帰道
旧街道の雪が融け始めたころ――――
開拓村ではリーズとアーシェラが、レスカとフリッツを連れて、山を越えてアロンシャムに向かおうとしていた。
村の入口に、ブロス夫妻やイングリッド姉妹が見送りに来ており、彼らがしばらく村長不在の村の留守番を担うことになった。
「じゃあみんな、行ってくるよ。火の始末にはくれぐれも気を付けてね」
「ヤアァ村長! 村長こそ、途中の『吊り橋』で気を失わないように!」
「街道はまだぬかるんでいるわ。足を滑らせないように」
アーシェラはブロス夫妻から、改めて山越えの注意を言い渡される。
特に、道中には千尋の谷に掛かった吊り橋があり、高所恐怖症のアーシェラには鬼門だ。
「ミーナ、それにミルカさん! すぐに帰ってくるけど、みんなのことよろしくっ!」
「大丈夫だよ、リーズおねえちゃん! 村のことはミーナたちに任せてっ! ね、お姉ちゃん!」
「あらあら……レスカさんまで連れていかれたら、私はさぼる暇もありませんわ」
一方リーズは、1か月程度の間でもイングリッド姉妹と離れるのが寂しいようで、二人にギュッと抱き着いて、ぬくもりを覚えるように別れを惜しんだ。
「村長、リーズ。リストのチェックはすべて完了した。いつでも出発できるぞ」
「いよいよですね村長! リーズさん! 大役を任されてもう緊張していますけど、全力で頑張ります!」
レスカが手綱を操る2頭立ての大型馬車が、リーズとアーシェラの傍に止まった。御者台にはレスカだけでなくフリッツも乗っており、彼らを含めた4人で旧街道を越えることになる。
二人が村人たちに手を振りながら馬車に乗り込むと、途中までブロスの先導されながら、軽快に走り出した。
「ヤーッハッハッハ! お土産期待してるよーっ!」
罠地帯を抜けたら、ブロスともお別れだ。
平原にどこまでも伸びる、薄くなった轍をたどりながら、4人を乗せた馬車は進む。
吹く風はまだ冷たく、山道に入ると積もった雪がちらほら見られたが、天気は毎日快晴で、旅するには悪くない気候だった。
「ねぇシェラ」
「どうしたの、リーズ?」
村を出発して3日目、旧街道の山道に差し掛かったばかりの時に、リーズが珍しく神妙な顔でアーシェラに話しかけてきた。
「リーズはね、この山道を越えるとき…………心の中ですごく沢山迷っていたの。この山を越えればシェラに会える……でも「勇者」としてのリーズに期待してくれた人たちのことを裏切ることになるって…………。それでもね、リーズは一歩も戻らなかった。今思うと、戻らなくてよかったって思うの」
「気持ちは痛いほどわかるよ、リーズ。リーズは優しいから、仲間への気持ちを捨てきれなかったんだね」
リーズは、アロンシャムの町でロジオンからアーシェラの居場所を聞いた時、そのまま彼の元に向かったわけではなかった。
かつての2軍メンバーを1年で回りきる予定だったところを、町から町への移動時間を大幅に短縮したことで、半年とちょっとですべて回り終えた彼女は、王国から帰還命令が飛んでくる前に、定時連絡を放棄して旧街道へと向かったのだ。
予定外の場所を訪問することは許されていない。けれども、リーズは何が何でもアーシェラに会いたかった。
「この道を戻ってしまったら……この道を戻るときが来たら…………リーズは二度とシェラに会えなくなるって思ってた。きっとリーズがこの道を戻るとき、泣きながら帰るに違いないって……思ってた」
「でも、今のリーズは、とてもいい笑顔で笑ってる」
「えへへ、シェラと結ばれて、本当に良かった♪」
ドキッとするようなかわいさ満点の笑顔をアーシェラに向けるリーズだったが、その目にはちょっとだけ涙が滲んでいるように見えた。
かつてこの山道を進んだ時、勇者としての使命という未練と、アーシェラに会いたいという我儘が、葛藤しているように思えた。
しかし、今思えばリーズの心の中の比重は、その頃からアーシェラの方に大きく比重が傾いていたのだろう。心の中で迷えば迷うほど、なぜか足取りはかえって早くなり、気が付けばリーズは急峻な山道を地面の轍に沿って駆け抜けていた。途中で魔獣の襲撃があろうと即座に叩き伏せ、夜になっても明かりを灯しながら、気が済むまで道を進み続けた。
その甲斐あってリーズは―――わずか3日で山を越え、アーシェラのところにたどり着いた。
リーズがアーシェラを想う気持ちは、それほどまでに強かったのだ。
「シェラ……大好き♪」
「うん……愛してるよリーズ」
「聞こえてるんだがな……」
「ま、毎日毎日こんなやり取りしてるなんて…………なんかおかしくなっちゃいそう」
なお、リーズとアーシェラの会話は、御者台にいるレスカとフリッツにも丸聞こえしており、隙あらばいちゃつく新婚夫婦のやりとりに、小さくため息をついた。
恋愛に対してさほど免疫のないレスカとフリッツは、過剰なまでの熱々ぶりに晒されたからか、冷たい風が当たってもなお、赤くなる頬の熱が冷めない。
かといって、二人にやめろというのはあまりにも酷だ。山を越えるまでのしばらくの間は、我慢するほかないだろう。
「でもね……レスカ姉さん。僕も、あんな恋ができたら幸せなんじゃないかって思うんだ…………変かな?」
「それは、ううむ……」
フリッツが言う通り、本人たちがとても幸せそうであることは確かだ。たださすがに、もう少し節度を守ってほしいとは言いたくなるが……
(フリ坊が……恋、か……)
ふと、血のつながっていない弟分をみるレスカ。
彼女もまた、悶々とした思いを抱えながら馬車を操っていた。
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