第143話 春待つ想い
「ん・・・っあ~、もうっ。」
堤防の先に椅子を出して、美冴ちゃんが何やら唸っている。
「やっぱり・・・あの子、変わってるわよね。」
「ん・・・?んふふ、えぇ。」
その姿を、彼女の母親である素子さんと見ている。
「今どきラジオで野球観戦なんてねぇ。」
「スマホひとつで何でもできる時代なのにねぇ。」
「ねぇ。やっぱりそうよねぇ。」
聞けば、そのラジオは子供の頃に買い与えたもので、球場に行けない時はこのラジオで観戦するのが美冴ちゃんのスタイルなのだとか。テレビでは中継しない試合も多いから、ラジオが重宝するのは分かるけど、あの姿は・・・横にビールでも置いたら完全に「休日のオヤジ」なのよ。
「あ、ん~・・・なんでその球に手ぇ出すかなぁ。」
え・・・見えてるの?
「・・・ったぁ~、よっしゃぁ~っ。」
しばらく素子さんと世間話を続けていると、美冴ちゃんがガッツポーズと共に大きな声を上げた。
「あ、終わったわね。走って来るわよ。」
「へ?」
素子さんの言うように、ラジオと椅子を持って走って戻ってくる美冴ちゃん。
「あ~、ヨーコさぁん。勝ったよ~っ。」
「んふふ、おめでとう。珍しいわねぇ。」
「あ~、酷ぉい。私が応援すると負けるみたいに言って~。」
「だって・・・ねぇ。」
「むぅ~ぃっ、見に行くと負けるだけだもんっ。ラジオだと結構勝率良いんだから。」
「ははははっ、どっちにしてもオープン戦で勝ったくらいで喜んじゃダメよ。」
「も~、お母さんまでそうやって・・・ん~、まぁそうなんだけど・・・。」
そう、まだシーズン前のオープン戦。
「でもぉ、今年は違うんだからぁ。戦力もバッチリ揃ってるし、み~んな調子良いし。」
「オープン戦でそんな調子良くってもねぇ。」
「も~っ。でもこうやって勝ち癖つけるのが大事なんだもん。」
こういう会話をする母と娘って、世間的には珍しいんじゃないかしら?今ではそうでもないのかな?
「んふふ、じゃぁその祝勝会でもやりましょうかねぇ。」
「あぁ、そうね。シーズン入ったら出来ないもんね~。」
「お母さんっ?」
「ふふ、ごめんごめん。」
「へぇ、珍しいこともあるもんだねぇ。」
仕事帰りの棟梁も合流。
「も~、棟梁までそういうこと言う?」
「ぃやいやいや、いつも残念会やってるからさぁ。」
「んん、そうだけど~・・・。」
「だからねぇ『オープン戦で喜んじゃダメよ』って、さっきから言ってるんですよぉ。」
「それでも勝ちは勝ちだもんっ。」
「はいはいそうね、そんじゃ開幕が楽しみだわ~。」
「んも~、お母さんの意地悪ぅ。」
そもそも美冴ちゃんの野球好きは素子さんの影響のはずだけど、素子さんがそこまで入れ込んでないのは少々不思議なのよね。
「はぁ~い、じゃぁまずはお刺身からねぇ。今日はマゴチですよ~。」
マゴチ。顔は悪いけど味は良い。生でも焼いても揚げてもイケる、オールラウンダー。
「お~、好きなんだよねぇ。マゴチ。この食感と言いなんと言い・・・ぅん、今日も美味い。」
「これだって、出るとこ出たら高級魚なのよ。」
「ん・・・あぁ、そうだろうね。スーパーなんかじゃ並ばんだろうから。」
「私は唐揚げが好きぃ。」
「んふふ、じゃぁ後で揚げてあげるわね。」
「ヨーコちゃん、キリっと冷たいのもらえる?」
「は~い、冷たいのねぇ。」
素子さんのお酒のスイッチが・・・。
「で、どうなんだい美冴ちゃん。そっちの方は。」
「うんっ。今年は期待してて。戦力も揃ってるし、みんな調子良いし、近年稀にみるスタートダッシュ決めて見せるからっ。」
「はっはっはっ、そりゃぁ楽しみだけどさ。そっちじゃなくって、彼氏の方さ。」
「彼氏?」
「ほらぁなんだっけ?釣りサークルの子だっけ?付き合っとるんじゃろ?」
「はぁっ?と、棟梁っ、急になに言いだすかと思ったら、なんの話?え?そんな話になってんの?」
「ん・・・違うのか?」
「当たり前でしょっ。私にはそんな気まっっったく無いもんっ。」
「あれれ、そうだったかい。」
「そうですっ。無いですっ。」
「まぁ、彼の方はどうか分からないけどねぇ・・・。」
「お母さん?」
「んふふふ。」
「ふふ。はぁい、お次は椀物ねぇ。ホンビノスのおすましです。」
ホンビノスガイ。クセが無くて味が良い。近年東京湾で増えているとか。どんどん食べよう。
「ほぉ、結構いい出汁が出てるねぇ。」
「ね。本場のクラムチャウダーはコレ使うらしいわよ。」
「え、アサリじゃないの?」
「えぇ、違うんですって。」
「へぇ、そっちも食べてみたいねぇ。」
「ん?じゃぁ、いつかやりますね。」
「いつか、かぁ。」
「えぇ、忘れたころに。」
「ははっ、そいつは気の長い話だねぇ。」
「んふふ、だって他にも食べたいものいっぱいあるでしょ?」
「あぁ・・・それもそうだねぇ。」
忘れたころに出す・・・という話ごと忘れてくれると私も気が楽なんだけどな。
「ん~っ、やっぱり唐揚げ美味しい~。」
ご満悦な美冴ちゃん。レモンハイと一緒に。
「はははっ。美冴ちゃん、良~く味わっとくんだよ。じきに体が揚げ物を受け付けなくなってくるんだから。」
「も~、棟梁ぉ。そんな景気の悪くなるようなこと言わないでっ。せっかくの『祝勝会』なんだから。」
そうだった、今日は祝勝会だった。
「まぁまぁ、良いじゃない。今年は優勝するんでしょ?そしたら盛大にやれば、ね。」
「そうっ。今年はウチが優勝すんのっ。みんなでビールかけだからねぇ。」
すっかりできあがっている美冴ちゃん。
「ね。いいよね、ヨーコさん。『ハマ屋』でビールかけ。」
「え?ここじゃダメよ。誰が掃除すんのよ。」
「え~、ダメぇ?」
「ダメよ。やるなら外でやって。」
「むぅ~・・・は~ぃ。」
「んふふ。まぁ、その心配はないだろうけどね。」
「もぉ~っ。お母さん酷ぉい。まるで優勝なんか夢のまた夢みたいに言っちゃってさぁ。」
いや、そこまでは言ってない。
「でも・・・ねぇ。」
「むぃ~、いいもんいいもんっ。」
そんな祝勝会をする日が、本当に来るのだろうか。
「絶~~~っ対、優勝してやるんだからっ。」
まぁ、この意気込みに免じて心の準備だけはしておくか。
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