「ニーム?」

「うー……」


 荒い呼吸をして頭を押さえるクー。

 先ほどまでは元気だったのに、何があったのかとエリックは慌てる。こんな彼女は初めて見る。


「あわわ。クー。どうしたの!?」

「んー……多分大丈夫」

「いや、どう見ても大丈夫じゃないから!」

「じゃあごめん。肩貸して」


 熱い息を吐いてエリックに体を預けるクー。それで幾分か楽になったと力を抜く彼女を感じながら、どうしたものか思案していた。とにかく理由が分からない。あまりにも急な出来事で――


(落ち着け、僕。そうだ、スキルで彼女の状況を調べて)


情報探査サーチ(虫限定)>……その存在を思い出し、エリックはスキルを使う。エーテルを通して伝わってくるクーの情報。その中に、見慣れぬものがあった。エリックはそれを口にする。


「ニーム?」

印度栴檀ニーム? そういえばお香がたかれてるようでござるな」

「え? あの、知ってるんですか?」

「うむ。東方の広葉樹で種子を焚くいて巻くと虫よけになるとか。しかし毒性はあまり高くはないので――」

(……それだー)


 口に出そうになった声をどうにか抑えるエリック。おそらく自然そのもののお香ではないだろう。魔術的な効果を乗せて『虫』に対する特攻性を増した効果にしてあるのだ。


(何者かは知らないけどアシッドスパイダーを倒すためにそのお香をたいたんだろう。それにクーが反応して……)


 原因が分かれば対処は簡単だ。クーをその香の外まで出せばいい。巻き込まれないように下水の外にでも出しておこう。とにかく彼女の容態が第一だ。


「クー、歩ける? いったん外に出よう。ここにいると駄目だ」

「何ってるのよ……エリっち一人じゃ……危なすぎ……けふ」

「いや、拙者もいるのでござるが」

「そ、そうだよ。だから一端出よう。それでも心配なら依頼は破棄してもいいから」

「ウソ言わないでよ……エリっちが、誰かを見捨てるわけないじゃない……」

「それはクーだって一緒だよ。そんな苦しんでいるクーを無視なんかできない」


 頑として撤退を貫こうとするエリック。クーは何かを言いかけたが、倦怠感に負けて頷いた。


「だよねー。エリっちがあーしをそういうふうに扱うわけないもんねー」

「? とにかく出るよ。お香だって言うのなら対策は取れる。何なら調香師パヒューマーに相談してもいい」

「あははー。カーラはしばらくぬるぬるした場所は来ないかも」

「うん? まあ、直接来なくても相談できればいいし」


 この時、エリックはクーの状態を重んじて冷静さを欠いていた。

 考えないといけないことがあるのに、そちらへの懸念を怠っていた。すなわち――


『誰がこのタイミングで、虫に対する毒ニームをばらまいたのか?』


 突如真上から数本の何かが垂れ下がる。それがタコの触手だと気付いた時には、エリックは弾き飛ばされて、クーは触手に捕らわれていた。


「なっ……!」


 エリックが天井を見れば、天井に張り付く巨大なタコ。ただ頭部には荒々しい表情をしたゴリラの上半身が融合していた。ゴリラの腕と触手がクーを拘束し、そのまま天井を伝って移動していく。


「こ、の……は、うくぅ……!」


 クーも抵抗しようとするが、朦朧とした意識を保つだけで手いっぱいのようだ。糸を飛ばそうと伸ばした手を押さえられ、そのまま関節技の要領で捻られる。痛みの表情を浮かべるクーの顔がエリックの目に焼き付いていた。


「クー!?」

「逃げ……エリ――」


 最後まで言葉を聞くことなく、タコゴリラはエリックの視界から消えていった。


◆     ◇     ◆


「なんと、姫を見つけたか!」


 ネズミの鳴き声を聞きながら、老人は歓喜の声をあげた。

 正確には、ネスミに見える合成獣キマイラだ。蠍の尻尾を持つネズミなど自然界には存在しない。


「どうやら運命はワシに味方しているようじゃな」


 老人の名前は、アルフォンソ・クリスティー。ジョブは錬金術師。彼は合成獣キマイラ作製技術に傾倒していた。その腕を買われて暗殺用の合成獣を作っていたのだが――ある日侵入してきたクーに出会う。


『アラクネ! 素晴らしい神の造形! あの姫を我が元に! あれを糧にワシは更なる創作道を進むのじゃ!』

『そしてあの縛りをもう一度! はふぅぅぅぅぅぅん!』


 狂ったかのような創作欲と、明らかに狂っている被緊縛欲求。彼はアラクネに傾倒していた。その為に合成獣作製と同時にアラクネを捕らえる研究を続けていたのだ。地下に潜って身を隠しながら、その機会を伺っていた。

 そして千載一遇のチャンスがやってきた。アルフォンソの活動範囲内に、クーがやってきたのだ。


「くっくっく。行くのだ水陸両用捕縛型合成獣、トミオ君! ゴリラの知性と優しさ、そしてタコ足の万能性。そして特殊加工したニームオイル! これで姫を捕らえてくれよう!」


 かくしてクーが下水に入った瞬間にニームのお香を焚き、そして弱ったところを一気に捕縛する。追手もない事を確認し、タコゴリラことトミオ君は隠し通路を通って研究施設に戻る。


「う……何処、ここ……?」

「ようこそ我が姫君。あるいはアラクネのお嬢さんとお呼びした方がいいですかのぅ」

「…………誰?」

「かっかっか。確かにアラクネからすれば人間など塵芥。記憶にないのは致し方ないか。

 ならワシの名を忘れ得ぬようにその身に刻んでやろう。たーっぷりとな」


 糸を出すことすらできないクーに、狂った老人の欲望が迫っていた。

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