「あ、エリっちおはー」

 目が覚めると自分を覗き込んでいる褐色の少女の顔があった。

 サラサラの茶髪が朝日を浴びて僅かに煌いている。その瞳は真っ直ぐにこちらを見て、その黒い瞳に吸い込まれてしまいそうになった。緩く開いた口から洩れた吐息が、かすかに顔にかかって目覚めを刺激する。視界の端で揺れる双丘がやわらかそうにぽよんと揺れた。


「あ、エリっちおはー」

「お、あれ、クー!? ちょ、うわああああ!?」

「もー、朝からうるさいよー。壁薄いから大声出さないでね、って言ったのはエリっちじゃない」


 確かに寝る前にそう説明した記憶はある。


「うぇ、そ、そうだけど……! その、ごめん」

「なんで謝るのかなー。きゃわいいあーしが朝の挨拶しただけなのに」

「できれば、もうすこし刺激の少ない方が……というか、寝る前はクモに戻ってたんじゃ?」

「そよ。でもあのままじゃエリっち起こせないじゃん」


 確かに大きさ30cmの蜘蛛では、エリックを起こすのは難儀だろう。そして起きたエリックも今以上にパニックを起こす。


『うるせーぞ! もう少し寝かせろ!』


 隣の壁から声が聞こえてくる。薄い板一枚で隔たれた部屋だ。会話はほぼ筒抜けと言ってもいいだろう。


「ご、ごめんなさーい!」

『ったく……女連れ込むならもう少し広い部屋取りやがれ……』


 ふてくされるような声。そのまま寝たのだろう、壁越しにいびきが聞こえてくる。


「そーよ。エリっちもう少し広い部屋に住めばいーじゃん」

「……まあ、それが出来なくて」


 クーの言葉がエリックの胸に突き刺さる。そして部屋を見回した。

 部屋はお世辞にも広いとは言えなかった。ベットが部屋の三分の一を占め、小さなテーブルとわずかな空間。冒険者の荷物を置けば、足の踏み場が困るほどである。

 ここは冒険者ギルドが擁する宿屋だ。大部屋を六つに区切り、木の板で仕切った程度の住居スペース。Eランク冒険者に宛がわれる最低クラスの寝室だ。冒険者のランクが上がるにつれて、広く豪華な部屋に住むことが出来る――のだが……。


(僕はずっとEランクだもんなぁ……)


 冒険者ギルドの仕事をこなす(成否問わず)ことを条件に、安い家賃で済むことが出来る部屋。ここを追い出されれば、エリックは路上生活待ったなしだ。


「ふーん。人間も大変ねー」


 完全に他人事のように――事実他人事なのだが――クーはコメントする。あまり気にしていない、というよりは話題を継続させるための相づちみたいな感じだった。

 エリックは改めてクーを見る。

 褐色の少女――に見えるクーはアラクネだ。人を喰らうモンスターだ。

 その戦闘力は折り紙付きで、A-じゅんしんわくらすと呼ばれる人間では太刀打ちできないモノである。この町の騎士団が総出で立ち向かって初めて勝負になるほどだろう。


(まあ……とてもそうには見えないんだけど……)


 きょとんとこちらを見る黒瞳。ころころ変わる表情。白い上着とスカート。健康的な太もも。動くたびに揺れる胸。……意識しないように努めてきたエリックだが、やはりそういった女性的な部分に目がいってしまう。


「エリっちー。目がえろーい」

「その、ごめん。……部屋に女の子がいるのって、その、初めてで……」

「やーん。もしかして襲われちゃう? あーし、襲われる?」

「いや、流石にクーには勝てないし……」


 いくじなしー、と笑顔で指でつついてくるクー。


「と、とにかく出かけないと。

 昨日は色々うやむやになったけど、その……どうするか話し合わないと」

「どう?」

「……その、出来れば人に聞かれない場所で話がしたいから……えーと、着替えたいんで、出来ればあっちを向いてくれると……」

「えー? エリっちの着替え見たーい。じー」

「……勘弁してください」


 様々な交渉の結果、クーに目を瞑ってもらう事を了承してもらった。その間に着替えるエリック。冒険用の道具を纏めた袋の中から、お金と小さな袋を取り出した。街中用の標準装備だ。


「もういいよ」

「ほい。んじゃ、デートしましょ!」

「うええええ!?」


 言うなりエリックの右腕に抱き着くクー。柔らかい感覚に声をあげるエリック。ふよんとした感覚が、クーの胸だと気付き、さらに目を白黒させる。


「その、あの、クー!?」

「ほーらー。壁、狭いんだから大声出さないの」

「あ、うん。そ、そうだね」

「そーれーにー。目立ちたく無いんならこうした方が自然でしょ? あーしも『魔物だー』って騒がれるのはやーだし」

「う…………」


 クーのその言葉に押し黙るエリック。

 話し合わないといけないのは、正にその事。


(クーはなんでこの街に居るんだろう?)

(魔物が人間の街に入って、大丈夫なの?)

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