

 僕は机と一緒に吹き飛んで。

 瞬時に真っ白になった頭の中に、意味のある色彩が戻ってきたのは僕の全身が痛みだした後だった。


「馴れ馴れしいんだよ、お前は!」


 く、苦し……っ!?

 コイツは倒れていた僕の腹を、容赦のかけらもなく思いっきり踏み抜いてくれていた。痛すぎて息が出来ない。

 僕は机と椅子、そして教科書やノート、そして文房具の乱雑な山に囲まれる。

 無限に続くと思われた地獄の時間が過ぎ去った後、アイツは立ち去る。

 僕は切れ切れの息を整え、なんとか上体を起こした。

 一部始終を目撃しておきながら、真言を唱えながら息を殺していた悠人ゆうとから聞き出した話によると、僕は真っ赤に顔を赤くしたアイツに机ごと突き飛ばされたらしい。


「おい、大丈夫かよ充彦みつひこ。お前もバカだよな。諸星みたいなのに構うから。アイツ絶対ヤバイって。お前、アイツがいくらお前好みの美人だからって冒険しすぎだろ」

「好みだなんて、それ違うから! って、痛てて」


 見れば、二枚目の優男、僕の十年来の腐れ縁の幼馴染みで近所の寺の跡取りでもある悠人が声を掛けてきた。

 悠人は倒れていた僕に手を伸ばしている。

 悠人の奴、全く人ごとだと思って好き勝手に言ってくれるよな。僕は差し出された悠人の細い手を掴み、なんとか起き上がる事が出来た。体のあちこちが痛む。

 ちょっとでも気を抜くとズキズキ痛んだ。でも今はそれどころではない。

 アイツ、諸星だ! アイツを掴まえて説得しないと。どこに行ったんだアイツは!


「……あれ? 悠人。アイツは!? 諸星は。どこに行った?」

「さあ? 完全に切れた目をして教室を出て行ったよ。ありゃあ、狂犬そのものだ。どう見てもヤバイだろ」

「教室の外にか?」

「ああ。だからもう大丈夫だって。オレ達のクラスに平和が戻ったんだ」


 悠人は僕の肩に手を置きつつ、人生に疲れた老人のように呟いた。


「何が大丈夫なんだよ! アイツを探さなきゃ」

「は!? なに言ってんの、お前」


 悠人が目を剥いた。そんなに驚くようなことじゃないと思うのだが。


「探すんだよ。そして話をつける。もう絶対、二度とアイツに喧嘩なんてさせない」

「冗談だろ!? それに話って……充彦、お前正気か!?」

「当たり前だ」


 僕は痛む身体を引きずり、倒れた机や椅子もそのままに、止める悠人を振り切って教室の外へ向けて駆け出した。


「待て、待てよ充彦、止めろって! 今度こそボコボコにされるぞ!? さっきはアレでも運が良かったと思うべきなんだよ! アイツなりの慈悲の顕れだったんだよ!」

「アイツは優しい奴なんだ。喧嘩なんて似合わない。僕が絶対に止めさせてやる。第一、未春先生がそれを望んでいるんだ!」


 そう、アイツは雪の上に倒れた僕を心配してくれていた。あの優しい目は本物だ。アイツは信じられる奴なんだ。皆、誤解している。きっと本人も自分のことを誤解しいるに決まっているんだ。僕がアイツにそれを気づかせてやる。やってやるさ!

 背後で何事か叫ぶ充彦の声が聞こえてきたが、既に走り出していた僕には届かない。

 未春先生の言いつけなんだ。僕はアイツに絶対言うことを聞かせてやる!



 アイツの行く先は直ぐに分かった。目立つアイツのことだ。探すのは簡単だった。

聞き出した情報によると、まだ帰宅してはいないらしい。アイツがどこに行ったのかなんて、その辺りにうろついていた適当な生徒を捕まえて聞き出すと直ぐに目星が付いたのだ。こんなときは万年委員長の肩書きがものを言った。

 当たりをつけた僕は今、アイツが向かって行ったらしき屋上へと急いでいる。


「おい、よせ充彦。考え直せ」


 悠人だった。僕に追いすがり、僕の決意を翻そうと先ほどから必死に何か言ってくる。


「お前さ、よく考えろよ。いくら何でも、お前が愛しの未春ちゃんから頼まれたからって、それって罠だろ!? 未春ちゃん、ああ見えて結構策士じゃないか。知ってるだろ!? お前、未春ちゃん良いように遊ばれてるんだよ。目を覚ませ、充彦。お前は未春ちゃんに嵌められてるんだって!」


 聞き捨てならない台詞だった。いくら悠人でも未春先生への侮辱だけは許せない。


「未春先生の悪口を言うな。僕は未春先生を信じる。先生も僕を信頼してくれてるんだ」

「だからお前、それがそもそもの勘違いなんだって。お前、いい加減に正気に戻れ!」


 悠人が僕の肩を掴む。凄い力だった。痛いって!


「僕はいつだって冷静だ!」


 悠人の手を振り払う。思った以上に大きな声が出たようだ。僕はそんな自分に驚いた。悠人は息を呑んでいる。


「はぁ。……悪かったよ。お前の本気はわかったから。でもな、どう見てもアイツ、諸星は普通にヤバイだろ? 転入初日に不良どもを全員締め上げて配下にするような化け物だぞ? 事実、アイツが居た聖鳳中等部も度重なる暴力事件で追い出されたって噂なんだ。教師共もいきなりビビって生活指導の奴も何も言えなかったってよ。無理なんだよ。諦めろ。な?」

「僕はやると言ったらやるんだ。知っているだろ?」

「そりゃあ、……オレは嫌というほど知っているけど……」

「だったらわかるよな。悠人、止めるなよ? 僕は今から諸星と話をつけてくるから、絶対に邪魔するんじゃないぞ!?」


 僕はなおも何かを言おうとした悠人を無理矢理黙らせると、屋上へと繋がる鉄扉を押し開いた。



 いた。アイツはここにいた。見間違えようもない。目も覚めるような赤い髪を冷たい風に任せている。あんな奴、後にも先にもコイツしかいない。コイツは手摺りに捕まり、僕に背を向けている。僕に気づいた様子もない。気のせいか、その姿はとても小さく見え、コイツは寒さに震えているようにも見えた。


「……畜生、なんだって私、転校先でもあんな事……バカかよ。寒いじゃないか」


 風に乗って聞こえてきたコイツの声が震えていた。コイツ、なにを言ってるんだ? 独り言か?

 まあ、いいか。やっと捕まえたんだ。話を聞いて貰おう。


「諸星。ここにいたのか。探したよ。話があるんだ」

「……!?」


 僕がコイツの背後から声を掛けると、その体がビクンと大きく跳ねた。ゆっくりと僕を振り返ったコイツは目を大きく開けて僕を凝視する。


「お前は委員長……? お前、まだ……」

「諸星、聞いてくれ」

「しつこいんだよ」


 コイツの言葉に先ほどの張りはなかった。むしろ、その声は柔らかい。


「諸星が僕の頼みを聞いてくれたら止める」

「……はぁ? お前、バカだろ? どうしてこの私がお前の頼みなんか聞かなくちゃならないんだよ」


 コイツの表情が緩んだような気がした。少なくとも睨み付けるのは止めてくれたようだ。良かった。やっとコイツとまともに話ができそうだ。


「決まってるだろ? 諸星、お前は優しい人なんだ。だから僕の頼みもきっと聞いてくれるって信じているんだ」

「お前、正気か?」


 コイツの言葉は、その中身と裏腹に随分と優しく聞こえた。


「僕は知っているよ。諸星は昨日の朝、僕を本気で心配してくれていた。あれは本気だった。だから、諸星は優しい人なんだとわかるんだ」

「……っ」


 コイツは押し黙り、目を伏せる。


「そんな事、お前の勘違いだ」

「勘違いでも良いよ。でも僕は信じているんだ」


 思えば恥ずかしい言葉だった。でも、僕は止めない。コイツの心は間違いなく揺れていると思う。だから、ここで説得してみせる。


「僕は知っている。諸星が優しい人なんだって」


 顔から火が噴きそうだった。この言葉に嘘はない。それが届いたのか、コイツがまたも目を見開いて僕に視線を向けてきた。


「はぁ。……なぁ、委員長。私さ……っ!?」


 何か言いたそうだった言葉を飲み込んだコイツは、大きく息を吐き出すと、気の抜けた顔をしつつ僕に向かって一歩踏み出していた。ところが。突如コイツの目に力が宿り、その目は屋上の入り口に向けられた。……どうした?


「充彦!」


 振り返ると悠人がいた。悠人がこちらに駆けてくる。どうして……!?

 あれほど邪魔するなと釘を刺しておいたのに!

 予想外の悠人の乱入にどうしようかと思った矢先、僕は急に寒気がした。僕の背後で剣呑な気配が瞬く間に膨れ上がる。


「……っ! ざけんな委員長! 残念だったな。……んなワケねぇだろ!」


 コイツの舌打ちに振り向くと、コイツは大きく床を蹴って僕に向かって飛び込んで来る。紅の髪が僕の視界を奪い、ほのかに甘い香りが僕を包んだ。

 コイツの息が感じられるほどの至近距離。今、コイツの端正な顔が目の前にある。

 僕が場違いにもコイツの整いすぎた顔に見とれてしまったその瞬間、僕は腹に重く激しい衝撃を感じた。

 ちょ、息が出来な……。

 たまらずその場に膝をつく。でも、痛みなんか感じない。先にコイツの残り香が僕を包んでいて、そのことばかりが頭を占めた。

  屋上の床が視界いっぱいに広がってゆく――。


「ああ!? テメエもコイツの仲間か!?」


 僕の頭の上から聞こえる、恐らく悠人に向けられたであろうコイツの罵声。……それも、僕にはもう聞こえない。



 ここは薬液の匂いが充満する保健室。

 僕らがここに来たとき、白衣の先生の姿は見当たらなかった。

 僕は今、僕の双子の妹である織姫おりひめが怪しい手つきを披露しつつも行ってくれている手当を甘んじて受けている。

 織姫は猫を思わせる、くりくりと動く大きな目で、擦り剥いた僕の手の甲を見詰めていた。

 とんでもなく長い髪を一本の三つ編みにして後ろに垂らしている、目の前の黒のセーラー服。それが織姫だ。


「諦めるものか。このくらいなんだって言うんだ。たいしたことは無い。僕はまだ何もやっていない。勝負はこれからだ。僕はこれから本気出す……アイタっ!」


 よりにもよって、血の滲む患部を手の平でぴしゃりと叩かれた。


「なーに寝惚けたこと言ってるの、お兄ちゃん。いい加減、妄想を垂れ流すの止めてくれないかなぁ。もう、その筋飽きた。せめて新展開を聞かせて?」

「ひっ、染みる、染みるって! 痛いよ」


 無言の消毒攻撃が襲いかかる。いや、むしろピンセットの先が傷を抉ってる!


「もうちょっとで終わるんだってば。悠人くんは痛いって言わなかったよ?」

「悠人は関係ないだろ!? そんなことより織姫、聞いてくれよ、アイツ酷いんだ。こんなに僕が必死なのに、話も聞いてくれないんだよ」

「はいはい。そうだよね、酷いよね」

「なにもあんなに必死になって拒絶しなくとも良いじゃないか」

「はいはい。そうだよね、酷いよね」

「……織姫?」

「はい?」


 今始めてアナタを見ました、とでも言いたげな、角度によっては慈愛に溢れているように見えなくもない、恐ろしく気の抜けた顔がそこにある。


「おま、織姫、聞いてないな? 僕の話!」

「うん。そうだよね、酷いよね」


 笑顔で繰り返す図々しさ。そしてそれを何とも思わない図太さを今日も僕は見た。


「お前の方がアイツの数倍も酷いわ!」

「はいはい。出来たよ、お兄ちゃん! ……それで? あの子にまだアタックかけるんだ? ダメだよ。そんな半端な気持ちで迫っても意味なんかないない。その子もさ、ああ見えて女の子なんだよ? 本気でぶつからなきゃダメじゃない。お兄ちゃんがあの女、千鴨先生に頼まれたから、じゃなくって、お兄ちゃんがあの子に本気にならなきゃ。二股ってサイテーだと思うよ?」


 なんだって? こいつは誤解している。ここは教育が必要だろう。僕は反論を試みた。


「どこをどうつなげたら、そんな話に聞こえるんだよ!」

「え? そんな話じゃないの? そんな話だよね? お兄ちゃんが認めてないだけだと思うけど? 悠人くんもそう思うよね?」

「オレに話を振らないでくれよ、織姫ちゃん。アイツの事は思い出したくもないんだ……」


 ベッドに腰掛けつつ、ガックリと項垂れたまま悠人がゆっくり頭を振っていた。


「お兄ちゃんが千鴨先生のことを綺麗さっぱり諦めて、あの子……諸星さんだっけ。その子に乗り換える、って話でしょ? 違った? ……もっとも、お兄ちゃんは千鴨先生にちっとも相手にして貰えてなかったみたいだけど」

「そんな事ない!」

「もう! わたし言っちゃうけど、そう思ってるのはお兄ちゃんだけだと思うんだ。あの雌狐に脈なんか全然無いってば。今回の事、先生をキッパリ諦めて他の子を追うって話は正解だと思うよ? 良い機会じゃない? お兄ちゃん。考え方としてはその方がマトモだと思うなぁ。よりによって乗り換え先があの諸星さん、ってのが終わってるけどね!」


 と、手当が終わったばかりの手の甲を、またも思いっきり手の平で叩かれた。

 くっ、思わず涙が出てきたじゃないか、この畜生!

 それにしても織姫まで未春先生のことを悪く言うなんて。酷すぎる。こいつが未春先生のことを誤解しているように、きっとアイツのことも同じように誤解しているに違いないのだ。

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