後ろ髪を引かれる思い
次の日――――エノーとロザリンデは満を持して、グラントと彼の執務室にいたセザールとリシャールを前に、リーズの居場所が分かったと言った。
勇者リーズがどこかにいる平民の家に居候していると話すと、セザールは激怒して今すぐにでも連れ戻すよう二人に言いつけ、逆にリシャールは「自分が直々に迎えに行く」と言ってのけた。
もともとセザールは王子なので、よほどの理由がなければ国から出ることはできないが、かつて勇者パーティーの1軍メンバーだったリシャールを連れ出すのは容易であった。
「リシャールさん。同行するのは構いませんが、くれぐれも周囲には出来る限り情報を漏らさないようお願いします」
「言っておくが、今回は隠密行動だから、魔神王討伐の旅の頃みたいに個人的な召使は連れていけないからな」
「ふふっ、分かっているとも! リーズを迎えに行くんだから、明日からと言わず今日にでも出発しようではないか! エノー、ロザリンデ、お前たちこそもたもた準備するなよ!」
もうリーズを迎えて自分が結婚できる気になっているリシャールは、ルンルン気分で支度に向かった。
この後、自分がサンドバックにされるとも知らずに…………
「清々しいくらい単純に引っかかってくれたな」
「おかげさまで罪悪感なく引っ張っていけますね。いえ、むしろあの様子なら、私たちが何もせずともリーズさんに嫌われて自爆しそうです」
グラントの執務室を後にした二人は、小声でそんなことを話しながら廊下を歩いていた。
彼らもまたこれから急いで外出の支度をしなければならないのだが、このことを見越して最低限の準備は整えてある。この日をもって、二人はいよいよ泥船の上に築かれた楽園から脱出することになる。
「エノー、もう夢の貴族生活には愛着はありませんね?」
「もう十分堪能させてもらったさ。いいことも、悪いこともな。君こそ、綺麗な寝床は当分ないけど構わないよな」
「全く未練がないわけではないですが、覚悟の上です」
この先もきっと楽しいことばかりではないだろう。辛いことだって多いはずだ。それでも二人は先に進むと決めているのだから、今の生活を手放すことにためらいはない。
だが、それでも――――最後の最後になって二人の行く手を阻もうとするものがあった。
それは、彼ら自身を慕っている人々の存在だ。
「ご主人様、それは真でございますか? 突然の遠出とは……」
「お戻りは何時頃になりますでしょうか」
「済まないな。王国の極秘任務だから直前まで言えなかった。いつ戻れるかも俺自身まだわからん」
まず、エノーはロザリンデと別れた足で邸宅に戻り、召使二人に極秘任務による外出が決まったと告げた。召使たちは突然のことに戸惑いを隠せないようだったが、留守の間もきちんと仕事をすると申し出た。
まさかもう二度と戻ってこないとは言えないエノーは、ちょっとだけ心が痛んだ。
(二人には本当に世話になったな。それなのに俺は、こいつらに嘘をついて出ていくのか……)
とはいえ、正直に話すことなどできない。エノーは、当面の間彼らが困らないよう、1年分の給金を前払いした。そして、いずれ落ち着いたら二人にはこっそり事情を話すことにしようと決めた。
だが、エノーのことを心配するのは召使たちだけではない。
彼は王国の騎士の一員として騎士団を持っており、配下をそれなりに抱えている。
「エノー様! その、勇者様に関する噂は本当なのですか?」
「なんでも勇者様が行方不明になって、連絡が途絶えているとか。まさか団長は勇者様を捜索しに……?」
「済まないみんな。陛下やグラントさんから、今回の任務の詳細は明かすことはできない。だが、心配せずともすぐに戻ってくる。その間お前たちも、訓練サボるなよ?」
若い貴族の男女で構成された騎士団の面々は、団長であるエノーのことを心から慕っていた。
面倒見がよく、家柄で決して差別しないエノーは、部下たちの人気も高い。特に、昨日までエノーの代わりにアロンシャムのロジオンの居場所を調べてくれた副官の男性騎士は、最後の最後まで自分も護衛としてついていきたいと食い下がらなかった。
「お前には、俺がいない間に部下たちの面倒を見てもらわないとな。だからしばらくの間、留守を頼んだ」
「はっ……そこまで言われるのでしたら」
ここでもエノーは、ちょっとした罪悪感を感じた。
将来勇者リーズを護るのにふさわしい騎士団を育て上げるために、手塩にかけて育てた部下を置いていくのはなかなかつらいものがある。しかも、エノーはもう王国に戻ってこないのだから……彼らが上司に見捨てられたと知ったら、どう思うだろうか。
それだけではなく…………準備のために王宮を駆け回っている間、かつて共に戦った勇者パーティー一軍メンバーにも何度か遭遇した。
出会うたびに彼らは、勇者リーズが行方不明なのは本当なのか、本当ならば早く連れて帰ってきてほしいとせがんできた。
「勇者様がいなくなってから、貴族連中が私たち元平民を蔑ろにし始めている! エノー、同じ平民出のあなたなら、この辛さが分かるわよね! お願い、なんとか勇者様を連れて帰ってきて!」
「勇者様なしでは、気分が滅入るばかりだ…………。早くあの勇者様の明るい声が聞きたいよ」
「いや、だから……勇者様が行方不明になったわけじゃないって。だから落ち着け、な?」
人の口に戸は立てられぬとは言うが、王国上層部の機密事項のはずのリーズ行方不明は、すでに元勇者パーティーメンバーの大半に広がっていた。
少なくともエノーはそのようなことを言った覚えはないのだが、やはり状況が状況だけに、うわさが真実味を帯びるのだろう。戦士として勇者パーティーの最前線で戦ったエノーは、仲間内での顔もかなり広い。彼らもまた被害者なのだと思うと、エノーはますますやるせない気持になっていく。
一方で、中央神殿内でも「本当の味方がいない」と嘆いていたロザリンデの方も似たようなことがあった。勇者パーティーの極秘任務として、大神官たちの承認もなしに無期限の遠出をすることに、神殿内は天地がひっくり返ったような大騒ぎとなった。
もちろん大多数の大神官たちは、勇者パーティーの一員という関係を利用した政治介入だとして大反対し、中には「聖女様を部屋に閉じ込めるべき」と声高に叫ぶ者もいた。
だが、ロザリンデは淡々と準備をこなし、慌てる女性神官たちにきつめに指示を下していた。そして、ロジオンとの約束している聖花を女性神官から受け取ったのだが――――
「聖女様……その、よかったら道中でこちらをお召し上がりください」
「あら、これは?」
「お忙しい聖女様が急に出かけられるとお聞きしまして……この後お出しするつもりでした昼食を、お弁当に直しました」
ロザリンデは、女性神官からやや大きめの包みを受け取った。
包みはまだほんの少し暖かく、おそらく道中で楽に食べられるように、パンに挟むなどしてくれたのだろう。指示を出さないと動かない神官が多い中、このような心遣いをしてくれた女性神官に、ロザリンデは思わず感動した。
(神殿にはまだこんな子がいたのですね。いえ……もしかしたら、私はまた……見落としていたのかもしれませんね)
彼女もまた、国を後にする寸前になって、ちょっとした善意に絆され、裏切ることへの罪悪感を感じた。
「聖女様、どうか……お気をつけてお戻りください」
「ありがとうございます。あなたに、女神さまの祝福がありますように」
もしかしたらリーズも、逃げ出す時はこんな気持ちだったのかもしれない。
だとしたら、いよいよもって彼女の未練を断ち切ってあげなければならない。ロザリンデは、心にそう固く誓った。
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