第113話 より良い作品のために
「はぁぁぁぁぁ~・・・・。」
先生が肺活量の測定をしている・・・かと思うような長~い溜息をついた。
「ん・・・先生?」
「・・・はぁ。」
「どうしました?」
「あぁ、いやぁ・・・どうもこうも、上手くいかないもんだなぁと・・・。」
この後、編集さんとの打ち合わせ。
「例のミステリーの話?」
「えぇ・・・。」
先生が作家としての新たな分野を切り開くため、ミステリー小説に挑んでいる。というより、編集さんに挑まされている。
「順調だったんじゃないんですか?」
「えぇ、だったんですけどねぇ・・・。」
「あれ、雲行きが怪しい感じですか?」
「あ~、なんというか・・・話の筋は良いんですけど、どうにも『主人公の都合の良いように展開していってしまっている』気がしてならなくて。」
「都合の良いように?」
「えぇ。ちょうど手の
確かに二時間ドラマなんか見てても、上手く行き過ぎてると感じることはあるわね。
「でも先生?ミステリーなんて、みんなそんなもんなんじゃないんですか?」
「う~ん・・・ミステリーに対する一般的な認識ってそんなもんなんでしょうか?」
「えぇ。『所詮作り物』って私は見てるけど。」
「はぁ・・・やっぱりそうなんですねぇ。」
そんなところへやってきた編集さん。いつも決めた時間のキッカリ5分前に来る。
「お待たせいたしました。」
そう言うと先生の向かいの席に座り、その原稿を受け取った。
「では、読ませていただきます。」
しっかり読む。こういう仕事をしている人だから、もっとバラバラと一気に読み進めるのかと思っていたけど、一字一句逃すまいと慎重に読んでいく彼女。その中に時折「初見の興奮」が見て取れるのが微笑ましい。
「みなと先生。全体的には良いと思いますが、ところどころ展開が急ぎ足になるのが気になります。」
「急ぎ足・・・ですか。」
「はい。展開が性急すぎて、読者を置いて行ってしまうところがですね。例えばこのあたりなんかは・・・」
編集さんとの細かいやり取りが始まった。
作家と編集さんの間柄をよく二人三脚に例えるけど、この二人を見ていると少し違うような気がしてくる。最初の読者であり、最高の支持者であり、また一番厳しい批評家でもある。そんな編集さんの熱意に文章で応える作家。関係は非常に密だけど程良い距離感を維持できているのは、お互いリスペクトの気持ちがあるからなのだろう。よくある「大物作家に若い女性編集者が手籠めにされる・・・」なんていうドラマみたいな世界とは無縁の二人。
「・・・それもわかりますが、僕としてはあるものを自然に、出来ればそのままに書きたいんです。」
「自然に、そのままに?」
「えぇ。読者を惑わせるような罠も必要でしょうし、解決の糸口を見せるのも必要なのは分かりますけど・・・なんか、そういう『テクニック』を感じるような文章にはしたくないんです。」
「ほう、テクニックですか・・・。」
「えぇ。もっと自然に・・・読み終わったときに『あぁ、思い返せばアレはアレだったのか?』って思うような・・・ですから、読んでる時にそれを感じて欲しくないんです。」
「うむ・・・確かに、読みながらその仕掛けや仕掛けをしたことに気付いてしまうと、一気に冷めてしまいますものね。」
「はい。読者には、読み終わるまでその世界の中に居て欲しいんです。」
「う~ん・・・布石と感じさせずに布石を打つ・・・ですか。」
「はい・・・。」
「・・・そんなこと、可能なんでしょうか?」
「・・・可能なんでしょうか?」
熱い議論と沈黙の時間は、波のように交互に訪れる。そんなやり取りに聞き耳を立てながら、無関心を装い続ける私の努力にも誰か気付いてほしい。
「はぁ・・・。」
「・・・はぁ。」
「ふふ。ねぇ、そろそろお腹空いたんじゃない?」
「はっ、そ、そうですね。先生、何かお腹に入れましょう。」
「あ、えぇ。そうですね。」
「お稲荷さん好き?」
「お稲荷さん、ですか?」
「うん、嫌い?」
「いえ、あればあるだけ食べてしまいますっ。」
「ふふふっ、それなら良かった。ちょっと作りすぎちゃったのよねぇ。」
「い、いただきますっ。」
相変わらず食べることに対しては前のめりな編集さん。出す前からこの調子じゃぁ、食べる前にお腹いっぱいにならないのかしら・・・ならないわよね。
「これが普通のヤツで、こっちはゴマとネギがいっぱい入ったヤツ。で、こっちはアジの開きをほぐしたヤツにガリを合わせたもの。」
「は~、なんと、豪勢ですね。」
「ふふ、いろいろ試しに作るのが楽しくて、つい量が・・・ね。」
「で、では・・・いただきます。」
彼女は本当に、惚れ惚れするほどに綺麗に食べる。姿勢、所作、佇まい。その美しさは、話しかける隙さえ与えないほど。そして、ご飯粒一つ残さず食べ終えると、急に我に返る。
「はぁ・・・はっ。あ、あの、どれも美味しかったですっ。特にこのアジをほぐしたものが入ったものは、一種の発明品です。」
「ははは、それはちょっと言い過ぎじゃない?」
「いえ、少なくとも私にとっては大発見です。」
「ふふふ、ありがと。」
これだけ食べることが好きな子が言うんだから、きっと上手くいってるのよね。
「ふぅ・・・。」
「ん・・・おかわり?」
「い、いただけますか・・・?」
「ふふふ、良いわよ。たんとお食べ。」
「は、はいっ。」
彼女の食べる姿を見るのも、私の楽しみのひとつなのよね。
「では先生、引き続きよろしくお願いします。」
「はい、頑張って書いてみます。」
「ヨーコさん、今日もご馳走様でした。」
「いえいえ・・・あ、何かリクエストがあったら今のうちに聞くわよ?」
「あぁ、それでしたら・・・あ、いえ。何に出会えるか分からない方が、その喜びも一層ということですので・・・。」
「ふふふ、分かった。まぁ、いつも何か作ってるから、いつでもプラっとおいで。」
「あ、はいっ。またお邪魔させていただきます。それでは。」
真っすぐな眼差しの彼女が、清々しさを残して帰っていった。
「先生・・・?」
「はい?」
「おかわりは?」
「あ、いえ・・・僕はもうお腹いっぱいです。」
「ふふふ、あの子・・・本当によく食べるわねぇ。」
「はい・・・。」
小柄で細身なあの体の、いったいどこに入っているのかしら。
「・・・よくあれで太らないわねぇ。」
「本当に不思議です・・・。」
これはこれでミステリー。
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