決意の夜

 エノーがパーティーを後にして家に帰ったのは夜の11時を過ぎたころだった。

 公爵家ではまだまだ宴が続いているが、彼は明日も早くから仕事があるからという理由で、早めに切り上げてきたのだ。付き合いが悪いと言われることは承知の上だ。それに、もうエノーにとって貴族同士の交流などどうでもよくなってきていた。


「結局……俺のような戦うだけしか能がない人間に、貴族なんて似合わないんだろうな」


 エノーはソファーで気だるげに仰向けになりながら、虚しく独り言ちた。

 色々あってとても長く感じた一日は、エノーに改めて今の自分の境遇を考えさせた。

 自分は何のために虚しい日々を過ごし、何のために頑張っているのか、何度も何度も自問自答し続けた。


 術式ランプの光を頼りに、懐から取り出したアーシェラからの手紙を眺める。かつての親友から「まだ僕のことを覚えているかな」と書かれたことがエノーにとってはとてもショックで、何度も読み返してはため息をついてしまう。

 「貴族世界」の幻想に縛られ、かつての戦友たちを顧みもせずに突っ走ってきたというのに、今のエノーの手には何が残っただろうか。かつての生活からすれば一生かけても使い切れな程の財産、オーダーメイドの強力な武具、それに「黒騎士」としての圧倒的な名声…………はたしてそれらは、エノーを幸福にしただろうか?


「ふぅ………認めたくないものだな。これが若さゆえの過ちってやつなのか」


 誰に聞かせるわけでもなく、そんな言葉をつぶやいていた時だった。



「過ちは認めなければ、人は前には進めませんよエノー」

「うわおぁっ!?」


 突然どこからか聴こえてきた声に、エノーはびっくりして悲鳴を上げるとともに、ソファーから転げ落ちて腰を強かに打ち付けた。

 腰をさすりながら振り返ってみれば、なんとロザリンデがドアを開いて入ってきていた。


「あら、ソファーから落ちてしまったのですか? 黒騎士ともあろう方が、珍しいですね」

「だ、誰のせいだと…………」

「油断していたエノーのせいだと思いますよ♪ ほら、私が治療してあげますから機嫌治してくださいな」


 今夜は特に取り決めはしていなかったはずなのに、なぜロザリンデが家に来たのか…………エノーは訳も分からず、しばらく混乱した。


「ロザリンデ……その、今日はお互い忙しいからいつもの時間は難しいって言ってなかったっけ?」

「あら、来てはいけませんでしたか?」

「そ、そんなことはない! だだ、君はいつもこの時間はもう夜の祈りを終えて、ベッドに入っているはずじゃないのか?」

「抜け出してきました」


 ロザリンデはあっさりとそう言い切って、エノーの隣に躊躇うことなく腰を下ろした。

 沐浴が済んだロザリンデの体からはツバキの香りがふわっと漂い、エノーは思わずドキッとしてしまうが、それと同時に混乱した頭がゆっくりと落ち着くのを感じる。


「皆さんがルールを守る気がないなら、私だって守る義理はありませんから」

「ロザリンデがそこまで言うなんて……さてはあれか、朝乱入してきたオッサン神官たちがお咎めなしになったか」

「ええ。ですから、今日は……いえ、私の気が済むまで、夜はエノーさんの家で過ごそうと思います」


 どこか投げやりなロザリンデの言葉に、エノーは思わずくすっと笑ってしまった。

 表向きは規律を守っている風を装って、神殿には内緒で何度も抜け出してはエノーのところに来ていたロザリンデと、自分たちの処罰を決める会議で、自分たちでお咎めなしを決定した大神官たち。

 エノーにとっては正直五十歩百歩にしか思えないが、それでも彼はロザリンデを肯定してあげることにする。


「そうか……それはいいんだが、ロザリンデの方は大丈夫なのか? 誰かに見つかったら大変なことになりそうだけど」

「いいんです。今までは万が一のことを考えて、エノーに会う時間を切り詰めてしまっていましたが、今まで私が寝ているときに、部屋を訪問されたことは一度もありませんでした。そしてこれからも、滅多にないでしょう」


 どうやらロザリンデは、大神官たちが神殿秩序をないがしろにし始めているのに腹を立てているだけでなく、規律を守るという行為自体に嫌気がさしてき始めてしまっているようだった。礼儀作法や社会秩序にやたら厳しい今までの彼女からは、到底考えられない変わりようだった。

 そんなロザリンデに、エノーは気のきいたセリフの一つでもかけてあげたかったのだが、残念ながらただ頷くことしかできなかった。しかし、ロザリンデはエノーに頷いてもらえるだけでも、とても心強くなれる気がした。


「……お茶を淹れましょうか。今晩はたくさん語り合えますから、いつもよりも多めに淹れてきますね」

「ありがとう。お願いするよ」


 今晩はいつもよりも長く語り合うことができる。そして、もしかしたらその先も…………

 台所に向かうロザリンデは、いつもより浮足立っているように見えた。

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