神と法
「聖女様。各地の神殿より、上申書が届いております」
「ご苦労様」
エノーが公爵家の宴会でセザールに絡まれている頃、ロザリンデは執務室で一人黙々と女性神官から手渡された書類に目を通していた。
書類の内容は、ここ一月の間に中央神殿に送られた各地の神殿からの手紙や、一般信徒から送られる意見書などである。表面上、女神信仰を司る立場の聖女は、神殿組織ができた当初から各地の人々の声を直接聞き、それに直接答えることで、すべての人に分け隔てなく神の恩寵を分け与えるとしていた。
ロザリンデが一枚の書面に目を通すと、そこにはいつも通りの時候の挨拶と「聖女様や女神様のおかげで人々は平和に暮らしています」という文章が、抑揚のない整った字で書かれている。この文章を送ってきたのは、とある小国の地方神殿なのだが、ロザリンデが記憶している限り、この書面を送ってきた国は魔神王の軍勢の侵攻で大きな被害を被り、その傷は今もなお深いはずだ。
(私たちの力など必要ない…………そう言いたげですね)
以前のロザリンデなら、こういったテンプレートな内容の手紙も特に何も考えずに、額面通りに受け取ったことだろう。だが、魔神王討伐の戦いの最中、ボロボロになった国々を見てロザリンデの考えは大きく変わったのだ。
「彼らはもう、私たち中央神殿と……そして王国を、頼りにならないと切り捨てているのでしょう。私たちがそうするように仕向けたとはいえ、何ともやるせないですね…………」
月に一度の聖女への上申書は、長い伝統を経て歪み切っていた。
これらの書類はロザリンデの目に入る前に、中央神殿の神官たちの手に渡る。そこで何度も検閲が行われ「聖女様に見せるには不適格」とされた文章は修正を迫られるか、場合によっては突き返されることとなる。
病気が流行っているから助けてほしいだとか、凶作で明日をも知れないとか、邪教集団の襲撃で多数の死者が出ただとか…………そのようなことで、聖女様の手を煩わせるのは言語道断であり、より聖女様や大神官たちの心象の良い言葉を選ぶことが肝要となってしまったのだ。
これが、王国内の貴族領の神殿などは、中央神殿の後ろ盾欲しさに飛び切り長い美辞麗句を並べた力作の書状と、ついでに「寄進」を送ってくれるのだが………………地方の神殿ともなると、もはや定期的に行うただの面倒で無意味な作業でしかないのだろう。
「聖女様、大神官会議の結果、今月の「返書」はこちらの3神殿です。返書の内容はこちらにご用意してありますので、3日後までにご用意をお願いいたします」
「わかりました」
そして「聖女様が見ている」ことを強調するため、上申書には聖女ロザリンデからの「返書」が贈られる場合がある。聖女の返書は大変貴重な物であり、これを受け取れること自体が神殿のステータスにもなる。
が、これもまた例によってどの書類に返すのかを決める権限は、ロザリンデにはない。それどころか、返書の内容もあらかじめ決まっている。
(ここまでするのであれば、もう私に見せなくてもいいのではないでしょうか)
返書に書く文章を指示する書類を見て、ロザリンデは心の中で嘆息する。
確かに、長く続く歴史の過程で、必ずしもロザリンデのように優秀な人物が聖女になるとは限らない。その点、経験者たちでしっかり話し合って決めた末に出した結論を「聖女の意見」として出せば、間違いはめったに起きないだろう。
けれども――――ロザリンデにとって、それは何か本末転倒のような気がしてならないのだ。
「では、私はこれにて…………」
「待ちなさい」
書類に目を通している間にそそくさと出ていこうとする神官を、ロザリンデは強い口調で止めた。神官は、なにやら隠し事がばれると困ると言ったような微妙な表情で、扉の前で立ち止まった。
「今朝の大神官3名による、神殿内騒乱および聖域無許可立ち入りの件についてはどうなりましたか? 今日の大神官会議で処遇を決めたのでしょう?」
「あ、いえ……聖女様、その…………」
女性神官は非常に困った顔をする。
ロザリンデは、彼女の態度ですべての結果を察した。
「その様子だと3名とも不問なのですね。理由を聞いてもよろしいですか?」
「ですが……聖女様のご気分を害するかもしれませんので」
悪い結果の報告なんて、誰もしたくないに決まっている。特に王国貴族社会では、悪い出来事を正直に報告した人間に怒りのとばっちりが行くことなど日常茶飯事だ。
おそらくこの女性神官も、ロザリンデの機嫌を損ねて自分に不利益が出るのを恐れているのだろうが、ロザリンデとしてはむしろそう言ったことを隠し通そうというほうが気に入らない。だが、だからと言って叱ってしまえば、彼女は「やっぱり怒られた」と委縮してしまうことだろう。
「怒りませんから、正確に話しなさい。嘘をついて私が気分が良くなるとお思いですか?」
「えぅっ!? あ、はい……会議の結果を申し上げますと、3名の大神官は不要不急に騒乱と制限区域無断立ち入りをしましたが、その…………本当に緊急事態だった可能性もあったので一概に故意と認めることはできないのと、彼らの今までの功績に免じまして、この度は不問にすると…………」
「なるほど、わかりました。大神官会議でそう決まったなら、それで結構です」
叱責を覚悟した女性神官だったが、ロザリンデはあっさりと結果を受け入れてしまっや。
「怒らないから言ってごらん」という言葉で本当に怒らないことは極めてまれであるが、ロザリンデの態度に、女性神官は逆にまた不安になってしまう。
「……………よろしいので?」
「私が何を言ったところでどうなるものじゃないでしょう? それよりあなたも気をつけなさい、今後大神官様たちが、あなたたちの沐浴中に正々堂々と入ってくるかもしれませんからね。さ、いつまでもこんなところにいないで、次の仕事に取り掛かりなさい」
ロザリンデの言葉に女性神官はたちまち顔を真っ青にして、ふらふらと執務室を後にした。
少し脅しすぎたかとロザリンデは若干後悔したが、あの人から送られた手紙に比べればまだかわいい方だろう。
(強く言い出せないのは、私が同類……というのもあるんですけどね)
秩序を司る信仰の総本山が、自身で秩序を蔑ろにしている現状を、女神はどう見ているだろうか。
それとも、女神は魔神王を倒したことに安堵し、寝てしまったのだろうか。
ロザリンデは、この日…………踏み越えようとしなかった一線を踏み越える決断をした。
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