第116話 味噌だれと男の弱いとこ
カラコロコロと下駄の音が聞こえたら、その主は先生。
「いらっしゃい。いつもの?」
「えぇ、お願いします。」
先生はいつも決まってアジフライ定食。いくら他のものを薦めても、そこは頑なに崩さない。前世で何かあったのかしら?
「先生、今日はねぇ。ふふふ、ちょっと変わったのがあるんですよ。」
「ん、なんです?」
「ふっふっふ、それは後のお楽しみ~。」
「ふふ、おやおや・・・。」
アジを揚げる。特に今日は丸々と太った良い型のアジが入った。衣をザクッとした食感に仕上げるのが先代のこだわりで、そこの継承・再現に苦労したのは今では遥か昔のよう・・・。
「は~い、お待たせ~。ねぇ、このソース、ちょっと試してみて。」
「おや、なんですか?」
「ふふふ、まぁいいから、ちょっと、ね。」
「はぁ・・・では、いただきます。」
少々怪訝な顔つきで、いつものアジフライに見慣れぬソースを付けて食べてみる。
「ん・・・ん?味噌、ですね?あ・・・柚子の香りも・・・?」
「んふふ、どうです?合います?」
「えぇ、これ・・・いいですねぇ。」
「ふふふ、でしょう?」
「味噌だれ・・・ですか?」
「えぇ。ほら、味噌カツってあるでしょ?トンカツに味噌だれかけたヤツ。」
「えぇ、名古屋のあたりの名物の。」
「うんうんうん。それをねぇ、魚に合う感じでやっても面白いんじゃないかと思ってねぇ。」
「へぇ・・・うん、大成功なんじゃないですか?」
「あら、先生もそう思う?」
「えぇ。」
「ふふふ、なら良かったぁ。思い付きでもやってみるもんねぇ。」
醤油・お酒・みりんを火にかけ、アルコールが飛んだら味噌を入れて溶き合わせてゆく。良い具合になったところで、ゆずの皮を細かく切ったものを入れ、十分に香りを引き出したら出来上がり。意外と簡単だけどこれがまた・・・むふふ。
「あの、ヨーコさん・・・これ、ご飯に乗せても・・・。」
「あら、先生。気付いちゃった?」
「え・・・まさか?」
「むっふっふ・・・美味しかったなぁ、焼きおにぎり。」
「あ・・・ずるい。」
「ふふふ。作りましょうか?」
「聞くまでもなくお願いしますっ。」
「ふふっ、ちょっと待っててねぇ。」
おにぎりを軽く半焼きにしたところに、この「味噌だれ」を塗ってゆく。すると間もなくフツフツジュクジュクと沸き立つように焼けて、ここぞとばかりに食欲をそそる「あの匂い」を発する。
「はぁ、もう匂いだけでも美味しい・・・。」
普段は冷静な先生の鼻が膨らんでいる。
「ふふふ、もうちょっとねぇ。」
表面がカリっとしてきたら焼き上がりのサイン。
「はぁ~い、お待たせ。熱いから気をつけてねぇ。」
「は、はい・・・んぐっ。」
思わず生唾飲み込む先生。
「いただきます・・・はむっ。」
かぶりついた途端、喜びと驚きと安堵が入り混じった複雑な表情を見せる。総じて、幸せそうだ。
「ん・・・んぐ・・ん・・・。」
咀嚼するほどに広がる味噌の風味と香ばしさ、その後に追ってくる柚子の香り。
「ん・・・はぁ、おいしい・・・。」
「ふふっ、でしょ?」
「はい、はぁ・・・おいしい・・・。」
もう「他の言葉は出ません」とでも言いたげに「おいしい」を連呼する先生。そうよね。本当に美味しい時って、表現する言葉が出てこないもんよね。
「むふ、みそ汁との相性もバッチリなのよ?」
「は・・・あ、はい。」
言われて一口含んだみそ汁が口の中に広がる感覚。混ざり合って新たに生みだされるハーモニー。そして、その後に訪れる「もう一口」の渇望感。
「・・・ねっ?」
「はい。」
旨さを語ると野暮になる・・・って、誰か言ってたなぁ。
「ヨーコさん、コレ・・・。」
「ん?」
「出すんですか?」
「ん、ん~・・・どうしよっかな。こういうのって、たまに作るからいいのよね。」
「そ、そうですよねっ。」
なんだか少しうれしそうな先生。
「ん、先生?」
「あ~いや、こんなのをレギュラーにしたら行列ができちゃうなぁ・・・って。」
「あら、そうなったら嬉しいけど・・・あんまり忙しすぎるのもねぇ。」
「え、えぇ。ですよね。」
「ふふっ、アジフライ揚げる時間もなくなっちゃうもんね。」
「そ、それが一番困りますっ。」
この辺が先生の「弱いとこ」だと気づいてからは、だいぶ扱いが楽になったのよね。
「ねっ。だから、たまに作るくらいがちょうど良いのよ。」
「はい・・・良かったです。」
なんとしてもアジフライを守りたい先生。やっぱり前世で何かあったのかしら?
夕方。棟梁との時間。
「ヨーコちゃん・・・これは、行列できちゃうわ。」
「ふふふ、気に入っていただけました?」
「も~、困るなぁ。ヨーコちゃんたまにこういうの作るんだもんなぁ。」
気に入っていただけたようで何より。
「今回は柚子だったけど、季節ごとに違ったのを入れても良いかなぁ・・・なんて思ってるんですよねぇ。」
「あ~もう、そんなことされたら・・・進んじゃうよぉ。」
棟梁の場合、ご飯じゃなくてお酒。
「ふふふ、そうね。じゃぁほどほどにしておく為に、たま~にしか作らないことにするわ。」
「あ・・・そ、それはそれで・・・。」
お預けの先払いをくらって、落胆の色を見せる棟梁。
「ふふ、もうそうやって・・・奥さんに怒られるの私なんですからねぇ。」
「はい・・・。」
棟梁の「弱いとこ」は奥さん。まぁ、これはどこの家も一緒かな。
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