20日目 会食

 アーシェラは、この昼食会に「罠」を仕込んでいた。

 方法が方法なので、アーシェラ自身もここまでやっていいのかどうか悩んだりもしたが、この村に来てからのリシャールの暴言の数々を受けて、彼は最後に残っている慈悲の心の欠片を捨てた。

 アーシェラのことを罵ってくるのは別に構わない。自分はリシャールに褒めてもらうほど悪いことをした覚えはないし、むしろ彼に唾を吐かれるほど、自分のやっていることが正しいようにすら思える。

 村のことをボロクソ貶されるのも――――気に障るが、十分我慢できる。別にリシャールに褒めてもらいたくてこの村を作ったわけではないし、人には人の価値観と言うものがある。彼と違う価値観を持つことに誇りを感じるべきだろう。

 だが――――――


(リーズに対する暴言の数々……恋人として見過ごすわけにはいかないな)


 優雅な手つきでハンバーグを切り分けるアーシェラの表情はとても穏やかで、まるですべてを許すような温和な笑みを浮かべている。

 しかし、リーズにはわかっている。アーシェラは、リーズを守るために今まさに鬼になりつつあることを。


(大丈夫だよシェラ。リーズも……シェラを守るから)


 テーブルの向こうの三人から見えないように、リーズはそっとアーシェラの手に自分の手を重ねる。アーシェラもリーズの方を見て無言でゆっくり頷いた。それだけで、二人の間ですべての意思疎通が行われたのだ。


 一方でエノーとロザリンデは、アーシェラが途轍もなく怒っていることに、だいぶ前から気が付いていた。というか、彼がここまで怒りの炎を上げているのは初めて見る。温かいスープとハンバーグを食しているはずなのに、体感気温がどんどん下がっていくように感じられるほどだ。


(囲まれているのはわかっているが……それを抜きにしてもすさまじいプレッシャーだな)


 リシャールは気が付いていないようだが、エノーとロザリンデにはこの家が村人たちに包囲されていることはわかっている。むしろアーシェラ達は、包囲しているのを隠そうという気がないのかもしれない。


(せっかくのお食事くらいは純粋に楽しみたかったのですが、こうも威圧されていては、せっかくのアーシェラさんの料理も味がわかりませんね…………)


 誰が作っているのかを教えなければ、かつての1軍メンバーのほとんどを満足させられるほど美味なアーシェラの料理も、この日ばかりは何となく味気なく感じた。

 ハンバーグは味はしっかりしているもののやや生焼け気味な気がするし、シチューも普通においしいが何か物足りない気がする。


(…………? これ、本当にアーシェラさんが作ったお料理なのかしら………?)


 何とか味わおうとしていたロザリンデだったが…………食べている途中で、別の可能性に気が付いた。というか、そもそもアーシェラははっきりと「自分が作った」とは言っていない。つまりこの料理は別の誰かが――――例えばハンバーグを運んできた少年が作った可能性もある。さしずめ「君たちに食べさせる昼ご飯はないよ」と言いたいのだろうか? だが、それだとそもそも昼食会を開いたことと辻褄が合わない。

 ロザリンデが、正体不明の違和感に頭を悩ませている一方で、エノーは別の面からこの料理への違和感を悟った。


(おかしい。あれだけアーシェラの料理をうまそうに食べるはずのリーズが…………無反応だ)


 リーズはどんな時でも……それがツィーテンが戦死した日でも、リーズはアーシェラの料理を食べるとたちどころに笑顔になった。それが今日に限って、リーズはごく普通にシチューをかき込んでいる。

 エノーはその態度で、この料理がアーシェラの作ったものではないと確信した。その上でエノーは、もう一つ別の可能性に気が付いた。


(これは……ひょっとしてまさか、いや…………アーシェラがそこまでやるとは、しかし……)


 たった一つ思い浮かんだ、筋が通った恐ろしい結論。エノーの推論が当たっていたならば、アーシェラの怒りが、想像以上に深いことを示している。今までのアーシェラなら、絶対に取ることのなかった手段。それを用いてきたと言うことは………

 3人並んでいるうち、真ん中に座るエノーと左に座るロザリンデは、ほぼ同時に同じ結論に達したらしく、やや気まずい表情で顔を見合わせる。


 するとその時―――――ハンバーグとシチューをそれぞれ3分の1ずつ食べたリシャールが、椅子を蹴り倒してその場に立ち上がった。蹴り倒した椅子が棚の一つにあたって大きな音を立てると、各所に潜んでいる村人たちが一斉に身構える気配がした。

 しかし、それに気づくこともなくリシャールは、苦虫を嚙み潰したような顔でアーシェラを睨みつける。


「もうたくさんだ…………。俺は公子なんだぞ。舐めた態度をとるのもいい加減にしてもらおうか!」


 そう言って彼は、なんとハンバーグとシチューを食器ごと床にぶちまけてしまった。

 銀製の食器は割れることはなかったが、料理は見るも無残に床板に飛び散り、あまつさえ彼はそれを足で踏みつけたのだ。


「こんなのはなぁ、豚の餌っていうんだ。せっかくこんなボロ村までリーズを迎えに来てやったのに、薄っぺらい歓迎とやらでリーズを抱きしめてやるのを妨害した挙句、こんなものまで食わせやがって! 恥を知れ! 下民! 最後の警告だ! 大人しくリーズを引き渡せ! さもないと貴様も王都に連行してつるし首にしてやるっ!」


 いらだちがついに限界を突破したリシャールは、真っ赤な顔でアーシェラを指さし、敵意に燃えるまなざしで睨みつける。そこには、いつものクールな貴公子の姿はない。ただひたすら感情のままに相手を罵倒する、醜い獣がそこにいる。

 だが、アーシェラもまたフォークとナイフをテーブルに置き、まるで幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。


「ふふ、僕も今までのあなたの振る舞いを見て確信しましたよ。あなたには、リーズに指一本たりとも触れさせません。お料理の弁償は結構です、どうぞこのボロ村からお引き取りください」

「き、きさまあぁぁっ!」


 あくまで穏やかな表情のアーシェラが、リシャールの怒りをさらに過熱させる。

 二人の目線がぶつかり合い、テーブルの上で火花を散らす。

 アーシェラ一世一代の大勝負が、今始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る