公爵家の憂鬱

 王都アディノポリスの北方に位置するエライユ公爵領は、王国六公爵家のなかでも最も裕福な領土として知られている。その収入と擁する私兵の数は、王国第一王子のそれにも匹敵すると言われており、この公爵家の支持なくして王位を得ることは不可能とすら言われている。

 また、この家には幾度となく王家から女性が嫁いでおり、公爵家の男子は、遠いながらも王位継承権も持っている。

 まさに、王国貴族の筆頭と言っても過言ではない権威を持つエライユ公爵家だが…………このところ、その権威に急速な陰りが見え始めている。


「リシャール様は今日も、お食事を殆どお召し上がりになりませんわ」

「あの様子では長くはないかもしれませんね」


 公爵領の中心に位置する、要塞並の規模を持つ豪奢な館の一角。

 そこでは、公爵家の女性使用人二人が、ベッドでうなされている男を横目に、盛大にため息をついた。


 勇者を連れ戻すと高らかに宣言し、黒騎士と聖女を伴って意気揚々と出かけたはずのリシャールは、ある日突然、王都にある公爵家の館の玄関で昏倒していた。何が起きたか訳が分からなかったエライユ公爵とその配下たちは、医者や神官を呼んで彼を目覚めさせるも、リシャールは何かひどい目に遭ったらしく、終始怯えるだけで何も語らなかった。

 とりあえず治るまで公爵家の館で養生させようとしたが、症状はよくなるどころか日に日に悪化するばかり。特にひどいのが、料理を見ると理解しがたい奇行に走ることだ。どんな豪華な料理を運んで行っても、一口か二口食べると突然わめき出して床に捨て、その後すぐに床に捨てた食べ物を皿に戻そうとしたり、場合によっては捨てた食べ物をその場で手掴みで食べ、また吐き出す始末。

 しかも、わざわざ見舞いに来てくれた貴族令嬢たちの前で、それをやってしまったのだからさあ大変。

 リシャールが発狂したという噂はたちまち王国中に知れ渡り、公爵家は慌てて彼を自分の領土の館に軟禁してしまったのだ。


「困ったものですね。かつてのかっこよかったリシャール様なら、あんなお世話もそんなお世話も喜んでして差し上げられたのに、これでは老貴族の介護の方がましですわ」

「しーっ……聞こえてしまいますよ」

「聞かせて差し上げているのです。どうせもう会話なんかできやしませんから」


 侍女にすら匙を投げられたリシャールは…………ベッドに仰向受けになり、聞き取れないほどの小さな声で、何かをぶつぶつと呟いている。

 美しかった金髪はごっそり抜け落ち、残っている大半も白髪となった。頬はこけ、肉体は骨と皮だけになり、虚ろな目だけが不気味に動くだけ。もはやミイラ同然と化した彼に、かつてのような雄姿はどこにもない。


「それより聞きました? とうとう勇者様が王国に戻ってくるんですって」

「リシャール様がお元気でしたら、あのいけ好かない第2王子をやりこめて、勇者様を公爵家にお招きすることも叶いましたのに」

「次男様や三男様ではちょっと……ねぇ」


 ちなみに、リシャールの弟たちは、なまじ兄ができが良すぎたからか、ほとんど出来損ないのぼんくらでしかなかった。悪いことに、その兄弟たちは兄が廃人と化したと知るや否や、さっそく跡継ぎ関係で揉めており、それに親戚や周囲の貴族の利害関係も加わって対立している。これも、公爵家の衰退の原因の一つになっていた。


「でも、噂によりますと、勇者様はどこの馬の骨とも知らない平民と懇意にしているとか……」

「確か名前は……アーラシュ? いえ、アーシェラ、でしたか?」


 次の瞬間、突然リシャールの身体が、ばね仕掛けのごとく跳ね上がり、凄まじい形相で「おわああぁぁぁ!!」と絶叫した。

 驚いた侍女二人が慌てて駆け寄るも、リシャールは今までになく錯乱し、頭やのどをかきむしっている。


「リシャール様! リシャール様っ! いかがなさいました!?」

「ゆるさないいぃっ! あいつだけはああぁぁっ!! うがああぁぁぁっ!!」


 栄養失調気味の体のどこに、ここまで錯乱する力が残っていたのだろう。侍女二人は必死でリシャールに呼びかけるも、彼はすぐに泡を吹いて意識を失った。

 侍女二人は悲鳴を上げながら、館に残っていた公爵家の人を呼びに走った。


 その後、公爵家ではリシャールの存在は、完全になかったことにしようとしはじめた。

 リーズとアーシェラが、王都にやってくる前日のことであった。

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