第18話 武器庫(6)


 俺はなす術なく最上階まで狂犬に運ばれた。


「……やっと着いた……」


 狂犬だけは常識のあるやつだと思っていたのに、その予想は見事に裏切られた。


 やっと最上階に到達し、地に足をつけると気が一気に抜けて一度地面に座り込む。


 最上階の部屋の扉はこの通路の突き当たりにしかなく、二十メートルほどの道を通らなければならない。おそらく、というか絶対この通路にも罠が仕掛けられているのだろう。


 なんでこのマンションをこんな作りにしたのか、設計者に問い詰めたい。


「はぁ……よし、あとちょっとだから頑張ろう」


 俺は脚に力を入れて立ち上がり、気合いを入れ直す。


「狂犬、罠は頼んだぞ」


「ワンッ!」


 狂犬は俺の意図を汲み取り、俺の影に戻る。俺はその場で廊下に向かってクラウチングスタートの構えを取り、息を整える。


 よし。


「っ!!」


 俺は全力疾走でマンションの廊下を走り抜けた。足を踏み込むたびに地面にカチッという音と、少し沈む感触を感じても立ち止まることなく走る。その度にナイフや爆弾などの武器が俺に向けて放たれるが、狂犬が俺の足元から影を伸ばして迫り来る武器を全て飲み込む。


「よしっ!」


 扉の前まで辿り着くとすぐさま部屋のドアを狂犬に食わせて、転がり込むように部屋の中に入った。


「はぁっ……はっ……はぁ……ふぅ。こりゃ、明日は確実に筋肉痛だな。って……」


 乱れた息を整えながら立ち上がり、前を向くと部屋の中には同い年くらいの少年が部屋の掃除をしていた。少年と目が合い、お互い凍りつくように動けなかった。


 えーっと。ここが敵のアジト的な所なんだよな?


 何の罪のない市民から食料を巻き上げて、私腹を肥やしている奴がいるはずなんだよな?


 目の前の光景が想像していたイメージと違いすぎて戸惑うしかなかった。玄関から見えるのは、シミひとつない真っ白な壁と、埃ひとつないフローリングの床。そして、少年だ。それもただの少年ではない。


 黒髪黒眼に、まだ幼気の残る可愛らしい顔つき。手にゴム手袋をはめ、口には細菌が入る隙間などないと評判の立体マスクをつけている。頭には白の三角巾を被っており、右手には真っ白の綺麗な雑巾、左手には水の入ったバケツを持っており。汚れ一つない純白の詰襟の制服の上から白いエプロンをつけている。完璧すぎる掃除スタイルに身を包んだ少年と、この綺麗すぎる部屋だけ、外の世界と隔離されたかのような度を超えた清潔感を放っていた。


 つか、白すぎて眩しい。


「えっと……お邪魔します」


 俺は耐えきれなくなって沈黙を破り、そう呟いて土足のまま入ろうと足を上げた瞬間。


「動くなっ!!」


 全身真っ白の少年は叫んだ。


 少年は俺の足元を見て、一瞬にして鬼のような形相へと表情を変える。そして少年はくわっと目を開いて睨み、俺の前までズカズカと歩いて来て、足元にスリッパを置いた。それと同時に言う。


「これ、使ってください」


 少年は元の可愛らしい表情に戻り、にかっと笑う。えっと。


「あ、どうも……」


 俺は狂犬を自分の影に引っ込めたまま、靴を脱ぎスリッパを履いて部屋に上がる。


「どうぞ、上がってください」


 雑巾とバケツを部屋の隅の床に置き、少年は俺を部屋のリビングに招き入れた。


 少年はゴム手袋を外して白の手袋に付け替えて椅子に座る。俺もテーブルを挟んで向かい合うように椅子に座り、少年が出してくれた紙コップに入っているお茶を一口飲む。


 部屋の中も清潔感が溢れ、埃一つ見当たらないほどに隅々まで掃除が行き届いている。というか、なんで俺は少年におもてなしされているのだろうか。


「僕に何か用ですか?えっと……」


 少年は俺を何と呼んでいいか分からずに首をかしげる。そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな。


「俺は氷見 隼人」


「隼人さん、ですか。僕は柊真琴ひいらぎ まことといいます。よろしくお願いします」


 真琴はぺこっと頭を下げて丁寧に挨拶してくる。なんか、思っていたイメージとかけ離れ過ぎて反応に困るのだが。


 もっと人相の悪そうな、いかにも悪いことしてますって顔の目が血走った屈強な男が出てくると思っていたのに、こんな中性的な可愛らしい少年が出てきて。にこにこと愛想のいい笑顔を振りまいているという。


 いや、まだこいつが犯人とは限らないから。人違いかもしれないし。


「真琴……君、単刀直入に聞くが、ここらへんの市民から食料を巻き上げたのはお前か?」


 念のために聞いてみる。まぁ、この感じだと違うだろう。何も知らなさそうだしな。


「あ、それ僕ですね」


 真琴はニコッと笑って即答で答えた。お前なのかよ!!


「正確には、実行犯ではなく、その犯人に加担してしまったって感じです。元々犯人はここに住んでいたみたいなのですが、僕が途中からここに押しかける形で住むことになって食料は奪いっぱなしになっていました。


 でも返さなかったってことは僕も犯人に協力したということになるので、犯人だと名乗ってみました」


 なるほど。ってことは、奪われた食料はまだここにあるんだな。


「なんで、返さなかったんだ?」


 返そうと思えば返せるはずだ。あのデパートからここまで、距離的にはそこまで遠くもないし、他に返さない理由でもあるのだろうか。


「すみません。それは、この部屋から出たくなくて……」


 真琴は深刻そうに言う。


「この部屋に思い入れとかあるのか?」


 それかもしくは、餓鬼が怖いか。


「いえ全然」


「あっそう……」


 あっさりと否定された。


「そもそも、ここ僕の家じゃないですし」


 押しかけたっていってたもんな。


「ということは、前の住民を追い出したのか?」


 前の住民、つまり犯人達がどうなったのかは聞いてなかった。


 もうここにはいなさそうだからな。


「いえ、なかなか出て行こうとしなかったので、それ相応の対処を取らせてもらっただけです」


「相応の対処って……!」


 真琴は笑いながら声のトーンを変えることなく話すが、その目は笑っていなかった。俺はその目に、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。


 渚とは違う、光のない深く真っ黒な瞳。何も映さない瞳。そんな瞳が俺を見つめている。


「この世界は汚い。そう思いませんか?」


 真琴は頭につけていた三角巾をとり、畳みながら話を続ける。


「僕は汚いものが許せないんです。部屋の埃や汚れ、服のシミ、土埃や泥、空気、他人や肉親までも、僕以外のあらゆる存在を汚いと思ってしまう。


 世界がこうなるまでは僕だってなんとか耐えて生きてこれました。けれど、この荒廃した世界の中には汚いものしか存在しない。唯一と思える綺麗な場所は地震と津波に耐えきったここしかなかったんです。でも、この部屋を訪れた時この部屋は見るも無残な汚物の塊になっていました。


 この部屋には先約がいたのです。汚い体で汚い言葉を吐き、汚い物を汚い美徳で踏みにじっていた、あいつら。本来、清潔で綺麗であるはずのこの部屋を汚物まみれにしていたあいつら。


 それが僕には耐えられなかった」


 三角巾を手袋をはめた手の中で握り潰しながら真琴は言う。


「だから、殺しました」






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