第6話 狂犬(6)






「千花!!」


「隼人……いぎっ!?に、に……げて……」


 化け物に握り潰されながらも、パキパキと音を立てて骨を折られながらも、千花は涙を流しながら俺に手を伸ばす。


 なんで引き返してきたんだよ!


 なんで庇うんだよ!


 そんな言葉は口に出す前に泡沫となり消える。



「やめろ……やめ……」


 声に出るのはそれだけ。


 やめてくれ。千花を殺さないでくれ。


 千花は俺にとって、かけがえのない存在なんだ。


 だからっ!!


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉ!!!」



 バキリッ。


 と。


 無慈悲に潰された。


 骨を砕く音と、肉が千切れる音と。


 びちゃびちゃと血を滴らせながら、千花の小さく細い身体はへし折られる。


 それらを化け物は俺を嘲笑うように大きな口に放り込み、咀嚼した。


 ぐちゃりぐちゃりと。


 耳に残る肉と骨とが混ざり合う音が耳から入り、頭の中をかき乱す。


 その光景を、俺は見ることしかできなかった。


「あ……っ……」


 次に狙われるのは俺だ。


 だが、化け物はすぐに俺を殺すことなく、腹を満たした余韻に浸るようにゆっくりと俺を見下ろす。


 けれど、俺にとってそんなことはどうでもよかった。


 頭が熱い。


 心が痛い。


 全身の血が冷たく、暑くなる。


 心にあるのはただただ惜しむ後悔の念と、千花を食べた目の前の化け物への怨念だけで。


 多くの感情が混ざり合って、ぐずぐずと俺の心をどす黒い何かが侵食していく。


「っ……」


 本来ならその感覚は不快であるはずなのに、今は心地良い。


 その心が、俺がするべきことを示唆する。




 こんな所で死ぬな。



 俺がすべきことは分かっているはずだ。




 抗え。戦え。殺せ。




 その力は既にある。





 ふと、夢の中で聞いた言葉が脳裏によぎる。


『gift』



 あの箱の中にあったのは、小さな鍵と、小さな影だ。



 だから、呼ぶ。



 考えるよりも先に、口は動く。



 その影の名前を。






 赤く照らされた俺の影からずるりと。




 心の底からどろりと。




 禍々しく、黒い獣が這い出てきた。




 俺の影から出てきた獣はゆらゆらと蠢き、大きな狼の形を成す。



「グルル……」


 狼の影、狂犬は化け物に向かって歯を剥き出しにし、低く唸り威嚇している。


 化け物は何かを感じたのか、焦るように狂犬に襲い掛かる。


「グァァァァ!」


「狂犬、こいつを殺せ」


 そう命ずるだけで狂犬は動く。


 狂犬の影が化け物の足元に水溜りのように広がり、化け物の足を沼のように飲み込み、ガリガリと音を立てて喰らう。


「ッグァァァァ!!」


 化け物は突然訪れた痛みに苦しみながら、狂犬を殴り殺そうと腕を振るが、その腕は狂犬の身体を捉えることなくすり抜ける。


 化け物が足を失い、態勢を保てずに身体を崩した所で、狂犬は影を変形させて床に大きな顎を開く。


「ガウッッ!!」


 そして、化け物を飲み込み消滅させた。


 あんな化け物を、こんな簡単に。


 殺した。





 俺は膝をつき、いつの間にかライトが消えていた携帯端末を落とす。無機質な硬い音が廊下に響き、消えていく。


 目の前には千花から流れた血だまりだけが残されており、俺はその血だまりに手をつく。


「千花……うぅ……っ……


 あ……あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!」


 涙で視界が滲み、霞む声は闇に溶けていく。


 俺は、今更後悔するなんて思わなかった。


 今までそうしてきたように、これからもずっと俺の隣にいるものだと思っていた。信じて疑わなかった。


 あんな何でもない日常が続いて、俺はまた同じ明日を迎えるのだと信じていた。


 なのに、こんな簡単に日常は壊れ。


 大切な人は死んだ。


 死んだんだ。


 あんなの、俺が千花を殺したようなものだ。


 俺がここに様子を見に来ようなんて思わなければ、こんなことにならなかったのではないのか。


 暗闇を睨みながら俺は歯をくいしばる。


 誰を呪えばこの憎しみは解けるのだろう。


 誰を殺せばこの想いは晴れるのだろう。



「グギャァァァァァ!!」


「……っ!」


 闇から先程と同じ化け物が現れる。


 まだいたのか。ここまで来たということは、もう、他の生徒は食い散らかしたということだろう。


 化け物の口は血で汚れており、手や足にも血が付いている。俺は立ち上がり、ゆっくりと化け物に向かって歩く。


「グルル……」


 狂犬は化け物に威嚇しながら俺の隣を付き添うように歩いてくれる。


「……」


「グォアァァァァァ!!」


「グルルァァァウゥ!!」


 滲む視界の中で、互いに叫びながらぶつかり合う。狂犬が化け物の両腕を飲み込み、化け物が怯んだところで次に頭を食い千切る。


 化け物が動かなくなったところで狂犬は影で化け物を包み込み、音もなく飲み込んだ。




 そして。




 やはり、生き残りなんてものは、誰一人いなかった。


 廊下に散らばるのは、化け物が食べ残した肉の残骸と、血だまりと。


 ただ、それだけ。


 ただ、それだけしか残らなかった。


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