10日目 池
リーズは水辺の一枚岩の上に立ち、ヒュンッと軽い音を立てて釣竿を振り、釣り針を目視できるくらいの距離まで放り投げた。
「お見事ですリーズさん。初めてにしては筋がいいですよ」
「えっへへ~、実は昨日釣竿の使い方を練習したんだ」
リーズの隣で長い釣り竿を振るうミルカが、リーズの釣り竿の扱いの上手さを褒める。
何事も一生懸命なリーズは、この時に備えて、釣竿をしっかり操れるよう練習しておいたのだ。おかげで、リーズは長い竿に振り回されることなく、自分の思った位置に針を投げ入れることができた。
これにはミルカも、素直に称賛するほかない。
「村長は力がないので、あまり針を遠くに飛ばさないでくださいね」
「わかってますって……」
ミルカによると、この広い池に棲む魚はそれなりに大きく力があり、油断すると釣竿ごと人を引き込んでしまう危険があるのだとか。
さて、ではミルカはどうしてそんな危険な釣りに、勇者リーズとアーシェラを誘ったのだろうか。
「では、先程の話の続きをしようか」
アーシェラは岩の縁に腰を下ろし、釣り針を近くに沈めて話し始めた。
それに習って、リーズもアーシェラの横に腰を下ろし、針がある場所の浮きを確認しつつ話を聞く。
「もしかしたらリーズも知っているかもしれないけど、王国の外には2年前の魔神王が暴れた時の被害が各地に残ってるんだ」
「うん……リーズも知ってるよ。仲間たちのところを回っているときに、破壊がひどい場所をいくつも見た」
「村の近くを流れている川も、初めのうちは瘴気で汚染されていて、魚はおろか獣すら寄り付かなかった…………」
邪教集団によって封印を解かれた魔神王は、各地に瘴気の染み込んだ魔力をまき散らし、自然の生態系に壊滅的な被害を与えた。大地は腐り、川は毒に染まり、湖は瘴気の沼と化した。
生物は半分以上が死に絶えたが、同時に生き残った獣は魔獣と化してしまい、凶暴性が大幅に増してしまった。
魔神王がリーズに討伐されてなお、その影響はまだ世界各地に残っている…………
「川の水がきれいになって飲めるようになったのがほぼ半年前…………小魚は戻ってきたけど、ミルカさんが満足するような立派な魚は、まだこのあたりにしか棲んでいないんだ」
「そうなんだ…………それでミルカさんはこんな山奥まで」
「釣りは私の数少ない心の癒しですわ。それに、ミーナもお魚が大好きですから、食べさせてあげたいんですの」
アーシェラに率いられた開拓団が北の山を越えてこの地についたとき――――目の前に広がる大地は荒れ果てていた。
もともとこの地には王国とは別の国が栄えていたはずだが、破壊に次ぐ破壊でその面影はすでになく、文明と呼べるものは跡形もなかった。
それでも、新天地を夢見た彼らは挫けなかった。強化術が使えるアーシェラは瘴気を中和する術が使えたので、村を立ち上げてから毎日少しずつ、周囲の環境を直していった。
闊歩する大型魔獣はブロスとミルカ、それに今でも村の警備をしているレスカが命がけで退治しつつあり、つい最近になってようやく村人たちは安全に過ごせるようになった。
「シェラ……やっぱりつらかった?」
「そうでもないよ。無理やりやらされるならともかく、これは僕たちが覚悟を決めて進んでいる道なんだ。大変ではあるけれど、やめたいと思ったことは一度もないさ。ねぇみんな」
ミルカと、少し離れたところにいるブロス夫妻は、アーシェラの言葉に大きく頷いた。
「そっか……すごいなぁシェラたちは」
「ふふふ、今ではこうしてリーズさんと一緒に釣りができるのも、みんなで力を合わせて頑張ったからですわ」
今でこそ平穏に暮らしているように見えるアーシェラの村の人々。彼らの暮らしの裏側に、とても壮絶な奮闘があったことに気が付いたリーズは、彼らのことを大いに尊敬したが、同時にやや複雑な気持ちも抱くことになった。
(もしリーズが、初めからアーシェラの傍に居られたなら…………)
彼らはアーシェラと長い間苦労を分かち合った。それがうらやましく思えて仕方がない。
王宮の生活なんか捨てて、ずっとアーシェラと歩んでいけたら――――今日この時ほど、時計の針を巻き戻したいと思ったことはない。
そんなことを考えていると、急にミルカの釣竿から伸びている浮きがクイクイっと引っ張られた。
どうやら釣り針に何かかかったようだ。リーズは、靄っとした思いをすぐに消し去り、初めて見る本格的な魚釣りに期待を寄せた。
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