地獄の一丁目

「はぁ!? 旧カナケル地方だと!? エノー、お前担がれたんじゃないのか?」

「そう思いたい気持ちはよくわかる。しかし、今はこの情報だけが頼りだ。向かうしかないだろ」

「ええ、本当に……道理で王国暗部(※王国の諜報、暗殺部隊)まで動員しても見つからないわけですね」


 リーズとアーシェラの居場所をロジオンから聞き出した二人が、

ナンパから帰ってきたリシャールにそのことを教えると、彼はあり得ないと言った風に驚いた。

 旧カナケル地方は、魔神王の齎した莫大な瘴気により土地の大部分が汚染され、大国が一つ滅びてしまったほどだ。そして今でも、旧カナケル王国には人が住めると思っていない人は多い。

 リシャールがありえないと思うのも無理のないことだし、ロジオンから直接聞いたはずのエノーとロザリンデすらも、初めて聞いた時は俄かに信じられなかった。

 逆に言えば、それだけ人の目につきにくい場所であることも確かであり、住めるようにするまでが非常に面倒なことを除けば、隠れて住むのにはうってつけなのかもしれない。


「やれやれ、よくもまぁそんな面倒な……だがこれも、リーズの為だ! 待っていろリーズ! この俺が迅速に華麗にお前を助けに行くと約束しよう!」

「……楽しそうで何よりだ。これなら、この先わざわざお前の面倒を見てやる必要はないな」


(もっとも、この先は地獄の一丁目…………果たして何日で音を上げるかな?)


 勇ましい言葉で堂々と宣言しながら、馬に乗り駆け出すリシャール。その姿をエノーとロザリンデは相変わらず冷ややかな目で見つめていた。


 だが、二人はまだ考えが甘いところがあるようだ。

 その地獄の一丁目には、リシャールだけでなく自分たちも突入しなければならないのだから………




 アロンシャムがある地方から旧カナケル地方に向かうには、旧街道と呼ばれる長い長い山道を進む以外に道はない。

 かつては天下の要害と言われながらも、商人が往来するために所々に宿場があったものだが、カナケル王国滅亡後はこの道を行く人もいなくなり、道沿いにある宿はどこも完全に放棄されている。

 エノーたち一行が旧街道の荒れた山道を進みはじめてまもなく、そびえる山々に雲がかかり始め、雨が降り出した。秋も中ごろを過ぎようとしているこの時期の雨は冷たく、雨除けの術を使っても体の芯から冷えていくようだった。


「こんなことなら公爵家専用馬車で来るべきだったかな……携行食料がこんなにまずいものだとはな」

「勇者パーティーの時にも、飯はきちんと毎日三食出てたからな。俺も久々に食ったが、あまりうまいものじゃないな」

「ですね……」


 夜になり、かつて宿場だったらしい木造の廃墟の暖炉に火をおこして、それを囲む三人。

 街道を進み始めてまだ二日で、この先まだまだ馬で進むのも難しい道が続くと思うと、リシャールだけでなくエノーやロザリンデも若干憂鬱になってくる。

 特に彼らのテンションを下げるのが、冒険者の必需品ともいえる携行食料の不味さで、リシャールは半分食べただけでそれを放り投げて捨ててしまい、ロザリンデもあまり食が進まないようだった。それに、かつて冒険者時代に何度かお世話になったエノーですらも、貴族の料理生活になれてしまったせいか、この味気ない固形物に辟易した。


(中央神殿の庇護下を離れるというのは……こういうことなのですね)


 まるで粘土を食べるような思いで携行食料を齧るロザリンデは、改めて今まで自分がいかにぬるい環境で育ったかを思い知ったようだ。勇者パーティーにいた時も、テントで寝食を行い、ほとんどの時間を野外で過ごす生活に若干の戸惑いがあった時期もあった。

 それでも、戦闘の時以外は彼女の傍にお付きの神官がいたし、食事や服の用意は…………全てアーシェラがきちんとやってくれた。

 今後は、それらすべてを自分でやらなければならないばかりでなく、そもそも寝床や食料が満足に用意できないこともあるだろう。聖女として、常に傅かれた生活をしていたロザリンデには、とてもつらい日々が続くことだろう。


(ですが、私は後悔していません。今までの私は恵まれすぎていたのです。それでは……人々の痛みなど、知ることができるはずがありません)


 ロザリンデの覚悟は本物のようだ。

 だが、苦しい環境くらいなら覚悟ができている彼女でも……辟易するものもある。


「ロザリンデ、こんな味気ないところで夜を過ごすのはお互い嫌だろう? 俺と一緒に楽しもうぜ?」

「結構です。こんなところまできて、あなたは何を考えているのですか」

「さっさと寝ろよリシャール。聖女様に少しでも手を出したら、この槍でお前を貫くからな」

「まあそう言うなって! 俺とロザリンデの仲じゃないか!」

「どんな仲ですか…………とにかく、リーズさんを迎えに行く道中でほかの女性に手を出すのでさえ言語道断だというのに、あなたは……っ」


 女好きのリシャールが、何のためらいもなくロザリンデに手を出そうとしてきたのだ。リーズやアーシェラの敵意を向けるためとはいえ、このどうしようもない男を連れてきたことを後悔する羽目になった。

 これから数日間、リシャールと寝食を共にする。エノーとロザリンデは、お互いがいるとはいえ、この先の苦労を思いため息をついた。

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