投げつけられた手袋

 リーズは、アーシェラに直接「帰りたくない」と言ったことは、今まで一度もない。リーズは自分があくまで「勇者」であり、自分がものすごく責任がある立場だと理解している。そして、心のどこかでは「いつか帰らなきゃいけない」と言い聞かせているはずだ。

 リーズは昔から、アーシェラの前では感情を隠すのが下手なので、彼にはリーズの気持ちが痛いほど伝わってくる。リーズは1年に及ぶ王宮での生活で心を押し殺し、それが常態化してしまった。その呪縛が……まだ彼女を縛り付けているのだろう。


「リーズにそんな思いをさせるまでに追い込んだ王国のことを…………僕は、許さない。エノーもロザリンデも……なんでリーズを守ってやれなかったんだ」


 珍しく直情的に怒りの言葉を発するアーシェラ。

 しかし、こういう場合のアーシェラは、実はそこまで怒っていない。彼は怒れば怒るほどマイナス方向に冷えていくタイプなので、熱いうちはまだ安心できる。それを他の男3人も分かっており、いく分か余裕をもって答えることができた。


「まぁまぁ! 逆に王国がヘマしたおかげで、村にリーズさんが来てくれたんだしぃ! お礼でも言っとけば? ヤーッハッハッハ!」

「ということは、これから王国の奴らに宣戦布告するわけか。盛り上がってきたな」

「いや、宣戦布告……と言えばいいのかな? 果たし状はもう送ってある」

「なるほど! 僕が作った手紙は果たし状になったんだ!」


 アーシェラは、彼らに送った手紙の内容と、その真意を簡単に説明した。

 彼が最も恐れているのは、リーズが行方不明になったせいで王国が変に暴走し、彼の予想外の行動をとることだ。何しろ王国は「頭のいいバカ」の集団なので、想像を絶することを平気で行う可能性が高い。


 ならばどうすればいいか? 

 逆に考えるのだ。相手の行動と思考をこちらが指定してしまえばよい。


 もともとアーシェラは自分の居場所をロジオンを含む数人にしか教えていない。それに対し向こう側は、ロジオンという細い糸を頼りにしなければ、こちらにたどり着けない上に、ほかの貴族から一秒でも早く勇者を連れて帰って来いとせっつかれる立場にある。


「たまに来るかつての仲間たちからの手紙で、王宮にいるエノーやロザリンデたちの立場はわかってる。彼らは、たとえ罠だと思ったとしても、乗らざるを得ないだろう」

「アーシェラさんって……よくそんなこと思いつくよね……」


 フリッツはアーシェラの悪魔的とすら言える考えに唖然とするほかなかった。

 ブロスに至っては、顔にこそ出さないが「なんでこの人は冒険者になったんだ?」と心の中で「?」を大量生産していた。


「つまりあれか。村長は王国の奴らに、手袋を投げつけてやったわけか! そいつは実に爽快だな! で、奴らからの返答はあったのか?」

「直接の返答はないよ。彼らはこの村のことなんて知らないからね。けど、ロジオンからの知らせは届いた」


 アーシェラは、ポケットから一枚の紙きれを取り出した。この紙きれは、アーシェラが飛ばしたものと同じように、白いフクロウの形になって飛んできたものだ。しかもタイミングよく、リーズが入浴しているときにアーシェラのところに飛んできた。この手紙は、あて名の人以外がその場にいると、手紙にならない仕掛けも施されているのだ。


「どうやら、王国の迎えはかなり前……雨が降った日の前日に、アロンシャムを出発しているみたい」

「ヤヤッ、もし相手が手練れの冒険者だとしたら、1週間あれば旧街道を踏破してくるかも。そうなると、最短であと3日ってとこかな?」

「俺たち素人から見ると、バケモンだなそりゃ」


 開拓団がこの地に来るまで、山脈越えに1ヶ月近くかかったことを思うと、俄かには信じがたい速度だ。さらにアーシェラは迎えにエノーとロザリンデを指定しており、彼らの力量なら最短期間での踏破は十分考えられる。

 時間がかかった方がアーシェラには有利なのだが、決闘を申し込んだ側が時間稼ぎしても始まらない。正々堂々と決着をつけてこそ、本当に大切なものが得られると、アーシェラは確信している。


「で、ご丁寧にも決闘の舞台を整えてやったのはいいが……勝てるのか? 俺たちに取っちゃ、それが気になって仕方ねぇ」

「多分勝てる……と、思う」

「は? なんじゃそりゃ?」


 ところが、ディーターが勝てるかどうかを聞くと、アーシェラの答えが若干歯切れが悪い。今まで勝ち確定のような流れだっただけに、肝心の決着に万全の自信がないというのは聞き捨てならない。


「ヤァヤァ、村長さんよぉ。あれだけ膨大な根回ししておいて、最後の最後でダメでしたなんて、ありえないっしょ!」

「いや、9割9分は勝てると踏んでいるよ。たとえ何かの間違いでエノーたちと戦いになっても、僕には切り札がある。負ける可能性があるとしたら、考えられるのは……そのエノーたちが、僕が感心するくらい心を入れ替えること」


 今更エノーたち迎えのメンバーが、リーズとアーシェラを納得させることができる可能性は限りなく低いが、0ではない。ただし、これで負けたのなら、アーシェラは素直に負けを認め、おとなしく引き下がるつもりだ。


「ただ……何かもう一つ、見落としているものがある気がするんだ」

「それこそ意味わからんな。村一番の知恵者の村長に分らんことは、俺たちにも分らん!」

「で、でもなんだかそれちょっと怖い気がする! 僕はアーシェラさんに絶対に勝って、リーズさんを救ってあげてほしいから! 何かできることはないか考えてみる!」


 奇しくもアーシェラも、リーズと同じような悩みに陥っているようだ。

 ただしこちらは、単細胞の男性の寄せ集めのせいで、アーシェラがわからなければほかの人に分る筈もない。

 しかし、フリッツはあきらめない。彼は、ほんの少しでもアーシェラの役に立とうと、真剣に悩み始めた。そして、それを見たほかの3人も、フリッツを見習って無い知恵絞って考えてみることにした。


 しかし、残念なことに…………考えても考えても結論は出なかった。

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