愛国心

 ロザリンデにとって、この日はエノーに驚かされてばかりで心臓に悪い一日だったが、つい今しがた彼が放った言葉は今までの何よりも、ロザリンデを驚愕させた。

 そもそも、勇者リーズを連れ戻す必要があるのか――――そんなこと、分かり切ったことだ。リーズを一刻も早く連れ戻さないと、王国は色々な面で支障をきたしてしまう。いや、それ以上に…………


「な、なんてことを言うんですかエノー! その言葉を誰かに聞かれでもしたら……!」

「聞かれでもしたら? 俺の首は柱に吊るされるか? それとも断頭台か? そうなる前に、俺もリーズみたいに逃げてやるさ」

「エノーっ、お願いですから、そのようなことはっ!」


 こんなことを他の誰かに聞かれたら、エノーはたちまち身の破滅だ。ロザリンデにはそれが一番恐ろしかった。

 たとえこの部屋に誰もいないとしても、王宮で自分の身に危険が及びかねない話をするのは自殺行為に等しい。これが、仕事上の機密がいつの間にか流出したという程度なら、もちろん良くはないが、

自分たちの利益に不都合が出るだけで、生命の危機にまでは至らないはずだ。

 もし、今の言葉を何かの偶然、または思いもよらない罠で、エノーを疎んじている者の耳に入れば一巻の終わりである。

 しかしエノーは、全てを投げ捨てる様な思いつめた表情を崩さぬまま、話を続ける。


「君にこんなことを話しても、困らせるだけだって重々承知しているさ。けど……俺がこんなことを話せるのは、ロザリンデ……君しかいないんだ」


 ロザリンデは、胸が強く締め付けられるような切なさを感じ、エノーに対する言葉が絞り出せなかった。

 こんな時でなければとても嬉しい言葉なのだが……


「もう一度聞く。ロザリンデ、お前はリーズを王国に連れ戻すべきだと思うのか?」

「……っ! 私は……その、それでも聖女として、リーズは……」

「リーズに、一生王国で『人柱』になってくれと頼むのか?」

「そんなことは……」

「俺にはリーズを……そして、アーシェラを説得できる自信が全くない。なぜなら、俺自身がこの国に対して失望しているからだ。俺自身でさえ嫌がっているところに、あいつを強引に連れ戻すなんて…………俺にはできない」


 そう言って、エノーは頭を抱えた。

 それと同時に、ロザリンデもようやくエノーの言いたいことを理解した。いや、理解したというよりも……彼女自身も、同じ考えを持っていることを認めざるを得なかった。


 リーズは王国に帰ってくれば、恐らく第二王子セザールと遠からず結婚させられることになる可能性が高い。国王がそのような思惑を持っていることは周知の事実であり、リーズは王室の一員として、一生縛られて生活することになるのだろう。

 もしリーズが六公爵家並の家柄出身だったら、王室もリーズに色々と配慮するのだろうが、男爵家出身のリーズでは力関係は歴然であり、どのようなことをされても文句は言えないだろう。それこそ「勇者」という名の都合のいい人形として…………


 ただ、ロザリンデもエノーも、もともとこういったことは「織り込み済み」だった。

 リーズは今までのような自由な生活を送ることはできないかもしれないが、彼女が国の中心になることで、魔神王によって傷ついた世界が平和になり、今まで以上に発展する――――ならば、彼女には世界平和のために、色々と我慢してもらうのもやむを得ないと考えていたのだ。

 エノーも貴族になるために、いやいやながらも膨大な教養と礼儀作法を身に着ける努力をした。ロザリンデにいたっては、生まれてこの方自由などほとんどなかった。世界の人々のために戦った自分たちは、最後の最後まで平和への責任を持たなければならない。

そんなことを盲目的に信じ続けてきたのだ。


 なのに、肝心の王国は――――――


「エノー……正直に話しますと、私も同じことを思っていました。私はリーズが……一時的には不自由な生活を強いられたとしても、将来はきっと誰より幸せになれると信じていました。けれども最近は、そのような未来が全く見えないのです」


 自分だけが我慢すれば……自分が一生を犠牲にしてでも、世の中がよくなると確信することができれば、ロザリンデは一生苦痛に苛まれようとも、喜んで自らを差し出せるだろう。

 だが、自分がどれだけ頑張っても……どれだけ我慢しようとも……意味がないと分かれば、これほど虚しいことはない。ましてや…………その生き方を他人に強要して、自分は知らん顔できるほど、ロザリンデの面の皮は厚くできていなかった。


「ですけど……どのみち、リーズを迎えに行かなければ、私たちやグラントさんの立場が」


 そう言いかけて、ロザリンデはエノーの顔をじっと見つめた。

 彼の顔はいまだかつてなく厳しい。魔神王討伐の戦いの時ですら、こんな顔をしたことがっただろうか。


「まさかエノー、あなたは……」

「俺にだってプライドはある。今まで積み上げてきた全てを、一時の感情で失うことが正しいのかどうか……」


 エノーは、自分のプライドを揺さぶってきた二通の手紙に視線を落とす。

 リーズを王国に連れ戻すには、昔からリーズの保護者代わりだったアーシェラを納得させなければならないだろう。そしてアーシェラは、恐らくエノーやロザリンデたちに、リーズやアーシェラを納得させるだけの理由を作れないと踏んできたに違いない。

 そこまで図星なのを見抜かれているとおもうと、エノーは意固地になっている自分が急にちっぽけな存在のように思えてならなかった。

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