「うん。そーだね」

「く――はぁ!」


 意識を覚醒したクーが最初にしたことは、自分の状態の確認だった。

 縛られてはいないが、身動きが取れない。倦怠感に近いものに支配され、体が動かなかった。

 この感覚は、一度味わったことがある。目の前の老人に目を向け、口を開く。


「おじーちゃん、ワンパターンね。これって前にあーしに使った何とかっていう油でしょう?」

「うむ。対虫用に特化したニームじゃ。かなり精度を高めて作ったものをハチ型合成獣キマイラびぃびぃちゃんの針につけてにで姫に撃ち込ませてもらった。

 3か所からの音波攻撃を用いて生まれたスキを突かせていただきました。ご無礼を」


 言って一礼する老人――アルフォンゾ。

 場所はおそらくどこかのレストランなのだろう。テーブルと椅子が並んでいる。クーはその椅子の一つに座らされていた。アルフォンゾも以前のようにクーをぞんざいに扱うつもりはないらしい――手の込んだ誘拐はするが。

 クモの糸では防げない非実体の音波攻撃で隙を作り、虫を封じることに特化した毒を塗った針で突き刺す。


「フン。こんな程度、すぐに治るんだから」

「確かに。アラクネの姿となった姫の身体能力は高い。人間形態の時のように封じることは無理のようです。いや見事」

「っていうか、意味ないからね、これ。すぐにエリっちが助けに来てくれるんだから。そうなったらこの前のパターンでお終いよ!」


 気だるくはあるが、気勢を緩めずにクーは叫ぶ。

 エリックがここに来て、<命令オーダー>すれば、体内に蟲封じの術式が組み込まれていようがスキルがそれを跳ねのけてクーを動かすだろう。それがクーが望んだものならなおのことだ。


「それも理解しております。あの男がここに来れば、ワシは詰みじゃと。

 故にワシの勝ちパターンは二つ。一つはあやつがここに来るまでに殺すこと。そうなれば、姫にかけられた洗脳的な<命令オーダー>は解除され、正気に戻るでしょう」

「エリっちはあーしを洗脳なんかしないってーの!

 そもそもネイラとケプリんがエリっち守るだろうから、それも無理ね。はい残念!」

「そのようですな。土壁と炎と黒鎧を突破できぬと連絡用の合成獣キマイラから報告が伝わっております」


 この状態でネイラとケプリがエリックを放置するわけがない。

 ネイラが護衛しながら、ケプリが遠距離から炎と土でサポートしている。そんな連携なのだろう。クーは小さく笑みを浮かべた。


「なので、もう一つの勝ちパターンをば。姫の説得です」

「…………は? あーしをどう説得するのよ。あ、えちぃことするつもり!? やー! それはやー! 何でもするからそれだけはやだー!」

「いや、ワシ80才超えておるのでそういうのは流石に。

 姫、魔物としての性質を解き放ってみたくはありませんか?」


 胸を抱くようにするクーにあきれ顔をしたアルフォンゾだが、真剣な顔で質問する。


「本来、力関係は姫の方が上。蟲使いを力技で排することも可能なはず。

 あの男に恋慕を抱くというのなら、それこそ糸で拘束して我が物にするのがアラクネの本懐ではありませぬか?」


 それは――


「うん。そーだね」


 クーも認めるほどの、魔物としての本性だ。

 弱い物を虐げ、我が物とする。気分で攫い、気分で弄び、気分で殺す。それを悪いと思うような倫理をクーは持ち合わせていない。人間社会の常識よりも自分の感情。それが力在る者の常識だ。


「姫はあの男に命令されてその感情を押さえているにすぎませぬ。本来ならこの街すべての騎士が束になっても勝てぬほどの力を持っておる。

 なのにゴブリンにすら勝てないあの男に従っている。それがワシには許せないのです。力在るものは、その力を振るうべき。その自由と美しさこそが、姫ではありませんか?」


 アルフォンゾは一度見た本気のクーの攻撃に魅了されていた。

 合成獣錬金術師キマイラ・アルケミストとして、様々な生物を見てきた。生涯かけて生物を合成し、他国の技術も取り入れ、勉学の末にたどり着いた技術。だがそれよりもアラクネの糸は素晴らしかった。


(ワシの生涯が姫に劣るのは――いい。それは仕方のない事じゃ。

 だがが誰にも目に留まらない事は許しがたい。ましてやそれが一個人の欲望というのなら――)


 アルフォンゾという老人がクーにこだわる理由は、突き詰めれば挫折感だ。

 自分では届かない領域。人間では届かない領域。それを見てしまったが故の挫折があり、それが世に認められない事の悔しさがあった。その結果、人の生息圏は失われるかもしれないが、それも仕方ないと思っている。

 強い動物が、弱い動物を駆逐するのは自然の摂理だから。


「その実力をもって、全てを自由に扱う。それこそが姫の本来の姿なのです!」


 否、それは言い訳だ。

 自分自身が諦めたように、他の人も諦めてほしい。これだけのモノを前に、人間と言う矮小さを理解してほしい。

 心砕かれた老人の心の吐露。それがどれだけあさましいかと知っていても、アルフォンゾは止まらなかった。それだけの存在なのだ。

 そんな老人の言葉を、


「や。あーしそういうの興味ないし」


 あっさりとクーは切り捨てた。


「……それは、あの男を好きだからという理由ですか?」

「エリっちは関係ないよ。あーしは殺したいときに殺すし、殺したくない時は殺さない。ただそれだけだもん。

 あ、でも殺したくない理由がエリっちが困るから、っていうのはあるかな」

「それはあやつに命令されて――」

「これだけは言っとくけど。

 エリっちはあーしに命令して拘束しようとしたことはないから。そりゃ何度か<命令オーダー>されたけど、あーしが嫌がることは絶対にしなかったから!」


 もし一度でもエリックがクーが嫌がることを命令していたら、この関係はなかっただろう。

 蟲使いとしてではなく、エリック・ホワイトとして接してくれたから。

 命令できる魔物ではなく、クーと言う女性として見てくれたから。

 二人の出会いに蟲使いとアラクネという関係性があるのは否めない。ジョブと種族の噛み合わせから始まった関係なのは間違いない。

 それでも、胸を張って言えることがあった。


「あーしはエリっちが好き! 蟲使いとかアラクネとか関係なく、あーしはエリっちが好きなの!

 好きな人と一緒に居たい! 一緒に笑って、楽しく過ごしたいの! あーしが望むのは、それだけだから!」


 それこそが、魔物クーの本性。

 彼女はただ、それに従っているだけなのだ。心の底から、そうしたいという想いの元に。


「あ、でもエリっちを縛って独り占めするっていうんはアリかな? えへへー」


 ……まあ、そういう一面もあると言う事で。

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