10日目 渓流

 黒色の空が透明な青に塗り替わり、辺りの様子がはっきりわかるようになるほど明るくなった頃、リーズたち5人は、まだ仄暗い森の川沿いを伝って歩いていた。

 10数メートルほどあった川幅はすでに5メートルほどになっているが、斜面が急になっているせいで流れは激しさを増し、劈くような音を立てて流れている。


「まだ奥に行くのかい……?」

「当然ですわ。こんな場所ではなにも釣れませんわ」

「だって、シェラ。がんばろーねっ!」


 5人の中でただ一人アーシェラだけが弱音を吐いていた。しかも、その弱音を吐いている本人は、なんとリーズに背負われていた。

 リーズをはじめ、ミルカとブロス夫妻は急な岩場の道を軽々と登っているが、一般人並の運動神経しかないアーシェラにとって、強化術なしではとてもつらい道のりだ。

 それだけではない。アーシェラにはリーズと同様よく知られている欠点が一つある。


「わ、わ、わ! 危ない! あぶないって!」

「よしよし、シェラ、泣かないで? リーズが付いてるから」


 アーシェラは、高所恐怖症だった。


 道中最大の難所。突き出た岩と岩の間をジャンプで飛び越えるところがある。

 切り立った崖の数メートル下では、川の流れが滝となって荒れ狂っている。落ちたらたとえリーズでも一巻の終わりだろう。

 いつもの余裕そうな表情はすっかり消え失せ、顔を真っ青にして歯をがたがた鳴らすアーシェラ。そんな彼を、リーズは一度ぎゅっと抱きしめると、彼が目をつぶっている間に軽々と断崖を飛び越えた。

 難所を切り抜けた5人は、休憩のため開けた場所で腰を下ろすと、アーシェラもリーズの背中からふらふらと腰を抜かすように離れた。


「やっぱりもっと鍛えなきゃダメかな」

「大丈夫だよシェラっ! こんな時くらい、リーズがいつでもおんぶしてあげるから!」

「あらあら村長。ちょっと凹んでいる表情もかわいいですわ♪」


 実力差があるとはいえ、自分より背の低い年下の女の子にずっと背負ってもらうというのはなかなか恥ずかしい。だが、幸いここにいる仲間たちはアーシェラのことをバカにすることも、嘲笑うこともなかった。魔神王を倒したリーズはもとより、このあたりに何度も足を運んでいるミルカや、レンジャー出身のブロス夫妻が凄すぎるだけなのだ。


「ヤーッハッハッハッハ、流石の村長も苦手なものは苦手だよねっ! だから私も、苦手な人参を食べるのは無理しない方向で――――」

「ダメ。食べ物の好き嫌い良くない」

「デスヨネー!!」


 どさくさに紛れてしょうもないことを言うブロスを、ユリシーヌが鋭い眼光で咎めた。

 道中でリーズと話したところによると、彼女は元々邪教集団に育て上げられた暗殺者だったが、仲間を救うために脱走。窮地に陥っていたところを、ブロスに助けられたのがなれそめらしい。

 現在彼女は村の外の広範囲を見回る仕事をしており、日中はめったに家にはいないそうな。


「さあ皆さん、もう一息ですわ」


 ミルカの先導でさらに歩くこと15分。一行は、ようやく目的の場所に到着した。

 山の尾根と尾根の中間にあるやや開けた場所に天然のダムがあり、上流からのいくつもの流れがここで合流している。水深はやや深く、おまけに水草も豊富に生えており、川魚にとって格好の住処となっている。


「やっと着いたねーっ! 空気が濃いなぁ!」

「いいところでしょう? ですが油断なさらずに。このあたりには時々魔獣も出没しますの」


 人里離れた自然の中…………空気は澄み渡り、よく見ると水の精霊が水面を跳ねまわっているのが見える。


「リーズさん、どうして私がこんな山奥まで来たのか、そういえば話していませんでしたわね」

「あっ、そういえばそうだね。川は村の近くを流れてるのに、なんでこんなとこまで来るの?」

「答えは単純です。このあたりにしか、魚が棲んでいないからですよ」

「え?」


 ミルカの言葉に、リーズは一瞬キョトンと呆けてしまった。

 以前小川で釣りをしたときには、少ないながらも小魚が釣れた覚えがあるのだが…………


「それじゃあリーズには、釣りをしながらちょっとこの辺のことについて話していこうか」


 高所恐怖症から立ち直ったらしいアーシェラが、釣り竿を担ぎながらそう言った。

 今から彼の口から語られるのは、村の開拓にまつわる、文字通り血のにじむような努力のお話……

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